epis34 : shadowgraph doesn't laugh
<ラナ視点>
「さあ……答え/てくださいっ」
「これが、姫さんの魔法かぁ……空間支配系魔法?……いや、それにしたって異質だが」
男に致命傷を与え、追い詰めたのは私。
そのはずだ。
だけど、その私が、逆に追い詰められたような掠れた声で喋り、もはや生存の芽は断たれたはずの男が妙に落ち着いている。
この逆転構造はどうしたことだろうか。この魔法が発動した時点で……私の勝利はともかくとしても……相手の負けは決まっているはずなのに。
「聞くけどさぁ、受けた傷の深さにしては、身体の異常がおかしいんよ……なんか変な言い回しになったけどよ、腹を刺され吐血までしてるのに、今はもうそこまで苦しくないってぇ……もしかしてこれ、俺、助かったりする? お姫さんは、治療院みたいな魔法も使えるのか?」
「……お姫さんって/何です」
どう答えるべきか、悩む。
相手の負けともかくとしても……私の勝利はこの男から諸々の情報を得ることが必要となる。それができなければ、それはもはや引き分けのようなものでしかない。
情報を得るためには、相手に希望を与えなければいけない。命と引き換えに情報を吐けと、嘘を突き付けていかなければならない。
だが。
「あー……いいや、もうわかった。そうか、俺はもう助からないんだな」
「え?……」
だけど男は、そんな私の逡巡を一瞬で見切ったようで、異常とも思える速度で自分の生存を諦めた。人間とは、そんな簡単に希望を手放せる生き物だっただろうか?
「人生八十年、生きるつもりだったんだけどなぁ……せめてそこでジジイに勝った気になって、死んでいきたかったぜ。まぁアイツはいつも治癒魔法の使い手を連れている。こんな傷じゃ死なねぇが」
「何を……言っ/ているのですか?」
「遺言でもないぜ? ただのボヤキだ……よっと」
男が全身に、力を込めようとしたのがわかる。脳からその指令が出たことを感じる。だけど私はその通過を許可していない。させない。男の励声はそれにより何も変えられず、引き起こせず、空しい響きとなって空間に消えた。
「あー……完全に囚われた、か……この黒い線が、そこを切断予定ってことかい? それにしちゃあ、姫さんにも入ってるが……おぉ?」
自分の頭部、左耳の下から鼻の中央を通り、右耳の上へと抜けていく黒い線を、操作して消していく。さすがに頭部が分割されているという状態は、問題がないとわかっていても気持ちが悪い。自分の(身体の)首から上の空間だけは結合しておく。
「空間支配系魔法は発動させたら終わり……か、なるほどなぁ」
「……どうしてそんなに、落ち着いているんですか?」
「ぁん?」
視える範囲に、男の仲間らしき人間はいない。罅割れ世界の統括者が割る空間は、通常私を中心に半径およそ十メートル。これは、縦に考えると三階から四階建ての建物と同じということになる。
今回はその範囲をフルに使った。私が視認できない部分の割れは、できる部分に比べ、曖昧な割れ方になるけど、それでも屋外の空間のいくつかは支配できている。
この建物は二階建てだったようだ。私が連れ込まれたこの部屋はその地下一階にあった。地下二階には狭い牢屋らしきモノが視えたが、誰もそこに囚われてはいない。というか、建物の全ての部屋を観測できたが、人はこの部屋以外には誰もいなかった。建物の近くにも、男の仲間らしき人間は確認できない。
この男はひとりだ。ひとりで、ここにいる。
……あの、右耳が一部欠けた女性は、どうしたのだろうか?
