epis04 : Indeterminate Universe
気が付けば世界は震えていた。
全ての景色が、高速で流れていく。
背と鼓膜には、ガタンゴトンと定期的な振動。
情景は不定形で。
体感は循環する景観に瞬間、五感を万能感へと連関し、転換して。
けれど壮観な一体感は、寸閑で。
和えなく、敢えなく。
石棺のような。
自分という、輪郭の自覚が、やがて戻ってくる。
深くから知覚に捕獲され不覚、またも不自由な人格へと鹵獲されていく。
だから私は、いまだこの世界に、繋ぎ止められている。
「お目覚めですか?」
見上げればそこに、ふわふわと揺れる少女がいた。
それは、まるで、カプチーノの泡のようにふわふわと白くて。
「……え?」
「目を、覚まされましたか?」
雪のような美貌だった。
完璧すぎて、ある意味では現実感のまったくない美貌だった。
まるで、夢の中へと、迷い込んだかのような。
重力という頚木を忘れた心が、ふわっと、躍るような。
喩えれば、やはり真冬に上空から降下してくる、なにもかもを白く染めていく、あの粒子。
目に映るこの世全て、その組成を、根本から塗り替えてしまうかのような。
辛い、醜い現実という風景を、根元から造り替えてくれるような。
私の視界が、柔らかな微笑みで、白く染めあげられる。
「……えぇ?」
軽やかにふわり、揺れる、長い、白銀の髪が、天井に揺蕩うランプの橙を吸って、白金のようにも輝いている。
それは、こちらを見つめている瞳と同じ色で。
纏う乳白色の、時代がかったエプロンドレスには、日常、目にしないほどの量、華美な、それも白と白と白のフリルで飾られていて。
純白で。
だけどそれすらもガタンゴトンと揺れる世界に、揺蕩っていて。
だからふわふわした泡のようにも見えて。
その優美な曲線は、どこか輝くように、幻想的に、ロマネスクの香りを漂わせながら、或いは幽玄の趣きをも見せつつも、だけれどもそこにあって。
俗世から、私の覚醒を隔世してしまう。
揺れるフリルに、酔ってしまいそう。
「……ど、どなた様でしょうか?」
白い少女に、白金の瞳を向けられ、目覚める。
そうした自分は、どこの誰で、どうしてこのような美貌に、慈愛すら感じる優しい目を向けられているのか。
一瞬、それが凄く遠くのことのように感じ。
不確定の世界へ一瞬、頭が混乱する。
私は。
えっと、だから。
千速、継笑。
鳥の鶫ではなく、継ぐ笑みと書いて継笑。
それが自分の名前だったはずで。
好きになれなかった両親から、何を継ぐのも嫌で。
だから好きになれなかった名前で。
巻き添えのように、笑うことに罪悪感を覚えてきた、この石棺の識別名だった。
世界を、高速で走る列車が流れていく。
ごうと重々しく。
ゴトンゴトンと軽やかに。
その色は黒。石炭のように無骨な黒。
重厚な鉄のようには、拒絶感もなく。
かといって玩具のそれのようには、プラスティックであるとも見えずに。
漆のような艶は無い、ただひたすらに無骨な黒が、しかしそこに在るという圧倒的な存在感でもって、自らが生み出した風と共に、悠々と走っていて。
全ての景色を押し流していく。
すれ違う今は、許されるなら解放されたいと願う檻であり、澱であって。
けれど過去となり振り返れば、積載されていたモノ達を惜しいとも思い、遠ざかるそれらへ愛しさすら覚えることもあって。
だからただ、世界は流れていく。
懊悩する今という檻を、愛おしい過去へと変えながら。
「ごめんなさい、私、えっと、用事があって。やらなきゃいけないことがたくさんあって、それで、だから……すみません、ここ、どこですか?」
私は。
そこで漸く、直前のことを、思い出す。
私の現実を思い出す。
そう。
だから私は。
千速継笑は、家へ……そう……好きではない両親のいるあの家に……だけど後、五、六年はいなければいけないあの家へ……忘れ物を取りに帰る……その途中だったはずで。
取りに行かなければいけないものを……それってなんだっけ?……そう、確かそれは……だ。それを取って、また学校へ、そう学校だ、学校へと戻らなければ。
……学校?
……随分とそれが、疎遠となってしまっていたモノのように感じる。
……そんなはずはない。
……私は現役の女子高生で、学校こそ自分の居場所のひとつで。
……いや、あそこに自分の居場所があった気はしないのだけど、でも。
……毎日登校していたし、今日だって午前中はずっと学校だったはずで。
……それで、学校から一旦家に戻る途中だったはずで。
……そのために、電車に、乗ったはずで。
……電車?
……私が乗った電車は。
普通の、電気で走る機能的な、何度も見た風景の中を走るモノのはずで。
こんな装飾的な、古い映画で見るような寝台車がある車両のはずもなくて。
窓の外に、見たこともない風景が流れていくこともなくて。
……おかしい。
十七年間、けだるく続いてたはずの日常が、プツンと途切れている。
そのことに眩暈がするほどの違和感を覚えている。
記憶の中の、連続してなければおかしいはずの、女子高生であるはずの私。
それらは、複数の車両が連結された列車のように。
しかと繋がっていなければ成立しないモノのはずで。
私は、だから平凡な……というには寂しい学生生活を送る……学生だったはずで。
家でも学校でも、居心地の悪い日常に喘ぎながら、それでも身体は健康に、大過ない毎日を送っていた。
……そのはずで。
それと今……こうして振動に揺られ、現実感をまるで感じさせない、絶世の美少女に白金の瞳を向けられている自分……なんてモノとが、繋がらない。
繋がっていないという感覚がある。
途切れてしまったという感覚がある。
……女子高生だった自分が、はるか後方のレールに、置き去りにされてしまっている。
……そういう感覚がある。
そして。
「どうしました? 千速継笑様」
「ここ……どこ、ですか?」
それ以上に、目の前の少女は白くて。
あまりにも非現実的で。
現実を、幻想のような白さで塗り替えてしまっていて。
私は取り返しのつかない地点に来てしまっている。
その実感が、今の私という存在の中心に居座っていて。
……ああ。
もう、なにか重要なことが、取り返しつかなくなってしまっている。
「ここは……そうですね、簡単に言えば隠世、死後の世界です」
だから心の片隅で、何かが泣いた。




