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8.僕に天啓をくれた君(セシル視点)


 ───初めは、小さな違和感だった。


(アイシャが僕の傍から離れる時間が長い?)


 それは特に誰かに告げるほどではない小さな小さな違和感。


 そう思ったのだって、僕だけのはずだ。

 この世に生を受けたその瞬間から傍に居てくれた、僕にとっては母そのものの女性。

 僕だからこそ気付いた違和感だろう。


 お茶を頼んだ時、僕の湯あみを待つ間、僕がベッドに入り眠るまでの時間。

 僕の行動に合わせて王宮内を共に移動する事が許されている側付きメイドである彼女が、僕の意識から離れるその僅かな時間が、ほんの少しだけこれまでと違っているように感じた。


 それは僕から離れている時間の長さだったり、戻ってきた時の彼女の態度だったり。

 それから彼女は日に日に僕によそよそしく接するようになっていったなった。


 僕は彼女に距離を取られたことがショックで、彼女に嫌われたくない一心で彼女の変化に言及することも気にする素振りすら見せないように振る舞っていた。


 僕の母、王妃だった女性は僕を産んですぐ儚くなった。

 妊娠中に難病を患った彼女は、自分の命を懸けて僕を産み落としてくれたのだ。


 そんな彼女を母として尊敬していた。

 けれど、どうしても寂しく感じてしまう。

 どこか心に穴が開いているような、そんな感覚があった。

 そんな僕を母代わりに育て、いつも近くで見守ってくれたのがアイシャだ。


 アイシャは僕と同じ年に産まれた娘のエラを育てながら僕の乳母としても働き、母の居なくなった僕に、エラに向けるのと同じだけの愛情を注いでくれたのだ。


 本来乳母は一時的な雇われの身だ。

 けれど幼い僕はアイシャにしか懐かず彼女を母同然に慕ったため、周囲がアイシャに王子の側付きメイドの職を与えた。


 それからずっと傍に居てくれたアイシャ。

 乳離れしたエラを夫の元に残し、夜以外はずっと王宮で勤めてくれた。


 僕はそんなアイシャの献身をずっと当然のように甘受していたんだ。


 馬鹿だった。

 何も考えていなかった。

 お父様の"平和ボケ"という発言に、頭を殴られた思いだった。


 アイシャが何に悩み、何を犠牲にしていたのか考えたことも無かったと、僕はようやく気付いたんだ。


 教えてくれたのは、一人の愛らしい女の子。


 何も知らないような、無垢な顔をした彼女レイラは、たった一度会ったアイシャを観察し、想像し、そして僕に教えてくれた。


『アイシャしゃん、うらぎる?』


 咄嗟に、アイシャへの侮辱だと思った。

 許せない、と一瞬でカッとなる。


『裏切る? アイシャが? なぜ?』


 そう詰めるように言いながら、目の前で真っ青な顔になった少女に頭が冷えた。

 違う、もしかして、裏切っているのは僕?


 アイシャの様子がおかしいことに気付きながら、それを放置した。

 アイシャが困っていることがあれば力になれるだけの立場でありながら、嫌われることにばかり怯え何もしなかった。

 アイシャの献身を、アイシャが僕のために犠牲にしているものを知っているにも関わらず考えなかった。


 冷静になれと己に言い聞かせてレイラに問うた答えはやはり、彼女が僕のために離れざるを得なかった家族の事。


 そしてゾッとする。


 アイシャの家族はどこにいる?

 アイシャはどこへ帰ると言っていた?

 夫は? エラは?

 未だに市井で暮らしているのではないか?


 これだけ王家に近い場所への出入りを許された者の中で、その恩恵が一番少ないのはアイシャではないのか?

 アイシャを利用されれば?

 その代償はどれほどだ?


