epis63 : marshmallow justice
<ツグミ視点>
「【世界改変魔法、タイプグラビティ】」
倉庫の天井には、既にいくつもの穴が開いていました。
私は世界改変魔法、タイプグラビティ、それと浮遊魔法、飛行魔法を併用して、そこから倉庫の屋上へと出ます。
すると。
「やっぱりそこにいたのね、悪魔」
「あなたは……」
そこにいたのは、足があること以外はユーフォミー様の姿、そのままの……ですが絶対にユーフォミー様ではない、何者かでした。顔貌は元より、お召し物も、全身黒にあちこちピンクの背負い紐が巻きついてるという、ユーフォミー様の常なるそれでしたが、ただひとつだけ、違う点がありました。
あの、かなり特徴的だった眼鏡、三日月と星の意匠の眼鏡が、無くなっています。
剥き出しの怜悧なそのお顔が、黒い船を背景に冷たく輝いて見えました。
眼鏡と共に、親しみやすさまで失われてしまった印象です。
「一応、はじめましてって言っておく?」
「ん……」
私は、自分の「目」と「鼻」を総動員して、その正体を探ります。
ブルーグレーの足は見た目上、膝小僧の辺りまでは人間のそれと同じ形状をしています。ですがその足先は……ピンヒールを履いたかようにクンと伸ばされ……それなのに足の指も、ピンヒールのピンの部分もありません。
それはまるで、自分が地面に立つことをまったく想定していないかような造形でした。
ユーフォミー様はその足をピンクの布で覆っていましたが……今ではその布がふとももの中ほどで千切れてしまっています。接合部分はそれに遮られ、見えなくなっていますが、「鼻」で探ってみたところ、それはどうやら、確かにユーフォミー様……の身体の一部となっているようです。情報誘導体が宿っていて、それが固有結節点と活発に連絡をし合っています。
そしてその、固有結節点、は……。
「……ジュベミューワ様?」
「あ、それくらいはやっぱり、わかるんだぁ? そうよぉ、わたしぃ」
その魂は、表層に出てきている固有結節点は、先に亡くなられた……はずの……ジュベミューワ様のそれに、酷似していました。
「ですが、エピスデブリの数が……」
「エピスデブリぃ?」
ですが、単にジュベミューワ様、というわけでも、ないような気がします。
「ジュベミューワ様の魂は、本来平和であるとか、心の安寧であるとか、安らぎであるとか、そういったものを強く求めるモノであったはずです」
今はもう、それが見る影もありません。
ドロドロに、ぐちゃぐちゃに、カオスのように混沌としていて。
完全に無秩序な、人間の感情の坩堝とでも表現したくなるような、通常の人間であれば理性と知性を保っていられるはずのないナニカ、ナニモノか……でした。
「それが、どうして……」
「これって後から得た知識なんだけど~」
「え?」
ユーフォミー様の姿をした、ジュベミューワ様……のようなナニカは、左手で自分の額をちょいちょいとつつきながら、言葉を続けます。
「人間の、人間らしさって、頭の前の方、額の裏側の、この辺に集中しているんだってね」
「前頭葉のことでしょうか? それとも前頭前野?」
「さぁ? そんな言葉はどうでもいいけど、わたしぃ、ここがざっくり切られちゃったじゃない?」
「……そう、でしたね」
ジュベミューワ様の最期は、レオ様に頭の前方、額の辺りを切り取られてのものでした。
「だからなんじゃない?」
いえいえいえいえいえ。
「いえ、それでは全く説明できない現象が、起きているのですが」
ジュベミューワ様が世界改変魔法を使っているのは……いいでしょう、私がナオ様のローブを装備して世界改変魔法を使った時、ジュベミューワ様にはまだ息があったということなのでしょう。
脳はNo Man’s Land、人が踏み入れてはいけない領域を持つ複雑な器官です。前頭葉を損傷しても生存「には」問題の無かった例が、数多く報告されています。地球では、その一部を切り取る手術が持て囃され、考案した神経学者がノーベル賞を受賞した時代もあるくらいです。それは科学者が絶対に忘れてはならない負の教訓であると、ナオ様が教えてくれました。
「機構不正使用魔法で、世界改変魔法をクラッキングしましたか」
「かみさまが、わたしにくれた力、よ」
「……」
ともすれば、冷たい印象もあったユーフォミー様の相貌で、うっとりとするように笑うジュベミューワ様(?)は、奇妙なことに、とても幸せそうに見えました。
ジュベミューワ様の心には、「幸せな子供時代を奪われた」という、三類のエピスデブリが存在していました。それは子供時代を取り戻したいという衝動に結びつき易いもので、言動やファッションにも、それは表れやすくなります。具体的に言えば、ジュベミューワ様のように子供っぽい行動、言動、喋り方を好んだり、男性であればラフな格好や半ズボンを好んだり、女性であればガーリー系であるとか、もう少し極端な場合はロリータ系であるとか、大人っぽくない服飾を好んだりするようになります。
