epis58 : Beyond (Meimoku) / [Berserk's] Wish
それはもはや本能だった。
それはもはや、破滅的に間違っていたかもしれない反射的行為だった。
「ねぇ、なんでよ!? どうしてわたしから何もかもを奪っていこうとするの!?」
狭い地下シェルターの中、闖入者が五月蝿く喚く、その騒音は、今はなぜか消せない。だから無視する。
「わたしはただ平穏に暮らして生きていきたかっただけだったのに!! 普通の幸せが欲しかっただけなのに!!」
一人称、私の部分を妙に子供っぽく発音する雑音。十七歳にもなって、まだ子供でいたいとでも主張してくるかのような声。
……黙れ。
「ラ、ナ、逃げ……うっ?」
「……死なさない、/死んじゃダメ」
まずは高さ二メートル弱、広さ六畳ほどしかない地下シェルターの、その狭い空間を、罅割れ世界の統括者を発動し直し、分割し直す。
一瞬、地下世界は七色の光にあふれ、その後、黒い線でびっしりと覆われた。
「やめてよ! わたしの魔法を奪わないで! 盗人! 私に芽吹いた可能性を摘まないでよ!!」
けど、顔と左手と肩だけの、ジュベミューワとやらの部分だけが、私の統括を受け付けない。その顔……顔の部分はまさに顔だけだ。頭部ではない。耳がかろうじて見えるくらいで、後頭部がない。裏を、分割した空間で観測すれば真っ黒だ。
「……ジュベミューワ様、機構不正使用魔法でラナンキュロア様の魔法を盗んだのは……あなたです。全く同じものとは、なっていないようですが」
ツグミから、なにかしらの解説が入っているようだが、その声も私の中を素通りしていく。
「自分自身を分割して世界に散在させる、その部分が強く顕在化してしまったようですね。ジュベミューワ様の肉体が、この街の全域へ散らばっているのが感じられます。……であるなら、もしかすれば、先程の、街の全域を標的とした燃焼石による爆撃は、あれは……」
私はレオの胸に開いた穴、それ以外の空間を結合し、その後、穴が開いてしまったレオの胸部、その中央部辺りの空間を操作する。
これは一度行った処置。
私が殺した、片耳の一部が欠けていた男性、既にアレで一度行ったこと。
狂気に片足を突っ込んだ頭で、あの時よりももっと丁寧に、あらゆる可能性を考えて「通過させるモノ」の取捨選択を行う。
「ラナ……これ、は……」
丁寧に丁寧に。
「はぁ!? なにそれ!?」
針の穴に糸を通すように。
薄い布に、クローバーの花を刺繍でもするかのように。
小さな小さな人形の服を、人間用の服と変わらぬデザインで精緻に造り上げるかのように。
「痛み、を止めて」
その結界を、創り上げる。
「血流、血に含まれる/酸素……レオの心臓の代わり/を、私がして……ぐっ……」
脳が焼け付くように動いている。
だけど心は氷のよう。
「生かす……絶対に死なさない……」
血に酸素を与えて循環させろ。命を繋ぎとめろ。自身を人工心肺装置にしてレオを生かすんだ。
「ジュベミューワ様……あなたは、ナガオナオ様のローブをも、盗もうとしましたよね? それだけは許せなかったので、あれだけ退避せざるを得なくなりましたが……それで、どれだけのことが出来なくなってしまったか……。ジュベミューワ様……どうか思い直してください、あなたは幽河鉄道を盗み、フリード様の炎魔法を盗み、罅割れ世界の統括者までをも盗み……そうしてフリード様の自己愛と支配欲、千速継笑様の破壊衝動などをエピスデブリとして取り込んでしまって……自滅の道を歩んでいるのです」
