LXXI [happyend] : KaihouRESONANCE
<レオ視点>
刀身へ、月を映す。
複雑な青と赤に、一瞬だけ白が走る。
木目状の刃紋が美しい、ヒーロリヒカ鋼の剣。
月光は、刃の上を跳ねるように飛び、一瞬で消えた。
再び、光へと翳せば、またも刃に白い光が煌き、消える。
そうして何度か、長い付き合いとなった逆向きの刃に、白光を宿しては放し、放しては宿して、その妖しい輝きを何とするでもなく、ただ眺めた。
そうしながら想う。たくさんの想いを思い出して想う。
これで色々なものを斬った。殺したりもした。
悪しきモノも、おそらくはそうでは無かったモノもある。
俺はただ斬ってきた。僕はただ殺してきた。そこに飾れる大義名分などはない。スライムはただ自分の行く先を遮ってきたから殺したのだし、アルスとマルスはただの傀儡……二重に操られた人形でしかなかった。ジュベミューワは全く以って不要な殺人だったし、止めを刺したのは自分ですらない。
こうしてみれば、この剣が真っ当な意味で活躍したのは、三年前に王都リグラエルを救った時くらいだ。
それも、誇れるかといえばそんなことはない。
ラナは、王国に殺されたようなものだ。
僕が王都を救わなければ、灼熱のフリードが生き延びることも無かった。
ノアステリアやジュベミューワも、いずれ避難先で死んでいたかもしれない。
彼らは軍人なのだから、その責任は当然、王国に紐付いている。
僕が王都を救ったから、ラナが死んだ。
実際は、そうではないのかもしれない。でも、俺の中ではそのような想念が渦巻いている。ぐるぐると、くるくると、カラカラと回っている。
酷く癇に障る、それは自分と同じ姿形をした影法師。
「ラナ……」
呟き、剣を地面に置く。
ラナが死んで、一週間ほどが経っている。僕はこの一週間、焼け野原となった港町、それからその周辺の森や荒地を探し回っていた。
もちろん、ラナを探していたわけじゃない。
ラナは死んだ。
僕の目の前で、ミジュワの身体から出てきたノアステリアに殺された。
髪も、肌も、着ていた革鎧も、着けていたガントレットも……ぽっかりと空いた眼窩でさえ……なにもかもが真っ青になったノアステリアに、荒々しく真っ青な斧で背中を割られて、無理矢理な笑顔を浮かべながら死んだ。
それは、見た目だけなら、ミジュワも擬態型のスライムだったのかと疑うような光景だった。
ノアステリアの魂が、青一色のそこに無いことは、明白だったから。
『でも、せめてこれくらいは彼女に華を持たせてあげたかったのです』
棒読みで、そんなことをほざいたミジュワへ、俺はもうわけがわからないままに襲い掛かり、その存在を滅さんとした……気がする。
それがどうなったかはわからない。多分どうにもなっていない。
気が付けば僕は、ラナの死体の、その傍に倒れていた。
だからその身体の冷たさも、その感触も覚えている。刻み込まれている。
何時間と身体を揺すり、呼びかけた気がする。不安そうに話しかけてきたツグミへ、何か酷いことを言った気もする。僕なんかどうでもいいからラナを幸せにしてよと……何度も叫んだ気がする。よくわからない理屈でそれはできませんと答えたツグミを、僕は斬ろうとした……そんな気すらする。
気が付けば俺は、ひとりになっていた。
ツグミはいつの間にか消えていた。ラナの死体は硬くなり始めていた。
ラナは死んだ。活動をやめて、物質としての変遷に入った肉がそれを教えてくれた。
俺は、死体を抱き、地下シェルターを「斬り」、外へと出て永遠とも思える道を死人のように歩いた。
もしかしたら、いなくなったツグミがラナを、ラナの魂を幽河鉄道に引き取り、やり直しをしてくれるのかもしれないと思いながら歩いた。でも、だけど、俺はそのラナには会えない。逢うことが出来ない。
それでも、せめてそれくらいの希望を持っていなければ、自分の全身がバラバラに壊れてしまうほどに、その時の僕は疲れていた。罅だらけだった。その道が、死体を抱いて歩いても誰にも咎められない惨状に蓋われていたのはむしろ救いだった。咎められていたら、僕は何も考えずに人を殺していたかもしれない。
ロレーヌ商会、ボユの港支店の職員は、何人かが生き残っていた。僕はラナの死体を彼らに預けた。ラナの父親、母親は、ふたりともまだ生き残っている。俺は、彼らが娘の死体にどのような反応を見せるのか、それだけは知りたいと昏い感情を抱きながら、けれどそんなことはせずにそこから立ち去った。
それから、ラナがどうなったのかを、俺は知らない。
だから一週間、探していたのはラナではない。
マイラだ。
俺はもうマイラを、どうしたいのかもよくわからずに、なにも考えずにその白い巨体を探し、捜して、方々を歩き求めた。
一睡もせずにあちこちを歩き回り、捜し、探して、七日目に倒れた。
多分一日以上寝ていた。目覚めたのは、今日の正午過ぎ。
目覚めて、すぐに思った……『もう、いいか』……と。
涙ではない何かが寝ている間に零れ落ちて、枯れ果ててしまったのを感じた。
もう十分だと思った。ラナがいない、だからこの世界にはマイラもいない。それは別に、繋がるものでもない因果だったが、俺には、それが正しいことのように思えて仕方なかった。
それからは、ボロボロになった身体と、身形を時間をかけて整えた。胸元に大きな穴が空いたままだった上着は、いつ変えたのかボロボロのシャツになっていたけれど、それも脱いで新しいものに変えた。……それを、どこから調達したのかは聞かないでほしい。それなりにいい服だ、大災害を経てさえ、無傷で残ってるお大尽様……というか公爵様のお屋敷にありそうな服だ。
それから、湯も使った。どこで使ったかはやはり聞かないでほしい。服を調達したついでだ、別に人を殺したわけじゃない。何年かぶりに、昔取った杵柄を振り、揮っただけだ。性懲りもなく燃焼石を使い、沸かされた風呂に、僕は初めて入った気がする。
そうして俺は罪を重ねながら、だけど外見上はとても身綺麗に、清潔な感じになった。
ラナが愛してくれた、毎日キチンとお風呂に入って身綺麗にしている僕になった。
身体にはまだ疲労が残っている。どうしようもないほど、疲れている。
だけどいい、もう十分だ。
軋む身体へ……『もう少しで休めるさ……永遠に』と言いながら俺は、月に翳していた美しい刀身を、抜き身のままで地面に置き、離れる。
そうして、これまたどこぞより拝借してきたナイフを手に取る。
鞘、というか革の保護ケースを抜いて捨てると、月明かりに、こちらは純粋に白く光る刀身が浮かび上がる。ヒーロリヒカ鋼のそれと比べると、随分と単純なモノに思えた。
利き手で持ち、逆の手で刀身に触れると、心地良いほどに冷たい、ひんやりとした感触が返ってくる。それにはどこか草臥れた身体に響く、ある種の快楽が伴っている。
それを、抱きしめながら俺は、刃を、手首の、血管が走っている部分に当てる。
そうして、何を想うでもなく、ただ一気に、横へ。
もはや世界に未練などはなく、それをスッパリと横へ。
『ダメ』
……動かせない。
『ダメだよ』
掴まれる。
捕まれる。
捉まれる。
魂を掴まれる、捕まれる、捉まれる。
『ダメだから。絶対にダメだから』
黒髪の少女の幻影が、俺を許さない。僕を放さない。
手首にナイフを押し当てたまま、僕はそれを動かせない、俺は俺を殺せない。
どうしても、それ以上が出来ない。
ピクリともしない。
「ははっ……」
しばらく、己の意思に反し、動かない身体と格闘をして。
「なんだよこれ……なんなんだよラナ……」
諦め、ナイフを落とす。
僕はラナに勝てない、俺もラナには勝てない。
大したことのない戦績に、黒星がまたひとつ加わった。