二次性徴後は、同様のエピスデブリを持つ千速継笑様のように、年下の少年、少女を欲するという衝動に変わることもありますが、それ自体はありふれたもので、これが二類や一類に変化しない限りは憂慮するものでもありません。警戒は……多少必要ですが、それは花粉症だから春先はマスクをしよう……くらいの気持ちで構わないはずです。
ですが……。
「……ハッキングとクラッキングは、その境界はとても曖昧なものです。ですが確かに、これだけは違うと言える点が、ひとつだけあります」
「なんの、話ぃ?」
ユーフォミー様は、この星でも地球でも、私とナオ様の世界であっても年齢的には成人女性ですが、その身体はほっそりとしていて、あまり大人っぽくありません。というより、老若男女のどれっぽくもありませんでした。ある種、そういったものを超越したところにある存在感をお持ちの方でした。
「クラッキングに、割る対象へのリスペクトは無いということです。ハッキングのハックの、元々の意味は“叩き切る”。割ると切る、まるでラナンキュロア様と、レオ様との力の違いのようですが、そういった意味においては、最初の時点においては悪意を以って世界を割りたかったラナンキュロア様も、世界に対するリスペクトを失っていたと謂えるのかもしれませんね」
「ふーん? それでぇ?」
ですが今、このユーフォミー様の顔貌が浮かべたその表情は、とても少女らしい、幸せな未来を夢見る笑顔で……それはまるで、今まで着たことがなかったような服にチャレンジしてみたら、それがすごく自分に似合ってると気付いた……そこにとても可愛いらしい自分を発見できた……そのような時の、とても希望に満ち溢れた笑顔で……それがあまりにも状況と合っていないから、どうしても違和感が拭えず据わりが悪い……それはそういった類の胸騒ぎ引き起こすナニカ……でもありました。
「リスペクトなく使われる魔法は、悲しい。悲しく観えてしまう……そういうことです」
「なにそれ感傷? 感情論?」
「魔法は心より生まれしモノ。“魔素に触れられる手”は、魂より生ずるのです」
「ばっかみたい」
単なる、事実なのですが……。
魔法は魂が、己がエピスに基づき行使するものです。エピスは魂に宿る「情報」そのもの。どのようにすれば魔法的な現象を引き起こせるのか、それは魂が知っているのです。
喩えれば、魔法が料理ならば、エピスはそのレシピのようなモノです。
「魔法には想いが籠もっています。想いを籠め、研鑽するからこそ、それは輝くのです」
それは、ええ、レシピ通りに造れば、誰でも同じ料理が作れます。
ですが心の籠もってない料理は、やはりどこか、心を籠めて作ったものとは、違って見えることでしょう。
「一生懸命、一所懸命に励んで“職人”さんになれって話ぃ?」
「この心は、一途な研究者であり求道者であったナオ様より賜ったモノ。私は、そうした生き様をこそ敬愛するのです」
「ふーん?」
そして多くの場合、それは本当に大切であった部分すら放り投げて、劣化するという結果を生みます。劣化コピー、それがリスペクトなきコピー、剽窃という行為の、最大の欠点であり罪なのです。燃焼石の製法を手に入れたヘパイトス派の方々が、それで沢山の悲劇を生み出したように。
「それってあなたの感想ですよねぇ?」
「いけませんか?」
そのように見える魔法は、そのような未来が観える魔法は、やはり悲しいのです。
「どうでもいいって話ぃ。長々と無駄話をされても、時間の無駄よ」
「では、あなたは、何のためにここへやってきたのですか? レオ様、ラナンキュロア様ではなく、私の方へ」
もっとも……ラナンキュロア様にも、罅割れ世界の統括者にも、その原典、エキシ・エァヴィリェへのリスペクトは無いのでしょうが……あれはもう、あそこまで応用を発展させ、使いこなされてしまうと、それはそれで目を瞠るものがあります。
あれはもう、なんだか原作とは違った方向に進化した二次創作作品のようです。リスペクトの有無は兎も角、原作の要素を完全に自分の方へ引き寄せ、利用し、それはそれで別の価値を生み出している、そういうモノ。
「ラナンキュロアは、もうすぐ死ぬから、どうでもいいわ」
「?……ラナンキュロア様が、ですか?」
ラナンキュロア様もある意味では一途です。一途過ぎるとさえ言えます。
もう少し適当に、ちゃらんぽらんに生きる方が、楽なのではないでしょうか……。
「レオ様では……なく?」
「だってわたしは未来を知っているもの。教えてもらったの、私から」
「未来を、知って?……誰から、ですか?」
どういう、ことなのでしょうか。
「知らないのぉ? 自分の方が魔法に詳しいですよ~って顔をして、それって、恥ずかしくないのぉ?」
「……幽河鉄道の機構を不正使用したのですか?」
未来、生き延びていたジュベミューワ様が、幽河鉄道を通してこのジュベミューワ様へその記憶を……情報を送った?
