epis56 : KAIKA / Desire [Corrupt] Spiral
<コンラディン視点>
ここにきて俺は、予備の武器として弓でも持っていりゃあ良かったと後悔している。
戦士というのは、様々な状況に対応できないと話にならない。間合いの広い槍や長剣だけだと、狭い路地などでの戦いに不利となってしまう。俺も、そういう場合に備えて短剣くらいなら持っているが……対空系の装備、つまり弓や投擲武器の類は持っていなかった。
もちろん、槍を投擲するという手段はある。実際、何度かその手段を使ったことはあるし、その技術だってそれなりのものだと自負している。が、いかんせん俺の槍は一本しかない。命綱とでもいうべき相棒を投擲するというのは、それで仕留めきれるという確信がある時だけに可能な手段だ。
ノアステリアとやらは投げ斧を鎖で繋ぎ、それを投擲するという手段で対空と遠距離をカバーしているらしい。鎖鎌ならぬ鎖斧というわけだ。
……いやまぁ、鎖鎌は近距離を鎌で、遠距離を鎖の先につけた分銅でカバーする武器だから、斧そのものを投げるノアステリアのそれと、同じネーミングでいいのかという気もしないではないのだが……戦士としてはなるほど、正しい装いの備えであるといえる。
だが俺は戦士ではない、冒険者だ。
王都リグラエルの事情に最適化し、槍一本で成り上がってきた冒険者だ。
その装備は、森の大迷宮の対モンスター戦に最適化されている。大迷宮には空を飛ぶモンスターもいるが……三年前に王都を襲った飛龍がそうであったように……その大部分は、弓が効く相手ではない。それこそ投槍でも投擲した方が、有効な敵が多いのだ。
ただの鳥を狩るのであれば弓でいいが、通常の矢が千本刺さろうが堪えない超巨大鳥類であるとか……様々な魔法を使え、中には結界魔法を張ってくる個体すらもいる半身擬態猛禽類であるとか……他のモンスターを従え、時には前述の超巨大鳥類、半身擬態猛禽類でさえも使役する個体のいる教導鴉であるとか……大迷宮には一癖も二癖もあるモンスターが多数生息している。
憖っかな対空装備は、そのほとんどが嵩張ったり重かったりするという点において、持つだけ損となってしまうのだ。
「くそ……あれもアンデッド、モンスターっちゃモンスターだ。弓なんざ持っていたところで、効いたかどうかはわからなかったが……」
「ばぅぅぅん……」
「……」
そうして、対空装備を持たぬ俺と、よくみれば少し穴の空いた天井を背にした灼熱のフリード……の成れの果てが、無言で対峙すること数十秒。
穴の向こうに、時々揺れる炎の光が見えることから、フリードの周辺から消えた炎の輪は、どうやら天井を突き破って外に出ているらしいと気付いた。建築には詳しくないが、どうも倉庫の壁面や屋上には不燃性の素材が使われていたようで、燃えている様子はない。
ふよふよと浮いているフリードが、何をどうしたいのかわからず、気持ち悪い。
心臓こそ、少し走った程度の鼓動だが、胃の中に鉛でも詰まっているかのような重さがある。いつでも動けるよう、身構えたまま細く長い呼吸を続けている。
何を考えていやがる。いや、そもそもあれに思考能力はあるのか。
「考えられるとしたら……何かを、待っている?……なにを?……」
「わぉん!?」「ん!?」
それは唐突に視界へ入ってきた。
「ん……んんんっ!?」
マイラが、あらぬ方向に吠え、俺は片目だけを少し動かしてそちらを見た。
「なんだ、ありゃあ……」
そこに、人が浮いていた。
小さな身体だった。
「あれは……ノアステリア……なのか?」
「わぅぅぅん……」
衝立の向こう、直線距離にして二十五ヤルド超、背景に高所作業用の足場が見えることから、地上からの距離は既に十五ヤルドを超えているだろう。
「なんだ、あの姿は……」
形状は間違いなく人間の、少女のそれだ。不夜城では特殊な性癖の客しか付かなそうな、丸みを帯びる代わりに筋肉を付けた身体。身長もさほど高くない。