僕は死ねない。俺に殺されてくれない。ラナがそれを望んだから、敗北者である俺は勝者の望む通り生きる。
生き続ける。
何のために生きるのかもわからず、希望も無く、目標も無く生きる。
「酷いよ、ラナ」
でも、そうしなければいけないと思った。
そうするしかないと思った。
それがラナの望むことなのだからと。
ラナの一部を背負ったまま、僕は生き続けるしかない。俺は生きていく。
「呪いだよ……こんなの……ラナ……」
ナイフを蹴り飛ばし、地面に置いていた剣を取って、鞘に納めて腰に佩く。
さしあたって、どうしようかと、ふたつの月を見た。
手が届かない空に浮くそれは、綺麗だった。
冷酷なまでに、青白く輝いていて綺麗だった。
死はまだ、遠くにある。
<マリマーネ視点>
「……誰?」
寝苦しい夏の夜に、その影は冷たい光に縁取られ、現れた。
「しっ」
「ん!?」
力強い手が、口元を覆う。
節のある、けれど細く長い指。
何度も剣ダコを潰した厚い皮の掌。
私はその手の持ち主を知っている。
今日まで、現れるのをずっと待っていた。
「手を離します。が、騒がないで下さい」
「……レオ、さん」
あっさりと為された解放に、拍子抜けしながら対面へと向き直る。
狼藉者は、やけに落ち着き払っているという、この場にそぐわない表情をしていた。
「驚いて、いませんね?」
「……驚いていますよ?」
月明かりを斜めに背負った少年の顔は、その左半分が影で見えなくなっている。
けれど右半分は隠せていない。その美貌を隠せていない。金髪の、その毛先がキラキラと青白く光り、揺れている様が優美だ。その向こうにある目は鋭く、冷然としていたけれど、そこにはもっと色の濃いスターサファイアでさえ敵わないような、見る者の心を強烈に焼きつくす、玲瓏たる強い輝きがある。
卑俗な表現をすれば、それは出すところに出せば、一晩で金貨十枚でも二十枚でも簡単に稼いでしまいそうな立ち姿だと思った。スターティングウィズ、十四歳、清潔感のあるノーブルな美形、非現実的なまでに強い剣士、さておいくら?
「ここ、三階ですよ? 音も無く侵入してくるとは、また中々な度胸と技術ですね」
「驚くの、そこなんだ?」
もう少し高尚な表現をすれば、それは、対面する者へピンと張り詰めた緊張を強制してくる、芸術品のような立ち姿だとも思った。専門ではない商人が扱うには、危険すぎるほどの。
緊張を、気取られぬよう、細くため息を吐き、私は息を潜めたまま彼に向き合う。
「ラナさんのご遺体を持ってきたのはレオさんと、聞いていましたから」
「ああ……」
鋭く、こちらの内面へ貫流せんとする視線を受け止め、私は事前にそうしようと決めていた通りに、全てを受け止め、反射する鏡のように相対することを選ぶ。
「だから、いずれ来るとは、思っていました」
決着を、着けようと思っていた。
ちょっとした憧れと、妬みの感情に。
「……その後、どうなりましたか?」
「ご安心下さい、ロレーヌ商会におけるレオさんとラナさんの関係を、知っている者が何人も生き残っていました。レオさんに不要な疑いがかかっている……なんてことはありません」
「……そういうことを聞いたんじゃ、なかったんだけどね」
剣を鞘に納めたまま、背が伸びてなお中性的な佇まいを残す少年は……嫋やかな淑女のようにも見える微笑みを浮かべて、それからもう、この世界にはどこにもない姿を探すように瞳を空へ向けた。
ほぅ、と……知らず、吐息が洩れる。
女装ではない。
その出で立ちは、女装ではない。が、薄い羽織物を軽く合わせただけのその姿は、淫靡とすら言っていい妖しさを放ち続けている。
肩幅が少し広い女性……にも見えるそのシルエットは、両腕に薄く浮かぶ血管こそ確かな男性性を主張していたが、それ以外は女性的な印象が勝ってしまっている。
前に会った時は、こんな風では無かったと思う。
もっと純粋に男の子だったし、もう女装は似合わないだろうなとも思った。それは、船の運用について細かな調整を求めた半年前の、海に雪が降っていた頃のことだったけれど、だからといって厚着だったことがその主な理由だったとも思えない。
半年前、彼は戦士だった。今は違う。鍛えた身体はそのままに、その印象が裏切っている。
今は、緊張を強いる空気こそ放ってはいるが、覇気、殺気といった暴力的な圧は滲み出ていない。
今でもおそらくは千人、万人を殺す規格外の戦士なのだろうけど、怖くない。直接的な恐怖は湧いてこない。凍るように冷たい、けれど底が見えるほどに透き通った水を湛える、それは深く深い湖のようだ。
不謹慎な言い方になるが……その佇立する姿はとても儚く……戦慄するほどに美しい。
「ま、いいや。ね……マリマーネさん」
「……はい」
けれど、少年は、その印象すらも裏切る。
「僕に抱かれて、みない?」
とても卑俗な形で。
「……は」
寝所に男と女がひとりづつ。……なるほど、相手が妙に女性的に見えるという私の主観を除けば、純粋な事実はその通りでもあった。
「……ふむ」
ここはドヤッセ商会、その四つあったボユの港支店のひとつ。
幸い、この建物だけが火災を逃れ、無事だった。ロレーヌ商会の支店は全焼したというから幸運であったといえる。この部屋は、この街へ定期的に訪れている私専用のモノ。伝声管が通っていて、その蓋を開ければ他との連絡も容易に行えるが、そうでない場合は……今はその状態だが……防音もしっかりとしていて静かだ。
時刻は既に深夜。大月と小月は、この時期に日が変わる頃の配置……小月が大月の真上に来る形を示している。
そうして、事実だけを並べてみれば、これは確かに、我が身の貞操の危機といっても過言ではない状況だった。
「夜に尋ねてこられたのは、それが目的ですか?」
「そうだね、これは夜這いだよ」
「また、似合わない単語を……」
「そう? 僕は、今でもラナを愛しているけど、マリマーネさんはラナの特別な人だからね、僕の人生がまだ続いていくなら、傍にいてほしいのはマリマーネさんだから」
「……ふむ」
今度は「私の」予想をなにもかも裏切りながら、氷のような美貌がふっと寂しそうに破顔し溶ける。それはもう、少年のようにも、かといって淑女のようにも見えない。……ではなんだというのか。
わからないが、それはとても切ないものに思えた。遠く、儚く、切ないもの。全てを許してしまいたくなるほどに言い様のない寛容の衝動が、いずこよりか、己が胸に生じてくるのを感じる。
「不謹慎って、詰る?」
けど、ダメだ。
これには、流されてはいけないと理性を総動員する。
知性と悟性も総動員しなければ流されてしまいそうだからそうする。
努めて、なんでもないことのように、答えを返した。
「不謹慎云々はともかく……口説き文句に他の女の名前を出すのはダメと、ラナさんに教わらなかったんですか?」
「ラナ?……ラナはね、マリマーネは僕が口説いたら一発だから、誤解されるようなことは言わないでね……って言ってたかな」
だからか、応じる方も、巫山戯た応えだった。
それはあんまりな、あんまり過ぎる正答だと思った。
「……あなた達ふたりは……人のことをなんだと……んっ」
それへ、どうしたものかと考え、しかし適当な返答が浮かばずにいると、ふっと少年の指が伸びてきて、それが私の頬をふんわりと包んでしまう。掌と同様に、これも剣を振り続けた結果だろう、指先の硬い感触が、なんだか心地いい。
夜這いと言う割に、それは随分と何気ない接触でもあった。
まるで花を、穢さぬよう優しく触れたとでもいうかのような。
「別にいいんだ、マリマーネさんがどうしても嫌なら、強制はしない。けど、マリマーネさんがどっちでもいいって言うなら、僕は容赦しないよ? ラナに教わった全てをもってマリマーネさんを奪う」