……色々と複雑な話になってしまいますが、一応その可能性はあります。諸々がおかしい、例えばジュベミューワ様がご自身の幸せを取り戻したいと願うなら、その場合、コンタクトすべきはこのジュベミューワ様ではなく、前頭葉を切り取られる前、ラナンキュロア様に出会う前……いいえ、ご両親が亡くなられる前のジュベミューワ様なのではないかといった、そういった疑問点を、矛盾点を多く孕んだ可能性ですが、そうであっても完全に無い可能性であるとは言い切れません。
「幽河鉄道はわたしのものよ。神様が、わたしのために、ここに遣わしてくれたの。わたしの運命がここにアレを引き寄せたの」
「違います」
幽河鉄道はナガオナオ様が、人類がよりよい方向へ向かえるよう、何年もかけ編み上げた至高の魔法です。
「そうでなかったらおかしいもの。わたしはただ幸せになりたかっただけなのに、誰を傷付けたいとも思っていなかったのに。平和に、普通に暮らしたいと思っていただけなのに、それなのに不幸になるって、おかしいでしょう?」
「ジュベミューワ様の中で、レオ様を傷付けたことは、無かったことになっているのですか?」
当然の問いへ、しかしジュベミューワ様は何も答えてくれません。
「だからかみさまがわたしを哀れんでくれたのよ。わたしにほほえんでくれたんだわ」
どこか舌っ足らずな発声で、ですがとめどなく言葉を紡ぐジュベミューワ様は、今も夢見るような表情を浮かべています。
「ね? だからこのちからは、わたしのものでしょう?」
それは現実の、何も見ていないかのような目でした。
「違います。幽河鉄道は人類の未来のためのものであり、誰かに所有権が発生するというならそれはナガオナオ様に他ならず、今は私が、ナオ様よりその操縦権をお預かりしています」
「黙れ悪魔。犬なら! 可愛らしく尻尾でも振ってみなさいよ!!」
「!?」
唐突に感知した「それ」を、無意識下で避けます。
「ふーん?」
「……今のは」
右耳の奥で、ぎゅーんという妙な残響音が鳴っています。
「今の、よけるんだぁ?」
私は、シ・エァヴィリェ……レオ様の「回避」と同じもの……を、私自身では使えません。厳密に言えば「今は」使えません。然るべき手続きを行えば使えるようにはなりますが、私には「鼻」があるので、その必要性を感じませんでした。
「この私を攻撃しても、無駄なのですが……」
「回避系の魔法、なにかもってるってことぉ?」
「と、いうよりは……」
町の炎上も下火となり、闇を取り戻した夜の視界に、今更のようにハラハラと散っていく白銀が見えました。右耳の辺りに、少しだけ風を感じます。……この身体をいくら傷付けたところで、私自身が消滅するわけではないのですが……ナオ様より頂いたモノを、またしても傷付けてしまいました。
「この身体は幻影のようなモノですから。私の魂、その実体は、今も幽河鉄道に座したままです。存在する次元が違う……といえばご理解いただけますか?」
「いいのぉ? そんなこと教えちゃって」
「無駄に、この身体を傷付けられたくはないので」
「ふーん?」
「!!」
今度こそ、私は「それ」を知覚した上で避けます。
幽河鉄道に接続された私だからこそできる、準空子の嗅覚的察知。私は、それによってごく短い時空間の嗅覚的未来と過去を、この「鼻」によって観ることができます。自分へと接近するなんらかの脅威、悪意を、素早く「嗅ぎ取って」動くことができます。
もっとも、これは犬としての感覚で行っていることなので、具体的にその脅威が、悪意が何であるかを知覚するためには人間的な……主には視覚情報から得られる現象の把握が必要となってくるのですが。
