epis53 : fluctuation of mirror surface
<三人称>
――賭け事は嫌いだ。
黒槍のコンラディンは槍を構え、想う。
――それへ、簡単に命を投げ捨てられる若者を、俺は憎んでさえいるのかもしれない。
「……ふぅ」
そうしてもう一度だけ考えた。
これが賭けであるのか、それとも違うのか。
「わぅ?」
眼前、直線距離にして二十五メートルほど先に見える黒い影。
細身の人間を、丸ごと黒く塗り潰したかのような形状。
意思があるのか、ないのか、それは立ったままでゆらゆらと揺れながら、ボウと佇んでいる。
その目の前には、平べったい木箱がある。その上に、彼の保護対象者であるところの銀髪の父娘が転がされている。父、ナッシュは仰向けであり、娘、ユーフォミーはうつ伏せだ。
「ふたりとも、まだ無事っちゃあ無事……だが」
その腹が上下していることに、コンラディンは安堵するが、緊張は解かない。
黒い影は眠る巨漢と、その細身の娘をただ見下ろしているかのように立っている。コンラディンからは正面が見えず、目線がどうなっているのかはわからないが、顔(?)の向き……というか、頭の俯き加減でそのように見えてしまう。
それは、ここはもはや地獄なのではないだろうかという不安にも駆られる、なんとも不気味な光景だった。
――正直、長く見ていたいモノじゃあない。
黒い影が灼熱のフリードであるのならば、人を一瞬で丸焦げにするような魔法も使えるはずだった。現時点でそのような魔力の動きは感じられないが、いつそれが現実になったとしてもおかしくはない……それは、そうした不安を強く煽ってくる、奇怪な光景でもあった。
――俺は、どうすべきなのか。
コンラディンの勘、直感は、あの黒い影が「危険」の源流のひとつであると訴えていた。
――アレをここで倒すべきなのか、それとも。
黒い影などではない、人間の灼熱のフリードが同じように、そこにあったのなら……悩むこともなかっただろう。用足しなりなんなりで離れることはないかと、多少状況の変化を待って、変わらないならもはや問答無用で強襲し、ふたりを助ける……おそらくはそうした選択を採っていただろう。
――くそ、吐けるなら、吐いてしまいたいくらいに、食道の辺りがイライラするぜ。
だが情報を集め、万全を期してコトにあたることが信条の彼は、集めてきた「情報」には無い状況に、未知の光景に戸惑っていた。
それは彼の知らぬナニカであり、そこに「危険」があるということだけはわかっても、その正体は、内実は何もわからない。
目の前のソレが灼熱のフリードの隠し玉なのか、違うのか。
強襲し、倒す気で黒槍を揮ったらどうなるのか……殺せるのか、殺せないのか。
それをして良いのか、悪いのか……。
――アレがある種の囮であった場合、アレを屠ったところでこちらの存在を敵方に知らせてしまうだけだ。不意打ちによる強襲が可能なのは最初の一撃だけ。
そのカードをここで切っていいのか、悪いのか。
「くそ……」
あまり、悩んでいる時間が無いことも確かだった。
――ジュベミューワとノアステリアは……今は……ふたりの世界に没頭中だろうよ。だが、それでも同じ建物の中に居るわけで……変事があれば、すぐに飛んでくるだろうな……拘束されていたノアステリアがどうなるのかは知らんが。
それに、黒い影に、彼の保護対象者が完全に無防備な状態で見下ろされているという、この絵面自体、あまり長く見ていたいものでもない。
それは危険を察知する「勘」とはまったく別の部分で、彼の「癇」に障る光景だ。
「行くべきか、行かざるべきか……」
槍を、構える。
殺気は極力抑えたまま、「一撃」を脳内でシミュレートする。
「……わぅ」
傍にいた白い犬……マイラが、なにかを察したのか一歩引いて下がる。
距離は……直線距離では二十五メートルほどだが、途中には仕切りや、何が入っているかもわからない大きな箱があり……だからこそ相手に気付かれぬまま、彼がこの距離に近づけたとも言えるのだが……まっすぐは進めない。
ならば手順としては……相手に気付かれないよう、ある程度の距離まで近付き、そこから槍を一閃させ、屠る……こうなる。
それ自体は……苦も無くやってやれそうな「気がする」。五秒もあれば、今にでもその結果を余裕で手繰り寄せることができるだろうと「直感で思う」。
――だが、やはりこれは賭けだな。
黒槍のコンラディンの人生は、自分が天に愛されているとは、とても思えないものだった。だからこそ「気がする」だけで「賭けに出る」のは怖い。怖いと感じる。
自分は、魔法使いの中でも特例中の特例、ユーフォミーではない。
自分は、あまりにも特異な異能の魔法使いであるラナンキュロアではない。