「その声……そのわけのわからない言い回し……まさか、あの時の女の子なの?」
語る、ツグミの声を背景にして、私は応急処置を終える。
「はぁ……/はぁ……/はぁ……」
「痛みが、無くなった……ラナ?」
「でも、ここか/らどうすれば……」
だけどこれだけではダメだ。
ダメなんだ。
あの男は、肺か横隔膜か、とにかくダメージが入ったのは呼吸器系だけだった。
「あははははははは! なにその姿! やっぱり美少女の姿は偽りだったのね!」
レオは、肺や横隔膜もそうだが、心臓という循環器系の中心部、そのものが駄目になっている……食道も途切れているし、かろうじて背骨は残っているが、そこにも少なくはないダメージが入っている。
「どうするどうするどうすればいいの……/きゃう……駄目……痛みを取るだけじゃ駄目……/とりあえず生きてるというだけではダメ/どうしようどうしようどうしよう」
レオは、胸部全体をひとつの空間に固定されてしまっているから、動けなくなってしまっている。
これではダメだ、駄目なんだ。
「どうして犬? どうしてお腹に大きな穴が開いているのに普通に喋っているの? あははははははは!! やっぱり悪魔だったんじゃない! あなたは悪魔だったんだ!!」
「……うるさいな、お前」
……が、ここは六畳程度の閉鎖空間で、地上の空間から光……今は大炎上をする街の光を「通過」させているから、それなりには明るい。
「ぎゃっ!?」
それにレオは、遠隔攻撃も可能だ。
「ひ、ひとでなし! 人の腕を! どうしてくれるのよ!?」
私が、その先の処置をどうすればいいか、悩んでいるその間に、レオは空間に浮かんだままだったジュベミューワの左手を、二の腕の辺りから斬り落としていた。
「女の人の顔を斬るよりは良心的と思ったからそうしただけだけど? 自分は攻撃するけどやり返すのは許さないって話?」
「悪魔!!」
が……斬られた腕はどこかへと消え失せる。そしてその切断面からの血も、すぐに止まった。ああ……つまりこいつは、スキルハンターな能力者ってことか。私が使えなくなっているわけじゃないから、強奪系ではなくコピー系のようだけど。
「被害者ぶらないで! 悪いのはあなた達じゃない!!」
左手を斬られたにも関わらず、ジュベとやらはまだ執拗に喚き散らしている。
まぁ……私と同じように、斬られた腕の血流を自分で繋げ直したのだろう。魔法が持続してる間はそれでどうとでもなる。どうとでもなるんだけど……。
「なにもかもあなたのせいよ! 英雄レオポルド! いいえ! 悪魔!!」
罅割れ世界の統括者に制限時間はない、制限時間はないが……根性論的な私の限界がある。休まず、寝ずに魔法を維持し続けられるのは……私が海に投げ出された時に行ったという……十数日が限界ではないだろうか。もしかしたら、自分の肉体から「眠気」を「通過」させ、排出するということも、できるのかもしれない。その時はそういう手法でなんとかしたのかもしれない。けど……やはり限度はある。どれほど手を尽くしたとしても、どこかで限界は来るだろう。
「ラナ、あの肉体が途切れている面の黒い部分、あれも、僕の斬撃で斬ったら駄目な気がするんだけど……ラナ?」
「だいたい……どうしてまだ生きているのよ!? やっぱり悪魔なんじゃない!! 悪魔! 悪魔! 悪魔! バケモノォォォ!!」
だから、このままでは駄目なんだ。
「うるさい」
「ぎゃっ!?」
「レオ様!?」
どうすればレオを助けられる?
どうすればレオを元通りにできる?
