LIV [101-diary] : cracked apple
※前書き
今話は、三章のどこかへ挟み込もうと思っていた「設定暴露話」です。
もはや、どうやっても上手く本編へ織り込むことが不可能そうなものを、可能な限りぶち込んであります。
多分、これら設定をストーリーに乗せる形で表現すると、あっさりでも10話(7~12万字程を想定)、こっさりで20話、こってりで30話くらいかかります。なので丼一杯にまとめた感じです。なんというか色々申し訳ありません。
また、当話においては、作中人物がいわゆる天動説を悪し様に罵るシーンがあります。
これは単に、その彼がかつて21世紀の地球における科学を信奉していた人物であるという表現でしかなく、この部分に今も世界人口の数パーセント(仮に2%とした場合、1億6千万人ほど)は存在するという天動説の支持者、信奉者を非難、批判する意図はなんらございません。
また、その彼も、これより先の未来において、自己を上位変換した後、「三次元的な形象はあくまでも三次元空間における形象なのであるから、なるほど、捉え方次第では天動説も正しいのだな」という境地へ達しています。作中では描きませんが。
敢えて言うのであれば、大多数の人間にとって、地動説、天動説の真否などはどうでもいいことです。直接的には自分の生活に関わってこない議題なんかで争うのであれば、きのこたけのこ戦争に参戦するとか、赤いお狐様と緑のポンポコのどちらがいいかで闘うとか、そういうことでもしていた方が、まだ人生楽しく過ごせると思います……というのが作者自身の考えとなります。ラブアンドピース。ちなみに当方、カップ麺ならカップヌードルトムヤムクン味が究極にして至高の存在だと思っています。異論は認めません。
なお、「きのこもたけのこもクソ、アーモンドクラッシュポ●キーこそが銀河一」とは千速継笑さん(と、そのイメージソースの一部となった知人)の言(※誇張アリ)ですが、当方はポ●キーならつぶつぶイチゴの方が好きです。ポ●キーなんてクソだろと言うヤツの鼻の穴にはアーモンドクラッシュポ●キーを突っ込みます。つぶつぶイチゴを食べながら。
<時間軸:???>
或る湖畔の、丘の上にその家はあった。
「わぉん?」『性善説、ですか?』
「“善”とはいっても、この世界の概念におけるいわゆる善悪の概念とは、多少違っていたようではあるのだがな」
一見、蔦に被われた、ただの二階建てログハウスのようにも見えるそれは、しかし湖へ直接アクセスできる地下階までをも含め、全体に、何重にも魔法的な結界と防壁が張られた……魔法使いの高度な工房でもあった。
よくよく観察してみれば、壁を這う蔦らしきものが、すべて壁面を成す丸太から芽吹いた枝と葉であることが判るだろう。
「わぅ?」『どういうことですか?』
「欲であるとか、私心であるとか、あるいは非礼であるとか、そういったモノの捉え方といえばよいか……対極にある性悪説と合わせて語ればこうなる。“人は生まれながらに礼節を知る存在か、否か?”」
魔法学によってある程度“時”の謎が解き解されたこの世界において、いまだ残る“生命の濫觴”の謎、それさえも軽く取り込んだ偉大なる魔法使いの砦。
「生まれたばかりの時は、何の欲も無く純粋であると説くのが性善説、そうではないから教育によってそれを克服せねばならぬと説くのが性悪説、そのような感じかの」
そこに住まうはただ一個の番。
「くぅん?」『教育、ですか?』
「うむ」
五十年以上の時を共に過ごしてきた分かち難きふたり。
「……とはいっても、性善説の方も、無欲で純粋な赤子であっても、放っておけば欲にまみれ悪人と成り果てるから、教育が大事と説くのは同じなのだがな」
「わぅん」『ゆえにこうすべき、という点では、変わらないのですね』
そこに在るは、かたや盲目の魔法使い。
かたやその盲導犬。