「死ぬのが……怖くないんですか?」
「ああ……怖いとか怖くないとか、そのレベルの話?」
「そのレベル、って」
「なぁ姫さん、アンタはさ、将来子供が何人くらい欲しいって思ってる?」
「……は?」
「十人とか二十人とか、あまり大人数は望まないことをお勧めするよ」
「……何の話ですか?」
「よく言うじゃん? 子は宝、子を産み育てることこそ女の幸せとかどうとか」
「……だから何の話をしているのですか!?」
「何事も、過ぎれば毒になるって話さ」
珍しいモノでも見るかのような視線が、私……の肉体がある空間……の方へと向く。
その視線に臭いは感じない。
男は、性的な悪臭を、なにひとつ放ってはいない。
まるで、女性の身体を、憐憫するかのような視線だった。
なぜ……そのような視線を向けられなければならないのだろうか?
「まったく……どいつもこいつも血に狂いやがってよ」
ふてくされたようなその呟きに、頭がカッとなる。
「わけのわからないことを言ってないで! 私の質問に答えてよ!!」
どうしてここに至ってもなお、自分こそが被害者なのだとでもいいたげな態度なのか。
確かに、私はこの男を刺した。そういう意味での加害者は私だ。
けど、そうしなければいけない状況まで追い込んだのは誰かという話だ。
「あなたは誰に雇われてこんなことをしたの!?」
口から、まくし立てるかのように言葉が飛び出していく。男の、依頼主は誰で、何の目的で私を攫おうとしたのか、今日ここへ私を誘拐させ、その上でわざわざ助けたのは、いったいぜんたい何をどうしたかったというのか、残存戦力はあとどれくらいあるのか、男が死ぬことでなにか状況に変化は起きるのか、レオ……一緒にいた女の子はどうするつもりだったのか、そういうことを、私は、荒っぽい言葉で男へ詰問した。
「……ヒステリックな女に刺されて終わり、か。ジジイこそそうなれって頻りに呪ったモンだがよ、まさか、自分がそうなるとはなぁ。人を呪わば穴ふたつってか? これが神様とやらの采配か。なんともまぁ、皮肉が利いているってモンだぜ」
「ヒステリックな女、ですって?」
本当に何を言っているのだ、この男は。自分が何をしたのかわかってないのか、王都においては重罪である人身の誘拐、それに関わったのだ。裁かれればおそらく極刑は免れない。
この男は、死んで当然のことをしたのだ。そうだ……そうだよ……。
「おいおいお姫さんよ? これから刺されて死ぬ男が、刺した女に置き土産を遺して逝くとでも?……いやまぁ……残してやってもいいんだが……実は俺、ここで死ぬとは全く思ってなくってさ、何をどう言い残すのが適切か、なーんも考えてなかったんだわ。頭に浮かんでくるのはボヤキばっかでよ、俺の人生はなんて下らなかったんだ、俺はなんて下らない人間だったんだ、ってな。ホント、つまんねぇ人生だった」
「だったら私の質問に答えてくれれば……」
「おいおいおいおいおいおいおいおいおいおい、お姫さんよぉ? だーから、お姫さんの質問に答えて俺に何か得があるか? 俺がここからいい人生だったって満足して逝けるような、そんな質問でもしてくれんのかい?」
理解できない。死に往く男の言っていることがなにも理解できない。この男の精神は私の理外にある。
「あ~あ、それにしても、二択を外すとはなぁ、なぁ~にが強者には独特の落ち着きがある、だ……いや……時間を稼ぐためには必要か?……なら、あっちは……」
「無視しないでください!」
もういい、こんな男はさっさと始末してレオと合流しよう……そう思う心がある。
反面、何の情報も引き出せずにこの男を死なせてしまったら、私は何の意味もなく人を殺してしまったことになる……それは嫌だと、そう思う心もある。
どちらも、間違っている気がするけれど、だからといって正解を囁いてくれる誰かはここにはいない。
だから私は間違い続ける。罪を重ねていく。
「……殺しますよ?」
「あん? もう殺されてんだろ、俺」
「苦痛を与えて、殺しますよ?」
「だから今更何を言って……うっ、ぐ」
痛みを、繋げる。
私が刺し、傷付けた肉体。そこから発せられる「痛い」という脳への信号。魔法発動後、遮断していたそれの「通行」を、ここにおいて「許可」する。
「痛い、ですよね? 尋問をするのに邪魔だと思ったから、無くしてあげていただけです」
