第四章第二節
最近気づいたんですが、この作品がブックマークされたみたいです。凄い有難いことだな、と思います。この場を借りてお礼したいです。かなり人を選ぶと思う内容なので嬉しいです。
次回からオイノモリは日常業務に戻ります。
泥の跳ねた旧式車は直進を続けていた。
「そういう訳で、その『昇華』を行えば心も元通り、また復帰できるようになるんです」
「それリハビリって選択肢はねえの?」
長く沈黙を続けていたショートカットの女は、ワイシャツの胸ポケットのふくらみに指を入れたかと思うと、形の崩れた緑と白の小さな紙袋を握りつぶしてそう言った。
「リハビリ…?」
「少しずつ体を慣らして回復を目指すんだよ」
「それじゃあク…後輩が長く苦しむじゃないですか。そんなことは出来ませんよ」
「長いだの苦しいだのは御免か…。そりゃ理由なんて後回しの教育になるか」
龍飛崎は、薬だけで心がどうにかなるモンなら皆苦労してねーよ、と笑っていた。
〝理由〟という言葉をタツさんは良く使うようだ。「理由を気にしている時間の長さだけ社会は停滞する」のだ。そんなことを気にせず社会の進歩に努めた方が良いはずだ。
「でも後輩クンに早く治ってほしいだなんてお前、優しいやつなんだな」
「え?あぁ…ありがとうございます」
お姉さん感動しちゃうねー、と龍飛崎はダッシュボードからタバコのカートンを取り出しながら軽口を叩いた。緑の下地に白文字で「陽の当たる場所」と書かれている。
「あれ、お前タバコは苦手なんだっけか」
オイノモリは、自分がタバコが苦手かどうか知らないことにそこで初めて気づいた。非進歩的であることは知っているし、社会からの根絶が仕事の一部だが、自分の嗜好は何も知らないままだった。
「さぁ?僕はタバコは吸いませんし、吸う人も身近にいないので。ご自由にどうぞ」
オイノモリは、龍飛崎の喫煙を止める気になれなかった。彼ら非進歩的とされる人間が、何故非進歩的行動をとるのか、その〝理由〟が知りたくなったのだ。
「そう?じゃ遠慮なく」
エネルギー効率の良い電灯に替えられた信号に泥が跳ねた旧式車が止まったタイミングで、龍飛崎はスラックスからフリント式のライターを取り出し、銀紙を破って取り出したタバコに火をつけた。空気が煙たくなるのを見越してか、龍飛崎は窓を5センチほど開けた。
「なぜそんなもの吸い続けるんです?社会から追い出されるだけでしょう」
「んんー?…好きだから…かな?居場所がなくなるのは仕方ないね、今までを考えると」
今までとは何だろう?と、気になって龍飛崎に視線を向けたオイノモリは、ふいに龍飛崎の深い灰色の瞳と目が合った。
「〝腐敗した社会には多くの法律がある〟ってのは誰が言ったか忘れたけどね、昔マナーを守らない奴らがいたから、今たくさんのルールで縛る必要が出来たんだよな…」
龍飛崎はまた正面を向き直した。
オイノモリは何も答えなかった。が、タツさんの言葉は的を射ているのかも知れないと思った。『大暴動』のような恐ろしい時代があったからこそ『団体』が非進歩的なものを統制し始めたのだ。差別や、その根本たる民族主義、信教の自由、経済格差、右派・左派、性別、性嗜好など…。それにしても、非進歩的な行動の理由は単純な自分の嗜好とは、なんとも肩透かしを食らったような…
オイノモリの思索は、煙と古い音楽の中で巡っていた。
「そろそろ住宅街だけど、ここどっちに行けばいいの?」
思索を遮ったのは龍飛崎の低い声だった。
「あ、ここは左でお願いします、すぐ先の交番までで結構ですから」
はいよー、と気の抜けた返事と裏腹に正確に、龍飛崎は電灯が消えた交番の駐車スペースに奇麗に駐車してみせた。オイノモリが車から降りた時、龍飛崎は手を振りながら「また今度な、オイノモリ」と笑って答えて、また古臭い車で去っていった。
そういえばタツさんの連絡先を聞いていない、と気付いたオイノモリが見たのは、電源が入っていないソーシャル・ウォッチだった。クグリザカの見舞いに行った時から電源を入れ直していなかったらしい。今、オイノモリの手元にあるのは、龍飛崎の吸うタバコの匂いだけだった。
オイノモリはこれから自分の行動の理由について考えていくことになるんだろうな…。自分の匙加減ですが。
作中の「腐敗した社会には多くの法律がある」っていう言葉、書いてるときに調べたらサミュエル・ジョンソンって人の言葉らしいです。自分もこの言葉だけ覚えてて、誰の言葉かさっぱりだったんですがあとがきを書くにあたって調べました。名言ですよね。今喫煙に凄い制限が掛けられてるのは、元はと言えば人の気持ちを考えない喫煙者が迷惑をかけたからなんですよね。人が人の気持ちを考えないような社会だったから、今ルールが増えたっていうか。皆が楽しく居られるようにしたいですよね。