装備は……服はなにも身に着けていない。だがそこに少女の裸が見えるのかと言えば、違う。裸ならつい先程、見たが、それはその時から完全に様子が一変している。
「ああいうおかしな格好をする娼婦も、いないこたぁないが……」
「ばぅん?」
ノアステリアらしき人影には……その全身には……なんといえばいいか……黒い曲線が、紋様でもあるかのように這い回っているのだ。手足などは大迷宮の奥地に生息するという(ギルドの資料に図解付きで載っている)縞馬のようでもあるし、胴や腰などは、異国情緒を醸し出す為に妙な刺青を入れた娼婦のようでもある。
「状況から、あれはフリードと同じで黒化している……しかけているってこと……だよな」
「わぅ……」
ノアステリアは、ぐにゃぐにゃに曲がった複数の金属の棒で雁字搦めにされていた。その姿は俺自身が目撃している。その時の身体は、ちゃんと少女らし……人間らしいモノだった。割と結構、まじまじと見たから確信を持っていえる、少なくとも、あんな姿はしていなかった。
「どういう、ことだ……」
どういうことなのか。
いったい、ここで何が起きているのか?
空を飛ぶ魔法使いというのは、極稀にいるが、灼熱のフリードが空を飛んだという話を俺は知らない。それが可能であったのであれば、三年前の英雄はレオポルドでなく、灼熱のフリードとなったはずだ。
ましてやノアステリアは魔法使いではない。
そのふたりが今、俺の目の前で宙に浮いている。
どうなっているのか、何が起きようとしているのか?
俺の「勘」は、もう働いていない。
完全に未知の光景を前に、ただ呆然とするしかない。
「あ……」
「くぅん……」
そうして、凡庸なる俺が、なにもできずただ阿呆のように突っ立っているその眼前、頭上にて。
ノアステリアらしきその影は、灼熱のフリード……その成れの果ての姿へと接触をして。
合体した。
<???視点>
某は王国のため、生きてきた。
私はノアが好き。
某は人のため、人類の未来のため生きてきた。
私はノアが大好き。
最初はただ、求めるだけだった。
最初はただ、憧れただけだった。
この素晴らしき国で、立派な人間になりたいと思った。
近所に住む年上の、魔法使いのお姉さんにただ憧れていた。
魔法使いに生まれ、人よりもその力は強かった。ゆえに自分には義務があると思った。この力を、この国のため使う義務があると思った。
そう、それは憧れだった。
自分には権利があるとも思った。努力と研鑽、それへ払った辛苦に見合うだけの報酬を誰かに支払ってもらう権利があるとも思った。
背が高く、私が物心付いた頃には既に女性らしい丸みを帯びていたその身体は、年下で同性であるあたしから見ても美しく、いつか自分もああなれたらいい、なりたいと思う、願うその姿そのものだった。
当たり前だ。才能には、労苦には、対価があってしかるべきである。褒賞もなしに何かを得ようなどとは、夜盗の心根という他にない。
けど、あたしの身体はいつまで経ってもジュベみたいにはならなかった。
某は国へ奉仕してきた。
父は、母は、あたしを冒険者にしたいみたいだった。
才能を磨き、努力と研鑽によって多大なる恩恵をこの国に与えてきた。
父は元冒険者で、母は冒険者ギルドの窓口娘だったらしい。あたしは両親が額に汗をかき、働いている姿を見たことがない。父は若い内に一生分の金銭を稼ぎきった、幸運な冒険者だったようで……とはいっても、三年前に、かつての凄腕冒険者も協力しろということで徴用されたその末に死んでしまったのだから、本当に幸運であったとは言い難いのだろうが……とにかく私を戦士として、いずれ自分以上の冒険者となる戦士として、鍛えようとした。
見返りはあって然るべきで、某を敬わぬ者などは忘恩の徒という他にない。
気が付けばあたしの身体は、成長期のかなり早い段階で身長の伸びが止まり、筋肉が付いた代わりに、女性らしい丸みはほとんどないモノとなってしまっていた。
某は当然の地位と権利を求め、当然のごとくに、それを獲得しながら生きてきた。
あたしはジュベのような女の子にはなれなかった。なれなくなった。そうであることを悟った。三年前の、十二歳の段階で既に悟っていた。