「が……ぐぼっ……」
再びの吐血。男の表情が苦痛に歪む。息苦しそうだ。胸腔内の気圧変化かなにかの関係で、肺が潰れていっているのだろう。
そうしている間に、遠くから再び、鳴り物か何かの音が聞こえてきた。しばらくして……また。ある種、命の恩人でもあるその音だが、こうも連発されると煩い。なんだか無性に耳へ障る。
「がっ……ひゅ……ひっ……」
「わかりま/したか?」
三十秒ほど、その音を聞きながら男の苦しむ姿を見て、元の状態に戻す。
「いい人生と満足し/て逝けるような質問? 莫迦な/こと言わないで下さい。そんなことをして私に何か得/があるのですか? あな/たにできるのは、せめて安らかに逝けるよう私/の機嫌をとることだけです」
「は……はぁ……ぐ……やってくれるじゃねぇか」
男の顔色が、土気色と紫の丁度中間のような、奇妙な色になっている。死相といえばそうなのだろうが、じっと見ていたいものではない。自分の暴力によってそうなったと知っている状況では特に、だ。
「つーか、なんでおまえの声に……俺の声? だよな、これ……が混じってんだ」
「今更、そこ/ですか?」
それは私も知らない。そういう仕様なんだと言う他にない。
「それに答/えたら、私の質問にも答えてくれま/すか?」
「いやぁ、別にそこまで知りたいわけじゃあ、ないなぁ……」
ぜーはーと息を荒くしながら、男はここに至っても、しかしまだ冷静のままだ。
ブレぬその姿が、妙に憎たらしく思える。本当に死ぬのが、怖くないのだろうか。
「それよりよぉ、いいのかい?」
「……なにがですか」
「空間支配系魔法には、制限時間があんだろ?……あんた、も、さ」
と、男は私の肉体がある空間へ視線をやり。
「自分の身体がそのままだと、バラバラになっちまうんじゃねぇの?」
なぜか私の方を心配?……するようなことを言う。
「余計なお世話です」
その心配は、だけど不要だ。
確かに、なんらかの手段で今この瞬間に、この空間支配が完全に解かれてしまったとしたら……私の肉体もやはりバラバラになってしまうだろう。
でもそんなことは起こり得ない。起こるはずがない。なぜなら……。
「……リッツの爆発音が、聞こえなくなったな」
「……え?」
死相の浮かんだ顔で、だが男はここに来て初めて弱気な声を発した。
気が付けば、外から聞こえてくる煩い音、その種類が変わっている。鳴り物の音の、その種類が減り、警官の呼子笛が輪唱のように鳴り響いている。
「呼子笛?……どういうこと?」
「そうか、リッツは死んだか……もともと、使い捨てのコマだったっちゃあそうだがよ……あっちのガキも、アイツが言った通り、強者は強者だったってぇことか……」
どうしてか男の声に、ここにきて急に悲しみであるとか、憐れみであるとか、妙に「人間らしい」色が混じってくる。
私はこの男性を理解できない。何も理解できない。殺してしまった今となっては理解したくもない。私がこの男を刺せたのは、この男が「警邏兵の偽者」であり「誘拐犯の一味」であると確信できたからだ。自分の命が、未来が脅かされていたとしても……どれだけ嫌な臭いが発せられていたとしても……相手が真っ当な人間であるなら、誰に対しても正しく振舞おうとする人間であるのならば、それを刺していい、殺してもいいなどとは思えなかっただろう。
だから思う。
お願いだからここへ来て急に「人間らしく」ならないでと。
私に、罪悪感を抱かせないでと。
私は、「外の様子」を窺おうと、罅割れ空間を操作する。この呼子笛の輪唱は何なのか、それを知らなければ危ういと急に思った。だけど、本当にしたかったことは、自分の罪から目を逸らすことだったんだと思う。自分が殺してしまった、殺してしまう「人間」を、もう見ていたくなくて。
「……え、レオ?……とマイラ?」
だから、その姿を視界に捉えた時は、幻でも見たんじゃないかって思った。
レオがここにくるのは、まだ理解できる。私は管理者のいない往来で攫われたのではない。安っぽい服屋さんで攫われたのだ。なら、その店主なり店員が情報を持っていたとしても不思議ではない。もしくは、レオの方にも刺客が向かったのだとしたら、そこから情報を得られることもあるだろう。
ずっと待ち望んでいたことだし、そうであってほしいと祈ってもいた。
だけど、マイラがなぜ?