そうして自分は、あまりにも異次元な武の体現者である、レオという名の少年でもなかった。
あのような、「天から愛されたとしか思えない」能力を持って生きるというのは、どのような心地がするものなのだろうか?……彼はそれを知らない。一生、知らずに終わるんだろうと思っている。
彼は、自分にできることを、当然のようにこなしてきただけの人間で。
奇跡など、起こしたことはない。起こせない。
九分九厘死ぬ状況であれば、彼は九分九厘そこで死んでしまうだろう。一厘の華を咲かせたことなど、ない。
できるのは「危険」を減らし、無くしてから相対するというだけの凡才で、今まではそれが許される環境でやってこれたから、上手くいっていたというだけの話だ。
――あの戦時下においても、俺が最終的に行った方策は……はっ、「レオ君に頼る」……だ。
自分には、もうどうにもできないと感じたから、どうにかしてくれそうな人間に頼った。
――結局の所、俺はその程度の人間だ。
プライドが無く、こだわりも無く、自分でできることは自分でするが、そうでないなら簡単に人に頼り、それを情けないとも思わない。
「わぅん?……」
槍を、構えたまま動かない彼を見て、マイラがその首を傾げる。小さな……潮騒の音に紛れ、向こうの影までは届かないだろう、その程度の鳴き声をあげながら、首を傾げたまま、黒い瞳でコンラディンを見つめている。
「けどよ……やっぱ情けないよな、俺」
だからコンラディンも、極小の声で答えた。犬には理解できないだろう言葉で、理解できなくてよかったと思いながら、震える声で応えた。
「ユーフォミーちゃんは助ける。これは絶対だ。なら、これは絶好のチャンス、それもわかっている。でもな……怖いんだよ……助けられなかったらと思うと怖い。俺自身がその最後のきっかけになってしまったのなら、あの人になんて言えばいい?」
彼の「あの人」はもういない。死んでしまっている。
彼の中にある夢に実体は無い。そんなものは最初から無かった。
――だが、それは、天に愛されず、生きる意味なんてきっと最初から無かっただろう俺に、それでも生きてやりたいと思わせてくれたナニカだ。それは俺が墓場まで持っていく、持っていきたい永遠のナニカだ。
それは夢だからこそ消せないナニカで。
だからこそ、彼はそれだけは裏切れない。
失敗したらと思うと、胸が張り裂けそうなくらいに痛んだ。
「くぅん……」
だが、その時、その彼の震える腕に、生暖かいものが触れた。
「ん……」
構え、姿勢を低くしていた彼の手を、マイラのピンク色の舌が舐めていた。
それは犬の巨体からすれば、とても優しい接触で。
コンラディンには、意図も意味も位置付けも、なにもかもが違うだろう懐かしい感触を、だが何故か思い出させるものでもあった。
「犬に舐められても、嬉しくない……ってわけでもないな、嬉しいわ、なんか」
コンラディンの腕から、その震えが消えていく。
「ありがとうよ」
「わぅ」
――思えば……ラナちゃんだって、好きで“賭け”に出たわけではないのだろう。
姪が、今の恋人を「拾った」その事情を、彼はなんとなく察している。
――ラナちゃんは追い詰められていた。兄貴に狙われ、誘拐されかけたことから、身を護る手段を強く欲していた。自分の魔法だけでは直接的な暴力に弱い、だからそれを補う何かが必要だ……そこに、あの剣士、レオ君がいた。その手を取るかどうかは……“賭け”だったはずだ。
実際に、どのような遣り取りがそこにあったのかはわからない、聞いていない。
だが誘拐されかけたところを、少年に助けてもらったとは聞いている。その後に起きた諸々の事情から察せられる、「こうであったのではないか?」という、推測混じりの絵図であれば、見えなくはない。
――誘拐犯は誰かに雇われている風だった。つまりそれで終わりではない。次の襲撃までに、どうにかして身を護る手段を獲得しなければならない。父親に頼るか、もしくは自分の才覚だけに頼るか、未知の力である少年の手を取るか……ラナちゃんはそこで“賭け”た。
――つまり、ラナちゃんは追い詰められたからこそ“賭け”たんだ。けして、遊び半分で、意味もなく自分や母親の命を賭けたわけじゃあない。
その結果として、彼女は運命に打ち克ち、少年は最愛の恋人となった。
そこだけ見れば、彼女は天から愛された人間であり、あらゆる“賭け”に、苦も無く勝っていける……コンラディンとは違う人種の存在であるかのように思える、が……。
――ラナちゃんだって、本当に天から愛された存在であるのならば、そもそも誘拐などされなかったのではないだろうか? “賭け”なければならない状況になど、陥らなかったのではないか?