けれど手の、指の優しさとは正反対に、その視線は冷然としたまま、鋭い。
「だから、その名前は……」
「なら、嫌そうでも、迷惑そうでもないのはなぜ? マリマーネさんも、ラナには色々と複雑な感情があった。僕はそれを知っている」
それは、それだけは答えを求め迫る、冷徹な狩人の瞳だった。
「それは……」
「今の僕はそれを知っている。理解できるようになった」
どう答えたらいいか、やはりすぐには返せずに、私は、自分の心の中にあるモノを覗き込む。
そうするには良い頃合と思った。
七つも歳下の男の子に、キスをされるところを想像してみる。
女装もしていないのに、どうしてか淑女のように、時には無垢な少女にすら見える少年に抱かれることを考えてみる。
憧れの向こうにあるモノは何か、私は何を妬んでいたのか、その答えを得るために、私は己の深遠を覗き込む。それをしたいと思い、ある意味ではこの状況を待ち望んでいたのだから。
「手を離してから随分と時間が経ったけど、一度も大声をあげていないのは何故?」
……悪くない。
悪くない……が……。
「……ああ」
……ああ、違う。
違う、これは違う。
私は、この者に、「そう」されることで、この者を征服したいと考えている。
この者を飼い馴らし、虜にしたいと考えている。妬みは、ラナンキュロアに対してのモノだ。憧れは、そんな形でさえ幸せに見えたふたりに対してのモノだ。
これは愛したいというより、愛されたいというより、勝ちたい、狩りたいという気持ちだ。
欲しいというよりも、これは囲い、支配してしまいたいという欲望だ。
ラナンキュロアのものである彼を、籠絡してしまいたい。
いまだ、ラナンキュロアを愛しているというそのこと自体に、私はある種の愉悦さえも覚えてしまう。愛ではない、抱かれてもいいと思うこれは、けれど恋でもない。
「もう一度言うよ? 曖昧な態度は許さない。僕はラナが好き、ラナを愛してる。そういう僕が嫌なら、話はここまで。僕は僕のしたいようにする。マリマーネさんがつまらない女なら、何もしないで出て行くかもね。それを期待しているなら……いいよ、別に、そのままでも。僕じゃなくて運命に身を委ねるなら、世界に浮気するなら、僕がとびっきり優しくない裁定を下してあげるから」
このレオさんには、低俗な欲望を誘う何かがある、「モノにしてやりたい」と思わせる何かがある。手に入れることで、卑俗な欲望を心底満足させてくれそうな何かを放っている。
そのためなら、身体に爪を立てられ、傷と傷痕を付けられることくらい、なんでもないことのように思えてしまう。
そこには、どうしてか人をそのように誘引する魔力がある。
まるで魔性だ。
「そうですね、では、私が満足するキスをしてくれたら、というのはどうですか?」
「……マリマーネさん、らしいね、こんなやりとりでさえ、商談と同じなの?」
「私は私ですから」
それは昔、私がラナンキュロアという少女へ感じたものと、ほとんど変わらない。
ゲリヴェルガなる伯父、貴族官僚に攫われそうになったという話を聞いて、さもありなんと言ってしまいたくなった。彼女からは、そういう魔性が放たれていた。それは特定の人にしか刺さらないモノなのかもしれない。だけど私には刺さった。
強く、奥深くまで刺さった。
そして今は、同性でなく私は異性にそれを感じている。それゆえにその誘う力はラナンキュロアの比ではない強さだ。でも、それはそれだけの話だった。
理性を壊してくるほどのモノではない。それにはラナンキュロアで耐性が出来ている。
「……そうです、値を付けられるのは性に合いません、値を付けるのは私です、私がレオ君を値踏みするんです」
「レオ君、ね」
抱かれてもいい、それは構わない。むしろ抱かれてしまいたい。
そう思っていることは確かだ。けれどそこに愛が無いことも明確で、やはり恋ですらない。それは罠に飛び込んできた獲物を、捕食したいというただの欲求なのかもしれない。それはしかし、私らしいと言える。私らしい、それは損得に変換できる欲求だ。
「ええレオ君です。夜這いなんて、随分と似合わないことをしたものですね。ですが十四歳の少年が、傷付きながらも彷徨い歩いてきたその先が、この場所であったというのは、なんだか誇らしい気もしないではないです。そうですね、あなたに抱かれるのは……やはり悪くない。私ももうすぐ二十二です、さすがに、そろそろ、純情を気取るのも莫迦らしい。こういう初めなら、私には丁度いいモノでしょう」
思ってもみなかった自分自身を発見した魂が、歓喜に打ち震えているのを感じるが。
しかしそれは、やはり私の理性を壊すほどのモノではない。
「……ふぅん?」
「おや、私の値付けにご不満でも?」
「別に? ただ、少しおかしくて」
淑女を装う、娼婦のように、少年は笑う。
理性ではそれを痛ましいと思いながらも、下衆な興味においては悦びも感じている。
優しく、捕食してあげたいとすら思う。私に経験があったなら、それはとっくに履行されていた妄想だったろう。自分が未熟であるというただその一点が、ここにおいては下衆な欲望を掣肘していた。
それを、ある意味においては残念と思い、また別の意味においては良かった……とも思った。
「おかしい、ですか?」
「抱かれる理由付けを、そんな風にするんだなって。自分を卑下してまで婉曲な理屈をひねり出す、なんてね……それも商人としての性? 謙るのはむしろ商人の強気かもしれないけどね、こんな時にされると、少し乱暴にしてあげたくもなる」
再び、頬に手が触れる。言葉通り、今度は少し乱暴だ。急に平手打ちが来ても不思議ではないような冷たさがある。けれどそれは殺気というより、まだどこか媚態の色を放っている。
それへ、だから私はむしろより冷静になれた。
冷静に、発想は飛躍してラナさんは、乱暴にされるのが好きだったんだろうなと思った。少年の慣れた手つきが、それを思わせたからかもしれない。
冷静に、だけどその気持ちもなんとなくわかる気がした。少年が放つ色香は、手折り、乱してしまいたくなる種類のものだった。乱調の中で、どのように乱舞するか、見たい。
荒ぶる彼は、とても魅力的なんだろうなと思う。
冷静に……妄想はふと更なる発展を見せ、私は、ラナさんが彼に平手打ちにされるところまで想像してしまった。音と匂いまでもが伴うようなそれへ、どうしてか身体の芯がピリとした奇妙な悦びを感じる。私は、自分自身がそのようにされたいとは思わないし、ラナンキュロアが不幸になることを望んでいるわけでもない。けれど、私はその光景を、とても美しいと感じるのだろう。それは背徳だが、合わせ鏡に閉じ込められたような酩酊感を引き起こす、とても美しい背徳なのではないかと思った。
「女が、自分を卑下するのはお嫌いですか?」
私は、諭すように言った。
三年前に発芽して、けれど陽に当たることなく弱々しく、歪に育ってしまったその感情に、別れを告げながら……ごめんねと謝りながら、私は彼との間に線を引く。
「別に? ラナだってよくしてたから、媚びるみたいにね。けど、マリマーネさんは商人だからね。その媚びは女としてのもの? それとも商人としてのもの? それ次第で、扱いが変わるかもしれないね」
「私は、女で、商人ですよ? 商人であるために女を捨てた覚えなんか、ありません」
「……なるほど。それがマリマーネさんの性分なんだ。いいね、それは凄くいい」
「ん……」
頬にあった手が、落ちて、あごのラインを通り、首筋を撫でていく。
やがて、それが、背中に回ろうとし……。
その先に、触れようとして……。
「……はぁ」「ん」
私はその手から、決心が鈍らぬよう、するりと逃れる。
「ふぅん?」