匂いを辿らせた?
確かに、レオは私の着ていた服やポーチを持っていた……というか、家に戻れば私の匂いがするモノは大量にある。それらを使い、匂いを辿らせるなんてことも、でき……るの?
マイラは警察犬ではない。番犬だ。老犬でもある。
匂いを嗅がせ、追跡させるなんて芸当、仕込んでいるはずもない。
……どういうことなのか。
「……どうやら、ここまでみたいだな」
ぼそり、元は粘っこかった声が呟く。今はもう粘っこさにも、すっかり力が無くなってしまっている。
「待って、レオ」
『ラナ!? やっぱりこの中かっ』『ぉぅん!!』
罅割れ世界の統括者における空間間の断層、黒の線(正面から見た場合は半透明の面になるけど)を触れようとしてるレオに、私は制止を促す。
別に、それに触れたからといって、レオの無敵みたいにスパッと物が斬れるなんてことにはならない。ただ、私が許可していない物は通過できないだけだ。それでも、私が解除する瞬間にそれへ触れると何が起こるかわからない。つまり、絶対に何も通さない壁へ、手を押し当てていたとして、その壁が徐々に消滅していったらどうなるのか、という話だ。
一瞬で壁が消えるのなら、勢いあまって前方へ倒れかかるだけだろう。
けど、その壁が完全に消える前に、有害な何かに変質したとしたら……どうだろうか?……なにせ魔法だ、何が起こるかわからない。当然ながらそんなことは試してない、私にはその知見がない。
『ラナ! 建物の外へ黒い線がはみ出している! だから今すぐに魔法の発動範囲を狭めて! 今のままだと! ここで異変が起きていることがバレバレだから!!』
「え……う、うん、わかった」
空間間の断層、黒の線(あるいは面)は通常、光、空気、水分(人体であれば血液)、電気信号の一部(人体であれば脳から送られる重要器官への指令)などの透過を許可している。ただ私は、それが実際、どんなロジックで成されているものなのかを知らない。
だから解除の際、その黒い線(面)が有害なモノとなっている可能性も、やはり無くはないのだ。例えば…「全てのものを半分だけ通す」壁になってしまっていたとしたら……押し付けていた手が「半分だけ通過してしまった」としたら……結果として手は、「半分に分かれてしまう」のではないだろうか?
どのような状態で半分なのかは、想像したくもないけど。
「レオ、少しだけ待って、レオが通れるように、そういう風に魔法を解除していくから、黒い線には手を触れないで待っていて」
『む』
そんなの、試すならまた罪悪感を感じることのない相手にしたい。レオは勿論、マイラであっても論外だ。
『わかった、でも早く。死角を通ってきたから、警官に僕がここへ逃げ込んだことはまだ伝わっていないと思うけど、虱潰しに探索されたらいずれ見付かってしまう。そうしたら、無事には逃げられなくなる』
……警官?