人生に、“賭け”なければならない局面は、必ず訪れる。
――“賭け”が嫌いな俺だって、あの人と出会ったそのきっかけ自体が、“賭け”みたいなものだった。
あの時、後のギルド長の口車に乗っていなかったら、自分はどうなっていたのか。
――知りたくはある……だが、俺はきっと、この記憶を持ったままあの時に戻り、また選択をできるのだとしても、同じ道を行く。
その“賭け”に乗らないという未来は、だから無いのだ。
その選択は、選べないのだ。
――選択、か。
例えば今、自分にはどれだけの選択肢があるのだろうか?
――尻尾を巻いて逃げる……か?……そんな選択肢は、最初からない。
――状況が好転するまで待つ……か?……それだって“賭け”だろうよ。それに、俺にはその方が、分の悪い“賭け”に思えてならない。
――なら、自分から動いて無理矢理状況を好転させてみるか?……例えば何だ? 倉庫に火でもつけてみるか?……灼熱のフリードが相手ならそれでも良かったんだろうが……あの黒い影が、こちらの思う通りに行動してくれる気がしない……ジュベミューワ達を放置してきた分、騒ぎは、起こすだけこちらの方が損だろう。これも分の悪い“賭け”だ。
つまるところ、情報のない、突発的なこの状況において、全ての選択肢は「賭け」でしかない。
――結局、不意打ちで襲えるこの状況下なら、それをするのが一番、勝算の高い“賭け”ってこった。
逃げるという選択肢が無い以上、いずれに「賭け」るかは、自分自身で決めなければならない。
――なら、行くしかない。天に愛されていようがいまいが、俺は俺のやれることをするしかないんだ。
彼は、だがもう、幸運の女神の微笑などは欲していなかった、
求めたのは、彼が少年の日に出会った、夢の女神のそれだったのだから。
視界は反転する。
明滅する、光のような、闇のようなノイズが混じるそれの視界に、突風が吹いた。
「……つあっ!!」
身体に、衝撃が走る。
胸を、黒い槍が貫いている。
だが、痛みは感じない。貫かれた心臓は、もとより止まっていた。
今、ソレの身体を繋いでいる結節点は、全て人の急所とは違う場所に配置されている。
「くっ……やっぱ人じゃあ、ねぇってことかよ!!」
再度……今度は腹の辺りに衝撃が来る。
だが、その影にとって、だからそんなのはなんだという話だ。
「くそっ! なんだコイツは、なんなんだよ!!」
「ばぅん!!」
生きたかった。
死にたかった。
「腹と胸を槍で刺したんだぞ! 死ねよ! 倒れろよ!」
意味もなく生きていたくはなかった。
意味もなく死んでしまいたくはなかった。
多くの者は愚かで、自分が生きているか、死んでいるのかも判らずに生きている。
純粋だった子供も、ある瞬間から性欲やらなにやらの衝動的欲望に溺れるようになり、支配され、夢想という名の妄想に囚われる。
自分がなぜ生まれたのかも考えずに、自分がいずれ死ぬことを忘れて、欲望の操り人形となる。
愚かなるそれは、おそらくは神が与え賜うた原罪という名の断罪。
死と同等の苛虐。
「くそ……ああ落ち着け俺、わかってる、嗚呼わかっている」
――だから、某は生きる。
このような世界になど、イツワリの夢に溺れ、日々をただ生きているだけの者が闊歩する地獄になど、生きていたくはないが。
まだ、その時は来ていないから生きる。
――神に抗って生きる。
「つまりコイツは……アンデッドってことだろう?」
――某は、王都リグラエルにおいてもっとも偉大な魔法使い。
王都リグラエルが生き長らえたのであれば、まだまだまだまだまだ、やるべきことがある。
やらなければならないことがある。まだまだまだまだまだまだまだ、ある。
「俺の人生に、ふたつめのケチをつけやがった宿敵だ」