「斬撃で斬るのは危険でも、この片刃の剣には、叩きつけるという使い方があるんだよ? 本来、その方が正しい使い方だからね」
「あ、あ、あ、あなた! 女の子の顔を!? 鼻血が出たじゃない! 鼻の骨が折れたわ!!」
「折れてないよ。罅が入っただけだ。治療院にかかれば元通りになる程度の、ね……おっと、魔法を使うようなら、今度こそその顔面、叩き壊す」
治療院……。
「悪魔!!」
あそこに、完全に失われてしまった器官を復元させるような魔法はない。
「最初の炎弾こそ、規格外だったけど、連射はできないみたいだね。最初のは、ここへ現れる前から練っていたの?」
「……う」
炎弾が貫通して、燃え尽きしまった器官を復元させるような治癒魔法など、聞いたことがない。
「ならっ……う!?」
「おっと」
そうでなければ、ユーフォミーのように……あれは生まれつきだから、厳密に言えば失ったとは言わないが……両足のない人間が、そのままに生きているはずがない。人身売買を行った重罪人へ、鼻削ぎ刑などという刑罰が(簡単に治せるのであれば罰の意義が薄くなるから)科されるはずもない。
「身体のどの部位を出現させるかは自由自在、みたいだけど……次に魔法を使う気配を見せたら……今、ラナの後ろに出現させたその右手、また斬って落とすよ? ところで……鼻血が止まらないみたいだけど、これだけされて、逃げないのは、どうして?」
「くっ……」
治療院にできるのは病魔の撃退、つまりは病原菌やウィルスなどの撃退と、多少の傷の回復だけだ。刺されるなどして内臓にダメージが入った場合、そのタイムリミットは臓器が死んでしまうまでとなる。前世の世界における臓器移植手術には、虚血許容時間というタイムリミットが存在していたが、考え方としてはそれに近いものであるように思われる。移植可能時間が比較的長くある腎臓や膵臓などは、治療院においても比較的長く「治癒魔法で癒せる時間」があるというから。
「ラナ、ここからどうする?」
「どうしよう/どうしよう/わぉん……どうしよう……」
でも、治療院で、治癒魔法で治せるのはその程度の範囲までだ。
王宮に囚われ……囲われている治癒魔法使いでさえ、燃え尽きた臓器を復元させることなどできないだろう。できないと聞いてる。
「ラナ?」
いや……。
だけどもしかしたら……治癒魔法の上位互換な魔法は、どこかにはあるのかもしれない。
復元魔法とでもいえばいいか……そういう魔法を使える術者が、どこかには……貴族や王族に秘密裏に囚われ……囲われて……いるのかもしれない。
ならそれが希望か? 私が罅割れ世界の統括者を維持できている間に、レオを治せる回復魔法……復元魔法……の使い手を見つける。……貴族や王族を次々と襲撃し、見つける。おそらくは抵抗されるから衛兵とかを問答無用で殺していき、見つける。
……いや、重要人物の手足でももいでいけば、いずれそれを治しに、目的の魔法使いが現れてくれるか?
それしかないか?
……いや。
……魔法……魔法か。
「わぅん……ツグミ……/幽河鉄道で、/この状況をやり直せない?」
「ラナンキュロア様、それは……」
「私が死ねば/わぉん……いいんでしょ?/死者であれば/幽河鉄道に乗れるんでしょ?/だったらそれで……」
「何を言っているの? ラナ」
「できますが……それはこのレオ様を見捨てるのと同義になりますが、それでも?」
「……え?」
「やり直せるのは私と、ラナンキュロア様だけです。幽河鉄道は現在、ナガオナオ様より私が借り受ける形で運用されています。そして、幽河鉄道はその際、千速継笑様専用のリトライ機関となるよう、調整をされています」
「……そん、な」
「機能の調整と改造ができるのはナガオナオ様だけです。つまり今、この時この場所の座標においては、レオ様をラナンキュロア様と同様に扱うというのは、不可能なのです」
断腸の想いで繰り出した提案は、断たれた腸を癒すものとはならないようだった。
「もちろん、やり直したラナンキュロア様が、また別のレオ様に出会うというのは可能です。それこそ、レオ様がもっと幼いうちに、スラム街へ捨てられたばかりの頃に拾って保護するということも可能です」
