epis24 : Bring agape back!
──どうして、自分には運だけが足りないのか。
その男は、自分が優秀であると思っていた。
だが、ひとつだけ人より劣るモノがあるとも思っていた。
──全てにおいて恵まれて生まれた自分が、唯一持っていないもの。
それが運。
彼は今、猛烈にそう思っている。
──運は大事だ。全てに恵まれていたとしても、運が無ければそれだけで全てがひっくり返されてしまう。我が人生において悪いのは全て運。全部運のせいだ。
彼の思うそれは、正しいとも言えるし間違っているとも言える。
まず彼が恵まれていたか、そうでないかで言えば、間違いなく彼は恵まれている。
財務省の貴族官僚という、国の重要セクションに強いコネを持つ家の生まれであり、健康面でも本人が思う通りに壮健で頑健、少なくとも肉体面では何の問題も無い身体を天より授かっていた。
頭脳も。
別に彼は、頭が悪いというわけではない。
幼い頃から家庭教師に叩き込まれてきた計算能力、それを背景にした事務処理能力は高い。体力も十分にあるから、人の何倍もの仕事を苦も無くやってのけてみせる。
そう、彼は、仕事は出来るのだ。
──だのに、なぜこうなった。
だが、諸々に恵まれていたとしても、人生は、それだけでは思うようにならない。
なんやかんやで儘ならない。
それが、人の世の複雑怪奇というモノである。
──私は、間違ったことをしていないはずだ。
彼は三十代の前半という若さで、財務省王都財務局の局長となった。
ユーマ王国における王都財務局は、その名の通り王都における財務の統括、金融、貸金業の監督と、王の定めた公益品、公益施設が上手く回っているかを監視する役割がある。
その局長は、本来ならば様々な要職を歴任してきた五十代なり六十代なりの老練家に与えられる重要ポストである。
この抜擢は、彼の事務処理能力の高さを考慮してのものでもあるが、それよりは彼の一族がこれまでに積み上げてきた貢献、その大きさを考慮した面が強い。次期の適任者であると看做されていた人物が、相次いで病気にかかり勇退してしまったという事情も、背景にはある。そこには、彼の父親も含まれていた。
──なぜだ、なぜ私はツイていない。
しかし彼は、その幸運を、通常よりも遥かに早い出世を、ある種の妄想の燃料としてしまった。
──私は神に選ばれた特別な人間であるというのに。
その思い込みは、諸々恵まれていながらも人生の要所要所で理不尽に損をしてきた……と思っている彼を、強烈に慰め、鼓舞するものであった。
──私は、何も間違ったことはしていない。
──だのに、なぜ。
王都財務局において、その取り扱いが難しい公益品に「塩」がある。
人間が生きていくのに、そして味わい深い豊かな生活をするのにも、「塩」は必須だ。
だが王都は内陸の都市だ。最も近い海岸線を持つ南の公爵領、ボユの港でさえ、馬車では何日もかかる距離にある。そして岩塩を産出する土地も、近くにはない。
北の岩切り場も、岩塩が産出するのであればスラム街などにはなっていなかったであろう。
これにより、王都において「塩」は最重要資源のひとつと看做され、それは国により管制されし官製品となっている。交易品であり、公益品でもある。
そこには多くの利権がある、特権がある、占有されし知見がある、迂闊に手を出せば痛い目を見るかも知れぬ危険をも孕んでいる。
──どうして、どいつもこいつも私を信じない。
だが増長した彼は、言ってしまえばそこへ手を突っ込んでしまった。それも素手で。
──どうして、どいつもこいつも私を認めようとしないのだ。
──正義は、この私にこそあるというのに。
塩に関して。
その王都における流通と、その管理については王都財務局の管轄だ。だがその製造については王都財務局の管轄ではない。それどころか財務省の管轄ですらない。
海水より良質の塩を産出するその製造方法に関しては、ボユの港を治める南の公爵家が占有している。そして公爵に対し命令を下せるのは、国王ただひとりである。言ってしまえばそれは、国王と南の公爵のみの特権なのだ。
その仕組みを、彼は完全に無視した。
彼は、塩はその製造から流通までも財務省が一括で管理管制すべきであると主張した。
塩の製造方法は、財務省にも知らされるべきであると主張した。
そこまではよかった。それはただの上申であり提案だ。彼はただのいち局長であって省の大臣ではない。その言葉に、彼が思うほどの重みはない。
ある意味、新参者らしい暴走ともいえる。世の仕組みが理解できている多くの同僚……多くは年上だが、一部は年下……に鼻で笑われ、省においては煙たがられ、局内においても軽んじられる結果となったが、それによって彼が職を追われるというところまでは行かなかった。その時点では。
──私はこの国を愛してる。私を生んでくれたこの国に感謝している。
──ならばその恩は返さなければならない。
──この国を、美しい国としなければいけないのだ。
だが彼は彼の信念を貫いた。貫いてしまった。「恵まれた自分」が天啓のように閃いた「良策」であるのだから、これは貫き通さねばならぬモノであると信じてしまった。