「わうっ!!」
――某は、ああ某は、私は。
「嗚呼まったく皮肉な話だよ、アンタはつまり、灼熱のフリード様の成れの果てってこったろ?」
自分を永遠とする魔術を、完成させなければならない。
老い、死ぬという神の苛虐に、拷問に、抗わなければならない。
「三回目!……クソ、気持わりぃ……腹にボコボコ穴が開いてるくせに、俊敏に動きやがってよぉ……おおっとっ!?」
自分を円環に閉じる魔法、それはまだ研究を始めたばかりのモノ。
それは老いを感じ始めた、四十代の頃に思い立ったモノだから。
経過としては、まだいくつかの布石を打っただけに過ぎない。
――時間は、懸命に生きてきたこの某にこそ、必要なモノである。予知夢という力は、未来視なる力は、神に抗わんとするこの私にこそ必要なものだ。
――ジュベミューワの身体を乗っ取るため、ジュベミューワに埋め込んだ燃焼石はまだ七つ、両肩、頚骨、肝臓、肺の片方、腎臓の片方、子宮……脳はまだ弄れていない、それこそが重要な部分が、手付かずのまま残っている。
――ノアステリアへは既に五十一も埋め込めたが……アレハモウダメダナ、精神の崩壊が始まっている。同性であるはずの、ジュベミューワへの性的な衝動を抑えられなくなっている。それが、共に埋め込まれた燃焼石への執着であるとも気付かずに。
「ばほぉん!」
ゆらり、灼熱のフリード……だったモノの腕が動き、それは焔の奔流となって黒槍のコンラディンを襲う。
「あっぶねっ! 助かったぜマイラ! お前は最高だな!」
――最初の五年間を無駄にしたことが悔やまれる。方向性を間違ってしまった。自分自身を不老不死にするなどというのは、既に何人もの先人が模索して至れなかった死に筋。
あの頃はまだ、自分ならばと思い上がれる若さが残っていた……そのことを黒い影は、心の底から後悔する。
――不滅などというモノはない。全ては死へ、滅びの時へと向かう羊の群れ。永遠の時を、生き物は渡れない、亘れない。ならば求めるは永遠の転生。老いた肉体を捨て、若き肉体へと渡る技術。肉体を超えて時を亘る技術。
「チクショウ、そんな状態でも、魔法は使えるってことかよっ、クソ、髪が少し焦げちまった」
――ならばまずは子を産める若き女の肉体へと渡る。そうして次の肉体を育てながら術式の研磨を、研鑽を試みる……そうしなければならない、可能か、不可能かは別として某は、私は、それを求めねばならぬのだ
「もう油断しねぇ、くたばりやがれ死にぞこない!」
「わぉん!」
ああ、それにしても……と。
ああ、それにしても、目の前のこの羽虫どもはなんなんだ、鬱陶しい……とソレは思う。
焔を伴う拳を振るいながら、むしろ焔そのものを揮いながら、己が行く道を遮る邪魔者に苛立つ。
――某の研究の邪魔をするな。某は研究室に、実験室に向かわねばならない。ここはどこだ、こんなところにはいられない。
いつか死にたいと思いながら、いつまでも生きていたいと願った男は、自分が崩壊していってることに、気付いていなかった。
己の、崇高なる研究こそが王国の未来を作ると信じ。
ならば自分自身の進退こそが王国そのものの進退であると信じ。
ならば自分自身の身体こそが王国の実体であると信じて。
王国のため、死ぬわけにはいかないと思いながら、目の前に現れた羽虫を払い除けようとしていた。
「つぁっ!! だからあっちぃって!! 腐っても、王国随一の魔法使い、ってことかよっ……体術は素人だから助かるがよっ」
「ばほぉぉぉん!!」
それは崩壊していく最後の時にありながら。
それは崩壊していく最期の刻であるからこそ、燃え盛っていた。