それは確かに求めたモノだった。子供のことに夢見た……自分が人よりも優れていることを証明して成り上がった……なりたかった自分そのものだった。
ジュベが羨ましかった。
それなのにどうしてだろう、某の、私の心は満たされなかった。
あんな風に弱々しく、可愛らしく、背が高いとはいえ、立派な男性のそれを上回るほどではなく……護ってあげたいと思われ……自分は戦わずとも勝手に他人がそうした献身を捧げてくれそうなその姿が……あたしは羨ましかった。妬ましかった。
満たされぬ想いを、忘れられたのは人生の中でただ一瞬だけだった。
欲しいと思った。
結婚してよりの数年。
ジュベは、少女としてあたしが失ってしまったモノを全て持っていた。
わが子が生まれ、死ぬまでの……この人生から見れば十分の一にも満たない僅かな時間だけだった。
それは本当はあたしが得るべきだった。あたしのモノであるべきモノだった。
子が生まれてから妻は、私へ向けていた愛を、敬いを、私のモノだったそれを、息子へと向けてしまった。
だからあたしはジュベを孤独にした。
某は嫉妬した。我がモノであったはずの乳を吸う赤子に嫉妬した。授乳し、される母子の、その神々しさにも嫉妬した。
ジュベのお父さんは靴職人だった。軍靴などの発注も受けていたから、おじさんが王都に残るのはおかしくない。けど、ジュベのお母さんは、王都から避難してもいいはずの人間だった。
酷く自分が惨めに思えた。自分の半生が酷く汚らわしいものであるかのように思えた。
あたしが嘘の密告をした。あの靴屋の製造の半分を担っているのは、実はジュベのお母さんであるのだと、あのふたりは、秘密にしているけれども、どちらが欠けてもまともな靴職人ではあなくなってしまうのだと、虚偽のタレコミをした。
だが嫉妬こそが我を強くしてきたものだ。そうして若干の苛立ちを抱えながらも、気が付けば私は息子を愛していた。あらゆる面で子供を優先するようになってしまった妻にも、かつてのような欲望を感じることこそなくなってしまったものの、その代わりに、穏やかな愛情のようなものを……そうした幻想を……いつしか抱いていた……そうであったはずだ。
結果、おじさんとおばさんは戦時下で死んだ。死体はお互いを庇いあうような形で発見されたらしい。神様が、私の願いを聞き入れてくれたのだと思った。
結果、ふたりめは生まれないまま数年が過ぎ、私は、私のかけがいのない息子には、魔法使いの才能はこれっぽっちも無いのだと知った。
だけど密告の際、自分の母親の「昔のツテ」を使ってしまったことは失策だった。
許されることではなかった。私が息子を愛すことができたのは、それが私の全てを継ぐ人間であったからだ。そうでないのであれば、我が妻であった者の愛情を一身に受けるなどは、許されることではない。それは秩序を壊している。下位の者が上位者に楯突くなどあってはならぬことだ。力ある者こそが愛されるべきなのだから。
戦後、復興支援に加わり、「昔のツテ」とも再び繋がったママは気付いてしまった。
だが某は息子を見捨てなどはしなかった。
あたしがしたことに。
某は力ある者。
あたしの想いに。
既に某は知っていたのだ。
糾弾されたあたしは、ママを殺した。
自分の能力を、一部他人へと譲り渡す、その手法を。
正直に話して、ジュベちゃんに謝りましょうと言われたから。
魔法使いでない者が、燃焼石を埋め込んだからといって魔法使いになる例は無かった。
裏切られたと思ったから。
いや実際は魔法使いにはなれた、なれていたのではないかと思う。
ママなのに、あたしの味方ではいてくれないんだと思ったから。
だがそうした者達は、魔法を使うその徴候が見えたその瞬間に半数以上が死に。
ママはパパと一緒に、私が戦士であることを求めた。だからあたしは冒険者ギルドの窓口娘だったママよりも強くなっていた。もうママはいらなかった。
残りは生き残っても発狂した。壊れた。
それに……どうしてあたしが謝らなくちゃいけないの?
