epis41 : cross the line to the end
※前書き
ここからめちゃめちゃ時間が進みます。トントン拍子です。
面食らわぬよう、ご注意下さい。
The time has come.
時は来た。
断罪の時が。
「私は間違ってない! 私なくしてこの家の繁栄は無いぞ! リゥ!!」
コンラディン叔父さんとは違う、私にとってもうひとりの叔父、ママのすぐ下の弟、五人兄弟の第四子、王国の騎士となったリゥダルフ叔父さんによって捕縛され、剣を突きつけられたゲリヴェルガ伯父さんは……圧の強い声で吠えた。
リゥダルフ叔父さんは、ソフトだけど少しだけ気の弱そうな声。
ゲリヴェルガ伯父さんは、こんな状況にあっても威圧的な、居丈高な声。
かつての力関係をあらわすような声が、それが完全に逆転した今でも、そのままでぶつかり合っている。
「兄さんはさ、子供の頃の方がマシだったね。親の言いつけには、それなりに素直だったから」
そんな状況にあって私、彼らのどちらからしても姪のラナンキュロアは……というと。
「……うぅぅ」
げんなりしている。
「そうだ! 私は間違ってなどいない! 全てはこの家を! この国を! より良きモノとするための方策! 愚かなるはそれを上辺だけで判断し遮る者と知れ!!」
臭い。
これは本当に臭い。
この臭さは、推定前世で異常な最期を迎えたあたしの偏見、色眼鏡、そういったモノから生み出される幻覚……ではあると思うのだけれど。
でもここにいる私が、実際にそれを臭いと感じているのは、まぎれもない事実だ。拘束され、跪かされた伯父が、私をギラついた目で見てきている。
その目が臭い。圧倒的汚臭が、そこから溢れ出てきているかのようだ。
「ラナンキュロア! 私の可愛い姪よ! 我が妻となれ! 神に愛されし私に仕えよ! さらばこそその身、その心! その生涯は! 天に報いし尊きモノとなろう!!」
今、私がゲリヴェルガ伯父さんへ感じているものは、憎悪でも、恨みつらみでも、それらが報われる瞬間の「ざまぁ」でもない。
「会話になんね~。兄さんさ~、そもそも、ユーマ王国は絶対神を擁く国じゃないんだけど。……西国と違って」
嫌悪だ。
ただひたすらに、吐き気のするような嫌悪感だけが心と身体を充たしている。
レオが偶然にも討伐した、あのヒュドラが、少しだけ思い出される。
嫌な臭い、斬っても斬っても生えてくる蛇頭、その白い肌、毒であるというその肉。
あの時も、世界は嫌な臭いで充たされていた。
「どうして理解できない!? この国には私が必要なのだ! 私の冴えたるこの頭が! どうしてお前達はそれほどにも愚かであれる!? 学ぼうとしない!? 賢者を敬い、頭を垂れるその姿勢を持てない!? そなたらの頭では無理なのか!? ラナンキュロア!!」
「……はい?」
「そなたには理解できるはずだ! その冴えたる頭で生家を凋落より救った、神に愛されし娘よ! 我と同じ血を持つ神の愛し子よ!! そなたなら理解できるはずだ! 神に選ばれし者の定めを! 我ら賢者は愚者を導かなければならぬ! 愚かにも我に縄をかけようとするこの愚か者へ! 言ってやるのだ! この私を愛していると! 神に定められし信実の愛がそこにあるのだと!」
「……」
なんだろう、もう、絶句するしかない。
それだけの長い妄言を……もとい、文言を、噛まずに、トチらずに、最後まで言い切ったことは凄い。
だから、こうとだけ思った。
――この人は、頭が悪いわけじゃないんだ。
――どうしようもなく、性格が悪い。
――どうしようもなく、性格と人格が、歪んでいる。