「だがいくら刺そうが堪えない、取り押さえるわけにもいないってのはやっかいだな。つーか、おっと!? その真っ黒な腕のっ、足のどこに筋肉があんだよっ、つぁっ! おかしいだろ!……ぬんっ! そんな状態で、犬よりも速く動くっ、とかよ!」
「ばぅっ!!」
黒い影は、何度槍で刺されても、何度マイラの巨体を使った突進に体勢を崩されようとも、まるでなにも堪えていない……かのように見えた。
時折、炭のように黒い身体が、やはり風を送られた炭のように一瞬ボゥと赤く光る。その筋は、血管のよう……には見えない。それは、人体の血管のようには、複雑に分岐した何かではない。
それは点と点を繋ぐネットワーク。
十七の結節点……額、頚骨、尾てい骨、両肩、両腕、心臓、肝臓、肺と腎臓の左右両方、丹田、両膝、両踝……となった燃焼石を、何かしらの魔力、あるいは生命力が流れ、通過して行くことで発光するある種のニューラルネットワーク。
それは、致命的な欠陥を抱えながらも、灼熱のフリードが至った魔術の深淵でもあった。
「は?」「わぅ!?」
燃焼石は、灼熱のフリードの発明品だった。
公的には王族が創らせた物ということになっているが、実際は徹頭徹尾、彼が着想し、考案して、数年の時を経て一般化されていった王国の公益品であり、今では重要な交易品ともなっている。
「な、な、な、な、な……嘘だろぉ、おい」
黒槍のコンラディン、その兄は同じ王国の公益品である「塩」の「扱い」を巡り、誤り、過って財務省王都財務局、局長の座を追われてしまったが、燃焼石は王都において「塩」よりも更に厳重な「扱い」をされる代物となっている。
それもまた、王都財務局、財務省の管轄外にあり、では、どこが管轄しているのかといえば……軍だ。燃焼石はある種のエネルギー資源であり、王国にとってはある種の軍需品でもあり、またそれの輸出を始めてしまった今となっては、もはや戦略物資といっても過言ではないモノとなっている。
「嘘だろおい……飛んだ?……あんなのが宙に浮いている?」
「わぉぉぉん!?」
燃焼石の生成には、炎魔法を必要とする。
全ての始まりは灼熱のフリードのユニーク魔法「灼熱」、それだった。
若き日のフリードは思った。強大な己の魔法、「灼熱」を圧縮することはできないかと。
そも、彼にとって魔法とは、世界のどこかにある、だがどこにでもあるエネルギーに語りかけ、触り、操作して何かを成す、そうしたプロセスを踏んで行われるナニカであった。
それは確かに人智には未知の、ゆえに神秘を感じる、神や精霊といったナニカの存在を夢想させる現象……そのようなものではある。
だが、灼熱のフリードの自尊心は、それをこう捉えた。
それが神だろうが、神秘だろうが、人と対話をし、触ることを許し、操作されることに甘んずるのならば、それは己が支配すべき対象でしかないと。
崇高な存在でも、不可侵なナニカでもないと。
魔法の根源がなにか、なんなのか、なにもかもがわからない、だがそれが現象として確かに存在するものであるなら、己が知性によって超克できないナニカでもないと。
ならば未知であり神秘である己の魔法、そのエネルギーを圧縮し、閉じ込め、支配して、保存、保管をして使うことはできないものかと、彼は考えた。
できた。
様々な試行錯誤の結果、炎魔法を「放出」するのではなく、触媒となる物品が鎮座する一点にそれを「凝縮」させると、触媒次第で様々な性質をもつ燃焼石となることがわかった。
最初は、それは灼熱のフリードただひとりが行える技法だった。
しかし、己ひとりがエネルギー資源の源泉であるなら、一生それの精製と生成に従事させられてしまう。国は、貴重な能力を持つ人材であるのならば監禁し、非人道的な扱いをしてでもそれを利用しようとする。フリードに、そのような場所に堕ちる気など、毛頭無かった。
