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epis29 : red strand / Ö=desperate


<ラナ視点>


「きゃあああぁぁぁ!?」


 引き裂かれた。


 麻袋の上から縛られたまま、その麻袋の、胸の部分の布だけが破かれる。

 麻布独特の、まるで肉が引き剥がされていくかのような、それはとても生々しい音だった。


「お、ガキだと思っていたが胸はそれなりにあるじゃねぇか」

「ひっ!?」


 嫌な(にお)いが、周囲に充満している。

 これはいったいどういうことかと、予想外の展開に頭がついていけず、混乱する。

 胸元に嫌な感触。そこから鋭い痛みが走る。だが悲鳴をあげる前に恐怖で全身が(すく)み、身体は硬直するばかりだ。


 なにか、テーブルのような硬い台の上に載せられてる。まな板の上の鯛という慣用句が頭に浮かぶ。吐き気がするような嫌な想像を、私は必死で打ち消した。


「おいおい待て待て、待てってばよ。顔の見えねぇ相手をヤって、楽しいか?」

「俺ぁ、こういう趣向も悪くねぇが?」


 頭の布は、被されたままだ。首も緩く縛られているので、胸の部分が引き裂かれても顔の部分は露出してない。生理的には、今はそこが露出してほしいとは全く思えないけど、何も見えないまま事態が進行していくというのも、それはそれで恐怖だ。どう考えてもコイツラはまともじゃない。声の感じから、四、五人といったところだろうか。それら全員から立ち上る、吐き気がするほど気色悪い(にお)いは、私から抵抗の意志をどんどんと奪っていく。


「それに、こいつ処女だろ? 処女は泣き叫ぶからな、(うるせ)ぇぞ?」

「ここなら音は漏れねぇよ……顔が見てぇヤツぅ?」

「ほーい」「当然見てえな」「どっちでもー」「同じく」


 五人……今聞こえてきた声は、五種類あった。なら相手は……五人……以上。


「ひ……ぃ……」


 五人なら……夢の世界で破壊された()()()()()()と同じ……その事実に、震え上がるほどの絶望が這い上がってきて、それが見えない鎖となって私の身体を縛っていく。


 ()()()()に痛みは伴っていない。肉体的、物理的と表現できる類の苦しみはそこに存在していない。


 だけどそれは間違いなく私に、傷痕(きずあと)となって残っていた。


 今のこの状況は、まるであの夢が予知夢で、それが警告だったとでもいうかのようだ。私はずっと夢を、記憶を、それら傷を、傷痕を、真剣に受け止めてこなかった。つい最近まで私は、無抵抗の犬を蹴り、罵倒するほどに壊れていた()()()が、私自身であるとは信じたくなかった。だから私は()()()を「切り離して」きた。


 だけど理解した。今は実感している。後悔もだ。


 あたしはやっぱり私だ。切り離せなかったふたりは今、ここで混合してドロドロのグチョグチョ状態。一緒くたのままどちらも混乱している。


 制御できない、暴れる獣のような「あたしの」恐怖。

 完全に我を()くして、身を(すく)ませるだけの「私の」恐怖。


 今はもうそれらが化合し始めていて、心身の全てが理性の制御下から外れようとしている。


「どっちでもいいが()か、ならこのまんまでいいな」

「なんでそうなるよ? 顔をみてぇ派が()でどっちでもいいのも()なら、顔をみてぇ派の勝利だろ?」

「あ? どういうことだ?」

「だからぁ……わかんだろ?」

「わかんねぇよ、説明しろって」


「あ、あのっ」


 だから、本当に何もできなくなる、その一歩手前の最後の瞬間、私はなけなしの理性を振り絞って小さく声をあげた。


「あ?」「なんだ?」「芋虫が喋ってらぁ」「笑える」


 こんなところで、壊されたくない。


 ドログチャの自分が、それだけを強く叫んでいる。


 嫌だ。もう壊されたくない。


 嫌だ。もう(よご)されたくないと。


「あ、あなた達は何者なんですか!? だ、誰に言われてこんなことを!!……きゃっ!?」


 べしんと、お尻の辺りに衝撃(蹴り?)が飛んでくる。厚い麻布越しだからそこまで痛いというほどのモノではなかったが、脳がそうであると認識する前に、心が大きく(えぐ)り取られたような気がした。