 一気に巡る思考に、真っ白になった。


 お父様に、伝えねば。





 レイラを連れ、その足でお父様へ直談判に行った。

 今思えば随分大胆な事をしたと思う。


 無我夢中だった。

 僕に天啓を齎してくれたレイラすら口に乗せて話を聞いてもらうために利用した。

 というのに、お父様と共に居た公爵夫妻は僕の無礼を咎めるでもなく黙って成り行きに任せてくださったのだ。


 お父様が、公爵様が寛大で、そうして僕の我儘を聞き入れてくださったお父様が人を動かせば結果は歴然で。

 たった数日であっけなさすぎるほど簡単に方が付いた。


 僕が放置した罪。

 僕が考えなかった罪。


「おどされて……っ、エラが、エラが傷つけられ、殺されると……っ、申し訳、申し訳ございませんんん」


 涙し、額を床に擦り付け、獣が唸るように必死で喉を絞り嗚咽を抑え込みながら謝罪するアイシャに、僕は彼女に覆いかぶさるよう彼女を抱きしめ縋りつきながら彼女以上にわんわん泣いた。

 何時間も何時間も、ただずっと二人で震え、謝罪の言葉を上げながら泣いていた。

 アイシャが僕を愛していますと言って泣き、僕はそんなアイシャを腕いっぱい体いっぱいで抱きしめて愛していると叫んでまた泣いた。


 僕が少しでも動けば、アイシャもエラも危険な目に遭うことなど決してなかった。

 やりたくなどない事を、僕とまともに目が合わせられなくなるほどに身を切る思いをしながら強制させられる事も無かった。


 解決は一瞬だったのだ。

 ほんの少しでも僕にその気があれば、気づいてやれれば、気づいてやろうとしていれば。


 僕は自身の愚かさを猛省し、二度とこの母に、大切な人に、僕の愚かさのせいで辛い思いはさせないと誓った。

 お父様がアイシャにエラの回復までの暇と家族全員の転居を指示し、その後元通り僕の側付きメイドとして働くよう裁きを言い渡した翌日、僕は僕に気づきを与えた少女の元を訪れた。


 彼女が居なければ、アイシャは、僕は、一体どうなっていただろう。


 アイシャがもし決定的な罪を犯してしまっていたら。

 アイシャの行動をもし他の人が見咎めていたら。


 アイシャに指示していたのは王家の弱みを握り力を得ようとした貴族の末端だったという。

 僕が何も知らないままアイシャが裁かれたなら、きっとその詳細まで僕に伝えられることは無かったのではないか。

 僕は二度とアイシャに会う事も出来ないままにただ裏切られたと思ったのではないか。


 アイシャは命令され脅されどうしようもない事実の中、自身を呵責し思い悩み、僕を決定的に裏切るくらいならばいっそ娘と二人その身を散らす覚悟さえしていたと言っていた。

 

 レイラのおかげで、僕は気付けた。

 僕は知ることが出来た。


 僕の中のアイシャへの愛を失う事も無く、失望することも無く、アイシャに二度と会えなくなることも無くなった。

 もう二度と大切なものを失いたくない。


 それは、彼女も。


 六歳の僕に比べて、小さな小さな三歳の女の子の手を僕は包むように握り込む。

 柔らかで甘やかなレイラの手の感触を感じつつ、僕は彼女に笑んだ。


「ありがとう」


 何度伝えても足りない。

 

 レイラのおかげだ。


 僕に教え、気づくよう促してくれた、僕の天使。




「僕は、僕は、」



 情けなくも、感情の高ぶりに涙が次々溢れる。

 困ったような、慌てた様な彼女に可笑しく感じながら、温かい気持ちが沸いては涙となって頬を濡らす。




「君に会えて、本当に良かった」





 ぎゅっと握った手を、彼女がおずおずと握り返してくれるのが分かった。


 この先僕がずっと愛してやまない、僕の婚約者レイラと初めて過ごした春のことだった。












------------


次の更新は3/24(木)の予定です。

暗殺者編スタート。


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