ゆえに灼熱のフリードは、こう考えた。
燃焼石が、己が発したエネルギーの塊であるのならば、それを人体に埋め込めば己と同じことが……否、己よりは数段劣るそれが、可能となるのではないだろうかと。
可能だった。
様々な試行錯誤の結果、三桁に届く被験者という名の犠牲者を消費して、脳は駄目で心臓も駄目で肺腑でも駄目、腰椎も膵臓も陰茎も精嚢も駄目で、乳房も乳頭も陰核も駄目であることを確認しながら……ある程度炎魔法を使える者の頚骨にそれを埋め込んで鍛えれば、自分と同じように、燃焼石が精製できるようになることを確認した。
何割かは首から下が動かせなくなり、文字通り燃焼石を生むだけの機械と成り果てたが……そのような悲劇などは、甚だしく華々しい成果がそれを覆い隠してしまった。
煙も出ず、臭いも出さず、ただ熱というエネルギーを供給してくれる燃焼石は、貴族の生活には欠かせないものとなってしまった。彼らは煙や臭いの出る火力を臭炎と呼んで蔑み、燃焼石を、己が虚栄心の、文字通りの燃料としてしまった。
灼熱のフリードはこの功績によって、相応の地位と莫大な財を得た。
王の直轄地から、魔法の研究のための領地を分譲し与えられ、伯爵家の四女を娶り、子も生まれた。
灼熱のフリードが家庭において、家族に、どのように振舞っていたかについては記録がない。その当時の家人は、使用人を含め全て死んでしまっているからだ。
ただ、彼に嫁いだ元、伯爵家の四女は、大変な美貌の持ち主であり、人柄も素晴らしいものであったと伝えられている。古くより灼熱のフリードを知る者は、彼が結婚してよりの数年は、人が変わったように明るく優しい人間となったことを記憶している……多少の気持ち悪さと、強烈な違和感と共に。
彼が再び、魔術の進歩のためならば人を人とも思わない、非人道的研究に着手したのは……実験体の苦痛など、その人生など、塵芥ほどの価値もないと言わんばかりな考究を再開したのは……その妻と子が、ほぼ同時期に他界してよりのことだ。
その死の原因はわかっていない。母子がほぼ同時に亡くなっていることから、流行り病であったとも、灼熱のフリードの魔術の実験に巻き込まれ、その事故によって亡くなってしまったのだともいわれている。灼熱のフリードは頑としてその口を割らず、妻の生家であったコーニャソーハ伯爵家と彼との間には、解消しようのない確執もできてしまった。
だが、そうして再開された彼の非人道的研究は、しかし一方では「燃焼石を生むだけの機械」となる者の割合を減らしもした。
それは、それもまた多大な功績ではあった。
燃焼石を生むだけの機械……とは言っても、元は彼ら彼女らも将来が有望な魔法使いであったのだ。大半は十代の若者である。それが知性を、意識を保ったまま、糞尿を垂れ流しながらも燃焼石を生み続けるだけの生活を強いられる光景というのは、人権意識が無くとも、多少の良心があれば胸を抉られるようなモノではあったのだから。
結婚していた頃のフリードが、彼ら彼女らの様子を視察しに来たことはない。
自分が生み出したものでありながらも、彼はその光景を避け、もしかすれば甘い新婚生活に、家族との時間に逃亡していたのかもしれない。
九十五パーセント。
頚骨への、燃焼石の埋め込みによる、燃焼石を精製できる魔法使いの生成、その成功率が、その数値に達した時。
灼熱のフリードは、「失敗作」の廃棄を決めた。今後、五パーセントで生まれて来る者の即時廃棄もまた、同様に。
栄光ある王国において、これが公になれば体面の大変よろしくない事態となるという論を軸として、良心のある者へは人間の尊厳であるとか、特に良心など持ちあわせていない者へは斯様な者を世話し続けるコストの方が問題であるとか、そうした様々な理屈で「非道」な「処置」を受け入れてもらった。