「“要不要”を、そんな風に使うのですね」
「暴走列車さんには~? 思い付きもしなかったでしょうね」
私に二度迫った脅威、悪意……その正体は、流体断層……そのものでした。
「科学的にいえばワームホール、ナントカ類魔法構造学に従うならヴァーミンホール、あるいはその焔によって世界を黄昏色に染めるバーミリオンバグ、だっけ?」
「よく覚えていますね。マヨラナフェルミオンを操作したのですか?」
「難しい言葉しか言えないのって、逆に莫迦っぽいよね。イメージするのは、わたしの知る空間そのもの、それだけでいいの」
ああ……つまり。
「ジュベミューワ様が理解できる世界、その一部“だけ”を“通過”させるなら、そこにはジュベミューワ様が理解できない世界……つまり穴、あるいは虚だけが残る……なるほど、そういうことですか」
なるほど、それは魔法学を修めた人間には、無い発想ですね。
魔法学を修めてしまうと、それは理解できない世界ではなくなってしまいますから。
理解できるものしか操作できない要不要の特性を、まさかそんな風に利用するとは。
これはラナンキュロア様にも使えない手です。ラナンキュロア様は、ナガオナオ様ほどには魔法的素養がありません。ラナンキュロア様が同じことをするには、逆にこれを、朧気にでもイメージできるようにならなければなりません。
「ですが、それを攻撃手段とするには、“理解できない世界”に指向性を持たせなければいけないはず、ですが。その操作はどうやって?」
ワームホール、流体断層は、ある種カオス化した可能性の塊です。
だからこそ魔法の源泉として、広く利用されているのですが、そのものを扱うには、望み通り動かすには、まずそのカオス化を、解いてやる必要があります。
「わたしだって魔法使いだもの。ワームホールかヴァーミンホールかは知らないけど、これとはずっと付き合ってきたのよ」
「っ!?……」
三度目の「それ」を、また無意識下で避けます。
今度は左耳が、ぎゃーんと鳴っています。
「ふう危な……くはないですが……ええと、そんな単純なものでも無い……はずなのですが」
魔法使い全員が流体断層の脆弱性を無制限に利用可能であったなら、私達の世界は近代化する前に滅んでしまっていたことでしょう。それは、ひとつの大陸を丸ごと消滅させるほどの力を秘めた技術……の悪用、なのですから。
「悪魔でも、知らないこと、あるんだぁ?」
「悪魔ではありませんから、知っていることしか知りませんよ?」
幸い、ユーフォミー様の姿形をしたジュベミューワ様に、この街を消す、この大陸を消す、そういった意志は、無いように思えます。
ですが、だとすれば尚更、彼女は何をしたいのでしょうか?
『ツグミ、聞こえている?』
悩む私に、繋がったままの心話に、届く声がありました。
『はい。テレパシーですから、声に出さなくても通じますよ』
ラナンキュロア様です。
『レオにも聞こえるように、声に出しているの。とりあえず、船に誰か乗ってるかだけ、調べられない?』
非、人間的な存在を前に、緊張を強いられてる状況のためか、ラナンキュロア様の人間らしい声は、妙に温かく聞こえました。
『ジュベミューワ様は、空中に浮かんでいます。今更、船を墜としても』
『ユーフォミーの身体を乗っ取ったジュベって、それ自体もどうしたらいいかわからないけど……だからこそ船がどうなっているかだけ知ってお』/『何してるのぉ?』
「っ!?」
「あははっ、いい顔ぉ」
まさかっ。
『裏でこんなことをしていたのね』
まさかまさか、そんな!?