「……すっげぇ。ラナちゃんって、このどうしようもないクソ兄と、面識、無かったんだよな?」
「……はい」
あなたとも初対面ですけれど、リゥダルフ叔父さん。
「神に定められし運命にそのような瑣末! 意味があるものか! 神の意思に背く愚か者め!! 私を今すぐに解放するのだ!! 神罰が怖くないのか!! そなたに! そなたの妻に! 子にまでも天罰があたるぞ!!……がっ!?」
うわぁ……。
うっわぁぁぁ……。
さっすがコンラディン叔父さんの一番年の近い兄弟、リゥダルフ叔父さん。捕縛され、自由には動けなかったゲリヴェルガ伯父さんの、その顎を、コンラディン叔父さんが、あの女性を尋問した時がごとく、容赦なく蹴ったわ。
「縁起でもないことを言うな。俺のことはどうでもいいが、妻子まで馬鹿にされ黙っていられるほど、俺も温厚にはなれない」
「リゥ」
と、これまで私のすぐ横で、四人の屈強な男達……おそらくは伯爵家の私兵だろう……に囲まれ、黙っていた伯母さんが、ついに口を開いた。数年ぶりに見る伯母さんは、心労でもあったのか、以前に会った時よりも少しだけ痩せて見えた。それでもやっぱり、ぽっちゃりといった感じではあったけれど。
「言わせてやりなさい、莫迦の最後の妄言です。愚かとはかくあるのかと学び、今後に活かしなさい」
「はい……姉さん」
「最後!? 最後とはなにか!? 愚か!? 愚かとは誰のことを言っているのです!?」
伯父さんは、腐っても官僚気質なのか、既に伯爵家の一員となった姉へ、直接的な暴言や侮辱などは投げなかったが、語調の荒い、その態度がもう、伯母を囲む四人の男達を殺気立たせていた。そっちはそっちで、私には別の意味で怖い。
「最後は最後ですよ、ゲリヴェルガ。あなたはもうおしまいです。あなたは一線を越えてしまいました。貴族としても、人間としても」
「何を言って……私をどうする気だ!?」
私は先に、それを聞いて、知っている。
ゲリヴェルガ伯父さんは、モンスターに襲われ、死んだことになる……らしい。
コンラディン叔父さんが発案し、採択されたカバーストーリーはこうだ。
伯父は自分の家……ママの生まれ育ったというこのお屋敷……で、モンスターに襲われ死んだことになるらしい。そうしてからしばらく後に、王都には戒厳令が布かれる。
軍属の魔法使い達が捕捉した、何百という強大なモンスターの襲撃を迎え撃つため、王都は都市機能を一部封鎖して、厳戒態勢へと移行する。
伯父さんの死は、そうなるに至った、そのきっかけのひとつとして利用される。
つまり。
「この愚か者にも、まだ役割があります。逃がさぬよう、しっかりと捕縛して殺さぬよう、務めなさい」
「はっ!」「ははっ!」「はっ!」「はぁっ!!」
「……りょーかい」
「何を言って……何を言っているのだ!?……やめろ! 放せ! 私は神に愛されしゲリヴェルガだぞぉぉぉ!」
伯父さんは一ヶ月以内に、実際にモンスターによって殺される。
その死体は、ひと目でモンスターの残虐さがわかるように、なるだけ派手に、むごたらしく損壊していなければならないらしい。検死を誤魔化すため、それは実際に、派手に、むごたらしい死でもって成されるのだそうな。
「ううっ……」
同情は……しない。
まったくもって同情はしない、できない。
「ラナンキュロア・ミレール・ロレーヌ」
「はい」
「愚弟を、連行してしまって、構わないかしら? 言いたいことがあるなら、今しかないのだけれど」
「今しかない!? どういうことですか! 姉上!!」
この私を、半ば強引にこの場所へ同席させたのは、そのためだったのだろうか?
