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epis64 : OtomedomoYo.


<ラナ視点>


 考えていた。


 ずっと考えていた。


 どうすればレオを救えるのか。


 どうすればレオを死の運命から逃れさせることができるのか。


『言ったでしょ! わたしはあなたの心を壊すって! ラナンキュロアがそんなにも大事なら! その終わりが来る前にここで壊してあげる!!』


 どうすればレオに納得して、生きてもらえるのか。


「ああ……そうくるか。それはそういう風に使うのね……レオ」

「うん」


 ずっと考えていた。


「敵は、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の劣化コピー能力を持っている」

「わかってる」


 そのことだけを、考え続けていた。


「また、この空間にワープしてくるかもしれない」

「わかっているよ。全方位、警戒している」


 私がレオを救う方法は、乱暴に踏めばすぐにでも割れてしまう薄氷の上に、ひとつだけ、ずっと置いてあった。


「あっちの、船は任せて……止めてみせるから」

「なら、僕もこっちは任せて、だね」




『ラナの命は、僕のそれよりも重い』




 けどそれは、レオが許してくれないだろうとも思っていた。




 私の命……というか存在そのものをチップにした、賭けだからだ。


『ラナは僕の命より、自分の命を大事にしなくちゃね。僕のために生きてくれるのは、それは嬉しいことだけれど、僕のために死ぬことは……僕が許さないからね? その認識と選択を、間違えないで』




 レオは知っている。




 今日の、これまでの様子から、おそらくはツグミでさえも知らないこの仮説を、レオだけは知っている。


 そういえば「あの実験」をした日は、マイラの手綱を、商会の人に預けて出かけた。マイラは、そこにいるだけで圧倒的な存在感を放つ超大型犬。商会の人達が、厄介そうな相手(犯罪者、というわけではないのだが、港町には筋骨隆々な荒くれ者も多いのだ)と取引をする際には、貸し出すことも多かった。


 そうして「その実験」の際、私達は全裸になった。


 実験の結果、服がどうなるか判らなかったからだ。


 私達は倉庫……ここよりはだいぶ狭い一棟(ひとつ)の倉庫……を貸しきり、他には誰もいない、埃っぽいその密室の中でレオとふたり、真っ裸になって「その実験」を行った。




 ツグミはこれを、観測できなかったはずだ。




 だけど、(そば)にいたレオだけは、「この実験」を知っている。身をもって体験している。




『間違えないで。僕がこうなったのは僕の責任だ。僕のために死ぬ? ラナにはそんな権利、ないよ。だって僕は、ラナにそんな犠牲を選ばせたら、きっと僕自身を許せなくなる。僕にとって、僕よりも大事なのはラナだから』




 レオはずっと、私に「賭けるな」と命じていた。


 心地いいほどの強制力を声に乗せて、私を甘く縛っていた。




 僕のために死なないでと。


 僕のために生きてと。




「ツグミ! 聞こえる!?」

『は、はい!』

「そっちの状況は!?」

『船を墜とした後! そちらへ追撃に向かおうとするジュベミューワ様と! 戦闘になっています!! そちらの方は大丈夫ですか!?』


「船が土にめり込んだところで止まってる! めり込んだっていうか刺さった感じ! 船版犬神家の一族かなってくらい! どう考えても物理的におかしい形なんだけど! これって魔法的な何か!?」

『はい! 世界改変魔法の影響が観測できます!……やっ!! はっ!! とぉっ!!』


『……まーたオマエタチは、裏でこそこそと!』




 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)で切り取った空間は、宇宙的に見れば当然のごとく「移動し続けている」。


 この星は動いているのだから。


 引力によって公転し、重力という引力を発生させながら自転をしている。


 宇宙は膨張してる。それは開闢(ビックバン)の時よりずっと加速し続けている。




『表では! ほやぁっ!! こうして! てぃぃぃ!! 真剣にタイマン勝負を! お相手してさしあげて! わぅぅぅん!! いるじゃないですかっ!!』

『邪魔するなぁぁぁぁ!!』


「……何をやっているのかは、さっぱりわからないけど……今度はドラ●ンボールオマージュ?……じゃあ、お取り込み中のところ悪いんだけど、どうにかしてこの船の中に……人が乗っているか確認できない?」




 ならば罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)で切り取った空間も、当然ながらその流れに乗っている。


 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)は通常、重力を通過させている。罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)内が無重力空間でないのはこのためだ。


 けど、それなのに、(主には盗撮機能のカメラ用途で)空に浮かせた状態で出現させた空間が、重力を受け、下へ落ちていかないのはなぜか。


 おそらくは、それは私ではなく、私の召喚獣であるところの罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)自体が、それがそうなるよう、自動的に調整をしてくれているのだと思う。


 その仕組みは知らない、わからない。原典を生み出した魔法使いさんがそういう風に造ったのだろうけど、それがどういった理屈で、理論で、原理で動くものなのか、私にはわからない、わかるわけがない。


 その仕組みを超えて、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の空間、それ自体を動かすことはできるのか?