しかし問題は、ないはずだった。息子は、この私の子供でもあるのだから。
あたしは自分が不当に失ってしまったものを、取り返そうとしただけなのに。
この私の息子ならば、私の燃焼石を受け入れ、魔法使いとなってくれるはずだった。
ジュベはあたしのもの。神様もそれが正しいと思ったからあたしの願いを聞き届けてくれたんでしょう? だからあたしがジュベを手に入れるのは正統なことなんだ。神様がそうあれと決めていたことなんだ。
どうして、妻は私を罵ったのだろう?
それを、罵られていいはずがない。
どうして、息子のみならず妻までもが発狂してしまったのだろう?
あたしの愛が、否定されていいはずがない。
子などまた作ればいい。
ジュベのことを思うと胸が熱くなる。
某がいて、妻がいるなら。
ジュベとひとつになりたいと身体の芯から思う。
そなたがいるなら。
どうやっても子供は生まれないふたりだから、ドロドロに溶け合ってしまいたい。
子供など何度でも作り直せばいい。違うか? 私は間違っているか? 正しい子供が生まれるまで何度でもやり直すことの方が正しい……そうではないか?
それこそが神様も認め、恩寵を与えてくれた、あたしの恋心。
この私の息子が平凡であっていいはずがない。魔法を使えるのは大前提として、私を超えるほどの力を感じられないのであれば、それは失敗作だ。破棄し、次に行くことの方が世の為人の為となろう。
だからあたしはジュベと繋がりたい。ジュベとひとつになりたい。ジュベがそれを望んでいなくても、追い込み、不幸にし、慰めて……いつか依存させてやる。
いや、それはもう過ぎたこと。
だけど不夜城なんかには渡さない。
疾うに通り過ぎた過去だ。
ジュベを汚していいのは、あたしだけだから。
愛した息子ですらも、失敗作であれば切り捨てる。私は獣ではない、人だ。我が子可愛さに、非合理的な判断を下すことなどはできぬ。
いじめたり、いたぶったりするのはいいが、穢すことだけは許さない。だって私はジュベを愛しているのだから。ジュベをジュベでなくすることだけは許せない。
証明されただろう。失敗作となった者の、感謝の声を聞いた時に。
そうしてあたしは、丁度いい宿主を見つけた。
失敗作のまま生きる方が、人は辛いのだ。
あっち方面は既にほとんど枯れていた魔法使いに売り込みをかけて、成功した。
私は残念ながら発狂し、失敗作となってしまった息子にも、妻だった者にも慈悲を与えた。
魔法使いは狂ってた。紳士の仮面をつけたまま、その心は人間のモノとは思えないくらいに狂っていた。
それは疑いようも無く正しいことであったと、今でも信じている。
魔法使いは信じていた。ありえない理屈を並び立てて自分を正当化し、救いようもないほどにそれを心の底から、正しいのだと信じていた。
つまるところ某は孤独なのだ。孤高なのだ。
だから都合が良かった。とても都合が良かった。
強く生まれ、正しく生き、それゆえに弱き者が生きられぬ領域で生きている。
あたしがジュベを手に入れ、彼女とひとつとなる為に。
ならばこそ某はなんとしてでも生きなければいけない。
すべてはあたしが、ジュベと愛し合うためだった。
王国のため、世界のため、正義のために。
あたしが失ってしまったモノを取り戻すためだった。
だからまだ死ぬわけにはいかぬ。
ああ、ジュベ。すき、すきすきだいすき。
ジュベミューワ、ジュベミューワはどこだ。
あなたがほしいの、ジュベ。
その肉体を、その身体を某によこせ。
まもってあげる。ずっとまもってあげる。だから死ぬまで……一緒にいよ?