ある意味でそれは、親切であるとか、温情であるとかなのだろうけど。
「……はい。言いたいことなんて、最初からありませんでしたから」
私には不要だ。要不要の不要の方だ。
「そう……そうよね、ごめんなさい。公式の場では謝れないから、今ここで謝罪するわ。これは私の甘さが招いたことでもあります。あなたには迷惑をかけましたね、ラナ」
「いえ……」
そうして。
嗚呼まったく、私に「ざまぁ」は向いていないと、臭い臭い臭いの中、陰鬱になっていく自分自身の心に、もはや諦めのような想いでもって向き合いながら……私は。
「やめろ! やめろ!! やめろぉぉぉ!!」
ただひとりの人間の終わりを見ていた。
それなりに血の近い、伯父と姪なる続柄の、しかし結局は全く接点が無かった男性の末路を見ていた。
接点が無かったのは幸運だったけれど。
しかし、そうであるがゆえに実感を伴った憎悪、恨みつらみを全く抱けない相手が連行され、これから死ぬのだということに対する感慨も、特に起きなかった。
ああ、頭のおかしな人が、当然の報いを受けたんだなって、それくらいの気持ちで。
だからレオによく、頭がおかしいと言われるこの私も、もしかしたらいずれ、その当然の報いを受けるのかもしれないなって。
そんな漠然とした不安を感じながら。
ただ地獄へと連行されていく、そんな伯父の姿を、私は茫然と眺めているだけしかできなかった。
「ラナンキュロア! 私を助けよ! そなたの生まれた意味はそこにある! その身! その才覚! 全て私のモノだあああぁぁぁ!!」
この数ヶ月間、私を苦しめていたその元凶は、こんなものだったのかと思いながら。
<コンラディン視点>
やることが尽きない。
俺はこの事態において、モンスターに殺される前に、仕事に忙殺されるんじゃないかってくらい忙しい。
冒険者ギルドの、天に一番近い階で、天高く詰まれた書類を前に、俺はこのまま天に召されるのではないかという境遇にいた。
「コニーも大変だな」
「……そう思うならさぁ、手伝ってくれないかねぇ、リゥ兄さん」
「お、騎士様も手伝ってくれんのかい? 王都にはかつて無かった非戦闘員の避難勧告、前例が無い分、書類を作るのも大変でなぁ。こんなことならギルド長になんかなるんじゃなかったぜ」
「我々も我々で、貴族達への通達と協力要請をどうしたものかって、王宮が紛糾して大変なんだよ?」
「つってもそりゃあ数が限られてるじゃねぇですかい」
「そりゃあね、そうだけど……上の方になると皆、それぞれに思惑があるからね、ただ避難しろ、ただ協力しろとはいかないわけで……困ったモンだよ」
苦笑……ですらない、ヤケクソのような笑みを浮かべた顔で、リゥ兄さんは細いため息のようなモノを吐く。だがため息を吐きたいのはこっちだ、リゥ兄さんは椅子に座り、くつろいでいるが、俺とギルド長はこうしてる間も手を動かしているのだから。
「それより、軍の魔法使いさん方は、何人くらい協力してくれるんで?」
「今回の場合、防衛というよりは迎撃戦だからね、防御系であったり、治癒系であったりといった魔法の使い手は、王宮の守備の方へと回されるだろう」
「前線で戦う者への援護は、ねぇってわけですかい」
「とにかく倒せればいいわけだからね。まったくないって事態にはならないだろうが、まずは王宮の防衛から、王族の保護からと言われれば、抗弁する術も無い」
そりゃあよかった……そんな皮肉を口にする気にもなれないほど、それはある種の正論だが、しかし前線へ回されるだろう俺達には全く笑えない、悪質な冗談のようなモノでもあった。
「灼熱のフリードは自分から申し出てくれた。背負子のユーフォミーもだ。同じようなのがあと十数人はいる」
「十数人……数十人ってならないところが、この国の危機感の無さをあらわしているね」
「そりゃあ、モンスターとの戦闘経験がある軍属の魔法使いなんて稀だからな。自分から申し出てんのも、大半がユーフォミーちゃんと同じ元冒険者だ」
「後はよ、自分の実力を試してみたい、酔狂な若者が何人かってところじゃねぇの?……コニーんとこの姪っ子はどうだ?」
「……はん」
ギルド長は、猫の手でも借りたいところなのだろうが、俺としては、そこはあまり言ってほしくない部分ではある。眉間にシワがよるのが、自分でも判った。
「俺は、反対ですよ」
「でも、つぇえんだろ?」
「私も会って、少しだけ話をしたが、ラナンキュロアはその見た目通り十三歳の少女、それ以上の何者でもないように思えたな。その心はまだ、脆弱であるように見える」
「騎士の、鉄の掟に従える兄さんには、誰だってそう見えるんじゃねーの?」
「そんなことはない、姉さんは、今でも強い人だったよ」
「へいへい」
このシスコンめ、嫁さんを、昔の姉さんと比べてやるなよ?