共有した時間は、想いは、おそらく大半の(人間の)夫婦よりも長く、深い。
「そうだな……言い換えれば、“あなたはやればできる子だから勉強しなさい”と言ってるのが性善説、“あなたはこのままではとんでもない人間になってしまうから勉強しなさい”と言ってるのが性悪説、そういうことになるのだろうか」
傍から見ればそれは、暖炉の前で椅子に座り、訥々と犬へ話しかける老人と、それへなんとなく相槌を打っている草臥れた老犬に見えるだろう。
「わぉん、わぅぅぅん」『“やればできる子”は、あまりいい意味では使われなかったと記憶していますが……いえ、そのような記憶を知っている、と言うべきなのでしょうか?』
「そのようなことは、どちらでもいい。私の記憶は、そなたのモノでもあるのだから」
だが老人の耳……否、心には、老犬の声が届いている。
「まぁ結局の所、“やればできる子”が、ではどうすれば“やる”のか、その方法論こそが、“やらない子”を持った親の悩み所であるのだろうからな。“やればできる子”という言葉ひとつで子を鼓舞できるのならば、誰も最初から悩みなどはしないであろうよ」
それは幻でもなければ、夢現などでもない。
「ぅー、わぅんわぅん」『んー……ですが、“とんでもない人間になってしまうから勉強しなさい”と言ったとしても……』
「鼓舞には、ならぬな」
老人は魔法使いで。
老犬もまた魔法使いだった。
ふたりは、ふたりの世界を形成するに至った一番の魔法使い達だった。
「結局の所、性善説を信じようが、性悪説を信じようが、“やらない子”は“やらない子”のまま変わらない、成長しないというのが現実には多いことなのだろうな」
『全く、“やらない子”というのも少ないとは思いますが』
「それもな、その通りだ。全く“やらない”というのも、それはそれで信念であるとか、根性であるとか、ある種の才能が必要だろう。ある程度は勉強をして、ある程度の平均的枠組みの中に入り、そこで生きる者達が多数派なのだろう。それが悪いとは言わぬよ、平和に生きていけるのであれば、それが一番だ。ただ、自分が平均的枠組みの中にいると自認する者……自分が普通であると自覚する者の中には、民主主義においては多数派こそが正義であるから、それ以外はどう扱っても構わないと考える者がいる。盲目の者へ石を投げ、しかしそれが魔法学者としての権威を持った瞬間に、表では媚び諂いを始め、だがその裏ではその失脚を、失墜を、権力の奪取を画策し始める……そうした者がいる。付き合いきれぬとは、このことだ」
『わぅぅぅん……』
「すまぬ、これは愚痴だ……話がそれたな、これはそなたが……知性を得た今、どう生きるべきなのかという話であったな」
『もはや盲導犬としてはお役に立てなくなったこの身、全てはナオ様へと委ねるしかありません、から……』
「そう言うな……言わないでくれ……。私にはツグミ、お前が必要だ。それは私が“観える”ようになった今も、そなたの足が動かなくなってからも、ずっと変わってはいない」
『もったいなきお言葉です』
「私は……研鑽することしかしてこなかった人間だ。だが……そこに幸せがあったかと問われれば……よくわからない。私の人生を充実したモノにしてくれたのはツグミ……そなただ。魔法の研究は、楽しかった。夢中になれた。それへ没頭することに、充足を感じていたとも言える。だがそこにツグミ、そなたがいなかったらと思うと……自分の人生が幸せであったと言えたかどうかは……わからない」
『もったいなき、お言葉です……』
「言ってしまえば……“人”が……知性ある者が幸せに生きれるかどうかを決めるのは……半分以上運であるといえる。あるいは全部運なのかもしれない。私の人生は、そなたに出会えたこと、それが全てだった。どれほど多くの勉学を修めたとしても、研究において多大な成果を出せたとしても、私の人生は、そなたなしでは空しいものだったよ」