「心話を、ジャックするなんて!?」
『か弱い女の子一人に、三人がかりってずるくない?……あ、ふたりと一匹? ひとりと死にぞこないと、悪魔?』
『……ツグミ、なにこれ』
「で、できるはずがないんです! そんなこと! この心話は魂の連結魔法の派生技術です! 感知されること無く、いつの間にか割り込むなんて芸当、私にも、ナオ様にも!!」
『落ち着いて、ツグミ。落ち着かないとレオのケツバットが飛んでいくから落ち着いて……あ、しなくていいから、構えないでいいから』
『んー、あっちの声は、聞こえにくぃなぁ? そちらの彼女は、わたしを殺っちゃってって言った、ラナンキュロア様ですかぁ?』
『……こっちも、そっちの声は聞き取りづらいけど』
「……つまり、ラナンキュロア様、私、私、ジュベミューワ様、という直列の接続になっている、ということですか。なら、割り込みではなく片方……つまり私とだけ繋げている……ということなのでしょうか……ですがそうであったとしても、全く感知されずにできることではありません」
「だらしないなぁ、あなた、それでも魔法の専門家なの?」
「……あなたは、誰なんですか?」
ここに来て私は、漸く目の前の少女が、ナニモノでもないことに気付きます。
「ジュベミューワって、言ってるし、あなたもずっとそう呼んでいるじゃない」
「人は、人体の灰を操り、自らの脚とすることはありません」
「これ?」
ジュベミューワ様は、右足を曲げ、膝をにゅいと持ち上げY字バランスの形をとり、そのまま百八十度開脚してI字バランスのポーズとなりました。
そうして顔の右半分に当たっているブルーグレーの脚を、すりすりと頬ずりしています。
妙に、愛おし気です。自分の脚なのに。
「世界がわたしにくれた可能性、よ」
「何を、言っているのですか?」
私の「鼻」には、それはとても醜悪なものとして、観えています。
無数のエピスデブリが結節点を形成し、異様なまでにネガティブな「感覚」が、「感情」がそこに渦巻いています。
まるで千年、汚染されつくした沼の底にたまったヘドロがモノを考え、生きているかのようです。あるいは癌細胞、でしょうか。
癌を患っている方の呼気は独特です。臭いが違うのです。そのような臭気を、見た目だけなら青銅のような質感の脚に、私は感じています。
厭わしいとはいいません。
ですが愛しげに、自らの(?)その奇妙な脚へと頬擦りをするジュベミューワ様の気持ちも、理解できません。
「ジュベミューワ様、本当に、悪魔とでも、契約をしてしまいましたか?」
「うん?」
理屈から考えれば、あの脚にはエピスデブリより生まれる痛み、痒み、痺れ、気持ち悪さ、疼き、焼かれる痛み、凍る痛みといった、ありとあらゆる辛苦が無限に発生しているはずで、脳もその信号を受け取っていなければおかしいのです。
「この世界には、肉体を魂の座として生を受けた者には、理解できないような存在があります」
「自己紹介ですかぁ?」
それなのに……どうしてジュベミューワ様は、そのように陶酔しきったような顔をしているのでしょうか?
「あなたこそ、悪魔よ」
「悪……かどうかはともかく、魔に連なる者では、あります。魔法使いの眷属という意味で」
「ほら、やっぱり」
言いながら、ジュベミューワ様が右足を下ろした瞬間、一瞬だけその接合部が見えました。それは、蜘蛛の巣のよう、とでもいうべきか、伝線し綻んだストッキングの裾のよう、とでもいうべきか、色白な肌色に、それはまるで細いブルーグレーの糸が複雑にまとわりついているかのようでした。
「正義や悪は、相対的なモノですから、ジュベミューワ様が私を悪と断ずる、そのことを特に否定するつもりも、ありません」
「お高くとまっているのね」
そうでしょうか?