愚昧なる魂にその肉体は不要であろう。蒙昧なる心にその身体は贅沢だ。
愛してあげる。あたしの愛が伝わるようになるまで、ずっと愛してあげるから。
某ならば、腹を痛め産んだ子供でも、失敗作と判れば切り捨てられよう。
だから……おねがい……あたしを受け入れて?
そなたの身体で、正しく生きてやる。
ジュベ。
ジュベミューワ。
ジュベ。
ジュベミューワ。
ジュベ。ジュベミューワ。
ジュベ。ジュベミューワ。
ジュベ。ジュベミューワ。ジュベ。ジュベミューワ。ジュベ。ジュベミューワ。
ジュベ。ジュベミューワ。ジュベ。ジュベミューワ。ジュベ。ジュベミューワ。
ジュベ。ジュベミューワ。ジュベ。ジュベミューワ。ジュベ。ジュベミューワ。
ジュベ。ジュベミューワ。ジュベ。ジュベミューワ。ジュベ。ジュベミューワ。ジュベ。ジュベミューワ。ジュベ。ジュベミューワ。ジュベ。ジュベミューワ。
ジュベミューワ
ジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベジュベ
ジュベ。
あなたが、そなたが、ほしい。
<一瞬だけラナ視点>
「あ」
倉庫の屋上、その上でゆっくりと回転していた炎の輪。
それが、ぐにゃりとゆがむ。
飴細工のように滑らかに、崩壊の調べのように唐突に。
「……ごめん、レオ」
「ん?」
円だったものが「∞」のように、メビウスの輪のようにゆがむ。
「もう、待てない。罅割れ世界の統括者を使う」
「……うん、わかった」
変化は、好転を期待できない形を採って表れた。
「私は、見捨てる。コンラディン叔父さんも、ユーフォミーも、ナッシュさんも……マイラも」
「また、背負っちゃうんだね、ラナ。僕はラナがどれだけ強い人間か知ってる。僕はラナがどれだけ弱い人間か知っている。背負うよ? 僕も背負うから……ひとりになろうとしないで」
「……うん」
「くぅん……」
<コンラディン視点>
守りたかった。
護りたかった。
守らせてはくれなかった。
護らせてはくれなかった。
あの人は、ユーフォミーの母親は、フィーネリュートは、俺へ何も告げずに死んでしまった。
くれたのは、手紙だけだ。
遺言を書き連ねた手紙だけだ。
震える字は、病がもう死の境地にあることを雄弁に語るもので、つまりは俺がその手紙を受け取った時には……なにもかもが手遅れだったということだ。だから俺は、薄情にも彼女の最後の肉声が何であったのかを覚えていない。いつものように、いってらっしゃいだったかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
自分自身、しばらく、忙しく……予約を試みてもその日は駄目と(店の人に)断られ……数ヶ月の空白の後に……気が付けばフィーネリュートは死んでいた。
どうして……俺を頼ってくれなかった。
どうしてその病、治療院にかかろうとしなかった。
どうして俺に、その費用を求めてくれなかった。
出した。
出せた。
いくらだって出せた。
いくらだって出したのに。
貯蓄の全てを失っても良かった。足りなければ実家にだって行った。あのクソ兄貴に、土下座してでも工面した。それまで築いてきた人脈の全てを失うような、手切れ金代わりの金だって用意してやれたんだ。
どうして、どうして俺を頼ってくれなかったんだ。
まるで、与えられた当然の罰を受け入れるかのように、フィーネリュートは死を受け入れた。
守りたかった。
俺が、護りたかったんだ。
「ばぅぅぅん!!」
「あっ!? おいマイラ!?……ユーフォミィィィぃぃぃぃ!!」
何が起きたのか、俺にはもうわからない。
事態は完全に俺の理解を超えた。