『今更! ですか!?』

「そうじゃないと! レオが斬れないでしょ!? あの船を!」

『悪魔が! 殊勝(しゅしょう)なことで!! って足を掴むなぁぁぁ!』

『どぉぉぉうりゃぁぁぁ!! わっかりましたぁぁぁ!! やってみますぅぅぅ!!』


「……あれもキャットファイトっていうのかな? 片方犬だけど、やっぱり見た目ドラ●ンボールな空中戦(ドッグファイト)だけど」




 それを試みたのは、レオと出会うずぅぅぅっと前、引き籠っていた、もっともっと幼い頃のことだ。


 やったことは、小さく割った空間を風船に見たて、その内部で重力を操り浮力を得ようというものだったが、これは上手くいかなかった。


 どうも空間を割っている黒い線、面そのものが、一度出した場所から空間を動かさないよう、調整をしているらしく、どうやっても宇宙的な移動に添う形でしか、動いてくれないようなのだ。つまりは、天動説の地球よろしく固定化されていて「動かない」。


 まぁ、それができるのであれば、いわゆるゼロ周目で私達が海を漂うことになったという、その状況を、どうとでもすることができたはずだ。浮かび、陸と思われる方向に向かって動けばいいのだから。




『お待たせしました! どうにか! なんとか観測できました!』

「ホント!?」

『ですがごめんなさい!! 乗っています! 確認できただけで六人! その船には人が乗っています!!』

「うっわっ……最悪……」


「ラナがその顔をするってことは……人が乗っているんだね、この……船には」




 なぜ動かせないのか、だがなぜ宇宙的な移動には従っているのか。


 それはつまり、空間を割っている黒い線、面そのものが、引力、重力、宇宙を膨張させているダークエネルギーといった類の影響だけを、選択的に受け入れているから……のだと思う。


 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)は、空間支配系魔法は、魔法は、そういうことができるのだ。




「生きてるの!? その六人!!」

『はい!? ごめんなさい! ちょっと今、私! 分裂状態で! ラナンキュロア様の声が何重にか重なって聞こえています!!』


「……ああ、そういえば分身できるんだっけ、ツグミ。生・き・て・い・る・の!?」

『私のこの身体はイキイキしていますよ! お気遣いありがとうございます!!』

「ちっがーう!!」




 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)で重力が操れることは、確かだ。


 重力を操れるということは、引力を操れるということでもある。


 ダークエネルギーも、おそらくは操れるのだろうが、残念ながらそれを私は、イメージできるほどに詳しくはない。


 実際、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)内部においては歩かずとも操作した重力によって移動することができる。そして、ここからは複雑な話になってくるが、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)内部においては、罅割れた世界、空間そのものを動かすことも可能だ。




『お待たせしました! 分身! 解除しました!!』

『解除させられたの間違いだろぉぉぉ!!』


「なんかもう! 色々言いたい気持ちを抑えて! もう一度()くけど!! 船に乗ってる六人ってまだ生きているの!?」


『それは……きゃぁ!?』


「ツグミ!?」




 動くとは何か?




 動くには、二種類ある。


 地動説においては、天が動いて見えるその理由を、地が動いているからと説く。


 天動説においては、天が動いて見えるその理由を、天が動いているからと説く。


 つまりは「動く」には、相対的なモノと、そうでないモノとがある。




『ふうっ……ちょっとヒヤッとしました。ラナンキュロア様! お待たせしました!! お答えします! 生存されているのが、六人です! 既に絶命された! ご遺体の分は! カウントに入れていません!!』


「……ってことは、死体も乗っているのね……六人、か」


「死者多数、生存者、六人、か。ラナ」

「っ!? ダメ! レオやめて!」




 言い換えれば、動かずとも、動いている空間の中にあって、自分だけが停止すればその空間の中を移動したことになるということだ。


 つまり、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)で切り取った空間……これを空間Aとしよう……の内部においては重力、引力を自在に操れるのだから、空間内にある空間……これを空間aとしよう……に対しては、その影響をゼロにすることができるのだ。


 空間Aは宇宙的移動をしている。空間aには宇宙的移動の影響を停止することができる。


 ならばこの時、停止しているaは、動いているAの中にあって実質、相対的に移動することとなる。


 これは実験済みの事実だ。操作する引力のベクトルと濃さを調整することで、方向とスピードの調整までできるようになっている。


 ただ、これは結構危険な技術でもあった。


 少なくとも、単なる重力による移動なんかとは、比べられないくらいに。


 ほんの少しでも操作を誤ると、中にある物質を破滅的なまでに破壊してしまうので、人体実験、すなわち肉体を含む空間の移動を行ったことはない。……まだ、ない。


 けど、これが可能でないはずがない……とも思う。


 動かす対象がレオであるなら、なおさらのことだ。




「その剣を船に向けないで!!」

「どうして」




 だから今、レオの身体は、生存の根本を罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の空間に固定化され、動けないように見えるが、宇宙的な動きを利用すれば相対的に、動くことができる……そのはずなのだ。