意外……という雰囲気を感じる。
くるり、回って、また対面の位置に戻ると、冷たい……というよりは冷静にこちらを観察しようとしている瞳と目が合った。年齢の割に動じない、落ち着いた態度だった。
「怯えているの?」
でも、だからこそやはりこれ以上はダメだと思った。
レオ君は私を抱いていいか、じっくり観察して決めようとしている。
夜這いと言いながら、欲望に身を任せるでもなく、冷静に一線を越えて良いか、悪いか、見極めようとしている。ならばこれ以上見透かされるわけにはいかない。その一線は、越えて良いけれどダメなんだ。誰も幸せにならないから。
「そうですね。それを含めて楽しみたいなら、もう少し高く売りたいところですね」
だから、やっぱりここまでだ。
「焦らすんだ?」
「なんせ、ひとつしかない商品ですから」
「ふぅん」
これ以上は身に余ると思った。
残念だけれども、そうして努めて、意識を本来の自分へと戻す。
レオ君を移す鏡ではなく、商人としての自分へ。
こちらに、体勢を整えさせまいとする追撃は追ってこなかった。
だから私は、ゆっくりと心を落ち着かせることができた。
「……はぁ、まったく」
敢えて、空気を壊すような口調で吐き捨てる。
「まったく……それにしても、よ。それにしても、だわ」
ここに至ってなお、踏み込んでこないのだから、アレも相当に性格が悪い。
本気で、私がレオさんに襲われてもいいと、そのように思っていたのだろう。
そのようにソレへわざとらしく怒り、意識を変えていく。
「こんな展開を期待していたなら、やっぱり性格が悪い」
「何の話?」
深呼吸をいくつかして、気持ちを切り替えた。
そうして背徳と背信の誘惑を振り払い、私はきっぱりと彼へ通告をする。
「こちらから、伏せていたカードを開きます。これよりの判断は全てそれを見てからで」
言い終わった時にはもう、未練はほとんど残っていなかった。
さよなら、私のニセモノの、恋心。
「いいよ、全部見せて」
「変な言い方を、しないでください。その段階は、もう終わりです」
「そう? 残念」
カラリ笑った「レオ君」に背を向け、私は部屋の隅の方にある収納の、ほんの少しだけ開いた戸に向かって言葉を飛ばす。伝声管は開けていない。防音のしっかりした部屋で、ほんの少しだけ開いた収納の戸に向かって声を張る。
「これ以上見ているつもりなら、私の口から、全部話してしまいますよ?」
「……マリマーネさん?」
急に変わった雰囲気へ、少年が戸惑いの表情を浮かべる。もっと戸惑え、そして後でここまでの言動を思い出して震えよ。それがこの一幕の代償だ、私への報酬だ。
「これから、ここに人がきます。逃げますか?」
「……あの戸の向こうに、誰かいたの?」
いるわけがない。あんなところに人は、幼児しか入れないだろう。
「向こうに、という意味でしたら……ええ、そうですね、いましたよ」
「ふぅん?」
これはかなり予想外だろうに、少年に戸惑いはあっても、狼狽えた様子はまるで無かった。
何もかも、どうなろうと構わないと思っているのか、それともこの展開をむしろ面白がっているのか……なんとなく、この場合は後者であるような気がした。ここに至り、その身体からは、なぜだか女性的な雰囲気が薄れていたから。
もう少し違う言い方をすると、そこにあったのは、数刻前までの嫋やかな淑女のような妖しさではなく、好奇心と冒険心を刺激された少年の輝きだった。傾国の姫君のような妖しい艶めきではなく、春に眩しい新緑の煌きとでもいうか。
そうしてああ、やっぱりレオ君には、その方が似合うなぁ……と思う。
そうしてから、敵わないなぁ……とも思う。
結局の所、レオさんを一番綺麗に輝かせられるのは、私ではないのだろう。
私は、反射板にはなれても、光そのものにはなれないという理屈だ。
そんなのは、初めからわかっていたことだったけれど。
「護衛を呼んだ……って風でも無かったね。誰が来るの?」
「すぐにわかりますよ……と、もうきた」
どたどたと、荒々しい足音が走ってくる。日が変わったばかりの、深夜だというのにそれはとても騒々しい。やれやれ、他の人に聞かれないと良いのだけど。
「マリマーネぇえええぇぇぇ」
「……」
騒々しく、荒々しく入室してきた黒髪の女性に、レオさんは不思議そうな視線を向ける。
わかるよ、わかります。それはそれくらい不可思議で、けれどあからさまに示されている事実がある。わかる人にはわかる現実がある。
私もそうでした、そんな反応をしてしまいましたよ、ええ。
「言いましたよね? あなたの代わりなんか、ごめんですよって」
「まんざらでも無かったクセに! 結構、楽しんでいたでしょっ」
「……ラナ?」
月明かりに、浮かび上がったその姿は、とても奇妙なモノだった。
黒髪は同じ。
けれどスタイルは違う。かなり違う。お胸の辺りは大きさで半分、迫力で五分の一といったところか。
顔も、系統は同じだが種類はまるで違う。欠点の少ない、化粧映えしそうな顔だが、造りそのものは地味。ラナンキュロアには強烈に漂う獣のような美しさがあった、魅力があった。今は……顔、そのものは……そうでもない。
男受けは良さそうだが、それは「自分を立ててくれそう」という意味で安心する、その類の可愛らしさだ。ある種の同性からはある種の蔑視……貴族向けの商品を取り扱う商人が、そうでない者達へ向ける類のソレ……ボユの港においては大型の高級魚を扱う漁師が、そうでない者達へ向ける類のソレ……を向けられる、その手の可愛らしさだ。少なくとも、一見した限りではそのように見える。けれど時々見せる目の輝きには剣呑なものもあって、そこにはやはり、美獣の輝きがある。
通常の、人間の世界とは別の世界で、強くしなやかに生きている者の、それは輝きだと思った。
そんな目をする少女を、私は、私達はひとりしか知らない。
「……まじか」
「ほら~、だから言ったじゃないですか~、レオさんならすぐに気付きますよ~……って」
「いやぁ……元の私のキャラ付けって、おっぱいによるところが大きく無かった? それがこんなんになっちまってまぁ」
「ラナ!?」「わ」
少年の目が、こんなん、と胸へ手を当てた女性……というか少女に釘付けになる。
その姿は、「驚愕」というタイトルを付けられた名画のようだった。
あと、こんなんっていうけど、それ、普通くらいの大きさはありますよ? むしろラナンキュロアが十三歳だった頃に近くないです?……なんでしたっけ、そろそろDに届くCがどうとか。元って言うなら、あなたはそれが元でしょうに。少なくともレオさんにとっては。
……じっと我が胸を見る。
「ナンノコトデショウ……私は通りすがりの出歯亀でして」
「紛う事無きラナの言動!!」
「え、え、え、私こんなだった!?」
「……やれやれ」
まー、なんでしょうかね。
なんだったんでしょうね、この一幕って。
ともあれ、ラナさんって……凄く変な人ですよね。
この姿の私が、レオに判ってもらえるかわからないとか、だから会うのが怖いとか、たぶん、色々、自分を顧みて、レオはマリマーネを襲いに来ると思うけど、もしよかったら抱かれてやってくれとか、私は退場で構わないからマリマーネ、代わりに舞台に上がってくれない?……とか……ホント、ほんっとうに!……変な人。
そんな変な人、見たら一目でわかりますよ。……なんでしたっけ、観る必要すらありません。全身から、ラナンキュロアの匂いがぷんぷんとするのですから。
というより、「お前は説得できると思った」ってなんですかっ。ええ、ラナンキュロアという人間の性格と能力を知っている私なら、説得で納得させるのは簡単でしょう。ですが、私だってね? 一目見た瞬間に、「そう」じゃないかと疑いましたよ?
