1.転生悪役令嬢は王子様と会い、思い出す。
「レイラ、こちらが婚約者のセシル・コンキスタドール様だよ。殿下、娘のレイラです」
「セシルだよ。はじめまして、レイラ」
差し出された手を取るのに躊躇した。
だって私、この子のこと知ってる気がする。
セシルさまの姿を見た途端、今まで知らなかった何かをレイラは思い出した。
頭がいっぱいになって、ぐるぐるして、目が回る。
今日はお客様に会うからってメイドさんが可愛いドレスを着せてくれて、嬉しかった。
普段はなかなか会えない父さまがお家に居て、一緒に朝ごはんを食べれて、嬉しかった。
『今日は一緒にお客様をおもてなししよう』
『はい! 父たま!』
父さまがそう言うから、とっても楽しみにしていた。
お昼近くになってやって来たのは大きくて豪華な馬車で、中から出てきたのは金の髪がサラサラのすごく綺麗な男の子だった。
父さまと一緒にお出迎えして、彼を見た瞬間、固まった。
ご挨拶しなきゃなのに、男の子は優しいお顔で握手しましょって手を出してくれてるのに、私は頭がぐるぐるで、何故だか怖くなってきて。
思わず父さまの脚の後ろに回ってズボンを握り、そのまま顔をズボンに押し付けた。
「おや、照れてしまったかな。普段は人見知りしない子なんですが。申し訳ありません、セシル殿下」
「ううん、大丈夫だよ。これからなかよしになれたらうれしいな」
「そう言っていただけると幸いです」
父さまとセシルさまが私を伺うように見ながら言葉を交わす中、セシルさまのことやこの世界のこと、突然頭に浮かび始めた色々な記憶に私は混乱しきりだった。
+ + +
夜になって、お部屋で一人になると猫のラビがやってきた。
トン、と軽い音でジャンプしてベッドへ上がり、布団から頭だけ出していた私の枕元へラビが来る。
「ナオ」
「ラビ」
私は体を起こして布団から上半身を出すと、すり寄ってくるラビの体に腕を回してよいしょと持ち上げた。
ラビは三歳の私には大きくて、お腹のあたりにその体を降ろすとずっしりした温かな重みがのしかかった。
お昼、せっかく訪ねて来てくれたセシルさまは本当に今日はご挨拶だけのつもりだったのか、それとも動揺していた私に気を遣ってくれたのか、短い時間お茶をするだけで帰って行った。
失礼な事をしてしまったなあと思ってしょんぼりしたんだけど、セシルさまが帰った後で父さまは気にしなくていいよと言ってくれた。
膝の上、踏み踏みと夜着の布を慣らすラビを見る。
普段はキレイな緑色の目と灰色の毛並みのラビだけど、夜でカーテンの引かれた部屋の中ではその色も分からなかった。
「ラビはね、たぶん"ロシアンブルー"だよ」
「ンナ」
ラビは意味も分からないだろうにこちらを見て、一言短く鳴いて応えてくれた。
私のお腹に頭を押し付けるようにしながらぐるりと回り、ほとんど仰向けに寝転んだラビはこのまま寝るつもりみたいだ。
短い灰色でツヤツヤの毛並み、それに緑の目。
"ロシアンブルー"の特徴だ。
だけど、"ロシアンブルー"なんて言葉は猫のラビじゃなくたってこの世界の誰も知らない言葉だと思う。
ラビのすべすべな毛並みをナデナデしながら、私は今日思い出した記憶を探る。
私が思い出した"アメショー"も"日本猫"も、きっと誰に聞いても知らないって言われるだろうな。
だって、"ロシア"も"アメリカ"も、それに"日本"も、この世界には存在しないのだから──。
今日の朝、この国の第一王子のセシルさまに会った時、私は彼のことを思い出した。
正確には、もっと成長して青年になったセシルさまのことを。
「前世、なのかなあ」
今度はラビからの返事は無かった。
ラビはすっかり私に身を預けて目を瞑り、ナデナデが気に入ったみたいでゴロゴロ言っている。
思い出したのは、おそらく前世の記憶だ。
それから、そこで大好きだった小説のこと。
前世の私は、地球という世界の日本という場所で生きている女の子だったようだ。
地球は様々な物で溢れていて、電気で動く便利なものがたくさんあって、前世の私は忙しくもとても平和に生きていたらしい。
同い年の子たちが集まる高校という場所へ通って、友達も居て。
そんなたくさんの記憶の中に、セシル殿下の記憶もあった。
セシル・コンキスタドールさま。
サラサラの金髪の男の子が、記憶の中の青年の挿絵と重なった。
「ここは、『転レベ』のしぇかい」
世界、と呟こうとしてうまく言えない。
さしすせそはまだ苦手だ。
らりるれろも難しいから『転レベ』も、『てんりぇべ』って聞こえるかも。
そうして一息ついて、なんだか今日は疲れたなと思った。
色んなことを一度に思い出してたくさんたくさん考え事をしたからか、頭がボーっとしている気がする。
三歳になってしばらく経つけど、こんなに色んな事を一人で考えるのは初めてだ。
「明日、母たまにおはなししてみよう」
一人で考えることにすっかり疲れてしまい、何より先行きの不安を一人で抱えきれる気がしなくて、今日はこれ以上考えるのはやめようと決めた。
優しい母さまに聞いてもらおう。
明日も父さまと朝ごはんが一緒に食べられるなら、その時でもいい。
お腹でぷすーぷすーとお鼻を鳴らして寝始めたラビの温度に誘われて、私は落ちるように眠りについた。