 そして、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の位置は発動し直すたびに変えられる。無限に発動し直せば、無限に移動することができる。もし、同様に、同じ理由で危険だからと封印していた人体のワープ機能を解放し、併用することができるのなら……更に凄いことも可能となるだろう。




「僕は、人殺しだ。その事実はもう変えられない」

「ダメ……ダメ……ダメだから」




 ここまで理解できれば、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)は世界を壊すことのできる魔法であるということが理解できる。


 これら全ての危険を呑み込み、自分の身をチップにして賭けられるなら、後先考えずどんなこともできる。


 先の例に(なら)えば、私自身を空間aに入れ、空間Aを移動していくことが可能なら、私はどの場所の何であっても、破壊することができる。


 地下深く潜り潜り、マントルまで到達して惑星そのものを壊したっていい。地熱、熱をどこまで遮断できるのか、私は実験していないが、だからこその賭けだ。


 天高く昇り、オゾン層を壊し続け、地上を人間の住めない環境にすることも可能だろう。私自身も生きれない環境になるだろうが、後先を考えないなら、そんなこともできる。


 宇宙に出て、この惑星の公転経路に罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を置いたらどうなるのだろうか?


 月を、大月(だいげつ)小月(しょうげつ)を、同じように壊したり、経路を塞いだりしたらどうなるのだろうか?


 なんだっていい、どうとでもできる。




「悪人じゃなく、悪いこともしていないから殺したらダメって話?」

「違う。そんな……他人の命の軽重を決める権利なんか……違うな、勇気なんか、私にはないって話」




 ジュベミューワのような能力者がどこかにまだ存在しているなら、類似する能力者がいるのなら、あるいはジュベミューワとはまったく別のロジックで、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の内部に影響を及ぼし得る誰かがいるのならば、どこかの段階で私の破壊活動は止められてしまうかもしれない。その時は悪役として処分されるミジメな存在ともなろう。


 でも、それを含めての賭けだ。


 叔父さんが苦手と言った賭けだ。


 私だって得意じゃあないが、賭けは得意だからするというモノでもないだろう。好きじゃなくても、他にやることがなければ戯れにするかもしれないものだ。


 人生に何もないと感じたまま、人生という迷宮の最下層に到達したならば、きっと意外なほど多くの人間がその戯れに手を伸ばすだろう。小人閑居(しょうじんかんきょ)して不善(ふぜん)()す……というヤツだ。この世界に、真の意味で小人(しょうじん)でない人間、つまり徳があって品性もある人間が、どれだけいるのかという話だ。


 私も小人(しょうじん)だ。


 レオがいなかったら、丁稚と結婚していたら、伯父に囚われてしまっていたら、きっと不善を為していたことだろう。それがナイフを手首に当ててのただの自殺か、それともそのナイフで自分以外の誰かを巻き込み、盛大な自滅をしたか、どちらだったかはわからない。


 今となってはそんなの、わかりたくもない。




「ラナ、僕は」

「レオ、言ったよね? ラナ()の命は、僕のそれよりも重いって。もし、命を重さで測るなら、あそこには六人の命があるの」


「僕にとって! 誰よりも重い命は!」「ダメ。その言葉は受け取れない。受け取ってしまったら……私はもう、自分自身を許せなくなる」

「ラナ……」


「もう二度と、私は自分を愛せなくなる」




 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)は、それ自体は動かせなくても、その中を自由に動くことなら可能だ。


 むしろ罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の、その中だからこそ、通常は動かせないものも動かせるのだ。




 これが罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)禁忌(きんき)、その第一段階だ。




「ツグミ! そっちの状況は!?」

拮抗状態(きっこうじょうたい)! です! 互いに決定打を与えられない形となっています! ううっ、理解できるものなら即時発動で! 何でも弾き返す“要不要”が! ここまで厄介とはっ!! くっ!?』

「……今更だけど、どうしてジュベミューワがユーフォミーの姿をしていて、“要不要”まで使えるの?」

『かみさまが! わたしにあたえてくれたからよ♪』


「……楽な生き方、しやがって。我が行いは全て神のご意思ですって、伯父さんか」

「ラナ……」




 ところで。




 ならば、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)で切り取った空間とは、なんなのだろうか?




 ツグミの話から、なんとなく伝わってくるものがあったが、私の魔法は、どうも地球とは全く違う方向に進化した科学より生まれた、純然たる技術(テクノロジー)なのではないだろうか?