それくらい判りやすいんですってば、あなたは。
レオさんに、判らないわけがないでしょうに。
まったくもう。まったくもうだよまったくもう。あー、あー、あー。
「マジかー、そんなすぐにわかっちゃうのかー。……気まずっ」
「ラナだよね!? ラナなんだよね!? どうして!?」
「いやー……それは話すと長くなるかなぁ……」
「あー、はいはい、おふたりとも落ち着いて、落ち着いて」
ぱんぱんと、手を叩いてふたりの注意をこちらへと向ける。
「ここら辺で、幕間の道化師は去りますから、後はふたりでやってくれませんかね?」
正直、私を襲いに来るレオさんというのは、事前に告げられていてさえ意外過ぎて楽しめましたが、ここから先はおそらく予定調和です、割とどうでもいいです、犬も喰わねぇから勝手にやってくれって感じです。
ケッ。
「……マリマーネは聞かなくて良いの? これから、どうなるか」
「そこのベッドを濡れ場にする気なら止めますけど?」
「そういう話じゃなくて!?」
こっちの身体の相性はわからないし……とかなんとか言い出したラナンキュロアへ、私は冗談ではない不安を感じたが、だけどまぁここは自分の本来の寝場所ではないし、そうなったらそうなったで、なにかしらの報酬は貰えそうだからまぁいいやと、割り切ることにした。
それ以上の報酬も、既に貰っていますしね。
「夜とはいえ、夏です、熱い視線を交わしあう湿度高めのカップルが、不快指数を上げている現場にはいたくないです。どうなったかは、爽やかな朝にでも聞かせてもらいますよ」
「……ぅぇ」
「……爽やかな朝を、迎えてくださいね?」
「それはラナ次第」「ふぇっ」
まったくもう、やれやれです。
も~、やだやだっと。
それじゃあ、ええと……鏡だか反射板だか幕間の道化師だかはクールに去りますよ。……お風呂入ろっかな。じゃ、また後で~。
「ごゆっくり~」
「その言い方もやめて!?」
<ラナ?視点>
「それで? ラナ、どういうこと?」
あー、うー。
「ラナだよね? 僕にはラナ以外の何者にも見えないけど」
「……はい」
はいそうです。
ここにおわすはラナンキュロア……と名乗れはしなくなってしまったけど、確かにこのレオと三年を過ごしたラナンキュロアの魂が入った、千速継笑の身体です。
要するにアレです。
巻き戻し魔法って便利だなぁ、って話です。
取ってつけたようなハッピーエンドも、なんとこれ一台で演出が可能!……ブラックホールが誕生するレベルのエネルギーを消費させられたとか言われましたけれど。つまり巨大なお星さまが一個ぶっ壊れるレベル? わぁすごい。
「それって……」
「うん」
つまり、まーたまたやらせていただきましたァん……ってことですかね。
私は、ツグミに嘘を吐き、ある意味では彼女を裏切り、ミジュワと結託したのです。
『ツグミを騙す? ツグミがマークしてるのはあなた……ラナンキュロアという存在だから、その身体を一度殺した後、死体を千速継笑の身体まで巻き戻して生き返る、ですか?』
『そそ、つまりあなたの目的は、ツグミをお兄ちゃんの元に返すこと、でしょ? あなたはそれをトレースしてついて行き、あなたの創造主……私は青髪の悪魔って呼んでいるけど……その元へ帰りたい……そうなんじゃないの?』
心話を、ツグミよりも上手く使えることは、ジュベミューワがツグミとの回線に割り込めたことからも推測できた。だから私は、表では色々なことを喋りながら、裏ではずっとミジュワと交渉をしていた。
そうしなければまた、幽河鉄道でやり直すよと脅して。
『魂の移動は、可能でしょ? ユーフォミーの魂、どこへやったの?』
『それは当方の知るところではありません。が、悪いようにはしていないはずです。転生の儀は生命の濫觴にも触れる高次元の行為。ならばみだりには行えません、諸々の事情を酌んだ上で、しっかりと行われたはずですから』
『あなたが、どうかしたんじゃないの?』
『違います。それを行ったのは当方の……あなたの言葉でいう創造主、青髪の悪魔です』
『へぇ……』
私は自分からその信頼を求めた相手を、手ひどく裏切った。
でもそこには後悔も、罪悪感もない。
『つまり……ユーフォミーも、チートな転生者になったってこと?』
『その父親と共に、ですね』
『ああ……なるほどね。それは確かに諸々の事情を酌んでくれている……か?』
ツグミはお兄ちゃんの元に帰るべきだった。ツグミはお兄ちゃんのモノなのだから。
ミジュワ、青髪の悪魔との因縁は、そっちでなんとかしてほしい。それは私のやるべきことでは無い。神々の黄昏とか最終終末戦争は神様だけでやってほしい。
私は、私の人生を私らしく生きれればいいんだ。
『まぁいいや。なら、ミジュワは魂を扱えないの?』
『いいえ、出来ますよ? 今ではツグミのヴォルヴァよりも、ずっと複雑なことが』
『なら?』
『……御提案の件は、実行可能であると言わざるを得ません』
『なら、して』
心話で、私達はそのようなことを話した。
『……ですが』
『なによ?』
『怖くないのですか、今まで敵対していた相手に、魂を預けるというのが』
少し意外だったのは、発声すると棒読みに聞こえるその声は、心話においては意外と感情も透けて見える気がしたことだ。
『敵対、してたの?』
『……少なくとも私は、ツグミの敵です』
そこには、少なくとも私に対しての悪意はなかったように思う。ツグミに対してのそれは……私の知るところではない。
『それなら、別に私の敵ってことでもないんでしょ? 言ったじゃない、私達は共闘したこともあるって、状況が違えば共闘の可能性はある、それを私に教えたくて言ったことなんじゃないの? あれは』
『……共闘路線の方が、敵対路線よりも楽だったことは確かです』
私の提案にミジュワは戸惑い、若干の不信を滲ませている感じがした。
『なら、今回も楽な道を選んで。私はツグミを裏切る。だからあなたは私に協力する。私も、敵対して相手を殺したり、撃破して撤退させるより、その方がずっと楽』
『割りきりが良すぎるというか……不気味なほど価値観が偏ってるというか』
そうしている内に、攻勢だったはずのミジュワは、気が付けば腰の引けた態度になっていた。