『私もです。この命も、ナオ様と共に過ごせたからこそ、幸せなものとなりました……ん……わふっ、ナオ様にこうして撫でられていると、子犬の頃に戻ったような気持ちになります。もう覚えてはいないあの頃のことを……沢山の愛に囲まれてきゃんきゃんとはしゃいでたあの頃のことを……思い出します』
「愛された子供時代、か……私にはないものだ。だが、それ以上のものをそなたは与えてくれたよ。おそらく、他の盲導犬の誰でも駄目だった。ツグミ、側に来てくれたのがそなたであったからこそ、私の人生は充実したものとなったのだ」
『もったいなき……わふん……お言葉……です』
「幸せになれるかどうかは全部運。自分が必要とし、自分を必要としてくれる誰かに出会えるかどうかは……それは、それこそ運でしかないものだな。もっとも、自分の子供へそうした現実を、そうであると教えたがる親も少なかろうが……」
『幸せが、運でしかないことは、努力することの否定にはならないと思いますが』
「ああ、私がそなたと長い時を幸せに過ごせたのは、努力あってこその結果だ。勉学が苦ではなかった……それは確かに、私に“運良く”与えられた贈り物なのであろう。だが、だからといってそれは、それだけで全てが上手く回る、という程のモノではない。良い成績を修めればやっかみも、嫉妬も向いてくる。“見えぬ”私には、悪意に対抗する力などはない。お前のような者は、一生暗闇の中を這いずり回っていればいいと嘲る声に、挫けそうになったこともある」
『ナオ様……』
「だが、それでも努力して“自分の価値”を示したからこそ、私はそなたに出会えたのだ。私の誇りはそこある。努力は必要だ、幸せに出会う確率、あるいは機会を増やしてくれるのであれば……な」
『下手な鉄砲も、数を撃てばあたる、ですか?』
「それは……まぁ……それも結局は運なのだがな。弾が的へ当たる前に鉄砲が暴発したら、幸せどころか大怪我しか残らん。自分のしている努力が、報われる努力なのかどうかを人は知ることが出来ない。真面目に努力をして、街中を警邏巡回している警官が、ある日巡回先で悪漢に撃たれ死んだとする。人は警官の努力を尊ぶだろう。彼の者を警官の鑑であると称え、偲ぶだろう。だが、その警官の人生そのものに視点を変えてみれば、それは全く有害な努力だった。正しくとも、有害な努力だった。その努力を重ねていたからこそ、死んでしまったのだからな」
『その場合、残された家族は、お辛いでしょうね……』
「警官の家族であれば、まだそうした覚悟はあったかもしれないが……ではこれが受験生の親であったらどうだ? ある受験生は毎晩深夜まで勉強をしていた。そのせいで睡眠不足に陥った其の者は、駅のホームから転落して死んでしまった。其の者にとって、その家族にとって、毎晩深夜まで勉強するという努力は有害だった。努力とは、幸せになるために努力するというのは、斯様に運でしかないのだよ。その者にとって間違った努力をしてしまえば、自分のみならず他人をも不幸にしてしまう、そういうもの」
『ですが、それでも努力してほしいと願うのが親なのでは?』
「そうだな。だがそうした親であっても……全てが自分の実力であると勘違いできた本当に幸せな者を除いて……人生における運の重要性はある程度悟っているだろう。子供も、それを悟っているからこそ努力を空しいとも、価値無きモノとも捉える。卵が先か鶏が先か……“やらない子”はそうして学びを、研鑽を放棄する」
『子供、ですか……』
「ならば、“子”が成長するためには、“生まれの性”が善性であれ悪性であれ、まずはそれを変質させるところから始めよというのが、イデア派の教育論となる。盲目の羊にはまずは目を与えよ……ということだ」
『んー、イデア派は、後進を育てることにはあまり積極的ではないと伺っていますが』