「私にとって、人間の世界は、ずっと低くから見上げるものでしたよ?」
「空を飛べるのに?」
「空を飛べるようになったのは齢七十を超え、老境に入ってよりのことでしたから。それに、自分の意志で自由に飛べるようになったのは、この身体になってからです」
「……いくつよ、アンタ」
ジュベミューワ様が、呆れたように尋ねてきます。
「それは、ご存知ないのですね……」
「いいから、こたえてよ」
それは……正確にお答えするのは、大変に難しいですね。
「さぁ……死後、自分がどれくらい眠っていたのかを、私自身は把握していないので。それより、ここへ来たのはこうして、私と取り留めのない話をするためですか?」
既に攻撃を、三回ほど受けた(というより躱した)気もしますが、もう一度言えば、私は、この姿でどれほどのダメージを受けようが、再度死ぬことも、消滅することもありません。
幽河鉄道を魂の座とし、一体化している私は、消滅の危機に陥れば自動的に、幽河鉄道と共にナオ様の元へと送還されるでしょう。そういった機能が、幽河鉄道にはあります。
「同じ言葉を、繰り返させてもらいます。どうしてあなたはここへやってきたのですか? レオ様でも、ラナンキュロア様でもなく、私の方へ」
『それはねぇ』『っ』
できることが当たり前のように、嫌な臭いすらも感じる「声」が、私の頭に響いてきます。……こんなのは、ナオ様の知識にすらありません。あり得ないことなんです。
その「声」で、ジュベミューワ様は嬉しそうに私へ……いいえ、聞こえているだろうラナンキュロア様と私へ、悪意の籠もった言葉をぶつけてきました。
『あなたとラナンキュロアが、いくつもの世界を滅ぼすからよ』
「……」
『……黙らなくて、いいよ、ツグミ。今のはこっちにも半分以上届いた』
『ラナンキュロアはね、根っからの悪人なの。あなたは何度でも何度でも、ラナンキュロアが幸せになるまで、人生をやり直させるんだって』
「……それが私の使命、ですから」
それはもはや明確な殺意と言っていい、そうした害意を多分に含んだ声でした。
『ラナンキュロアは美姫に生まれ変わりたいと言って、大国の王女に転生する。そうしてその星を滅ぼす』
『ラナンキュロアはもう人間には生まれたくないと言ってエルフに生まれ変わる。そうしてその惑星を滅ぼす』
『ラナンキュロアは見た目は人間と同じ精霊族の少女に生まれ変わる。そうしてその世界を滅ぼす』
『ラナンキュロアは世界を滅ぼす』
『そうしてラナンキュロアは何度でも何度でも世界を滅ぼす』
『ラナンキュロアは永遠に、延々と、無限に、無間に、世界を滅ぼし続ける』
『あなたはそういう存在をサポートし続ける悪魔』
「嘘です」
どうしてあなたが、そんなことを知っているのですか。
誰から、そんなデタラメを聞き、信じたというのですか。
『んー……しないとは、言い切れないかな、私には』
「ラナ様!?」
『あなたは悪魔。どれだけの悲劇を見ても、それでもあなたはラナンキュロアを転生させる』
『私は、自分の生存のために人を殺し、ジュベミューワも殺した』
「やめてください。人が人を殺してはいけないというのは、まさにそれが理由なのです。人が人を殺すと、自分は人殺しであるという認識が生まれてしまう……まさにその一点が、その一点こそが、加害者である殺人者、その魂に課せられる罰、エピスデブリなのです」
『ま~た難しい言葉を使って、難しいことを話してる。わかる? あなた達はやっぱり悪魔なの。これからも沢山の世界を壊す、悪魔なの』
「“自分は人殺しだ”、三類のそれは、人生のあらゆる岐路において呪いのように関わってきます。例えば先に、ジュベミューワ様の件でラナンキュロア様が容赦なく、躊躇いもなかったのは、既に三類のそれによって“道がついていたから”です。この、躊躇いがなくなるというのが問題なのです、大問題です」
『そうね、それは自分でも、そう思う。そうしたことを、後悔はしていないけれど、もっと上手く立ち回っていれば、そうなることを避けられたんじゃないかって、それだけはずっと思っている』
『人を殺しておいて後悔もしないって、そんなのはもう人間じゃない!! 悪魔よ!』
『あなたをちゃんと殺せなかったことなら、現在進行形で後悔してる……ううん、レオを責めたんじゃないの』
『ラナンキュロアァァァぁぁぁ!!』
『レオが私の剣だというなら、斬り方は私がちゃんと指定しなければいけなかったの。それで納得できないなら、私達の責任、ってことにしよ?』
「ラナンキュロア様……ナガオナオ様も、ある意味では人を殺し、殺し続けてきた魔法使いです。晩年のナガオナオ様は、数億という人間が自分のせいで死んだと……消滅したと自分を責めておいででした。自分が知らないところで何万何億が死のうと何も思わない……そう自分に言い聞かせながら」
『ほらやっぱり! こいつは悪魔だ! 悪魔の眷属なんだ!!』
「ナガオナオ様の心はそれによって傷付き、俗世との繋がりを切って隠棲するという選択を、せざるを得なくなりました。……ラナンキュロア様、人間は、ただ生きるだけで沢山の生き物を殺しています。微生物や、細菌を生き物に含めるなら、手を洗うだけで、入浴するだけで何千何万という命を奪っているのです。食事をすれば、それがお肉でもお野菜でも、命を頂いていることに違いはありません。ですが人は手を洗うことに、入浴をすることに、食事をすることに罪悪感を抱いたりはしません。どうしてか、わかりますか?」