 ツグミがいつだったか使った「クアジケノン」という言葉。


 kenon(ケノン)は、古代ギリシアの原子論(レウキッポスとデモクリトス、だったかな?)において、原子(アトム)と対になるものとして考えられた「空虚なるモノ」……だったはずだ。


 そういう話は、お兄ちゃんが大好きだった。だからね! つまり! この仮説に従えば! この世界は(ゼロ)(イチ)だけで構成されているんだよ! コンピュータの世界と同じで!……って……そのようなことを言っていた気もする。


 quasi(クアジ)は何語だったかの接頭辞(せっとうじ)で、後に来る言葉に「擬似(なになに)」「準(なになに)」「(なになに)に類似するモノ」という意味を足す性質のモノだ。


 恒星(ステラ)quasi(クアジ)を足すとquasi-stellarとなり、「恒星(こうせい)でないのに恒星(こうせい)のように振舞(ふるま)天体(てんたい)」を意味する「Quasar(クエーサー)準星(じゅんせい))」は、この短縮形だ。


 だからquasikenon(クアジケノン)空虚に類似するモノ(クアジケノン)、もう少し造語をすれば擬似空子(クアジケノン)準空子(クアジケノン)という言葉になる……のだろう。


 もし、原子(アトム)を研究することで様々な技術を生み出した地球のように、ケノンを研究することで様々な技術を生み出した世界があったならば……それがお兄ちゃんとツグミの世界であるのならば……罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)は魔法というよりは、地球人からは理解できない、()()()()()の申し子であるということになる。


 地球の科学における空虚なるモノ(ケノン)、すなわち無、すなわちゼロは、数学においては非常に厄介な特性を持っている。例えばゼロで割るという行為、これは数学……というか算数上、明確に「禁止」されている行為だったりもする。


 まるで、数学という宗教における、それこそ禁忌(タブー)のような扱いだ。実際、地球上では、ゼロは二十一世紀になっても悪魔の数字と呼ばれていたりもした。


 これはゼロが、自然界には「存在しない」ことから生まれる矛盾でもある。「存在しない」というのはつまり、「()い」ということでもあり、それは「見えない」「視えない」ということでもある。


 だが同時に、ゼロは数学の世界に飛躍的発展をもたらした概念でもある。それは同じように「自然界には存在しない」概念、虚数もだ。自然界には存在しない、概念の上にしか存在しない完璧な円を想定し導かれる円周率もまた、同様のものだろう。




『そちらは! 大丈夫ですか!?』


「こっちは……船が……土に刺さったまま微動だにしてない。罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)に運動エネルギーを無効化(なかったことに)されているはずなのに、アンバランスな逆立ち状態のまま、横に倒れたりもしていない。それが凄く不気味」

罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を! 解除しないで下さい!……多分それにはまだ! 世界改変魔法により物理法則へ! なんらかの換骨奪胎(かんこつだったい)()されているはずです!』


「物理法則の統括と制御能力、VS(バーサス)、物理法則の改造と改変能力、か……はは、スケールでいったら負けてるっての。ツグミが使った時にも思ったけど」




 人類は、概念を「発見」することで飛躍的に発展してきた。


 見えないものを、観ることで進化してきた。


 人類は、知恵の身を食べ、裸であることをやめたのだ。自然のままの姿であることをやめたのだ。


 社会を、国家を、王を、宗教を、規範を、道徳を、民主主義、資本主義等、数多くのナンチャラ主義を、憲法を、三権分立を、人権を、愛を、数々の幻想(ファンタズム)を生みながら、人間(ホモ・サピエンス)人間(ヒューマン)として生きてきた。


 それを、生き物としては間違った姿であると、嘆く人も()るだろう。


 実際に、そうして人類が生み出してきた数々の幻想(ファンタズム)は、同時に、獣として生きていれば味わうことの無かったはずの苦痛を人類に……いや、ちっぽけな、ひとりひとりの人間に……与えてきた。


 でも、ならば、自然のまま生きることには、苦痛がないとでもいうのだろうか?


 それぞれが己の欲望を、獣のように行使する世界こそが楽園であるとでも?


 そんなはずはない。


 そんなわけがない。


 知恵の実を食べたことは、けして罪などではない。


 科学の進歩は、幻想(ファンタズム)の進化は、けっして失楽園の顕現(けんげん)などではなく、間違いなく人類そのものの進歩であり、進化だ。




『ラナンキュロア様に魔法の知識はありません! ありませんが! 幸い罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)は! イメージだけでオートプロテクションを行える魔法! 自分に有害と思える魔法の力を全て無効化するイメージで耐えてください! エキシ・エァヴィリェは! 流体断層(ポタモクレヴァス)でさえもそうやって防ぐ魔法でした!!』


「……了解」




 ならば。


 最初からゼロをタブー視などせずに、「見えない世界」を「観た」人類は、何を生み出してきのだろうか?


 原子(アトム)の実ではなく、空子(ケノン)の実を食べた人類は、その先に何を「観た」のだろうか?