「俺はな、ラナちゃんとその従僕を、今回の表舞台に上げるのは危険だと思ってる」
「従僕、ねぇ……そんなに強いのか? 件の彼は」
「俺も知らねぇですよ? コニーが勝手に言っていることでして」
「九頭のヒュドラをソロで、数分で倒しきった。事実としてはそれだけだがな」
「九頭のヒュドラをソロで!?……いや、だが状況と相性次第か、どうやって?」
「どうやってって……」
どうもこうもない、力押しだ。敵の攻撃を避けて、再生してくる頭の全てを斬って削りきった……それだけだ。それを聞くと、リゥ兄さんはガバと椅子から立ち上がって、叫ぶ。
「まさか! 信じられん!」
「だがコニーが嘘をついているとも思えんのがなぁ」
「信じてくれない方が、今は助かるのかもしれねぇが、何度聞かれても答えは一緒っすよ」
「だ、だがそれが何度も使えぬ特殊な技であるなら……」
「そこまでは俺も知らん、だが、単純に戦力として期待できるか、できないかで言えば俺は期待できると思う」
単純な戦力としてなら、ラナちゃんの従僕、レオ君は無敵だ。
その腕は信用できる。ラナちゃんに忠実だということも。
ドヤッセ商会の店で、四人に襲われていた時も、安心して観ていられたくらいだ。まぁ、多対一の戦いとなると、捨て身の相手に押さえ込まれたら詰むから、そうなったら踏み込もうと思ってはいたが……。
ただ、問題は、そこじゃないんだよな……ペンの尻で耳を掻きながら、俺はそのことを兄へと告げる。
「だけど、従僕君には、この国を守ろうという意思はないだろうな」
「それは? どういう……」
「従僕君が守りたいのは、ラナちゃんだけだ。それに関しては、ユーフォミーちゃんよりももっと割り切ってるよ……俺はそう思う」
「だがラナちゃんはこの国の生まれだろう?」
「兄さん……ラナちゃんに、愛国心があると思うのか?」
「……それは」
「俺は、それを求めるのも酷な話だと思う。無理強いすれば逃げるか、最悪敵対してくるよ? アレは」
そういう未来は、避けなければならない。国のためにも、ラナちゃん達のためにもだ。
「取引の余地はねぇのか?」
「ある」
あるというか、できた。ちょっと前に。
俺は、俺達はある意味でラナちゃんの弱みを握った。レオ君は立派な犯罪者だし、ラナちゃんには、それを匿ってしまったという罪がある。
「なら交渉で……」
「だからそれを、したくねぇんですってば」
だがそれを盾に、どこまで使えるかは全く不透明なところだ。下手に使うと逆ギレされて……つまりは敵対ルートになるだろう。最悪だ。
「対抗できる、可能性のあるユーフォミーちゃんを引き込むのだって、何十日と苦労してやっとなんだぜ? まだ準備は整っちゃいない……俺はそう判断する」
「……敵対したくない、か。おめぇの判断なら、それは尊重してぇけどよ」
「愛国心は期待するのも酷……か。私達には、耳の痛い話だ」
ラナちゃんがそうなってしまったのには、俺や俺達兄弟のいざこざが関係している。そのことへの罪悪感はある。どうにかしてやれるなら、どうにかしてやりたいという気持ちもある。
心情的には、俺は確かにラナちゃんの味方だ。
だがどこまでもは、味方してやれない。
この国と敵対するというなら、それに巻き込まれるわけにはいかない。俺はこの国で一生を終えるつもりだし、リゥ兄さんだってそれはそうだろう。愛国心があるとは言わない、だがこの国に命を捧げる覚悟ならある。結婚するかもしれない女達だって、この国から出たいなどとは言わないだろう。なら、俺が守るべきは、どちらなのかという話だ。単純な選択の問題だ。