「レオ……警官は、殺していないんだよね?」
解除しながら、この段階でもっとも心配なことを尋ねる。レオは、前に警官を殺したことはないと言っていた。ただそれは、『なんとなく、筋違いだと思ったから』そうしていたというだけで、正義だからとか、可哀相だからとか、そんな理由でそうしていたわけではないという。必要と思えば、レオは警官でも殺すだろう。
ただこの場合、その「必要」は、私が生み出してしまったモノとなる。
私の都合で、レオにやりたくもない殺人を強いてしまったのだとしたら……それは辛いことだと思った。
『殺してない、それはラナの負担にもなるって、今の僕は理解しているから』
でも……と、解除されていく罅割れ世界の統括者の圏内を、マイラと共にゆっくりと進みながら、レオは言葉を続ける。
『でも究極的には、僕はラナを助けることを最優先とするよ? ラナが止めても、必要と思えば誰でも殺す。警官に取り囲まれたら、ひとり残らず殺してから進む。僕はいい、女装を解けばどうにでもなる。でもラナを目撃されてしまったら、全員始末するしかなくなる……そうでしょ?』
「レオ……」
それが嫌なら、早くここから脱出することだよと続けるレオに、私は絶句してしまう。
そういう脅迫の仕方もあるのかと、ある意味では感心もしてしまった。
そこへ。
「あー、はいはい、あの嬢ちゃん、男の娘だったのね、すっげぇなぁ、十日以上張って、だーれも気付かなかったなんてなぁ」
力を失った、もはや投げやりともいえる声が、それでも鬱陶しく絡んでくる。当然だ、私が音そのものを自分の肉体の耳元へと透過させ、それを聞いている。ならば近くにいる男にもそれは聞こえてしまう。
『……そこに、誰かいるの? ラナ』
階段を、一段一段ゆっくりと降りてくるレオの声に、殺気が混じる。
「いるけど……平気……危険はもうないから……」
『……そう』
この男から情報が漏れる心配はない。この男の心肺はもう、すぐに停止する。だからその先の心配はない。……悲しいことだけど、ない。
……悲しい? どうして?
『……とにかく、すぐにそこへ行くから、僕が到着したら魔法は解除しちゃって。逃げるのにも邪魔だから』
ゆっくりと、魔法を外側から解除、開放していく。そうしながらレオの進行方向も開けていった。
「ラナ!……うっ……これは……」
実際には一分もなかったであろう時間で、レオが死体だらけの地下室へと到着をする。
部屋の半分はまだ罅割れ世界の統括者の黒い線に被われている。だが裏を返せば半分はすでに開放されているということになる。血の臭いが届いたのだろう、レオは顔を顰めていた。
そういえば、レオと一緒にいたはずのマイラの姿が見えないが……この臭いに怯んで、まだ階段に留まっているのだろうか?
「……その男は?」
「やーこんにちは、すっげぇな、そうと知って観ても、男には見えねーわ」
「っ!」「だめ! レオ!」
男へと剣を向けるレオへ、反射的に叫ぶ。
「……変な剣~」
「あ?」「黙って! レオ……ええと、だから……この人はもう死ぬからっ、私が刺しちゃったからっ……だから情報を拷問してでも吐かせなくちゃいけなくて、そうしなくちゃダメで、ええと……」
けど、自分の口から出る言葉は、どんどんと勢いを失くしていく。
男から情報を得なければならないこと。
レオがここにいること。
否応なく視界に入ってくる惨劇の地下室が気持ち悪いこと。
男の態度がなにもかも理解できないこと。
レオの目に焦りがあること。警官がどうとか言っていたこと。
そういうことが、頭の中をドロドロの状態で駆け巡っていく。
なにをどうしたらいいか、わからない。わからないから、何もできない、身体が動かない。
「ラナが、刺したんだね? この男達は?」
「それは俺だよぉん」
「……」
死に際にありながら、それでも道化ぶる男に、レオは冷たい目を向ける。ムシケラでも見るかのような視線だった。
「ラナ、よく聞いて。時間が無い。僕は上で戦闘をしてここに来た。それを警官に見られている。おそらくはもう捜索が始まっている。今すぐに逃げなくちゃいけないんだ」
「……え」
「わーお、大変だぁ」
なおも絡んでくる男を、レオは冷たく一瞥して。
「こんなのに構ってる暇はない。ラナ、優先順位だ。それもラナが教えてくれたことだよ。僕の最優先はラナを護ること。それは誘拐犯からも、国からも、世界からもだ」
私に、決断を迫ってくる。
「で、でも」
「ラナ……魔法を完全解除して」
「……え?」
「僕が来た、その男はもうまともには動けない。危険はない、もういいんだ、ラナ」
「あー……なるほどね、そういうことね」
「お前は黙れ」
「やーだぴー」
「え? え? え?」
もはや狂的なまでにおどける男と、殺気立つレオ。なぜだかそのふたりが、妙に仲良く見えてしまい、混乱する。
話についていけない。レオは何を言っているの?