「芋虫がしゃべんなよぉ。そういうのはなぁ、人間様にだけ許された権利なんだよなぁ」「笑える」

「ひ……」


 その抉られた心の名は、たぶんなけなしの勇気であるとか、ヒトカケラほどの自尊心であるとか、そういう類のモノだ。私はどうにもならない現実からずっと逃げてきた人間だ。八歳でひきこもり、自分の世界に()(こも)っていた。


 その私に、こんな()()と戦う力など、人並みほどにも存在していない。


「やっぱ顔が見えないとよぉ。萎えないか? こんなんだもんな」

「んぐっ!?」


 麻布を被されたままの頭がバシンと叩かれる。抉られていったモノが、飛んでいった先でパリンと音を立てて割れた気がした。


 ダメだ。


 イヤだ。


 こいつらに話は通じない。言葉は通じているが、こちらの言葉を人間の言葉と思っていない。だから会話にならない。彼らは私の人格に用がない。目的がなんであれそれだけは確かだ。それをあたしは知っている。それを私は知っている。


 どうにもならない。


 どうにもできない。


 事前に予想し、覚悟していた展開とは、これはまったく別の話だ。


 黒幕がゲリヴェルガ伯父さんなら、身の危険もあるとは思っていた。だけどそれはこんな……五人に人間扱いもされず取り囲まれるなんてそんな……意味のわからないものじゃなくて……なんらかの取引が通じるものと思っていた。


 伯父さんは莫迦(バカ)だろうけど身分も立場もある。自尊心(プライド)だって人並み以上に高いのだろう。そうした部分を上手く刺激してやれれば、操縦も全くの不可能という相手ではないのだろうと予想をしていた。


 黒幕が私からチョコレートか何かの製法を聞きだしたい(やから)であるというのならば……まずは会話をしてほしい。


 こんな連中に「食われたら」……私は本当に壊れてしまうかもしれない。それは勇気が壊れるとか抵抗心を()くすとか、そういった次元の話ではなくて……本当に心が壊れてしまうかもしれない。それはつまり……私という人間の終わりだ。そこにチョコレートがどうだとかは、おそらくもう残っていない。


 私の(夢の世界の妙な知識を持つ)頭脳に期待する……そっちのルートであるのならば、おそらくは伯父さんよりも更に「会話が通じた」ことだろう。


「とにかく多数決で決定な」「あ、おい」


 けど……これはなんだ。


 また、生肉が引き裂かれるような音がして視界が開かれる。


 顔の部分の麻布が破かれたのだ。


 だから私を注視している男達の顔が……見える。


「ふーん?」「ほぉ」「へぇ」「ひひ」「はは」


 思ったのは……まずクサイ。


 そしてそれから……ミニクイ。


 何がどうであるとか、理解したくない。


 とにかく視界の全てが嫌悪感で埋まるようなクササ、ミニクサ。


 フケツ、ケガラワシイ、ユガンデル、オゾマシイ。


 視界に入るもの全てが(くさ)い。


 ここはなんだ、コエダメか、トシャブツを集めた浴槽なのか。


「ぃ……ゃ……」


 臭気に、目や鼻が痺れ、なにかがそこへじゅわりと集まっていく。


「……顔は中の上くらいか」「いや? 俺は結構嫌いじゃないぜ? 妙にそそりやがる」「上の下」

「ひぃ……ひぃぃぃ……」

「お、泣いた」「な? 顔が見えた方が気分出るだろ?」


 鼻がひん曲がるほど、見えるもの全てが(くさ)い。


「おい、鼻水も出てるぞ」「うへー、だから顔なんか見えない方がいいんじゃねぇか」「なんだよ、これだからいいんじゃねぇか」


 イヤだ。


 イヤだ。


 イヤだイヤだイヤだ。


 イヤだイヤだイヤだイヤだイヤだ! イヤだ!! イヤだぁぁぁ!!