生まれの源流に絡む、可哀想な女の子か、今の自分を育み、これからも生きていくその場所の地歩か。その二者択一へ行き着けば、俺は必ず後者を選ぶ。だからこそそこへは向かいたくないのだ。その可能性も全て潰したい。
だが。
「そうは言っても、私達は本当に、今ある戦力だけでこの難局を凌ぎきれるのか? 戦闘が、始まってもいない内から憂慮しても仕方無いとは思うが、敵は観測された地上と地下の数百体だけで全てなのか?」
「それは……」
そこで、リゥ兄さんが、妙に頭に残る言葉を発した。
それに、俺達は答えられない。
それは、今は答えられる者のいない疑念、その問い掛けだった。
あの、壮絶な拷問の末に、敵が東の帝国であり、その尖兵であると吐露した女性でさえも、おそらくは全てを知らされていない一兵卒であった可能性が高い。
自分を、パスティーン・オムクレバ・パスティミルジョーンズ・ガッダ・リュロヴァーヂ・ノド・メムザアデュフォーミュラン・ジ・グレイオ皇帝の娘であると言っていたが、皇帝に子は四百人を超えているのだとも言う。母親はハーフエルフであったというから、身分の高い者でもなかったはずだ。
その規模の家族の実情と、その愛情の在り方については、俺の想像の及ぶところではない。だがあの女性は、親に使い捨てにされたと見て間違いない。重要な情報を知らされていたとは思えない。
例えば、別働隊の存在とその動向が、ほとんど掴めていない。それはユーマ王国の、いずこかの貴族に、寄生する形で存在しているのだという。そうなってくると、潜伏されるとこちらとしても打つ手がなくなってしまう。お貴族様へ、調査団を向けるわけにはいかないからだ。証拠があれば、王の勅命を賜ることもできるだろうが、相手が動き出さない内はそれもままならない。
痛かったのは、精神感応を使える魔法使いが、いつの間にか殺されていたことだ。あの男はずっと隠され、秘匿されてきた人間だった。それが、モンスターの実態調査に駆り出され、表舞台へ躍り出た瞬間に殺されてしまった。下手人は不明。まぁ誰でもいい、心を読まれたくない人間なんて山ほどいる。敵方にも、この国にも。
俺は、精神感応を使える魔法使いが、この国に彼ひとりだなんて思わないが、逆に考え、こうも思う。
心が読めるなら、より深刻に理解しているのではないだろうか?
己の能力が、人に知られれば遠からず疎まれ、憎まれ、排除されてしまう類のモノであるということに。
死んだ男が、稀な例外だったのだろう。その意味でも惜しい者を亡くした。
あの女の部下、別働隊との連絡役、そうした者達は女が吐いた時点で逃亡していた。もっとも捕まえたとて、知っている情報は女と大差なかったのだろうが。
そうして今に至る。
なんというか、後手に回らされ、遅きに失した感がある。
この辺り、王都リグラエルにおける番役、大番役のシステムを上手く利用された感がある。スパイが入り込む余地を、あちこちに作ってしまったのだから。
敵方はおそらく、冒険者ギルドの調査団を三度全滅させている。モンスターを上手く使ったのか、それとも熟練の冒険者パーティを簡単に倒しきるだけの戦力があるのか、それはわからないが、忌々しいことこの上ない。死んだ者達の中には、友人と呼べる者もいた、何人もだ。
だが、これは版図拡大の野望を持つ帝国が、ここまで本気に仕掛けてきたことだ。
まだ、なにかある。そんな気がしてならない。
その可能性は、おそらくはリゥ兄さんが懸念する以上に、高い。
敵がやってくるのは、地上と地下だけで全てか?