「だからさぁ、このナイト君……ナイトちゃん?……は」「黙れ!」「トドメを刺してくれるんだってさ、俺に」「このっ……」
「……え?」
剣を構えるレオと、それへ勝ち誇ったかのように笑う男。死に行く男が、勝者であるはずの私を嘲笑っている。いや……私は本当に、勝者なのだろうか?
「ラナ! 今は呆けてる場合じゃない! これ以上時間がかかるようなら……僕は試すよ?」
「え?」
なに、を?
「ラナのこの空間が、僕に斬れるかを」
「え……」
頭が真っ白になっていく。
「この黒い線を越えて、その向こうのものを僕が斬ろうとしたら……何が起こるんだろうね? 僕は、ラナが傷付く可能性は少ないと思っている。だから斬れる……でもね?」
僕が傷付く可能性は、結構あると思っている。なぜそう思うかについては、今は時間が無くて説明できないけれど、僕がラナの空間を斬るというのは、多分凄く危険な行為なんだと思う……そんなレオの声を、理解することを、私の脳が拒否している。ただ言葉だけが、意味のない真っ黒な活字のように、私の心の表面に張り付いていく、焼き付いていく。
ジリジリと、チリチリと。
「この黒い線、捕らえられると、身体が妙な感じに動かせなくなる。身体そのものは、別に動かせないわけじゃないんだ。指を曲げたり、筋肉に力を込めたりはできる……だからこそ、喋ることもできるんだし」
「おっとぉ、それを俺にアタラレても困るぜ?」
睨むレオに、おどける男。……確かに、この魔法はそういう仕様だ。
「でも……その全てが、黒い線の向こうに作用しないんだ。押しても反発がない。多分力いっぱい殴っても、拳にダメージはないんじゃないかな。なら……」
「レオ!?」
これは、魔法的な結界のようなものなんだ……そう言ってレオは、黒い線……いや面を、手で触れる。
「やっぱり。押し返される感じはしないのに、びくとも動かない。そもそも、黒い面を正面から見ると半透明になってしまうから、何もない空間で手が止まってしまうみたいにも見える……ねぇラナ。こんな現象は、普通じゃ起こらない。まさに魔法の力だ。それを僕が壊そうとして斬撃を繰り出したら……予想もしないようなことが起こるかもしれないと……思わない?」
解除しないのなら、僕はすぐにそうする。
ほら、十秒待つよ。拾。
玖。
捌。
漆。
陸。
伍。
──そんな。
肆。
──脅迫の仕方を。
参。
──どこで覚えたの?
弐。
──レオ。
壱。
「ぜ」「待って! 待って待って待って待って解除するから! するから待って!!」
「なかなか、面白い見世物だったぜ?」
男は……結局、名前すらも聞き出せなかった男は……最後にそう言って、レオに首を刎ねられた。
カツラだったのか、床に転がった頭からはぼさぼさの黒髪が剥がれ、その下にある赤い髪が顕となり、左耳に欠けがあることが見て取れたけど……私はそれに、もう何も考えることも出来なかった。




