5.転生悪役令嬢は口を滑らせる。
───どうしてこうなったんだっけ。
私は今自身が置かれている状況に混乱していた。
「ありがとう、全部、レイラのおかげだ。僕、僕……」
セシルさまは私の両手を自身の両手で握り込むように包んで顔を伏せ、繰り返しお礼を言っている。
その手は熱いくらいに温かく、金の睫毛に縁どられた彼の目からは次々涙が零れた。
セシルさまは自分のこと『私』って言ってたはずだけど、今は『僕』って言っている。
今こうしてお礼を言うセシルさまは以前のよりずっと自然で柔らかい話し方だと感じた。
セシルさまと再会して王宮のお庭に出て、そしてそのあと───。
私はここまでセシルさまに感謝されるような事はしていないと思う。
どうしてセシルさまは泣きながらここまで感謝を伝えてきているのか。
ゆっくり顔を上げたセシルさまのまだ潤みっぱなしの目と目が合った。
「ありがとう、レイラ」
セシルさまの碧い瞳がまるで溶けるようにうっとり笑むのを瞬きも忘れて見入ってしまう。
私はすっかり混乱しながらも、どうしてこんな事になってしまったのかと思い返した。
+ + +
「わあ!きれい!」
「レイラによろこんでもらえてうれしいよ」
庭に出てたくさんのお花にはしゃぐ私に、セシルさまは微笑ましそうにそう言った。
警備のための人たちはある程度離れた場所にいるらしく、今は私とセシルさまとセシルさまのお側付きのアイシャさんの三人で散策している。
王宮の庭はいくつかあるそうだけど、季節の花々が咲き誇るこの庭だけでも相当な広さがあった。
セシルさまに手を引いてもらっている私はセシルさまと時折笑顔を交わし合いながら夢中であちこち見せてもらう。
しばらく進んだ先でセシルさまが声を掛けてくれた。
「レイラ、そろそろ休けいはどう? 少し先に東屋があるんだ」
「がぜぼ?」
「ひと休みするためのスペースだよ」
「わかった!」
繋いだ手を引いてもらい小道を進むと開けた場所に屋根と柱だけの簡単な建物があった。
柱や屋根には緑の蔦が絡めてあり、自然に周囲に溶け込んでいる。
机と椅子が置かれたそこでは景色を眺めながら食事も出来そうだ。
「ひみつきちみたい!」
「秘密基地か。いいねそれ」
またセシルさまと笑い合い、それから木陰になっている椅子に腰かける。
アイシャさんがメイドさんの手を借りてテキパキお茶の用意を始めると、先ほどまで興奮して動き回っていた反動か、眠気がほんのりとやってきた。
日差しは温かく風は穏やか。
時折吹く風が木々の枝を揺らしてさわさわと葉の音がする。
横を見れば、セシルさまも一息ついているのか穏やかなお顔で庭を見ていた。
遠くから香る茶葉の匂いを感じながら、私は前世の記憶の彼について思い出してみる。
ラノベ『転レベ』で語られる原作のセシルさまは軽率で軽薄な印象を受ける王子様だった。
分け隔てなく女性に優しく人当りも良い性格だが、転レベレイラに言わせれば行動が軽はずみ。
レイラという婚約者もいて本人も立場ある人間なのに市井出身の聖女様と恋仲になってしまったり、聖女の立場を守りたいがために本人が率先して動いてしまうため逆に周囲の反感を買ってしまったり、様々な思惑を持った大人に利用されそうになってしまうのだ。
ただし、元のゲームストーリーでは王子以上に悪役令嬢レイラが軽率で根性悪なために聖女を虐めたり実家の権力を使ったりとヘイトを集めまくって代わりに破滅するわけだが。
転レベレイラはそんなスケープゴートにされてたまるかとセシルさまや聖女には関わらないよう徹底していた。
転レベレイラは良くも悪くも推しである"暗殺者"以外に対して辛口で、関わりをなるべく避けていた。
セシルさまが聖女様のために手を尽くすのだって悪役令嬢を断罪するのだって彼のストーリーのほんの一部で、彼自身はそれらを通して成長して素敵なキャラクターになっていくのだけど、レイラに転生してしまった以上元のストーリーのセシルさまの評価が厳しくなってしまうのは仕方ないのかなとも思えた。
本当は、付かず離れず適度な距離を取ってセシルさまとは接した方がいいのかもしれない。
断罪されるのは学園の卒業パーティーでのことだ。
それまでに破滅を回避するための準備をしなければいけないのだから、セシルさまとあまり親密になるのは危ないのかもしれない。
けれど、実際のセシルさまは転レベレイラが批判していた軽い人には思えないんだ。
それから、『転レベ』のセシルさまについて思い出すほど、私には気になることがある。
それが───。
「お茶をお持ち致しました」
平坦な声で私とセシルさまの前にお茶の入ったカップが置かれた。
セシルさまのお側付きのアイシャさんだ。
「ありがとうアイシャ」
「……」
お礼を言ったセシルさまに、けれどアイシャさんは気付かなかったのか無言で茶器を片付けに行ってしまう。
その背をじっと見た後カップの取手を持って俯いたセシルさまに、私は何も考えず思った事を言ってしまった。
「アイシャしゃん、うらぎる?」
「うん……?」
俯いていたセシルさまは反射のように一度返事をした後、疑問を持ったようでわずかに眉をしかめて視線を上げた。
「レイラ、なんて言ったの?」
「あ、ちがうの。まだうらぎってない? よね?」
「裏切る? アイシャが? なぜ?」
「あっ、あの、えっと……」
先ほどまでと違う、微かに険のある声で言うセシルさまは少し早口になっている。
ちょっと怖い。
私は自分の失言に気付いたけれどもう遅く、ビクつきながらしどろもどろになって説明するしかなかった。