その言葉が、重い意味を持つ日は……そう遠くない未来、確実に来るような気がしてならなかった。
<レオ視点>
戦争が、戦争と呼んでいい戦乱が、始まった。
侵略者がやってきた。街は壊され、戦闘員も、非戦闘員も簡単に死んだ。
その報を、僕達は王都とは別の場所で受けた。
戦闘が始まる前、避難勧告が出され、王都の外へ、数千という人が逃れた。
避難のその途上で運悪くモンスターに襲われ、全滅する一団もあったが、幸いと言っていいか「敵」は王都の擾乱こそが目的だったようで、去る者を追うことには積極的でなかった。
避難民は、その多くが無事、避難先へと辿り着くことができた。
ラナと僕も、そのうちのひとり……ふたりだった。マイラも入れれば、三人かな。
僕達は、ボユの港という、王都から南へ数日、馬車で行ったところにある港町へと逃れていた。
月は神楽舞からひと月、ふた月と流れ、十二月である乳海槽となっていた。
乳海槽はたった七日しかない月だ。平時であれば荘厳な神事が行われる月でもあり、神楽舞の喧騒とは、うって変わって王都が静かになる季節でもあった。
ボユの港では、しかしそうしたこともないらしい。いつもこれが港町かと、思うような喧騒と、途切れることのない潮騒と、その匂いと、そういう諸々で満ちている。
日々、それを実感しながら、ロレーヌ商会、ボユの港支店の手伝いとして働き、過ごしていく中で……僕達は王都が今はどうであるかなどということは、段々と話題にしなくなっていった。
マイラを散歩に連れて行くと、時々海を見て動かなくなったりもした。
不思議と、マイラが見ている方角は、王都とはまるで違う方向であるにも関わらず、そういう時だけ僕は、王都のことを思い出した。
あそこに良い思い出などは、僅かしかないというのに。
ラナの、コンラディン叔父さんも、リゥダルフ叔父さんも、戦死したりなどはしていないらしい。……伯父は死んだらしいが。
伯母さんは、伯爵家の領地へと逃れたらしい。だがラナのお父さんは王都に残った。生活物資の調達とその分配について、国から協力を要請されたらしい。ただ、今も支店への指示は途絶えることなく続いているようだから、壮健で健在ではあるのだろう。お母さんの方も残ったらしいが、そちらのことは、まるっきり知らされていない。
マリマーネさんは……ボユの港にいたりする。ドヤッセ商会、ボユの港支店で働いている。たまに会うが、こちらも、王都がどうであるかなどを話したりはしなかった。色々あって、ラナとは友達であるのかそうでないのか、よくわからない関係になったが、皮肉を言いあったりはするものの、その遣り取りからは、嫌な感じは伝わってこない。
王都よりの避難民は、だからそうして、王都のことを一時的に忘れ……というよりも意識しないようにして、日々を忙しく過ごしていた。
だから、そうした中やってきたそのふたりは、そんな僕達に現実を思い出させる……王都では強大なモンスターとの戦いが、今も行われているのだという……そのことを嫌でも実感させられる、そういった類の……ある意味では招かざる客だった。
「ちぇぴー! 元気してたー!? ひっさしぶりー」「ん」
背負子のユーフォミーさんは、元気そうだった。相変わらず、四色の出で立ちでくねくねと動き、健在っぷりをアピールしている。
けど。
まるで、足の無い彼女に、運命が無理矢理、父親をも巻き込んだとでもいうかのように。
彼女を背負う、その大きな身体には、ひとつの大きなものが欠けていた。
右手が、二の腕の途中から、なくなってしまっていた。