『だってそれは……仕方無いから』
「そうです、生きるためには、よりよく生きるためには、それが必要なことだからです。ナガオナオ様も、よりよい世界がその先の未来にあると信じて、魔法の研究を、弛まざる努力を続けていました。誰を不幸にしたいと思い、そうしたわけではないのです」
『それが世界を滅ぼすなら、やっぱりそれは悪魔の所業よ!!』
「結果的に、悲劇を引き起こす努力はあるでしょう。結果論で、求道を愚行と謗られることもあるでしょう。魔法でも科学でも、最先端技術を研究し、生み出すというのは、世界を前に進めるということでもあります。それは、進歩についてこれない人を、あるいは世代を、置き去りにするということでもあります。ですが……」
『ただ平和に生きたいと願う市井の人々は! 一般市民は! 人類の進歩のために犠牲になれっていうの!? 悪魔! あなた達は悪魔よ! 悪魔ぁ!!』
またも襲ってくる流体断層の刃を、今度は三連撃のそれを躱して、私は強く、ラナンキュロア様に訴えかけます。
「ですが……それでもナオ様は、止まりませんでした。よりよい世界を、未来を信じて研究を続けていました。ラナンキュロア様、時は誰がそれを止めたいと願っても、美しい今を留めたいと祈っても、いずれ動き、進んでしまうのです。どれほど平和に暮らしたいと思っていても、雨は降り大河は氾濫し、大地は震え、津波がやってきて人々を呑みこむのです」
「攻撃しても無駄っていうなら! 避けてばかりいないでよ!!」
ぐんと、ブルーグレーの脚が伸び、私を蹴り殺そうと旋回してきました。
一メートル弱の脚が、五倍か六倍かにも伸びたでしょうか。
ですがそうした攻撃は、先のそれとは違い想定の範囲内のものでした。白黒の巨人の段階で、似たようなことはしていましたから。
私は空中で身体を捻り、難なくそれを避けます。
足はゴムひものように伸び、ゴムひものように戻って元の形に戻りました。
「ナオ様は……そうした世界にあって……ひとりしか掴めないカルネアデスの板ではなく……八人と、全ての動物のひとつがいしか乗れないノアの方舟でもなく……沢山の人が乗り込み、快適に過ごせる船を造ろうとしたのです。結果的に、その一部は軍船となってひとつの大陸を消滅させるという結果を生みました。ですがそれは……それはやっぱり結果論です。それを根拠としてナオ様を傷付けようとする人がいるなら、私は全力で戦います。ラナ様、私は何が正しいとか、間違っているとか、そんな理屈では動きません」
「だからオマエは悪魔なんだ!!」
「ラナ様……私はラナ様が間違っていたとしても、ラナ様の味方であり続けます。理屈に合わない、どうしてそうなるのかわからないというなら、レオ様にこう、お尋ねになってみればいいでしょう。“あなたはどうして私を愛してくれたのですか?”……と」
言葉に、ラナ様の心が動揺し、おそらくはそのお顔が赤面しているだろうということが伝わってきました。
『……そんなの、聞くまでもないわ』
「時には想いを言葉にすることが重要な時も、ありますよ?」
「自分勝手なことばかり言って!!」
「正義しか愛せないというなら、間違った者を愛してはいけないというなら、この世界はとても悲しいモノです。エピスデブリに汚染された魂は、二度と救済されることがないでしょう。ラナ様、私はナガオナオ様が全盲で生まれたからこそ、その盲導犬となったのですよ? 私はナオ様といられて幸せでした。私が今、ここにいるのは、その時間を生きたからこそです。それは、いけないことですか? 正しく生まれなかった者は、正しく生きれなかった者は、永遠に不幸になるべき存在ですか? それで世界が、本当に良くなると思いますか?」
「詭弁よ! 極論だわ!」
ジュベミューワ様は……銀色の髪、黒とピンクで構成された布面積の大きい服、両足のブルーグレー、その四色で構成されたユーフォミー様、だったはずの姿で、ヒステリックに叫んでいます。
ここまでで、どうやら私を攻撃したい、害したいという意思があることは伝わりましたが……それは、最初から無駄な行為です。暖簾に腕押し、犬に論語です。
どうもおかしいです。何かが狂っています。
ラナンキュロア様がもうすぐ死ぬであるとか、私達がいくつもの世界を滅ぼすであるとか、それが真実であるなら、そういう世界を知れたのなら、このジュベミューワ様は、もっともっと色々なことを知っていなければおかしいのです。
幽河鉄道を割ることができたのなら、私の本体にも直接攻撃することが可能なはずです。こんな、仮の姿に攻撃を仕掛ける意味がわかりません。
それに、ラナンキュロア様が世界を滅ぼす瞬間を見たのであれば、それこそ、その実際の手段を知っていることでしょう。ですが彼女の言葉は伝聞調で始まり、今では抽象的な、誰かに囁かれたことをただ喚き散らしているかのような、そういった傾向が強くなってしまっています。
誰かに囁かれた……誰に?