 もう何も考えられず、私という存在が本能で動く。


 罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)


 理性を通り越したナニカによって、私はその発動体勢に入る。


 ……だが。


「魔法だ!」「こいつ魔法を使うぞ!」「莫迦(バカ)! ()めろ!」

「げぇ、ぶ、ぐ……」


 腹に、男の岩石のような拳が埋まる。


 息が止まる。苦しい。何も考えられない。縛られたまま、台の上で本当に芋虫であるかのように悶えた。


 魔法の発動までは……あと四、五秒といったところだった。足りない、あと半分が全然足りない。


「おいどうする? 魔法使いは危険だぞ」

「なぁに、発動させなければいいんだ」

「けどよ、即時発動する魔法もあるっていうじゃねぇか」

「それなら今この状況でこそ使うべきだったろ。ならこいつは詠唱時間(キャストタイム)の長い魔法しか持ってねぇんだ」

「今何秒だった?」

「五秒くらいじゃねぇか?」

「……見張ってりゃ問題ねぇが……面倒だな」

「ヤったら、()って捨てるしかねぇんじゃねぇか?」

「そうだな……おい」


「ぃ……ぃ……いゃぁ……」


 痛みに悶え、苦しんでいる私へ、男達の手が伸びてくる。


 それらは縛っていた紐をナイフで切って、麻袋も剥がし、私の四肢を、縄で血流が止まるほど固く縛り、おそらくは台の脚へと拘束して、動けなくしていく。


「いやぁぁぁ!!」


 おぞましい地獄が近付いてくることへ、やはり本能が罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を呼び覚まそうとする……が。


「だからやらせねぇっての」「げぅ……」


 今度は下腹部の辺りを強打された。


「ぁ……が……ぅ……あぐっ……」


 圧倒的な痛みと苦しみと、悪寒。それに私という存在の全てが塗り潰される。


 今は三秒も集中できなかった。もう無理、抵抗できない、手がない、どうにもできない。


 私の運命は、もうどうにもならない。


「や……ゃあ……いやぁぁぁぁ!!」

「暴れてる暴れてる」「おいナイフはよせ、服は手で破け」「いいじゃねぇか、どうせこの後血が出るようなことになんだろ?」

「やだ! ゃだぁ! こんなのイヤぁあああぁぁぁ!!」


 痛みと苦しみと悪寒と……それから絶望に、もうどうしようもなく身体が暴れる。縛られた手足のその部分に、また何かがじゅわりと滲んだのがわかる。おそらくは皮膚が破けた。だけど、だからもうそんなのはどうでもいい。手足を切り落としてでも、ここから逃げられるならそうしたい。


「へへ、じゃあ約束通り俺から行くぜ?」「どーぞ」「おい、それで前回の貸しはチャラって約束、忘れんなよ」「俺はじゃあ、その間、上を借りようか」「噛まれんなよ?」「おい、だからそれじゃあ顔が見えなくなんだろ、俺は顔が見てぇ派なんだっての」


 イヤだ。


 痛い。


 苦しい。


 気持ち悪い。


 吐きそう。


 お腹が痛い。


 眩暈がする。


 鼓膜が破れそう。


 涙と鼻水で顔がグチャグチャ。


 (くさ)い。


 悪臭で息がしにくい。


 醜い。


 今ここにある全てが醜い。


 男達も、場の空気も、私自身も、なにもかもが。


 汚い。


 今ここにある全てが汚い。


 男達も、場の空気も、私自身も、なにもかもが。


 怖い。


 おぞましい。


 助けて。


 助けてよ、レオ。


『いいよ、じゃあ僕が決める。ラナ、もう嫌と言っても逃がさない』


 こんなのは嫌、こんなのはイヤ。


 助けて。


 おねがいだから助けてよ、レオ。


『僕はラナが好きだよ』


 私を好きと言ってくれたじゃない! 好きと言ってくれたのなら! 助けてよぉぉぉ!!


「そーら、それじゃあ、イタダィマァァァス」











「げ……ぅ」


 血が流れる。


 ぽたりと……(あか)(しずく)(こぼ)()ちる。


 それはねっとりとした……(きたな)らしい赤。


「……ぇ?」


 私の顔に、ボタボタと血が零れてくる。


「な、なんだお前は!?」「ブルーグレーの制服……警邏兵(けいらへい)か!? ぎゃっ!!」


 争いの気配。しかし混乱する頭と、仰向けに拘束されたままの視界では何が行われているかが全くわからない。


「つ、強ぇえぇぇぇ」「ひ、ひぃ!!」

「レ、オ?……」


 だがレオのあの特徴的な「無敵」の気配はしない。警邏兵という単語も聞こえた。別口で救援が来た?……助かる? 私、助かるの?