「そん、な……/ことって……」
「ですが逆行可能な地点は、ある程度以上、ラナンキュロア様の意識が希薄だった時間に限られます。頭を打って昏倒しているなどの時があれば最も良いのですが……直近であれば……およそ四年前ですね。引き籠って、不規則な生活の中、十時間ほど夢も見ずに爆睡していたその日の、その地点であれば戻れます」
そういえば。
「直近のセーブポイント/が四年前って……/わんっ……レオと出会う前じゃない」
三年前の騒動の際にも、私が長時間人事不省になるような事態は起きていない。
起きなかった。
「レオ様と出会ってよりのラナンキュロア様は、ある意味健康に過ごされていましたから……引き籠っていた辺りであれば、それなりに逆行可能な地点があるのですが」
「……つまり」
「ラナンキュロア様が三年間を共に過ごした、こちらのレオ様を助けることは、不可能です」
「なんて/こと」
それはつまりアレか。
私が、私がレオとの時間をやり直すことはできるが、ここにいるレオは、このレオはそれとは全くの無関係であると。
……ふざけるな。
「私は……自分が/幸せになりたいんじゃない」
「存じてます」
私はいい。私は、幸せなんか無くっても生きていける。
「はぁ? 何を言っているの? 綺麗事? 悪魔の仲間のクセに!」
「……お前は黙れ」「ひっ」
私はレオを幸せにしたいんだ。
私がレオを幸せにしたいんだ。
私は、幸せな自分になるよりも、レオを幸せにできる自分になりたいんだ。
『“親しき者の死に何もできなかった”』
私の魂には黒い黒い部分がある。
大事な人を救うことができなかったという黒い黒い真っ黒な部分が。
『“世界に愛されなかった者を愛したい”』
だから愛したい。
愛して、自分が誰かを幸せにできる人間であると証明したい。
「どうしてみんな、わたしを虐めるの!?」
「おい、黙っていろと……」
「みんなみんな! 自分勝手に奪っていく! 自分の幸せのために! わたしの幸せを奪っていく!!」
あるいは、それこそが私の幸せなのだ。
私は自分勝手に、レオを私の運命に巻き込んだ。
私と関わらないでいれば、手に入れられたかもしれない幸せの代わりに、私と関わらせることを選ばせた。私の幸せのために、レオの可能性を奪った。
「みんなみんな大っ嫌い!!」
「……嫌い、嫌いって……嫌いな相手なら、傷付けてもいいってこと?」
「そうよ! みんなみんなわたしを傷付けるんだもん! そんなことしちゃいけないんだもん! わたしの幸せを奪っていくんだもん!! だからみんな死んじゃえ!!」
私が自分勝手に、私の幸せのために、レオを奪ったのだ。
「でも、だからこそ/レオ/を見捨てるなんてできないっ」
「わかっています。ですから確認しました。このレオ様を、見捨てて、いいのかと」
「いいわけな/いでしょ!?」
「ラナ……」
「みんなみんな嫌い! みんなみんな死んでよ! 消えてなくなっちゃってよ!!」
「……っるさい/な」
さっきからなんなんだコイツは。
「……殺しておく? 僕もラナも、コイツのことは嫌いだよね? コイツの論法に従うなら、僕やラナがコイツを傷つけるのも、殺すのも自由ってことだ」
「ひっ」
「……できるの?」
「左手は斬れたし、同じように、黒い面に触れないよう、額の辺りを削ぎ落とせば、さすがに死ぬんじゃないかな」
「ひぃぃ!? なんてこというの!? やっぱり悪魔だ! お前達は悪魔なんだ!!」
こんなのはどうでもいい。今は他に考えることがある。
「そ、じゃ、おねがい」
「ちょっ……まっ、やめっ!?」「了解」「ひっ!?」
一瞬で、ジュベミューワの額が、皿のように削ぎ落とされる。
「ぎゃ……が」
おびただしい量の血とか、脳漿とか?……そういうのがあふれ出すが、空間を分割していたままだったので辺り一面が汚れるということもない。重力へ従うようになった死体ごと、適当に外の空間へ「通過」させ、放り捨てた。