フリードらしき黒い影は、浮かび上がってきたノアステリアらしきシマシマの影と合体して、なにがなんだかもうわけがわからない形となった。
ナッシュを更にひとまわりも大きくしたような上背の、黒い身体。その所々が斧のような形状の、鱗のようなものに被われている。だが胴の前面だけは真っ白で、胸の辺りには……おいおい、ノアステリアも、そんなにゃあ盛り上がっていなかっただろう……ってふくらみが揺れている。正直、そんなモノを見せられても生理的嫌悪感しか湧かない。真っ黒なケツの方も、かなりいい形なのが、余計に気持ち悪さを倍増させる。
手足は長く、それが頭部の髪の毛を模したと思しき触手? 触角? と合わさることで、全体を、どこか奇怪な海洋生物であるかのようにも見せていた。
顔に、目鼻口は無い。つるんとしたのっぺらぼうだ。
黒いのっぺらぼうだ。
そしてその全身に、時折、蜘蛛の巣のような線状の光が走っては消えている。
わけがわからない。
バケモノだ。
どこからどう見ても、紛う事なき化け物だ。
「おい! マイラ! 待て! 迂闊に動くな! あんなのを見て逃げたしたくなる気持ちは俺もわかるが今は……おいっ!」
もはや事態は、フリードを倒すとかノアステリアを殺すとか、そんな次元を軽く超えてしまった。
もう逃げるしかない。災害から、自分の身を守るしかない。
「わぅ!」「待てって!!」
それはいい、その判断はいいんだが、違う。
そっちじゃない。
俺にはわかる。
どうしてか知らないが、わかるんだ。
そっちからは濃厚な死の臭いがするんだ。
ずっと俺が避けてきたもの。
大事にしてきた感覚。
その経験、その全て。
それらが全力で叫んでいる。
「駄目だマイラ! そっちにいくな!!」
「きゃぅぅぅん!!」
守りたい。
どうしても護りたいユーフォミーを、背に乗せたマイラが駆けて行く。
俺にはわかる。
俺にしかわからない、約束された死の、その地点へと。
フィーネリュートが、またいってしまう。
「っ!?」
知覚する。
わかるはずもない、高速のそれを。
否、それを俺は、おそらくは発射される前に知った。
空間に描かれた、ゼロコンマ数秒先の、炎を尾に曳きながら、彗星のように飛翔する燃焼石の弾道を見た。
それは真っ直ぐに、走るマイラの、その行く先を貫いていた。
「くあぁぁぁぁぁぁぁ!!」
飛び込む。
自らの肉体を使って、フィーネリュートを護る。
「ぐぼっ……」
「わぅん!?」
かつてできなかった、己の全てに代えてでも彼女を助けるという、その夢を、俺は今ここで掴む。夢のまま、夢の俺が掴む。
「きゃぅぅぅん!?」
「ごがっ……い、行げ! 逃げぼぉ! あっぢだ! あっぢにはまだ生ぎる道が……早くいげぇぇぇ!!」
「わぅぅぅん!!」
胸に穴が開いた。
夢を掴んだ代償に、俺の胸には大穴が開いてしまった。
「ごぼっ……はぁ、はぁ……こいつぁ……がっ!?」
身体が、燃える。胸に空いた穴から焔が飛び出してくるのが見えた。
「……!……!!……!?」
声はもう出ない。肺が完全に機能しなくなっている。全身が重い。重力が千倍にでもなったかのような感覚だ。潰される、世界に潰される。
どうしてまだ意識があるのか不思議なくらいに。
どうしてまだ心臓が動いているのか不思議なくらいに。
死が俺を押し潰していく。
「……」
重力が万倍になった世界で、完全に錆びた機械を動かすかのようにして、首を少しだけ曲げた。
見える。
まだ視える。
白い犬が駆けて行く。俺の夢を乗せて駆けて行く。
一瞬、その首がこちらへと向いた。
それは本当に、幻だったのか、夢だったのか。
犬は、笑っていた。
どうしてかわからないが、笑っているかのように見えた。
間違いだらけの人生が、終わる。