「ああ、それは始祖、“七識の観測者”よりの伝統であるな。彼、或いは彼女は、明らかな超越者。自分自身の研鑽には積極的だったが、他者への関心は薄かったとも伝えられている。私は盲目に生まれ、能力という点においては人よりも劣っていたからこそ、それを自身の研鑽によって補おうとした。だが“七識の観測者”は通常の人間を遥に超越した能力を持って生まれた。それはそれで、他者への共感を得難い特質だったのだろう。だから彼、或いは彼女はひたすらに“己の高み”を目指した。人として生きるよりも、それ以上の存在となることを求めた」
『もしかすれば……七識の観測者様は、神の御姿が見えていたのかもしれませんね』
「うむ?」
『私が、ナオ様に近づきたいと、ナオ様とお話がしたいと願ったからこそ、知性を手に入れられたように』
「彼、或いは彼女には、人を超越した者の存在が見えていたのかもしれないと、身近と感じていたのかもしれないと?」
『はい。七識の観測者様は、人のままでいることこそがもどかしく、やきもきさせられることだったのかもしれません』
「そなたのように、か……」
『はい』
「それは……そうかも、知れぬな。人と違うように生まれつくことが、それがプラスの要素であれマイナスの要素であれ、心へは同じように働くのであれば……そのもどかしさは、遣る瀬無さは、私にも理解できる。
『はい。私にも、理解できます』
「そうか……ともあれ……イデア派は歴史ある魔法学の一派。である以上、始祖がどうあれ、長い歴史の中で学閥を形成し、誰かが師となって弟子を育成してきたその軌跡、あることもまた事実。“どうすれば強力な魔法を使えるか?”を追求する学問ではなく、“どうして魔法を使えるのか?”を研究する一派であったことから、過去にはあまり人気のない派閥であったが……」
『ナオ様の登場により、勢力図は一変したのですよね』
「私は……僕は知っていただけなんだ……現象を解析し、解明することによって技術は革新的に飛躍して、世界は次のステージに移るのだということを」
『コペルニクス的転回、でしたか』
「パラダイムシフト、パラダイムチェンジなどともいうな……魔法が現象としてそこにあるのならば、それは神秘などではない。秘されてなどいないのだから。ならばそれは不可侵なものではなく、学問によって、人智によって解明すべき命題だ。僕に言わせれば思考停止こそ神への冒涜だ。地球においては、なぜ物が上から下に落ちるかも考えずに、世界の像を歪めて捉えた時代があった。大地はどこまでも平べったく、天は地球を中心に回っているのだと捉えた。彼らは世界を、自分達の都合のいい形に歪めたんだ。思考停止する自分達に、都合のいい形に。神が世界を創ったというなら、世界の像を歪めることが背信でなくなんだというんだ。僕には、魔法に“神秘”のレッテルを貼って、ただそれを便利に利用するだけの方が、この世界への冒涜に思えたんだよ……ん」
『私はナオ様を、責めてなどいませんよ』
「あ、ああ……ありがとうツグミ。無理に動くな……私は大丈夫だから」
『世界大戦は、ナオ様のせいではありません。ノティスの消滅も』
「わかっている。そのように驕る気など私にもない。私は歴史の操り人形として、その一翼を担っただけに過ぎないさ。中心的役割を果たした者は他にいる。あれらは私ではどうすることもできない事態だった……だがそうか、そなたは知っているのだな」
『はい』
「私は……自分が知らないところで何万何億が死のうと何も思わない……だが、それへ関わってしまったら大問題だと思っている……トロッコ問題においては、僕は分岐器の切り替えはしないと答える人間なんだよ……何もしないことを選んで、五人を見殺しにする人間なんだ……僕の理性は、それが正解であると言っている……だがそう思いながら、流れる歴史の中に、肥え太った者を落とし、轢死させてきたのが僕だ。思考停止して、世界が滞ったままであるのなら、旧来のままであるのならば既得権益を貪るだけ貪っていられただろう、肥え太った者をだ」