「……レオ様がお手を汚さなくとも、おそらくジュベミューワ様は永くなかったと思われますが……身体の大部分を既に失っていたようでしたから……あの状態から元に戻ると、即座に絶命されてしまうほどに」
それは、まぁ。
彼女には彼女の物語が、理由が、悲劇があったのかもしれない。
同情を禁じえない事情が、理解してあげなければならない背景が、あったのかもしれない。
「ああ、それで逃げて再チャレンジ、とはいかなかったってことだね?」
けどもう、そんなものはもう、彼女がレオの胸を貫いた時点で、私には何の価値もないものとなってしまった。
「はい。ジュベミューワ様はおそらくラナンキュロア様の罅割れ世界の統括者をクラッキングして使用しました。そうしたことで、彼女はボユの港に散在する状態となりました。先程の炎の矢の爆撃は、その状態となった彼女を狙ってのものだったのでしょう。そしてそれは、おそらく成功したのだと思います」
私は……本当に、心の底から、人殺しになってしまったのだなと思う。
「ジュベミューワ様は身体の大部分を失い、死の間際で、原典であるラナンキュロア様の、罅割れ世界の統括者の気配を頼りに、ここへ現れたのではないかと思われます。……彼女にしてみれば、自分をそのような状況へ追い込んだ相手に、元凶と思われる相手に、最後の最後で復讐を試みた……そういうことだったのではないでしょうか?」
……『死ね、元凶』、か。
「そうであるなら、彼女の寿命は、ここへ現れた時点で数十分を切っていたということになります。……制限時間を無意味化する技術はなかったようですから」
元凶、元凶ね。
私は、燃え続けている街を観ながら、今も黒化した死体を吸収しながら拡張を続けている……既に三年前に見た飛龍よりも大きくなっている……白黒の巨人を観ながら考える。
おそらくはジュベミューワの死体をも飲み込んで、まだまだまだまだ膨張を続けているそれを見ながら考える。
これはもう、このどうしようもない悲劇はもう、元凶が何かなんて、特定困難なことじゃないか。
確かに、一因は私達にあったのだろう。
「……どうしてレオは、/あの攻撃を回避できなかったの?」
「それは……言いたく、ない」
「え?」
英雄レオポルドの存在を秘匿して、ジュベミューワに不信感を抱かれ、灼熱のフリードを間違った方向へと動かした、その一因は、確かに私達にある。その意味で私達は、私とレオは「元凶」だ。
「……ツグミ、解説して」
「ちょっ」「……いいのですか?」
「レオを助けるためにも、情報は多い方がいい」
「ラナ……それは卑怯だよ……」
でも、この悲劇の全てが自分のせいだなんて……思えるはずもない。
私は、そこまで傲慢ではないつもりだ。
「では……レオ様の“回避”は、おそらく剣を握っていることが絶対の発動条件ではないのだと思われます」
「……ふぅん?」
「意識が、臨戦態勢にある状態であれば発動するのではないかと」
「臨戦/状態?」
強いて言うなら、これは巡り合わせが悪かった、その結果だ。
ジュベという少女が予知夢を見た。
それを灼熱のフリードが問題視した。
ノアという直情的な少女も、深く考えず私達に敵対してしまった。
「はい。……ラナンキュロア様が、レオ様を押し倒すコンラディン様に対し、魔法を使われたことがありましたよね?」
「……コイツ、そんなことも知っているのか。あそこにマイラはいなかったのに」
そうしてたった一日で全ては動き、変貌して、ボユの港は地獄に早変わりして、私は紛うことなき人殺しとなった。
「ああ……あの時、/わぅ……レオは」
「はい、あの時、その直前でレオ様は、剣を握っていない状態で、コンラディン様の奇襲を回避しました」
私の選択が悪かったことも、あるのだろう。
「レオが素で/避けたんだと/わん……思ってた」
「……コンラディン叔父さんの槍は、鋭いモノだったよ。素で避けられるはず、ない」
私の決断が間違っていた部分も、そりゃああるのだろう。
「実は似た魔法は、私達の世界にもありました」
けど、現実の人生なんて、選択を間違えながら、後悔しながら進んでいくことの連続だ。
だからこそ人は、ゲームの世界に、あるいは物語に、SFに、ファンタジーに、人生をやり直すという夢を見るのだから。