やはりナニカが狂っています。事象の歯車が、いくつも欠けていて正常に動いていない印象を受けます。
まるで、ユーフォミー様の皮を被ったジュベミューワ様も、それ自体がもっと上位の存在が被った皮……のような。
『ツグミ、聞こえる?』
「……はい」
『色々言ってもらって悪いんだけど、そういう、お兄ちゃんが読んだ名作小説、名作漫画にあったみたいなフレーズは、女子高生の私には既に陳腐なものになっていたの。そこからもう十六年よ? 今更、そんなレトリックで私の心は震えない。その手の幻想に力は、もうないの』
「そう……ですか……私に力は、ありませんか……」
『けど……うん。ええ、私はレオがいたから、レオが私を愛してくれたから、今の今まで生きてこれた。それだけはツグミの言う通り。今更、誰のためと言われても、世界のためと言われても、それを手放したくはない。手放すつもりもない』
「ええ……そう、です。ええそうです、ラナンキュロア様、ラナンキュロア様は幸せになれます、なりましょう、レオ様と一緒に幸せになるんです。私はその未来の方を観……いいえ、この目で見たいです!」
『え、見届ける気なの? ずっと?』
『悪魔ぁあああぁぁぁ!!』
「悪魔! 悪魔! 悪魔! いいわ! 教えてあげる! 私はあなたの心を挫くためにここへきたの! あなたを傷付けたい!? そんなのはどうでもいいわ! 私はあなたを壊したいだけ! あなたが私にそうしたように!!」
「ジュベミューワ様、なにを」
『言ったでしょ、ツグミ、そいつは偽者なの。もうツグミの偽者、なんて次元の話じゃない。それはもう、ジュベミューワの偽者、ユーフォミーの偽者、ありとあらゆる、ソイツが擬態する全ての偽者なの』
「え?」
そうして端的な言葉で、ラナンキュロア様はそれの正体を断じました。
『つまりそいつは、ジュベミューワの機構不正使用魔法が暴走し、壊れて、ジュベミューワそのものさえも取り込んだ、その成れの果てってこと』
「まさかっ」
『多分ノアの性向とか、灼熱のフリードの野心とか、そういうのも取り込んでいる。ありとあらゆる人の業……ツグミのいうエピスやエピスデブリを、本人の自覚なく取り込んでしまう魔法が際限なく膨張し、迷走した結果が、それよ』
「まさか……そんな……」
ですがそれでは、説明できないこともあります。
沢山、あるんです。
『ぐだぐだと人のこと、論じてんなぁぁぁ!!』
私が、一切の理屈を飛び越え、ラナンキュロア様が一足飛びに出したその答えを検証……する間もなく。
「ジュベミューワ様!?」
ジュベミューワ様は宙を、天高く昇り、脚を長く、長く長く伸ばしてそれで船を掴みました。脚だったものが、触手のように、後方へ待機させていた船を、掴んだのです。
「言ったでしょ! わたしはあなたの心を壊すって! ラナンキュロアがそんなにも大事なら! その終わりが来る前にここで壊してあげる!!」
そうしてジュベミューワ様は、コールタールで黒く光る船体を持ち上げ。
重力って、なんでしたっけと、一瞬物理法則を忘れてしまうような勢いで。
「!! 何をする気ですか!?」
『ああ……そうくるか。それはそういう風に使うのね』
それを、レオ様とラナンキュロア様がいる地下シェルター……がある辺りを狙って、物凄い勢いで、投げ落としたのです。