『歩道橋問題、ですね。トロッコ問題においては、ひとりを殺してでも五人を救うべし、と判断した方であっても、太った男を突き落とすという判断はなかなかにつけられないのだとか』
「ノティスの消滅……アレへの……私の関わりなどは数パーセントに過ぎない。だが関わりは関わりだ。僕の生み出した技術が……アレを引き起こしたのだ!! それで総人口数億という大陸ひとつが、丸ごと消滅したのだっ……世を捨てるには、十分すぎる失態だよ」
『……はい』
「だが……ははっ……皮肉なことにだ、それだけのことを成し得たがゆえにだ……イデア派は一躍魔法学の主流派へと上り詰めた。学会の勢力図は変わり、世界の軍事バランスも、陸海空魔、全ての軍隊における主要戦術も、なにもかもが変わってしまった」
『魔法学が、二類魔法学が、科学が進歩することにより、人々の暮らしも変わりました』
「それも、良かったのだか、悪かったのだか……」
『触媒に可動子指属性、不動母指属性を与えることによって可能とした毒性物質の排出技術。人体、土壌とも、様々な汚染に悩まされていた前世紀においては、これが人々の健康改善にも役立ったのでしょう?』
「それはな、ある種の魔法はダイオキシンも、プルトニウムでさえも軽々と生成する。それに対する安全と衛生への概念は、ペストが流行していた頃のヨーロッパ並だった。もっとも、それは解毒魔法によって治療、解消できる汚染、症状でもあったのでな、アスクレピオス派の貴重なる財源でもあったわけだ。私のやったことは、それを、完膚なきまでに叩き潰したと……まぁそういうことでもある……当時は、ナガオナオの技術は神に逆らう邪法であると喧伝されたし、何度か、直接的に毒殺されかけたよ……ああ、それには時に、お前のこの黒い鼻が、役に立ったのだったな」
『ぶにゅ!?……うー……』
「ははっ、すまんすまん。まぁ良かれと思ってやったことも、ある方面から見れば邪悪で、損失と喪失を生むものであったりする。世界とはかくも複雑で、厄介なものだということだ」
『うぅ~……クリーンなエネルギーである燃焼石も、人々の暮らしを豊かにしましたっ』
「それもな……原子力などよりはずっと安全安心なエネルギー……であったはずなのだが、後進国においては海外へ渡った寿司がごとくの適当な扱いをされ、いまだ爆発事故を起こし、毎年少なくない数の者が死んでいると聞く。そりゃあな……数百グラムの中に少なくともメガジュールクラスの……質のいいモノならテラクラスの熱量が閉じ込められた石だ。扱いを誤ればそうもなるわ。生成には炎魔法が必要であるというその仕様上、ヘパイトス派には感謝されたがの」
『炎魔法が使えれば、数年の鍛錬で生成が可能になるのでしたか?』
「ああ。初期にはヘパイトス派における急進派どもが、頚骨に燃焼石を埋め込むなどという巫山戯た手法を編み出しおったがの……ああ全力で止めたさ。アレを国際的に禁止としたことが、私が自分の政治的影響力を行使した最後の一件であるな」
『そう……でしたね』
「ああ、ヘパイトス派は、盲導犬の前でも平気で炎魔法を使うような連中だからな、滅べばいいとは思っていたのだが……さすがにな……何割かの確率で半身不随になる術式なんてものを、放置してはおけんよ。魔法使いに生まれた若者の多くは、傲慢な博打打ちそのものだからな……自分が神に選ばれたとでも思っているのだろうよ。ならば八割方成功する術式など、“自分だけは”確実に成功するんだと思い込んでしまう。思い込んで、軽率にそれへ飛び込んでしまう。成功すればやはり自分は神に選ばれていたんだと増長して、失敗例を嘲笑って見向きもしない。……神に選ばれたというならそれへ感謝をして、数年の努力くらい、しろよという話だ」
『それでも、見捨てたりはせずに、全力で止めに行くのがナオ様らしいです』