大量殺戮を行った超常的存在に、だけど救いを求めるのなんて、人間界にはよくある話なのにね……まぁ、それが気持ち悪いってのには、同意だけれども。
『あなたに、それを言われてもな~……なぁに? ビビってんの?』
だから私は、そこからは強気で攻めた。挑発するような態度で、へいへーい青髪の孺子、いつまでママのスカートに隠れているんだ~い……という類の言い回しを重ねていった。
だから。
『……いいでしょう、乗りました』
だから、意外にもすぐ、簡単にミジュワがその答えを返してきたのには驚いた。
驚き、もしかすればミジュワの精神はかなり幼いのではないかとも思った。ミジュワの四十六周のほとんどは、数日や数週間の繰り返しだったのではないだろうか。生まれてから過ごした時間は、実は十五年もなかったのではないだろうか。
だとするなら、彼女はレオよりも年下の可能性が高い。下手をすれば出会った頃のレオよりも。
『あなたの、ご提案通りにしますよ。確かに、当方とラナンキュロア様が最も丸く収まる道は、そこにしか無いのでしょうから。あなたからその提案が出たことには、正直……気持ち悪さしかありませんが……いいでしょう、ラナンキュロア様が当方を騙すようであれば、この経験を元に、次の周回でもっと上手くやることにしますよ』
ただ力を持って生まれてしまっただけの子供……ミジュワはそれでしかないように思えた。言葉が通じる分、ジュベミューワよりもずっと可愛げがあるじゃないかとすら思った。
言葉が通じるなら取引ができる、謙りつつも強気で攻め、こちらの言い分を認めさせることが出来る。商人はずっとそうやって生きてきた。この時は私にもその血が流れていた。私はただ、その力で大人気なくミジュワを制しただけだ。
これはそう、それだけの話だ。
『そうそう、騙すつもりなんか無いけど、あなたは格上、私は格下、心配することなんてないでしょ? 心配しないで、私は商人の娘。どちらも勝者を目指す者だから』
『……気持ち悪っ』
そうしてこのやりとりは、ミジュワが私の提案を全面的に受け入れるという結果に終わったのだ。
それは、私がこれまでの死者を、その全てを見捨てるという結果でもあり、ある種の敗北でもあった。けれど、それは私の利益が最大になる敗北でもあった。
傲慢に言い張ろう。
私は、「負けてあげた」のだ。
私は、コンラディン叔父さんの、ナッシュさんの、ボユの港町における全ての被害の、負債を請求しない代わりに、自分の利益だけを追求した。
幽河鉄道で「やり直せば」、彼らだって助けられたかもしれないのに。
私は、レオひとりを助けるため、「やり直す」という選択肢を採らなかった。
我ことながら、罪深きこと死の商人が如しと自嘲せざるを得ない、それはあまりに残酷な命の選別、剪定の選定だった。
『私はレオとふたり、一緒にいられたらそれでいい。その為なら悪魔とだって取り引きする。これは、それだけの話じゃない?』
だから、本当の最後の最後に、ミジュワが私の脳内に響かせた言葉は、とても皮肉が利いていていいなとも思った。
私は運命に勝てなかった。だけど負けもしなかった。
それは、そのことを強く感じさせる言葉だったから。
『おお神よ……どうかこの救われぬ魂をお許し下さい』
『……神に祈る悪魔の手下か、レアなものを見たな。得な気は全然しないけれど』
そうして私は蘇った。千速継笑の身体に、しばらくミジュワが保持していたラナンキュロアの魂を入れられて生き返った。それが今から三日前のこと、この惑星よりツグミが去って三日後のことだった。
「なんだろう、聞くと物凄く単純なことに思えるけど、ラナ以外にそれが可能だったかというと……まったく無理としか思えない策謀、計略だね」
「コミュ障だからこそできた作戦って?」
「そんなことは言っていないけれど……ラナ」
そうして。
「ん?」
「おかえり」
「……うん」
……そうして私は、気が付けばまたレオに抱きしめられていた。
ラナンキュロアの時と同じように、レオの腕と胸に抱きしめられていた。
それは暖かくて、とても心地良い私の居場所だった。
レオからすれば、抱き心地はきっと、ラナンキュロアのそれよりも悪かったと思うけれど。
けれど抱擁の力は強く、衝動的で、荒っぽくは、なかなかしてくれないレオにしてはやけに情熱的だった。失っていたモノが、より大きなものとなって返ってきたみたいに思えて嬉しかった。
本当に、嬉しかった。
「レオ、あのね……」
「うん?」
嬉しすぎて、私達以外の世界が消えてしまうのを感じた。
私の視界にはもう、レオしか映っていなかった。
そこには私達ふたりしかいなかった。
「ちょっと思い出したんだけど」
「……なに?」
「あ、そのまま私のこと、抱いていて。そのままで聞いてほしいの」
「いいよ、もう放さないから」
だから。
マリマーネが何を言って去っていったかなんて、もう完全に覚えていなかった。
「私、この肉体の状態を、その……清い状態に巻き戻してもらったの。さすがに、ええと、そうじゃない状態の私をレオにお見せしたくは無かったから、うん、そう、そうなの! うん……」
「……つまり?」
レオとマリマーネとの直前の一幕でさえ、完全に消えていた。
色々と話さなければいけないことが、他にもたくさんあったけれどそんなのはもう明日でも、明後日でも、三年後でもいいと思った。
私達は、これからずうっと、一緒なのだから。
「だから、ええと、色々な意味でまたお騒がせすることになると思うんだけど……」
「……ああ」
「その……ご迷惑おかけします、はい」
「とりあえず、荒っぽさは求められないみたいで良かったよ」
「はぅあっ!!」
こうして、私達は始まりの時を繰り返した。
「それで? これからどうするんですか?」
そうして世界は巻き戻り、今日の爽やかな朝がやってきたのです。
どこが爽やかな朝なのかとツッコまれたり、ベッドからシーツが無くなっていることを偉い形相で睨まれたり、それからロレーヌ商会の最高級シーツを十枚ほど要求されたりもしましたが、私は爽やかです。爽やかに、これで買ってきなぁと金貨を三枚ほど渡してやりました。半分冗談だったのですが、ニコリともせずふんだくられました。お、おう。
そのお金はどこからって?