 私に覆い被さろうとして事切れた男の身体が、そのまま私の視界を半分塞いでいる。

 クサイキタナイミニクイそれは、果てしなくキショクワルクキモチワルイオゾマシイ。


「ひっ……」


 なんとか、それを剥がせないかと身を(よじ)ると、下腹部に、事切れた男のなにか硬い物が当たる。全身を駆け巡る嫌悪感に、喉が絶叫を搾り出した。


「助けてぇぇぇ!! お願い! 助けてぇぇぇ!!」

「わかってる! 待ってなさい!」「くそ! ナメやがって!!」


 あまり美声とはいえない、少し粘っこくも感じる声で(いら)えが返ってくる。

 レオではない。完全に大人の男の人の声だ。コンラディン伯父さんの、明瞭だが所々(かす)れが混じるそれとも違う。パパの、早口でない時だけは渋めの声とも違う。


 完全に、知らない人の声だ。


 けどそんなのはどうでもいい、私をここから解放してくれるならなんでもいい。


 早く、私の視界を塞ぐこれを()けてほしい。


「げぼ……」


 争いは、時間にすれば一分もない、短いモノだった。


 最後のひとりが事切れたらしく、場に静寂が戻ってくる。ややあって納刀のモノと思しきキンという音が聞こえた。


「あ、あのっ、こっ、これをっ! こっ、このコレを! どけて下さい!」


 私の身体に覆い被さっている、クサクキタナクキショクワルイモノ。


 その下で私は、とにかくもうじたばたと暴れる。今もその口から零れてくる吐血なのかなんなのか、とにかく赤く粘っこい液体が心底オゾマシイ。


「ああ……しまったな、こいつも死んでいるか……」


 なにかを調べていたのか、気付けばしゃがんでいた男性がすくと立ち、私の視界に入ってくる。


 黒髪だ。ぼさぼさの、肩にかかるほど長い髪の毛。なぜだか金●一耕助であるとか、探偵●語であるとか、よくわからない夢の世界の固有名詞が頭に浮かぶ。首から下は、狂騒の中で聞こえてきた言葉通りにブルーグレーの制服……あまり似合ってはいないが……王都リグラエルの警邏兵の制服だった。




 そしてその顔は……。




 ()()()()()()()()()




 私を()()()()()()()()()()にも、()()()()()()()()()()()()()


 そもそも、そいつらの中で一番地位が高いと思われる人物は()()()()


 燃えるような赤毛の、右耳に欠けのある()()だ。




 目の前の男性は黒髪だし、耳は……見えないが……だからまぁ男なのだ。どこからどう見ても男性の体格をしている。


 あの女性は……結構胸もあった気がする。どう化けても、あれがこれになれるとは思えない。




 なら、コレは本当に、ただの警邏兵?




「怖かっただろう。もう大丈夫だからね」


 声は粘っこいし、微妙に(くさ)(にお)いも感じられる。


 けど、その(にお)いは、かつては二次性徴がきていないだろうレオからも感じていたモノだ……それよりはずっと濃いが……つまり、それは私が脳内で生み出している男性嫌悪の発露……そういったモノでしかない。


 ならば問題は私の方にある。助けてもらっておいて、お前は(くさ)いからと嫌悪するなんてことはしたくない。


 身体が軽くなる。私に覆い被さっていた死体が取り除けられた。


「……血が出てるね。大丈夫かい?」

「……っつ……痛い、です」


 手足を縛っていた縄も切られ、(ようや)くそこに痛みが戻ってきた。指の先には痺れたような感覚がある。足に、力が入らない。


「治療したいが、ここでは無理か」


 身を起こすと、ここにきて初めて周囲の様子を見ることが出来た。


 ……酷いものだった。それはもう、表向き清潔な王都にこんなところがあったなんて、到底思えないくらいに。天井の感じからすればそこそこ広い空間のようだったが、とにかく物が多い。私が載せられていたモノと同じような台が他にふたつもあったり、半開きの引き戸から得体の知れぬ物を覗かせている棚があったり、何が入っているかもわからないような樽が横のまま転がっていたりもした。


 まったく掃除されてない床にはゴミが散乱していて、今はその上に死体がゴロゴロと転がっている。全面、血と埃でいっぱいだ。壁には人を傷付けるくらいしか用途のなそうな道具が並んでいる。