「待って、ラナ、あれは?」

「え?」


「中央マスト! その根元付近! 画面左下!」




 それこそがお兄ちゃんとツグミの世界の、「魔法」なのだろう。


 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)であり、幽河鉄道(ゆうがてつどう)なのだろう。


 それは幻想で、イツワリで、夢物語だけど、でもそうじゃない。




『どうしました!? ラナ様!!』


「う……なに、してんのよ……あのキジトラ」


「猫人族の、子だよね? 船で僕達に応対した」




 だってそれらを否定するのは、ゼロを悪魔の数字として断じ、思考停止をするのと同じことだから。




 だから、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)で切り取った空間は、それが地球的科学、数学では説明できないナニカではあるものの、別の科学、数学においては説明のできるナニカということになる。それはゼロに思考停止しなかった科学が、数学が、その先に観ることのできた叡智(えいち)なのだ。




「垂直に立った船の中央で、マストに、文字通り齧りついているね……いや、右手に斧を持っている。それをマストに打ち付け、耐えている感じかな?」

「脱出しようとして出てきたら、外ものっぴきならない状況になってて身動きが取れなくなったってところ? もうっ! 猫ならそこはひょいひょいと逃げ出してよね!」


「……どうするの? ラナ」




 そしてこの「魔法」は、魂より生ずる「マナに触れられる手」とやらによって引き起こすものらしい。つまり()()()()()()()()()()()()()なのだ。




「ううっ……猫殺しは人殺しより心が壊れそう」


「……ラナはあの子に、失礼なことを言われていた気もするんだけどね」


『ラナンキュロア様?』




 それはそうだろう。そうでなかったら、ツグミが使っている、エピスを魂に付与するという魔法は、じゃあなんだ?


 魂の(インターノード)連結(ドッキング)魔法(マジック)って、じゃあなんなんだ?


 なんならジュベミューワの、魂に宿っているはずのエピス、それを真似て使う機構不正使用(システムクラッキング)魔法(マジック)ってなんだ?


 つまり、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)は、人の魂をも扱える()()の延長線上にある「技術」である……ということになる。




 そして、肉体に魂が、「科学的に」宿っているのであれば。




 魂もまた、宇宙的には移動し続けていなければおかしい。




「……今こそ、賭けるか」

「ラナ!? まさか!?」




 それはつまり、魂もまた、重力、引力の影響を受け、移動することができるということを意味する。


 宇宙的な引力(なり、その反対のダークエネルギーなり)に引っ張られているのか、肉体か、魂の座か、そういう「場」に発生する同様のそれ(座的引力(ざてきいんりょく)とでも呼ぼうか)に引っ張られているのか、それは判然としないが、魂だけ何の力の影響も受けないのであれば、常に移動し続けている宇宙の、惑星の上においては、それが安定的に存在できるはずもない。


 いや言い直そう。


 全てが動き、動き続けてる不安定な世界の中において、自分だけがその影響下から離れるというのは、世界そのものから置いてけぼりにされるということだ。


 どれほど醜く、汚らしい世界であっても、引き籠ってしまったら残るのは孤独だけであるというのを、私は知っている。あるいはそれは社会的な死とも()える。


 魂が肉体、魂の座より離れるというのも、なんらかの死をもたらすものなのではないだろうか。




「ううん、そっちじゃなくて、今は人体の、ワープ機能の方」

「ああ……」


「人体をワープさせるのは危険……と思っていた。私が……深層心理で拒絶しているかもしれない人を……他人を……中途半端な形で“通過”させちゃったら?……拒絶してきた他人の心を、魂を、中途半端な形で“通過”させてしまったら?」

「……うん」


「私は、私の人嫌いで人を殺してしまうのかもしれない……だから、動物実験を成功させても……愛玩用として売っていたぷいぷい鳴くのを買ってきて……それがワープを通り移動しても、何事もなかったかのようにぷいぷい鳴いているのを見てさえも……私は……どうしてもその先にはいけなかった」

「うん、わかってる。わかっているよ、ラナ」


「でももう、そんなことを言っている場合じゃ、ない……よね?……ねぇツグミ! 聞いていた!? どう思う!?」

『え!? ごめんなさい! 今! それどころじゃなくて! 分身体のいくつかが! 八つに分かれたジュベミューワ様のタコ足……じゃなくて! 脚に! 捕まってしまって!』

『誰がタコ女よ! 悪魔女! 牝犬(ビッチ)!』


「……あっちはあっちで、少年マンガな戦闘を継続中、か。……いや葛飾北斎(かつしかほくさい)な春画?」




 ならば魂とやらが特別神聖であり、肉体とは違う物理法則の中を生きているのであれば、生き物はもっと簡単に死んでしまう、些細なことで霊的に壊れてしまうモノだったろう。


 あるいは、本当に特別神聖で、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)で切り取った空間と同じようにナニカ高度な技術を使って、自ら宇宙の動きと同期しているのかもしれないが、それはそれで別に構わない。引力を、ペットの首輪を引く力に(たと)えれば、それによって無理矢理ペットが動くのも、ペットが主人の意図を読んで自発的に動くのも、結果的には変わらない。ペット自身の幸福度はだいぶ変わってきそうだが、まぁそこまで罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を擬人化(擬ペット化?)するつもりもない。




 だから魂は、エピスは、おそらくはエピスデブリも……引力によって動かせる。




 ならば罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の内部においては、魂も、エピスも、エピスデブリをも、動かせるのではないか。




