見つける方も、受け入れる方も。
◆◆◆the other side その後のふたり。
うちの学園の生徒会長様はまさに絶対王者と呼ぶに相応しい男だった。
切長の目元に黒曜石のような瞳を携えた甘いマスクはそれぞれのパーツが完璧な配置に並べられていて、そこら辺の俳優なんかよりも余程綺麗に整っている。180センチの長身に引き締まった体躯は女の頬をうっとりと紅く染め上げ、生徒会長というポジションに恥じぬ手腕と誰にでも分け隔て無く接する人柄は男たちをも虜にした。
彼が王子様と呼ばれる理由に誰もが納得し、その懐に近づくために様々な手を使って群がった。
俺はそんな生徒会長様、佐咬貴之の友人…と言うか腐れ縁と言うか、所謂幼馴染と呼ばれる程には長い付き合いがある人間である。
そして生徒会長補佐である副会長(この学園の副会長は生徒会長に任命権がある)には、佐咬の面倒臭いと言う理由ひとつで選ばれた。
恐らくこの面倒臭いには業務的な面倒臭さよりも、佐咬に群がる人間に対する面倒臭さがほぼ九割の割合で含まれている。
佐咬は王子様と呼ばれ慕われるほど人を惹きつけてしまう人間だが、実際は間違っても王子様などと呼ばれるような人間ではない。優しげに微笑むその瞳の奥は冷え切っていて、狂人的な激情をその心に飼っている。
恐らく俺が側にいることを許されているのは、そんな本性に気付きながらも放置出来てしまう性格だからだろう。
昔から佐咬は佐咬だったし、今更トチ狂ったことを言われたところで簡単に流せる自信もある。
面倒な事に巻き込まれる前にフォローをするのは正直損な役回りだとしか思わないけれど、何処でそのタガが外れるか分からない怖さがあった佐咬を俺は放っては置けなかった。
昏い獣の本性を綺麗な人の皮を被り切ることで表に出さなかった友人は、今までどんな美人も優秀な人間も、誰にでも分け隔てなく一定の距離から内側に踏み入ることを許さなかった。
それは自ら囲い側に置く人間など、現れないとさえ言うかのように。
◇◇◇
学園を震撼させたのは秋晴れに恵まれたとある月曜日の朝だった。
「え…、なんで?」
「あの佐咬生徒会長の隣にいる男って…」
「なんであんな男が佐咬先輩と一緒に居んの?」
少し肌寒さを感じる気温に柔らかな日差しが暖かくて、欠伸を噛み締めながら校門を潜ったちょうどその時。校舎に向かう人の流れに逆らって歩く佐咬の姿が見えた。
まるでオセロの石をひっくり返すように佐咬が通った道を振り返って見やる生徒たち。
その視線を意にも返さず歩みを進め続ける男はチラリと俺を視界に留めたところで立ち止まり、その艶やかな口を開く。
刹那、その一声が一瞬の静寂を作り上げた。
「愛二」
今まで聞いた事もないような、甘ったるい音。
ざわりと空気が揺れたその後ろで、一人の男が弾くように顔を上げた。
完結に紡がれた単語が名前だと理解したのはその時で、呼ばれた男は佐咬を捉えて何故か思いっきり眉を顰めると、次の瞬間には諦めたような顔をして一度止まった歩みを再開させた。
じっとりと含みを持った数多の視線が突き刺さる中、確かな足取りで佐咬の側まで歩み寄った男は十センチほど高い視線に真正面から対峙した。
それに気を良くしたのが分かるほどに緩めた頬を隠しもしない生徒会長様は、さらに甘い声で話しかける。
「おはよう、愛二」
「いきなり話しかけてくんな」
「どうして? せっかく俺のものになったのに」
「お前目立つんだよ! 俺は動物園のパンダになるのは御免だ!」
愛二と呼ばれた男は佐咬を目の前にして先程諦めた様な顔を再び顰めて噛み付いた。
どうしてくれると抗議をしているようだが、噛み付かれている当の本人はこれ以上無いほどにその瞳を蕩けさせている。
何となく状況を理解した俺は男の言うことを整理して、あまりに尤も過ぎる意見だと、これから男の身に降りかかるであろう厄介事に同情した。
その上で、あの佐咬に食ってかかる人間がいた事実に、驚きも隠せなかったのだが。
そんな俺とは別に佐咬とのやり取りを固唾を呑んで観戦していたギャラリー達は、人が変わったような佐咬の態度とその会話の内容の方に驚いたらしい。
朝の五分にも満たない出来事が学園全体に知れ渡ったのは、言葉の通りあっという間だった。
◇◇◇
「愛二。これ暎晴に渡してくれる?」
あれから二週間ほどが過ぎて佐咬貴之の男だと大公開された廣瀬愛二は、佐咬に連れられて生徒会室に度々顔を出す様になった。
初めは備え付けのソファーで佐咬の仕事をぼんやりと見ているだけだったのだが、実は何をやっているのかその内容までしっかりと把握していたようで、いつからか自然と役員に混ざって補佐のような手伝いをしてくれていた。