「……半身不随となったヘパイトス派の若者をして、アスクレピオス派の連中がなんて言ったと思う? おおこれは福音であると、恩寵であるとさ。半身不随になっても燃焼石を生み出せる限り、経済的には困窮しない。いくらでも医療費を払ってくれる、扱い易い患者様であるとさ。私は、私へ嫌みったらしくそう言ってきた連中の面が気に食わなかっただけだよ。人間を、他人を何だと思っているんだ。おまけに……燃焼石はそれを生み出した者が近くで不安定な状態に陥ると、燃焼石まで不安定な状態になるという特徴を持っている。数百メートルほど離れれば九分九厘、数キロメートルほど離れれば確実に平気であるとはいえ、人体へ埋め込むには危険すぎる代物よ」
『色々、ありましたね……』
「ああ……まったく」
『……』
「……」
『何の話でしたっけ?』
「……そなたがどう生きるか……ではなく、君たちはどう生きるか、かの?」
『なんですか、それ?』
「なんでもない。宮崎アニメでなく原作の方であるとだけ言っておく」
『わぅん?』
「ああ……それにしても、歳をとると愚痴っぽくなっていかん。私は、自分のしてきたことを後悔などはしていない。ただ悲しいだけだ。世界を変えればそれに適応できない誰かが苦しむ。五人を救うナニカは、しかしひとりの人間には自分を轢き殺す暴走列車であったりする。皆が幸せに生きる……この世界は、おそらくそれを許さない造りとなっているのだ。何をしても、どうしても、幸せの裏で誰かは不幸になるし、だからといって何もしなければ、不幸な人はもっともっと増え続ける。世界を変えるというのは、その世界に適応できない者を切り捨てるという営為でもある……まさにトロッコ問題そのものだな。経路には沢山の、その場所に縛り付けられた者達が転がっている……であるなら、明るい未来をと希う知性は、まるで思考実験の迷路に落とされた実験動物のようじゃないか。どこに抜け道があるのか、誰が花束をくれるのか、何もわからないまま彷徨っている。そんなトコロを何十年と這いずり回っていたら、そりゃあ愚痴のひとつやひとつも言いたくなるさ……んっ」
『ふふっ、お返しです』
「頬を舐めるそなたの……ソレに、私は何度励まされたことか……そなたはもう、どう生きるかなどは考えず、そのままで良いのかもしれぬな。どうせ私達はもうどこへも行けぬ、行かぬ。この家と、湖と、森、完結したこの世界だけでも生きていける。天気がよければ庭に出て遊び、曇っていれば船上で釣りでもして、雨が降れば家に閉じこもって森の声を聞きながら暖炉の前でくつろぐ……誰にも邪魔されぬ、誰も見ぬ、誰も聞かぬ、そなたが犬としてはおかしな行動を取ろうが、私がそなたへ、人へするように話しかけようが、咎める者などはいない」
『私も、ナオ様がよろしいのであれば、それに否はございません』
「そもそも教育者って柄ではないんだよ、私は。多少教鞭をとった大学でさえ、学生からはナメられていたくらいだからな。休講が多い割に、簡単に単位をくれる教授とな」
『親しまれていたのですよ』
「珍獣扱いさ、盲目に生まれた者へ、一生付きまとう呪いだよ。多数派の枠に潜り込めた者が少数派へと向ける、好奇の目……敵意、悪意よりはずっとマシであるとはいえ、うんざりすることに変わりはない。まぁそれはいいさ、そもそも、あの大学に入れるような知性の持ち主へ、私が教えるようなことなど何も無いのだからな。私が執筆した論文を読め、本を読め、理解しろ、それが全てだ。知識は全てそこに記してある」
『実技は……イデア派の教えではないのでしたね』
「うむ。それはそれこそヘパイトス派や、アネモイ派に師事しろという話だ」
『一般には、炎属性のヘパイトス派、風属性のアネモイ派、無属性のイデア派、などと並び称されていましたが』
「勘弁してくれ。空子、準空子の特性を活かした攻撃手段が“消去”となるのは当然のこと、流体断層を利用した無剣など、私の名と共に語らないでもらいたい」
『斬撃の形に、“物質を時の置き去りにする魔法”……ですか』