 これが罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の禁忌、その第二段階だ。




「仕方無い、ツグミの意見が聞けない以上、やっぱり賭けになるけど……あの一画を切り取って、あの子をここへワープさせる。それができたら、船の中を片っ端から切り取ってみて、残る五人の生存者も探して、同じことをして……そうしたらレオがあの船を斬ることができるようになる……でしょう?」


「賛成は、できないけど……わかった。了解したよ、ラナ」




 引力とは何か。




 それは物質と物質の間に発生する「引かれあう力」だ。


 万有引力とかクーロン力とか、他にも色々あったがそこまで細かく覚えていない。


 なぜ発生するのか、どうして存在しているのか、それはまだ、二十一世紀の地球の科学では説明できない、解明できていない。いなかったはずだ。私が死んだ後に解明できたのなら知らないけれど。


 ただ引力は、間違いなく(あまね)くこの宇宙に存在している。


 イメージもできる。重力とはつまり惑星上に働く引力のことだから、重力を操れるなら引力も操れて当然だ。自発的にそれを発生させることはできなくとも、重力よろしく既に発生している引力であれば、私はそれを操ることができる。




「いくよ!」

「うん」




 そこに魂の座があるなら、魂は、あるいは情報(データ)誘導体(デリバティブ)は、移動することができる。通常は、結節点(ノード)という結びつきによってそれは起こらないよう、なんらかの保護をされているのだろうけど、こと「移動させる」という点においては、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)にはあらゆる制限をも突破するポテンシャルがある。




 これらのことを踏まえ、私達が進んだ罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の禁忌、その第三段階は……。




『う、ううっ……ごめん、ごめんレオ』


『大丈夫、大丈夫だから、落ち着いて、ラナ』


『あっ……ご、ごめんなさい、引っ掻いちゃった……血が……レオ……』




 ところで。




 ところでこれが、物語だとして……私とレオに身体の関係があると聞いて、素直に納得した人はどれくらいいるだろうか?


 私が、レオに抱かれることを()()()受け入れられたと聞いて、そりゃあ好きな人が相手だったら、大丈夫だよねと思った人は、どれくらいいるのだろうか?




『大丈夫、痛くないよ。大丈夫だから、僕は大丈夫だから、ね? 落ち着いて、ラナ』


『ううっ……うううっ!!』




 とんでもない。数ヶ月の間はダメだった、無理だった。


 どんなにレオを愛していても、心でそれを求めていたとしても、身体が男性性(だんせいせい)を拒否する。ならばと女装をしてもらっても……ダメだった。


 男性性を、少しでも感じた時点でダメだった。突き飛ばしたし、殴打も嘔吐もしたし、失神も失禁もした。




『ねぇラナ、僕はラナを好きだよ。でも、だからって、身体の繋がりは、肉体の繋がりは、絶対なんかじゃないから。そんなことをしなくても、僕はラナの味方だから』


『嫌なの! こんな風に好きな人を乱暴に拒絶してしまう自分がイヤ!! 心が求めていることを! 身体が拒否するというそのアンマッチが! 割れたままの自分でいることがイヤなの!!』




 私はレオと結ばれたかった。


 それは本当に、心の底からそう思っていた。


 でもそれに、身体の反応が伴わなかった。




 だから私は、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)の禁忌、その第三段階の扉を……開けたのだ。





 私の魂、その中にある忌まわしい記憶(エピスデブリ)を、動かす。




 今にして思えば、それはツグミの真似事でもあったし、そのお株を奪おうとする行為でもあった。


『この魔法(スキル)は私達の世界の言葉でシ・エァヴィリェと呼ばれていました』


 まぁ、どちらにしろ罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)はツグミから与えられたものだったし、そこに誇れる独創性は、元より無いが。


『大気、外気へ自らの魂の一部、情報(データ)誘導体(デリバティブ)を拡張する魔法でした。空気に神経を通し、それを自分の手足のように使う魔法、と考えれば、近いイメージが得られると思います』


 結論から言えば、これも最初は失敗続きだった。


 今にして思えばそれも、至極当然のことだ。


『任意の座標に空間神経叢(くうかんしんけいそう)を展開した後、それを、文字通り結界化することで空間の支配を行っています』


 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)は魂の一部、拡張された情報(データ)誘導体(デリバティブ)とやらがベースとなっているらしい。


 となれば、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)で割った空間の内部領域、そのものが「私の領域」なのだ。


 私の中で、私の魂をいくら動かそうが、それが私の中から出て行くことはない。


 実験をしていた頃の私は、それがそうであると理解できていなかった。だからエピスデブリは魂に粘着する形で引っ付いていて、そこに剛性があるから、引き剥がそうとしても無駄なのだと思っていた。結論付けていた。