「う……」


 台のすぐ(そば)には、私に覆い被さっていた男が、うつ伏せになって死んでいるのが見えた。諸々の感触を思い出し、吐き気がぶり返してくる。


「ここはあまり質の良くない犯罪組織のアジトでね、我々が前からマークしていた所だったんだ」

「……ぇ?」


 なにか、いまだ混乱覚めやらぬ頭に、違和感がぽぅと灯った。


 男性が私に問い掛けてくる。


「すまないが、事情聴取の必要もあるので、我々の詰め所まで来てもらえないだろうか?」

「……それは」

「治療院の者も呼ばせよう。費用はこちらが持つ。傷の癒えた(のち)で構わない、事情を聞かせてほしい」


 ──おかしい。


 違和感が警告してくる。これに、ついていくべきではないと。


 でもどうして? 本当に本物の警邏兵だった場合、ここで抵抗する方が後々厄介だ。


 今は従った方が……。


 ──ダメ。この男は、危険。


 なぜ?


 ──わからない?


 なにを?


 ──警邏兵は基本、二人組で行動している。


 ……あ。


 ──もうひとりは、どこ?


 違和感の正体が、自分との対話の中で判明する。


 そうだ……警邏兵は基本、二人組で行動している。法律でそう決められているのか、隊の規則でそうなっているのか、それはわからないが、現実として警邏兵は常に二人組となって街中を警邏(けいら)、巡回している。


 踏み込む者がひとりだったとしても、状況は既に落ち着いた……加害者全員の死亡という結果によってだ。なのに……目の前の男性は……いまだひとりだ。仲間について思い起こすようなそぶりさえ見せない。ここは犯罪組織のアジト、我々が前からマークしていた所?……「我々」だって? (コイツ)しかいないじゃないか。


 ──だから隙を見て殺すの。覚悟を決めて。


 でも……。


 ──何のために()()()()を選んだの?


 え。


 ──自分を傷付ける世界を、醜くて汚臭のする()()()()()()()()()でしょ?


 あ……。


 ──諜報にも便利な魔法だけど、この魔法の本質は“破壊”。この世界そのものの破壊。忘れちゃった? 自分がどれだけこの世界を憎んでいたか。あまりにも理不尽で、あまりにも容赦なくて、あまりにも醜くて、あまりにも汚くて……あまりにも(くさ)い……この世界を。


 私は壊したいと思った。


 一撃で(ヒビ)を入れて、そのままバラバラにしてしまいたかった。


 だからこの魔法を得た。


「……大丈夫かい?」

「……う」


 気が付けば……私はしばらくボーっとしてしまっていたらしい……男性に、顔を覗きこまれていた。


 ──(くさ)い。(くさ)(くさ)(くさ)(くさ)(くさ)(くさ)(くさ)い。


「……すまない、これは自分が不注意だった。君は怖い目に遭ったばかりだ、そういう反応になってもおかしくはない」


 すぐに男は、その顔を私から離してくれる。それは紳士的な態度と、言えなくはないのだけど……。


 ──違う。


 だけど……私の中のなにかが反応している。


 ──あの目は、心配している人のそれじゃない。気遣ってくれてのそれではないよ。


 この感覚は、少し前にも味わった。


 マリマーネさんが私を()()()していた、あの時の感覚。


 あるいはもっと直近の……男達が、私のことを中の上だの上の下だの言っていた、あの時の感覚……だから。


 ──この男は私を、()()()している。


 違和感が明確になり、それは懐疑の念となって私を動かそうとする。


「あ、あの……警邏兵の詰め所には、女性の職員もいると聞いているのですが」

「ん?……ああ……そうだね、いるよ、女性も」


 予想外のことを言われたのか、反応がどこか空々しい。


「ごめんなさい……その……助けてもらったのにこんなことを言うのは、失礼、だと思うのですが……やっぱりその……怖くて。女性の職員の方を呼んでもらえませんか?……私、逃げませんから、ここで……はちょっと無理そうなので……この近くで待っていますから」


 死体転がる血塗れの部屋。さすがにここで待つというのは無理があった。口実としても、事実としても。


「……ふむ」


 さあどう出る。


 この男性が本物の警邏兵であれば、この提案に乗らないわけにはいかないだろう。私が逃げることを考慮したとしても、その場合は別の警邏兵……同僚に遠くから見張ってもらえば済む話なのだから。王都に警邏兵は、石を投げれば当たるほどにいる。