俺としても覚えが早く正解で、更に問題があれば指摘までしてくれるものだから副会長としては助かる事この上ない。
因みに暎晴とは俺の名前で、花巻暎晴と言う。
廣瀬愛二は本当に平凡を絵に書いたような見た目の男で、特別何かに秀でた人間というわけではないようだった。
しかしこの数週間、短い時間ではあるが一緒に過ごしてみて分かった事がある。
廣瀬はとにかく頭の回転が早い。恐らく勉強が出来る頭が良いとは別の、本当の意味で賢い人間。
相手がこれ以上踏み込んで欲しくないラインを見極めるのが群を抜いて上手かった。
表情の変化や機微に敏感で、引くべきところはしっかり引く。
しかしそうしてはいけないところではしっかりと口にする度胸もあり、真っ直ぐ前を見据えたその瞳からは彼の誠実さが窺えた。
人によっては距離を感じてしまうであろう彼の言動は、本当に関わってみないとその本質に気付くことは出来ない。
それでも少し目を凝らして見ようと意識してみれば、困った時にほんのりと眉を下げて真剣に考え込んでいる姿や落とし物を拾ってやったり黒板の最上部まで手が届かない女子に代わって拭いてやったりする姿、その際ついでのように言われる「ありがとう」のたった一言に小さくはにかんで笑う無垢な少年のような姿を知った。
その勇敢でいじらしい、少し幼く見えた小さな背中と儚くも気高い彼の優しい眼差しに、俺は思わず手を貸してやりたくなった。
善人を素で体現している芯の強い人間。それが廣瀬愛二という男だった。
「花巻、これ貴之から」
「ああ、ありがとう」
生徒会長の席から副会長の席までそれほど遠くない距離のお使いを済ませた廣瀬は佐咬の隣に設けられた簡易テーブルに戻って行く。
そんな彼のスッと伸びた背中を見送って、ふと考えた。
何でもない事のように『貴之』と呼ぶ廣瀬。しかしこの学園で、佐咬のことを『貴之』と呼べる人間が自分以外にいないという事実に廣瀬は気付いているのだろうか。
学園の生徒たちは未だ廣瀬の存在を認めていない。
それでも目立った行動に移せないのは、佐咬の周到な牽制もあるだろうが廣瀬本人の佐咬に対する呼び方が大きい。
『佐咬』
『佐咬先輩』
『佐咬くん』
佐咬は決まって苗字でしか呼ばせなかった。そんな佐咬の名前を唯一呼べる廣瀬の存在は、長い言葉を並べるよりも一言『貴之』と口にするだけでその存在価値を絶対的なものにした。
「愛二」
「なに」
「愛二」
「…だからなに」
愛おし気に呼ぶ佐咬の声。その先にいる男を映す瞳の奥には、今でも昏い獣を飼っている。
けれど、そこに潜む温度に暖かさが混ざる様になったのはきっと俺の勘違いでは無いだろう。
「名前、呼んでよ」
誰かに執着して自ら囲って、側に置きたいと思える人間なんて佐咬には現れないと思っていた。
仮に、もしそんな人間が本当に現れたとして、それは当分先の話しになるだろうし、そもそも相手が佐咬の本性に耐え切れないだろうとさえ思っていた。
それが廣瀬愛二という人間が現れたことで、俺の予測よりもはるかに早く、終焉を迎えようとしている。
佐咬貴之という狂人をあっさり受け入れてしまった平凡だったはずの男は、蓋を開けてみれば他人が到底到達することが出来ないレベルの善人で、善人が過ぎるが故に誰にも理解されない、受け入れられない、愛して貰えない人間だった。
逆に言えば、廣瀬も佐咬とは別の意味で狂った人間だったと言うことだ。
よくよく考えてみれば、あの佐咬が見つけた時点で廣瀬は逃げられないと決まっていたし、逃げないことも決まっていたのだろう。見つけられた廣瀬の方も、やっと見つけた愛の形が佐咬だったというだけで。
「誰にも触れられなかった王子様なのに…」
「平凡を絵に書いたような男が、どうして選ばれる…?」
つい先程耳にした生徒たちの声が脳裏に響く。
そんなもの、答えなんてとっくに出ていると言うのに。
「ねえ、呼んで…。愛二」
ドロドロに溶かしたチョコレートのように甘く重たい空気が充満し始めたところで、俺は小さく息を吐き出して席を立った。
これ以上は胸焼けが過ぎる。何より、入った状態の二人の領域に俺は不要だ。
ざっと机の上を片付けて、提出用の書類と鞄を持つことでもうここには戻らない事を示す。
後ろ手で閉めた扉の向こうで、カタンと人の気配がつぶさに動いた。
「貴之、大丈夫だから。ちゃんと…愛してるから」
———だから、
「貴之こそ、よそ見しないで。俺だけ愛して」
最後に耳に届いた佐咬を呼ぶ廣瀬の言葉は、どんな愛の告白よりも真摯で無慈悲な狂気の色を滲ませた、誠実な想いに溢れていた。
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