 それは間違いだったが。


『ねぇ、ラナ……エピスデブリに粘性があり、それが邪魔しているのなら、別の何かに引っ付けることで、その欠片くらいなら移すことができるんじゃない?』


 それが、私の推論を聞いていたレオの……提案だった。


『別の何か、って?』

『決まっているじゃない、人の魂に引っ付くナニカなら、違う人の魂に引っ付ければいい。それでね、ラナ……ラナの魔法の秘密を、禁忌を知っていいのは僕だけだよ。違う?』


 反対した。大反対した。私の魂の汚れは、私が墓場まで持っていくものだ。


 いや、投げ捨てるならいい、投げ捨てられるならそうしたっていい。


 でも、それができないなら、やっぱり私が大事に持っているしかないモノだった。




 レオを(けが)したくなかった。




 だけど。




『それに、ラナは僕のこと、好きなんでしょう? 僕はラナが好き。ふたりの魂には、引力が働いているんだ。だったら、そうじゃない誰かとするよりも、上手くいくかもしれないよ?』


 最終的に私はレオの、そんな殺し文句で首を縦に振った。


 首を縦に振ってしまった。


 冷静に考えると、なぜそんな言葉であっさりと自分が陥落してしまったのか、わからない。それはもう、理性とか知性とか、理論とか理屈とか、そういうモノを超えたところにある動因(どういん)だった。




 実験は、上手くいった。びっくりするくらい上手く、私の悪夢、その一部はレオへと移っていった。


 千速継笑(せんぞくつぐみ)の、最後の最期の、(くさ)くおぞましく、痛く、苦しい、辛い……と言葉にしても、伝わるモノはその数億分のいち程度の……数十時間の記憶が、何割かに()された形とはいえ、生々しいままでレオに渡った。


 それが、レオの中で、どう処理されたのか、私にはわからない。


 渡ったと思えた瞬間、レオは少しだけ(うめ)き、膝を折って吐きそうな雰囲気を見せた。


 でも、それはそれだけだった。それ以上には、何の反応も見せなかった。


 自傷されると困るから剣を取り上げていたし、逆に、私に乱暴をしようとする方へ暴走するなら……それはそれで私がちゃんと受け入れるべきものだから、(あらかじ)め、ふたりして埃くさい倉庫の中で全裸となっていたのだが……驚くべきことに、レオに(あらわ)れた変化は、ほんの一瞬のそれを除き、何も無かった。


 ややあってレオは落ち着きを取り戻し、何かを確認するかのように言葉をひとつひとつ丁寧に発音しながら、思ってもみなかった「自分の過去」を話し始めた。


『だいじょう、ぶ……僕には……ね、地獄の……記憶があるんだ。……ひとつには、スラム街の記憶がそう。逆臭嵐(ぎゃくしゅうらん)でスラム街へ堕ちてきた女性は、それはもう酷い状態であることが多かったんだ。だから僕は、この世界にこういう悲劇があることを知っていた。……あの星が同じであることも、ね。()()だと、地球(アース)だっけ?』

『レ、レオ!?』

『何を驚いているのさ。ラナには前世の記憶がある。だからこその実験だったんじゃない』

『う……うん』


 過去……自分が幼かった頃……それよりもずっと前の……前世。


日本(ニホン)は平和な国と聞いていたけど、こういうことは、どこにでもあるんだね』


 レオにはその記憶があった。


『まさか、レオも……』


 私と、同じように。


『僕の前世も、おそらくは地球(アース)の生まれだ。日本(ニホン)ではないけどね。……覚えていることは、少ないけど、死ぬ前の、二月(ふたつき)ほどの記憶は、朧気(おぼろげ)ながらあるよ。それが僕のもうひとつの、地獄の記憶』


 そうしてレオは語ってくれた。

 自分の、地球の、前世で起きた悲劇を。


『僕が住んでいた街はね、港湾都市(こうわんとし)だったんだ。だからか、戦争が始まるとすぐに要衝(ようしょう)として狙われ、激戦区になった』

『それって……』

『実際にどこだったかは、この際どうでもいい。戦争はどうしようもなく悲惨で、だけど悲惨を、むしろこの世界にばら撒きたいと願う侵略者(インベーダー)がいて、独裁者がいて、だから地獄はどこにだって現れる。そのことを、僕達は一緒に見てきたはずだ』

『それは……』


 その通りだった。


『でも、僕が体験した戦争は、王都のそれよりも、もっとずっと悲惨な一面があったんだ。王都リグラエルを襲ったのはモンスターだ。けど、地球にモンスターはいない。人が人を襲ってきた。インフラが破壊され、疫病が発生して、食べるものが無くなり、人間が食べていいモノではないモノでも、食べなければいけない日々が続いた』


『そんな中でね、敵軍がね、食べ物を配ってやるって言ったんだ。僕達がプライドもなにもかもを投げ捨てて、配給所へ行くと、そこではみんなが敵国の国家を歌っていたんだ。そうしなければ、食べ物を、くれないんだって。聞いた話じゃ、その食べ物でさえ、元は僕らの国の偉い人が、僕達に届けようと思っていたものを、敵軍が奪ったものだったらしいんだけどね』


『歌ったよ、僕も。歌詞なんか覚えちゃいない。ただ機械的に歌った。そうして食べ物を貰って帰ろうとすると……裏路地、の方から、聞えてくる声があったんだ。比較的綺麗に残っていた建物の、けれど割れた窓の隙間から……その部屋を覗くと……女の人が……ええと、それは僕のお母さんくらいの年齢の人だったんだけど……男の人数人から、あらゆる種類の乱暴を、されていたよ』