「ナガオナオ様はアゥレィナ……地球風の言葉にするならイデア派でしょうか……そう呼ばれる魔法学の派閥に属されていたのですが、それとは別に、アネモイ派と呼ばれる派閥もありました。風の魔術を得意とする派閥だったのですが、そちらに、レオ様の“回避”に似た魔法が存在していたのです」
今回の事態においては、誰も彼もが間違っていた。
「この魔法は私達の世界の言葉でシ・エァヴィリェと呼ばれていました。地球風の言葉にするなら、音の響きからもエアバリア、なのでしょうが、実際は結界を作る魔法ではなく、大気、外気へ自らの魂の一部、情報誘導体を拡張する魔法でした。空気に神経を通し、それを自分の手足のように使う魔法、と考えれば、近いイメージが得られると思います」
誰も彼もが間違い、セーフティネットは機能せず、それぞれが自分勝手に、自分自身の事情と背景を元に行動して……この世に地獄を顕現させた。
「元々は飛び道具、石や矢などを“回避”する魔法だったのですが、アネモイ派は研鑽によってこれを、あらゆるものを“回避”する魔法へと進化させました。大気へ空間神経叢を伸ばし、そこから得られる情報を直接、体性反射を引き起こす信号へと変換して、有害と思われる全てのモノを回避する、それがシ・エァヴィリェの極意です」
やり直せるなら、やり直したい。
「実を言えば、ラナンキュロア様の罅割れ世界の統括者、その原典は、このシ・エァヴィリェの達人であり、アネモイ派とイデア派の二重博士でもあった魔法使い様が編み出した、二派の複合魔術です。任意の座標に空間神経叢を展開した後、それを、文字通り結界化することで空間の支配を行っています。シ・エァヴィリェとラナンキュロア様の魔法は、根っこのところのロジックが、実は共通しているのです」
だけど私は、やり直せるけど、やり直さない。
この悲劇を回避するために、このレオを見捨てるなんてことは、できないのだから。
「ところでこのシ・エァヴィリェですが、ラナンキュロア様の罅割れ世界の統括者がなんとなくのイメージだけで“特定のモノを通過させる、させない”が選べるのと同様に、術者はなんとなくのイメージだけで“有害と思われる全てのモノを回避”しています。そして、シ・エァヴィリェの運用に慣れた術者は、空間神経叢の展開には、どれほど慣れたとしても、およそ壱メートルにつき壱秒程度の時間がかかることがわかっているため、少しでも危険の臭いを感じ取ったら即座に、無意識的に、これを展開するよう、訓練しています」
私は、私が立っている今、この時、この場所へは、選択を間違い、間違い続け、後悔まみれになって辿り着いた。
「レオ様の“回避”のメカニズムは、おそらくこれと同じです。レオ様は剣を握るなどして意識が臨戦態勢に入ると、無意識に空間神経叢を展開し、そこから送られてくる“危険”の情報をある種の信号へと変換して、それを元に肉体を動かし、“危険”を“回避”しているのだと思います」
悔やんでも、悔やんでも悔やんでも、捨てられないものはある。
「ということは、/レオはあの時、/わぅ……剣を握ってもいないのに/臨戦態勢だったってこと?」
人倫に悖る決断をしようとも。
「……あの時はまだ、僕はラナを、信じきれていなかったんだ」
「え?」
もう一度レオと出会い直し、やり直し、幸せなハッピーエンドへ向かうよりも、大事なことが……私にはある。
「おそらくですが……あの時、ラナンキュロア様はレオ様の姿をじっと見つめていました。ヒュドラの血で汚れた、あまり人には見られたくはないであろう姿へ、ラナンキュロア様は執拗に視線を送っていました」
「……そんなこと/してた?」
「うん」「はい」
私は、レオを愛している。
「レオ様はそれへ、無意識下で、空間神経叢の展開を行っていたのだと思われます。あの時の状況をよく思い出してみてください。コンラディン様はレオ様へ攻撃する時、ラナンキュロア様がいた方向から、ラナンキュロア様越しに槍を突き出しました」
「あ……ああ」