 私は、寝かされていた台を降りて……床はどこも死体だらけだったから、仕方無く私に覆い被さっていた男の死体の側に立った。


「あの、詳しくはないのですが、警邏兵の皆様は、基本、二人組で行動されていますよね? もうひとかたは、今は?」

「……ん」

「詰め所へ応援を呼び……に?」

「ああ、いや……」

「ここへ踏み込んだ時に、他の悪漢と争って怪我をされてしまった……のでしょうか?」

「んん……」


 追い詰めすぎないよう、逃げ道を用意しながら探る。この男性は何者か、何の目的があるのかと。勿論、これが本当に本物の警邏兵で、私の用意した逃げ道が、そのまま本当の答えであるというのが、一番いいのだけど。


 しばらく、男性はどう返答したらいいかと悩み、考えているようだった。


 私の方は、男性の(にお)いに気圧(けお)されながら、いつそれが豹変(ひょうへん)してしまわないかと怯えながら待っていた。相手はひとりで五人を殺してしまえるような男性だ、レオほどじゃないにしても、強い。豹変されたら……私もどうなるかわからない。


 死んでもいいと思っていた。


 ずっと、自分が生きていることに意味なんてないと思っていた。


 私は生きているだけでママを苦しめる失敗作、私は存在そのものが人間社会の嘲笑の対象物、男が怖い、女も怖い、味方がいない、誰も好きになれない、誰も好きになってくれない。


 未来がない。


 私が幸せになれる未来はどこにもない。


 だけど。


 ……嫌だ。


 死にたくない。


 今、私はここで死んでいいとは思えない。思っていない。


 だから怖い。男性が怖い、だけどそれ以上に……今は……死ぬのが怖い。


 助けて……レオ……。


「わかりました、ではそうしましょう。仲間に連絡をして、誰か女性をここに寄越してもらいましょう。その間に、君は服を着替えるといい」

「え?」


 返ってきた、意外なほど平穏無事な言葉に、自分の姿を改めて見ると、例の赤い服がボロボロに破けていた。上の方は下着まで血塗れになっている。


 悲しい気持ちになる。これは今朝からレオが着ていて、それを交換してもらった物だ。大事にしていたモノが汚されてしまった……それに、浮かんでくるのは哀しみだ。胸が張り裂けるような。


「でも、ここに着替えなんか……」


 胸元を押さえながら、周囲の惨状をもう一度見渡す。とても女の子の服があるとは思えない様子だった。よしんばあったとしても、まともな服じゃないだろう。バニーガールとか渡されても困る。


「用意する。この辺りに服を売っている店はないが、簡単なモノならばどうにでもなるだろう」

「……はぁ」


 用意するって、何を……どうやって?


 けど、着替えをさせてくれるというなら、逃げるチャンスがあるのかもしれない。それに、監視の目がなくなれば魔法も使える。それは私には願ったりの展開だった。


「わかりました……それで、お願いします」


 着替えでひとりになれたのなら、魔法を使ってみよう。それでこの男性がどう動くのかを見る、観る。万がいち、のぞきとかをしようとしていたのならば……それはもう殺してもいい。これがただの警邏兵で、ただスケベ心を出しただけだったとしても……だ。それでも私の心は痛まない。なにか心の闇の部分が、満足するような気さえしている。


 我ながら酷い話だと思うけれど、ここに至ってはもう、それくらいの理不尽は通させてもらう。とにかく十一秒、十一秒だ。それを稼げる状態まで持っていければ私も……私だって「無敵」なのだ。実戦においてそれが、どれほど致命的な弱点であるのかというのは……つい先ほど身を持って体験したばかりだけれども。……まだお腹が痛い、苦しい。


「ああ……ただ、その前に、君」

「……はい?」


 漸く、どうすべきかがわかり、心が落ち着いてきた私に、しかし警邏兵の(制服を着た)男性は、その決定を根底から覆すような言葉を発した。


「君は魔法を使えるね?」

「え」

「聞こえたんだ。踏み込む前、様子を伺っている際に、ね」


『おいどうする? 魔法使いは危険だぞ』

『なぁに、発動させなければいいんだ』


「あ……」


 マズイ。


 相手が悪意ある人間だったとしても、そうでなかったとしてもこれはマズイ。


「王都において、魔法を使える者は、それを公的機関に届け出る義務がある。魔法は理外の力だからね、治安維持のためには必要なことだ」

「……はい」

「これは形骸化した法律ではあるが……。生憎と小官(しょうかん)は法の番人だからね、見逃すわけにはいかない」

「……はぃ」

「だから教えてほしい、君はどのような魔法を使えるのかな?」




 どうしよう。




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