『その女の人が何者で、どうしてそんなところにいて、男の人が敵国の人だったのか、それともそうじゃなかったのか、そんなことは、僕は知らない。どうでもいい。戦争は、そういう景色が日常になる異常事態で、そこに僕達が大事にしてきたはずのものは、何も残っていなかったんだ。名誉だとか栄光だとかを叫ぶ人はいたけど、でもそんなものは僕らには全然何も関係が無くて……結果的に……そういう扱いを受けて死んでいく人が、女の人が、子供が、力ない人がいるということの方が、僕らに見える世界の全てだったんだ』


『そりゃ、どこかには、ね? 戦争によって栄光とか名誉とか、そういう言葉で飾ることのできる世界に接続されて、自尊心を満たせる人もいるのかもしれない。でも、多分そんなのは極一握りの選ばれた人か、すごく幸運な人だ。秩序が破壊された時、圧倒的大多数の人が見る世界は……ラナのこの記憶の、これと同じだよ。どうしようもないほど愚かで、しょうもなくて、醜くて、(くさ)い……そういうモノが町中を飛び交う、大臭嵐(だいしゅうらん)の世界だ。それが、死体が被らされる(きら)びやか布の……尊い犠牲とやらの……その下の正体なんだ。それは、これ以上ないほどおぞましい色をしているんだよ』


『うん……楽しそうだったよ……男達の方は。手馴れてる様子でもあった。笑いながら、遊びみたいに女の人を甚振(いたぶ)っていて……僕はね……そのことがどうしても気持ち悪くて……僕はもう見ていられなくて……僕は……逃げ出したんだ。血塗れで、弱々しい悲鳴をあげながら、虚空へ向かって助けてと呟いている女の人を置いて……ね』


『逃げたことを、ずっと後悔していた。この人生になってからも、ずっと心に引っかかっていた。だから覚えていたのかもしれない。ずっと忘れられなかったのかもしれない』


『だからラナを助けられたことに、僕は少しだけ救われたんだ』


『だからこの記憶を分かち持つことで、ラナが少しでも救われるなら嬉しい』


『痛みも、苦しみも、僕の心をいかな形でも傷付けない。全てを背負ったっていい。この誇りを前に、それは無意味だからだ』






『……ねぇ』

『うん?』


『ひとつだけ聞いていい?』

『なに?』




『レオって、前世も、男の子?』






『さぁ? どっちの方が、ラナの性癖に刺さる? 好きな方で想像してくれていいよ。今の僕がラナを好きで、僕もラナが僕を求めてくれるのなら、結ばれたいと思うことに、嘘はないからね。ラナが安心して、身を任せられるのが前世女の子の僕なら、僕はそれで構わない』






 そうして。


 そうして私達は、結ばれた。


 そこから先はもう、本当に自然に受け入れられた。


 最初は、本当に、痛かったけれど、そこに嫌悪は一切伴わず、悪夢の光景が頭をよぎることもなかった。


 安心して、リラックスして、レオを受け入れられる自分が、(いと)おしいと思えた。




 私達は同じ痛みを分かち合って、暖かな(ねや)の闇に、溶けていった。











 ひとつだけ、注意しなければいけないことがある。


 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を使ったエピスの移動は……()()だ。


 譲渡だ、受け渡しだ、コピー&ペーストではなくカット&ペーストだ。


 私の前世の、最後の最期の最悪の記憶は、その一部が私の中から消えレオのナカへ移った。


 ジュベミューワの能力は「コピー系」だった。ツグミの「エピスを与える」行為も、おそらくはそうだ。私に罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を与えても、その原典のエピスが、ツグミの中から消えてしまうことはない。


 けれど私のは違う。


 文字通り、自分のモノを相手に与えてしまい、残らない。






 ここから先は、実験も実証もしていない罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)最大の禁忌。私の脳内と、それを話したレオの頭の中だけにある仮説だ。


 仮説だけど、要素要素の実験と実証は終わっている。ひとつには、罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)空間Aの内部空間aが移動できるかという実験と実証。ひとつには、この魔法が魂にある記憶、情報、つまりはエピスといったモノを他人へ譲渡できるかという実験と実証。


 前者は、世界を壊す、壊すことのできる計算式だ。


 ならばこそ私はそれを禁忌とした。


 私はレオのいる世界を壊したくなかった。だからそれを禁忌とした。


 レオの命を救うためなら、いつでもそのカードは切れたけど、残念ながら前者にレオを救う可能性はない。


 物理法則そのものへ首輪をつけ、飼うかのような罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)という魔法であっても、死ねば終わりという生き物の運命を、肉体に限界が来ればどうあっても終わりというその脆弱さを、覆す力はない。


『ねぇレオ』

『ん?』


 だから。


罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)、使ってみたいって、思わない?』

『……どういうこと?』




 レオの命を救う仮説は、その(ことわり)は、後者のその先にある。




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