私達は、南の大陸へと渡ろうとしたわけで、あの船には金貨六百枚ほどが積まれていたのです。日本円で一億二千万円分。それとわからないよう、見た目ぼろっちい箱に入れられていましたが、内側はレオの切断スキルを使って造られた頑丈な物でしたからね、船はミジュワにぶっ壊されましたが、箱はちゃあんと残っていました。あの時、ラナンキュロアが死ぬ直前に、ワープ機能を使って地下シェルター付近にこっそり埋め直しておいたのです。三日前、回収に行った時も、ちゃあんと残っていました。
さすがに全部は貰いすぎというか重かったので、四百枚ほどはパパへ「このお金は私に何かあった時、パパへ届くように手配しています。世の為人の為使ってください」云々書いて送ってあります。ドヤッセ商会の馬車で。輸送費はやはり金貨三枚でした。ボリやがって。
しばらくご厄介になるからと、あと三枚渡しているので残金は三千八百二十万円ですね。当面の生活に不安はありませんが、一生食っていけるかというと微妙なところです。
「それなんだけど、レオはどうしたい?」
「ん?」
遅い朝ごはんを食べ終わった私は、季節のフルーツをパクつくレオへ肌をくっつけながら聞く。その様子を苦々しい様子でマリマーネが見ている。
なによぉ、チャンスはあげたでしょうと言いたくなるが、言葉で絡まれているわけではないので放っておく。それよりも今はやるべきことがあるのだから。
あと、この状況下でそのフルーツ、どこから調達してきたの? レオ。
「これから、どうしようかなって」
「ラナのしたいようにすればいいと思うけど?」
「今までは私の方に生活の基盤と暮らしの地盤があったからそれで良かったんだけど……」
「ロレーヌ商会に戻るつもりはないってこと?」
「らしいですよ? なんならドヤッセ商会のほうで雇ってくれない? なんて言っていましたし」
だって商会のコネの無い私なんて、剣を持ってないレオみたいなものじゃないですか。私にはそれも金貨千億枚に勝る価値があるけど。
「そうなんだ?」
「……パパに私が私だって認めさせるのは、出来る気もするんだけど、ママがね」
「うん?」
「ママには、多分私がいない方がいいから」
「……それほど、なんですか?」
レオが調達してきた白ブドウの、その房からちょんと一粒をつまみながら、マリマーネが言葉を濁す。あ……。
「どうにかなることなら、とっくの昔にどうにかしてる。どうにかしようとしたことだってある。私自身が近づくと怯える、それでも近くにいようとすると狂乱が始まる。パパに、いい商売を教えてあげるからママをなんとかしてって頑張ってみたけど、ロレーヌ商会の売り上げがそれまでの三倍になった辺りで、この方向も無理だなって諦めた」
「……ロレーヌ商会躍進のきっかけは、それでしたか」
一粒をこくりと嚥下して、妙にしみじみとマリマーネが言った。あー、食べちゃったねぇ。
「私はアイデアを出して監修をしただけ、真面目に働いたのはパパとその部下の人達。きっかけというなら、娘が出してきたアイデアが金になると判断して、そこに本気の労力をつぎ込めたパパの決断力の方にあるんじゃない?」
「ご謙遜を」
「……そこは、本当に誇れることじゃないから」
レオが、まぁそうだねという目でこちらを見た。ここではその扱いの方が正統だ。それは性癖云々でなくそう思う。掠め取ったアイデアを褒められても居心地が悪くなるだけだ。でも、ところで、そのメロンみたいな高級フルーツ、どこから掠め取ってきたのかな? マリマーネ、今本人の知らないところで何かの共犯になっているよね? まぁ指摘しないけど。
そのマリマーネは、ひょいひょいと犯罪の証拠品……もとい、白ブドウの一粒一粒を皮ごとパクパク頬張りながら、じっと私の顔を見ていた。この境遇に同情しようしているなら甘味の賞味はやめなさい。性に正直なるかなその顔は、正味、笑止でありますよ?
しばらく、(多分ママのせいで)沈黙が続き、やがてレオが口を開いた。
「僕のやりたいことか。……本当に、別にそれは無いんだけど、やった方が良いかなって思うことはある」
「え、何?」
「東の帝国、倒しに行かない?」
「……ああ」「ええっ!?」
私は、密かに考えていた案が、レオの口から出てきたことに驚く。
もっとも……。
レオは、私の好悪の感情を全て知っている。共感……というより、それはもうレオの心に溶け込んでしまっているのだ。だからマリマーネに夜這いを仕掛けたのだろうし、私の心が東の帝国を倒すという方向へ向いてることにも気付き、共鳴をしているだろう。
でも、だからこそ、レオが自分の口からそれを言い出したことには、大きな意味がある。
「三年前には、ラナのパパもママも無事だった。でも、次はそうじゃないかもしれない。マリマーネさんだって普段は王都住まいだ。王国が動けないのなら、僕達ふたりで東の帝国を瓦解させ、混乱させ、しばらくは他国へ侵略するような気がおきないような状態にする。帝国が滅びればあの地に訪れるのは群雄割拠の戦国時代、血で血を洗う戦乱の坩堝。南の大陸と同じ状態になるだろうね。だから、向こうの人達のことを考えるなら、これは臭嵐が如くに迷惑な話だろうけど」
そう。
けれどそれは、正義ではない。
もっとはっきり言えば、悪だ。
どんな形であれ、ひとつの秩序によって構築され、安定していた世界を、壊してしまう行為だ。
それは、臭嵐によって世界を汚すことと変わりがない。
でも、そんなこと、私とレオにしてみれば……。
「臭嵐、か……風属性は悪、なのかな」
「……また、何の話? ラナ」
唐突に、妙なことを言い出した私に、レオはだけど「ああ、やっぱりラナだ」って思ってることがハッキリとわかる笑顔を向けてくる。
「世界は四元素、火、風、水、土の四つの元素から成るって考え方。原子の“発見”以降は廃れた考え方だけど、何かを分類する時には結構便利でね」
「ああ、聞いたことがある気がする」
「……そんな考え方があるのですか?」
「マリマーネが知らないのは当然だけど……灼熱のフリードの、その成れの果てを思い出すと、考えてしまうことがあってね」
私は、暇だった三日の間に考えていたことをなんとなく口にする。
「正義は火属性、炎属性なんじゃないかって」
「……ボユの港町を、こんな風にしたのが正義、ですか?」
正義だとは思うよ、少なくとも私達に比べたら。
「正義はね、簡単に暴走して炎上を引き起こすモノなの。でも、人間の生活に、火は必要不可欠じゃない? ご飯を作るのにも、お風呂を沸かすにも、冬に暖を取るにも、ね。もっと言うと、それを熱を言い換えれば、人間そのものが一定の熱を持っていなければ生きていられない」
土は中道、正義でも悪でもない、ただ地に足をつけて生きる在り様だろうか。
「正義も、やっぱり人間の生活に必要。必要だけど、それは一定の量、一定の温度までなんだと思う」
水は無垢、純粋無垢で簡単にナニモノにも染まり、簡単にどこへでも流れていってしまう。
「強すぎる炎は悪と変わらない。延焼すれば無関係の人を巻き込んでいくし、それが猛威を揮った後には、真っ黒な炭と白い灰、切り傷よりもずっと深刻で醜い、火傷の痕しか残らない」
「……そう、ですね。この数日だけでも、痛ましい傷を沢山見てしまいました。死ぬならばレオさんに首をスパッとやってほしいと思ってしまうほどには」
「……マリマーネさんが絶対にもう助からない状態で苦しんでいたら、介錯してあげることにするよ」
「やめてください縁起でもないっ」
それはオマエが言い出したことだろう、マリマーネ。