「簡単な話だ、流体断層によって物質の一部を準空子化する。三次元空間でこれは、物質の消去と同義になる。三次元空間においては空子と準空子の違いなど、観測できないのだからな。そして、これはまた斬撃の形で行われるのであれば“切断”とも同義となる。結節点の消去は、すなわち分離、すなわち断絶、断裁、裁断。斬撃という概念によってモノの切断を引き起こす無剣などは、炎魔法における炎弾のようなもの。ならば風魔法、真空波でも使えという話だ。魔法で害したという証拠こそ残ってしまうが、その方がコストパフォーマンスは圧倒的に良い。無剣などは、原子力でやかんの湯を沸かすようなものだよ」
『……わふ』
「ん? どうした?」
『いえ、プロフェッサー・ナガオナオが、慕われていた理由が少しわかった気がして』
「なんだそれは。そしてその“わふ”というのは、そなたの笑い声なのか?」
『どれだけ悪態をつきながらでも、一を問えば十返ってくる。ナオ様は、ご自身でどれほど否定されようとも、根は面倒見のいいお方なのですよ』
「……むぅ」
『私は覚えていますよ、ナオ様が大学で教鞭をとられていた十数年間、妻の座を得ようと近付いてきた女学生が、ひとりやふたりではなかったことを』
「……私はその時点で四十から五十の年齢だったのだが……いや待て、覚えている?」
『発情の匂いに、なんだかこうもやもやとした記憶が、結構ハッキリと、ええ』
「……」
『ええ、はい』
「冗談、だよな?」
『ふふっ、さぁどうでしょうか』
「う~む……ならば犬の記憶能力について検証してみたいところではあるが……って、いったぁっ!?」
『がぅ』
「五十年以上一緒にいて初めて噛まれた!?」
『ナオ様、知性を手に入れて私は学んだことがあります』
「なんでしょうかっ!?」
『甘噛み、です!』
「むしろ普通の犬が普通にする行為!」
『がぅがぅがぅがぅ』
「そして結構甘くない!? 割と老骨が軋むっ!?」
『ふふっ、楽しいものですね、これ。童心を思い出します』
「うぅむ……知性によってギリギリの塩梅がわかるからこその、痛みはあれども痕は残らないスレスレの加減。まぁそなたが……これまで眠らせていた本能を満足させられたのであれば重畳ではあるが」
『そういうところ、やっぱりナガオナオ様ですね。わふん』
「なんだそれは……そしてその“わふん”というのも、そなたの笑い声なのか?」
『幸せでしたよ』
「うむぅ?」
『覚えています。知性といえるほどのモノがなかった、何十年という時の中でも。私はナガオナオ様と共に過ごし、支えとなりながら可愛がられ、暮らして……幸せでした』
「……むぅ」
『この先がどうなろうとも、何が起ころうとも、私は幸せだったと、胸を張って言えます。私はナガオナオ様と、こうしていられるだけで幸せです』
「ああ……そうだ……私もそうだ。そうか……そうだな、私達がこれより求むるべきは、幸せではない。それは既に得られている。なぁ、ツグミ……私は世捨て人だ、脱落者だ、引退者だ、もはや世情とは関わりを断って生きる孤独な老人だ……それでも私は研究者だ、科学的アプローチで、魔法学を究めんとするヒトカケラの学徒だ。師はどこにもいない、私の研究の最前線にいるのが私なのだから、どこにいるはずもない。それでも私は追い求めている。この世界の本当の姿を、その真実を。輪廻転生と解脱、どちらを求めるかと問われれば後者だ。僕は永遠に生きたいとは思わない。願わない、祈らない。僕はあの人とは違う。僕はただ、この悲しい世界の、その先を見たいんだよ」
『はい、それでこそナガオナオ様です』
「研究しよう、ふたりで」
『はい、お付き合いします』
「構想している魔術が、ひとつあるんだ。もしかしたらどうしようもないこの世界を変える魔法、それは仮の名を、幽河鉄道といって……」
幽河鉄道完成後のナガオナオ:
「これこそまさにトロッコ問題の可視化じゃないかぁぁぁぁぁぁぁ」