感謝された。
長い者で七年、燃焼石を生むだけの機械となる生活を続けていた者のほとんどが、一瞬で蒸発できるフリードの魔法、「灼熱」に感謝して逝った。例外はあったが、それは苦難の日々に、精神を病んでしまったからだろうと……灼熱のフリードは思っている。
ともあれ、灼熱のフリードには、これによる膨大な技術と知見が残った。
燃焼石には、自分の能力を埋め込むことができ、それを他者へと移すことができるという、莫大な技術と知見が。
そうして再び、視界は反転する。
「なっ!?」
黒槍のコンラディンの目の前で、倉庫のあちこちから光と熱が立ち昇っていく。
「わぉぉぉん!?」
それは何ら比喩などではない。
本当に、光る物が、熱を放つものが宙に浮き、釣る糸などは何も無しに上へ上へと昇って行っているのだ。
「燃焼石!? ここは、燃焼石の倉庫かよ!?」
マズイマズイマズイと、黒槍のコンラディンが呟き始めるのを他所に、光り、熱を放つ燃焼石の輪をまとった黒い影は上空へと昇っていく。
「くそ、なんて数の燃焼石だ! あれだけの量に火がついたら、こんな倉庫なんか一発で吹っ飛ぶぞ!?」
コンラディンも、貴族の出身である。十四で家を出るまでは貴族の生活を享受していた。燃焼石がたった一個で、風呂であるなら貴族用の、十人は入れる風呂を十回は沸かせられるエネルギーの塊であることを知っている。下手に扱えば大爆発の危険があることも。
一瞬、彼は槍で黒い影……灼熱のフリードの成れの果て……を、撃ち落そうかとも考えた。
「ばぅっ!!」
「くっ……」
が、思い直す。
今は、それよりも退避を急ぐべきであると。
アレが、眠る父娘から距離をとってくれた今こそ、逃亡のチャンスであると。
「マイラ、ユーフォミーちゃんを乗せて……走れるか?」
人間の下半身いうのは、案外重い。生まれつき両足が無く、極めて細身であるユーフォミーの体重は、成人女性の半分程度に過ぎない。だがナッシュはその四倍以上の体重であろう。どちらがどちらを担ぐかに関しては、最初から選択肢が無かった。
「わぅっ」
マイラは大人しく、されるがままに意識のないユーフォミーをその背に乗せ、落ちぬようにと腹と胴に通された紐の締め付けにも、特に不快感を表さなかった。それどころか、その状態のまま、力強く前片足を交互に上げ下げして……なんというか「やれますがなにか?」といった雰囲気を醸しだしている。
垂れ耳の顔が、こころなしか、誇らしげに笑っているかのようにも見えた。
「お前はホント、すげぇな……」
そうして、コンラディンは素早く自分もナッシュを背負おうとして、その筋肉質の腕を取ったところで……。
「っ!?」
嫌な予感に、首が跳ねる。
視界の先には……。
「……目ん玉はもうねぇのよ、人のこと、見下ろしやがって」
まとっていたはずの炎の輪はどこへやったのか、黒い影が単独で……地表より二十五メートルほどであろうか……建物の天井付近で静止したまま、コンラディン達を見つめていた……コンラディンからはそう見えた。
「くそ、結局アイツを、やらなきゃ逃げられないのか?」
黒い影はじっと見ている。
その視線の向かう先は、あるいは意識の向かう先は、しかし黒槍のコンラディン、ではない。
そこから直線距離にして四十メートル程の距離から自分を見上げている、身体の半分が黒化したノアステリアを、それはただじっと見つめている。
なお、黒い影となってしまったフリードさんですが、これはサーモスコープを装着したライフルで熱源、燃焼石を撃ち抜いていけば簡単に倒せます(3月24日が楽しみですね)