あと、手を拭きながら甘味もうないのってレオを見るのはやめれ。救援物資に小麦と砂糖とバターとナッツ類があるんだからクッキーでも焼きなさいよ。卵が無いけど、割れ物だから。
「だから正義には謙虚さが必要なんじゃないかな。ブレーキ役、安全弁って言い換えても良いけど、真っ当に生きれるだけの温度を保ち、不必要な延焼は避ける。そういう節度がやっぱり大事なんだと思う」
「……東の帝国を倒す、その正義は危険って話?」
違う違う。まぁこれは私がこの三日間で考えたことだ、伝えるには、言葉でするしかない。
「ううん。東の帝国もね、多分正義は正義なんだよ。領土を広げ国を豊かにするというのは、正義は正義なんだよ。マルスとかゆー、私が殺したアイツの姉だか妹だかが証言した帝国の実態は、結構ロクでも無かったけど」
「そうだったね」
「難しい話、ですね。侵略は正義、ですか」
そういえば侵略すること火の如く、って言葉もあったね。
風林火山だと水がないけど。
「向こうにしてみれば、ね。少なくともあっちのパ……なんとかって皇帝は、それが正しいと思っているんじゃない? 思っていなくても、そのように振舞っている。そうじゃなかったら自分になかなか臣従しなかった種族、ダークエルフや猫人族の出産を許可制にするとか、中絶を強制するとか、しないでしょ」
「……本当ですか? それ」
マルスの話ではね。
「ダークエルフと猫人族は、エルフよりも自由を尊ぶ気風の種族だったんだって。だから最後まで抵抗したらしいんだけど……自分に逆らった種族は悪だから浄化する。燃やし尽くし灰にしてしまう。そんなことを臆面も無くやってのけるのは、我に大義ありと思ってる連中だけなんじゃない?」
「うーん……我々は、そんなのに侵略されそうになっていたんですか」
「戦争は、終わったわけじゃないから、まだ“侵略されそうになっている”んじゃないかな。……ついでに言うとね、王国が帝国に支配されたら、多分ママは殺されちゃう」
「え」
「どうして偉い人の中には、一定の確率で優性思想の信者が混じるんだろうね。回復の見込み無き劣等なる者は処分が妥当、なんだってさ」
「ええ……」
まぁそれもマルスの話だから、本当かは知らないけど。
「でも、それって要するに、人類を劣等なる遺伝子の汚染より救いたいって、本人にしてみれば正義のつもりなんじゃないの? 劣るもの、醜いもの、己が悪と断ずるもの全てを燃やし尽くしてしまいたいという、正義の、浄化の炎」
まぁ劣等なる遺伝子ってのがもうオカルトだけど。でも、科学を信用しないか、科学は自分にとって都合のいいモノであるべしという思想の人には、そうしたオカルト、似非科学も時として真実となり、熱となり、炎となってしまうモノなのだ。
それに、カエルの子はカエル、そう思っていた方が楽に生きれることを、私は知っている。
自分は貴き血を持つがゆえに、無条件でそうでない者よりも優れているのだと思って生きられるのであれば、それは、随分と楽で、幸せな生き方なのではないだろうか。
「……ボユの港町を襲った巨人は、燃やした人の死体を、吸収したと聞きましたが」
「それこそまさに侵略者、征服者の姿じゃない。自分が焼き尽くした街の財を奪い、肥大化するという」
「む、ぅ……」
「不快なもの、見たくないものを放っておけず、炎で焼き尽くそうとするのも正義。力を得るため他人から奪い、己を肥大化させるのも正義。少なくとも、その温度で正義と悪とを分けるのは、不可能なんじゃないかって思う」
適温は正義、低温過ぎるから悪、高温すぎるから悪、個人の感覚としてはそう分けることも可能だろうが、適温は人によって違うし、温度そのものが熱源からの距離でも変わってしまう。発電所には超高温が必要だし、氷室には超低温が必要だ。
自分が不快だからエアコンの温度を上げろ、自分が不快だからエアコンの温度を下げろ、その手の争いはこの世界にいくらでもある。万人に適温、常に適切な温度など、どこにもないのだ。
正義を、ここまでは適切な正義、ここからは行き過ぎの正義と分けることは、きっと不可能なんだ。
「でも、帝国の正義は私達にしてみれば迷惑な炎。それは間違いない。関係ないし、知ったことでもない。黙って燃やされる謂われなんかあるわけが無い。迷惑だから水でも砂でもぶっかけて消したいところだけど、どうもそれでは消える気配がない。だとしたら後は……」
「……風?」
「うん」
正義が炎、悪が風とするなら、それは時に結託し、より被害を大きくしてしまう組み合わせだ。
風は炎を煽ってより強い炎を生むし、炎を孕んだ風はあらゆる物を発火させていく。
でも、だからこそ、それが有効な手段となることもある。
「炎を、自分の望む方へ誘導する。それができるのは水でも土でもない、風だけ」
蝋燭の小さな炎であれば、ちょいと吹くだけで消すことも可能だろう。けど、そんなのは土でも水でも簡単に消すことができる。
でも、ある地点で燃えている炎を別の地点へ誘導することは、風にしか出来ない。
また、風には煽り、煽りまくって火元を燃やし尽くし、消火する方法だってある。
それに、そもそも炎は酸素がなければ燃え続けることも出来ないのだ。
誘導、燃料切れ、どちらも狙えるのは、四元素では風の力だけだ。
「帝国は正義、別にそれでいいよ、それを打倒する私達は悪、それでいい。私達は風になろう、王国へ向かってくる炎を、帝国へ逆流させるために」
「……ああ」「え、やる気なんです? 本当に!?」
『世界と全面戦争、始めるよ? 世界対、私とレオふたりきりの戦いになるよ。付いてきてくれる?』
『付いてくるのはラナだ。世界は元々、僕を嫌っているからね』
「まぁ面白そうだし」「そうだね」
「適当!!」
そうしてまた私達は戻る。
最初の瞬間に巻き戻る。
始まりの時を繰り返し、また新しい物語を始める。
こうしてラナンキュロアは死に、私達はまた別の物語を始める。
「私が悪でいいなら、付いてきて、レオ」
「付いてくるのはラナだよ、多分正義は、僕の方が嫌いだから」
私と、十四歳の少年が帝国に敵対し、国堕としとなる物語。
「いやちょっとちょっとちょっと!? なんか凄いことをえらくあっさり決めてません!? 帝国が滅びればあの地に訪れるのは群雄割拠の戦国時代、血で血を洗う戦乱の坩堝って話はどこへ!? 臭嵐が如くに迷惑な話なのでは!?」
「反対? 群雄割拠の戦国時代になれば、この惑星のどこで生まれたかもわからないような人間が、居場所を手に入れることも可能だと思うけど」
「というより! そんなことが本当に個人で出来ると……思えるから不思議ですが! でもそんな簡単に決めてしまって良いのですか!?」
それは世界を壊したい少女が、世界を壊す少年と結ばれた、その後の物語。
だからそれを語る必要は、もうない。
「いいよ、いいさ、いいんだよ、僕達は風なんだから、どこへ行ったっていいし、どこへ流れていくのも自由だから」
「……それは、どういう?」
「帝国に、行くだけ行ってみて、後はそれから決めればいいってこと。ね、レオ」
「うん」「無鉄砲!!」
私は最初から正義じゃなかった。
私は最初から何も正しく無かった。
間違って生まれ、間違いながら生きてきた。
でもそれは、間違いなく私の歩んできた道だった。
だからこの先も、私は私の道を行く。
自由に、私らしく生きる。
「ふたりで、生きていこう」
「うん、ずっと一緒だ」
そうして私達は――風になる。
「あ、三人でもいいけど」
「えええっ!?」