一度、生まれ直そうとも、それでも未熟でどうしようもなかったこの私と出会い、愛してくれたこのレオのことが、なによりも大事だ。
「……だから言いたくなかったのに」
レオは、本当にどうしようもないこの私を、愛してくれたのだ。
「つまり、その時のレオ様は、ラナンキュロア様が自分を見つめる、その視線を鬱陶しく思っていた、そのおかげで、コンラディン様の槍を回避することができたと……そういうことです」
レオはスラム街で、本当にどうしようもない人間を、沢山看取ってきたのだろう。
そうした生活の中で、あるいはレオも『“世界に愛されなかった者を愛したい”』と思ってしまったのかもしれない。
私達は、そうして共鳴していたのかもしれない。
共に、鳴いていたのかもしれない。
「だからずっと、ラナには誤解していてもらいたかったのに。僕は剣を持てば“回避”できるようになるって」
あなたを幸せにしてあげるから、どうかこのどうしようもない自分を愛してくださいと相互に祈りあって、欲深に、お互いの人生に歯を立て、噛み付きあって、繋がりあって……醜悪な塊となり……そうして結ばれていただけなのかもしれない。
「私は……最初の頃の私は、/レオに嫌われても/くぅん……仕方無いと思っていた」
恋人は、恋人であっても互いが別個の人格であることを認めあうべき……そんな良識を私達は蹴っ飛ばした、投げ捨てた。正しいだなんて、これっぽっちも思ってなんかいなかった。初めて身体で繋がりあった時から、ずっとそう思っている。
「嫌いでは無かったよ。変な人だなって、思っていただけ」
でも、けど、だけど。
私達はそうするしかなかった。
そういう風にしか、なれなかった。
「どうしてこの人はこんなにしてくれるんだろうか……って思ってた。僕はね……別に、ラナが邪な人間で、僕を何かに利用しようとしているのだとしても、良かったんだ。あの頃の僕は、未来なんてなにもなかったんだから、したいことなんて、何もなかったんだから。……もっとも、実際は、ただ追い詰められて変なことを始めちゃった、頭のネジの飛んだおかしな人だったみたいだけどね」
「……ごめんなさい」
「ううん。僕が好きなラナは、そういうラナなんだ」
もし……。
私がやり直して、二周目(三周目?)に突入して……。
少しだけ賢くなって、大人の対応がもう少しできるようになって……私が色々と……上手くやれるようになったら……その私を、レオは愛してくれるだろうか?
『いいんだ。だから僕はやっとラナを、ほんの少しだけ理解した気になったんだ。この人は大人じゃない。子供でもないけど大人でもない。そのラナが僕を助けてくれた。だから僕もラナを助けなくちゃいけない……世界は、大人達の世界は、いつだってそんな、大人でも子供でもない、中途半端な僕達のことを嫌っているから』
私がただ、レオに色々としてあげていた、その間。
レオは私の視線を、「してあげたい」と思うその視線を、鬱陶しいと思っていた。
嫌ってはいなかったのかもしれなかったけど、それは好きでもなかったということだ。
そうじゃなくなったのは……私が頭のネジの飛んだ、おかしな人だとわかったから。
レオが……レオが私に共感して、理解した気になれて……そんな私のことを助けなくちゃならないと……幸せにしてあげたいと……思ってくれたからなんだ。
「あれ、でも待って。なら……」
この私が大事に思っている今のレオと、今の私は。
「はい、つまりレオ様は、ラナンキュロア様の罅割れ世界の統括者、その中にいる間は、何の警戒も行っていなかったということです。心を許し、あらゆる不安から開放されていたということです」
恋人というにはあまりにも歪な今の私とレオは。
「つまり僕は、ラナに頼りすぎていたってことだよ。甘えすぎていたんだ。ラナが悪いんじゃない。僕が、僕自身が油断していたのが悪かったんだ。頼り、甘えることを気持いいと思い、寄りかかり過ぎてしまったんだ。これは僕の自業自得、なんだよ」
やり直してしまったら、きっともう二度とその形を取り戻せないんだ。
絶対にもう、取り返せない。
私はレオを愛している。
この世界の全てよりも。