そして、そんな……深夜のテンションで思い付いたアイデアに人生を賭ける莫迦者が如き愚行を、彼は本当に実行した。実行してしまった。
父が職を勇退したことで、家においても実質上の家長となっていた彼は、家の金を使い、南の公爵領へと密偵を放ったのだ。
──だからこそ、この国のため身銭を切って働いたというのに。
塩の製造には多くの者が関わる。
その製造現場も、海沿いのどこかであるというのは自明の理だ。
密偵を送り込めば簡単にその製造方法は知れるだろう……と彼は考えた。
当然、国の重要機密を扱う公爵家に、防諜の備えが無いはずもない。
呆気無くその企ては挫かれる。
だがそこで幸運だったのは……あるいはより深い不幸を呼び込む原因となったのは……彼が他人を、あまり信じられない性格であったということだ。自分以外のほとんどは低俗で愚か、信じられるはずが無い……それが彼の観る世界の形だった。
ましてや金で動く密偵など、彼にとっては人以下の存在だ。計画上の必然が無かったとしても、そのような者へ名を伝えるなど、蚊に血をくれてやるよりもおぞましい。
だから彼は、密偵へ自分の正体が知られぬよう努めた。
計画の中で、そこにこそもっとも力を入れたといっても過言ではない。
そして繰り返しになるが、彼は別に、頭は悪くない。
その彼が織りなした重層的な迷彩は、至極真っ当に機能していた……ただひとつの例外を除いて。
そうして密偵は、自分の依頼主が誰であるのかを知らぬまま南の公爵領へ潜入し、呆気無く捕まり拷問を受けたが、その口から王都財務局局長である彼の名前が漏れることは終ぞなかった。
──計画は、目的を果たせないという、ただその一点を除いて上手く回っていた。
──あとは目的が果たせるまで繰り返せば良い……それだけだったというのに。
塩の専売に絡む諜報と防諜の戦いは、それへ関わる者にとっては日常茶飯事である。
王都財務局局長の莫迦げた上申も、省内で片付けられてしまったから、南の公爵まではその情報が伝わっていない。
ボユの港を治める公爵は拷問官の腕を信頼していた。それで情報が得られないのであれば仕方無いと判断してしまった。それ以上の調査は行われなかった。
そうした幸運にも助けられ、彼の計画は上手く回っていた……ある意味においては。
──なのに……あいつらが。
しかし幸運と不運は表裏一体でもある。
彼は密偵を金で雇った。
多大なコストをかけ、自分の正体を隠して雇った。
それが何回も、簡単に潰されてしまった。
この繰り返しが、家の財産を浪費する。
──また、あいつらが俺の邪魔をしやがった。
発覚は、転落は、彼のこれまでの人生そのままに、身内よりのモノとなった。
──忌々しい、肥え太った豚と腰巾着が。
彼には騎士となった弟がいる。兄弟の中では次男。彼から見て姉である長女の側に付いていた、莫迦で愚かな……と彼が思っている弟だ。
──どうして父上も、あのような者を頼ってしまったのだ。
王宮に仕える騎士となっていた彼の弟、次男は、ある日父親より実家の財務に不明な点があることを知らされる。病を患い、めっきりと老け、衰えてたとはいえ、彼らの父もかつては財務省の官僚だった。家における少々の変化から、財務におかしい点があることを察した。
そうして次男は何度か実家へと戻り、密かに兄の調査をした。
次男は、莫迦で愚かなどではなかった。
素質的な意味では、兄と同程度の頭脳を持っていた。
そして正義感と、それを貫き通す粘り強さもまた、兄と同程度にはあった。
彼らは似た者同士だったのだ。向かう先がほんの少し違っていただけで。
そうして弟は突き止めた。兄の、反逆罪にも匹敵するその行為を。その証拠を。
──ああ忌々しい、本当に忌々しい。我が弟ながら殺してしまいたい。
結果的に、ゲリヴェルガは王都財務局局長の座を追われることになる。
その後釜には、彼らの姉、長女の嫁ぎ先である伯爵家縁故の者が座った。
──ああ忌々しい、本当に忌々しい。我が姉ながら今すぐ豚の餌になってもらいたい。
ゲリヴェルガの罪は、実家の存続を望んだ姉と弟によって秘匿された。しかしその罰は容赦なく下り、彼は長女次男の姉弟に弱みを握られた。全ての要求へ首肯せざるを得ないという状況に堕とされてしまった。
──ふざけるな、どうしてこの俺が『あなたは莫迦だから』『兄さんはもうさ、真面目に仕事するだけにしてなよ』などと言われなければならない。
──私は神に愛された男だ。私はこの国を良くする使命を、この国を美しい国とする使命を神より賜ったのだ。
──なのに、どうして上手くいかない……。
彼はいまだに、自分が間違ったことをしたとは思っていない。
信念を貫くことこそ、神の命じた崇高なる使命だと思っている。
自分が正義であると信じている。
それは、ある意味においては間違ったことでもない。王族による塩の独占が悪だというなら、彼は正義であろう。彼が求めたのは、塩の独占は財務省に……もっと言えば、この神に選ばれし優れた俺に……全てを任せろというモノだったが、それでも「彼にとって」それは間違いなく正義であったことだろう。
正義による支配を求めるのも、美学による統治を求めるのも、結局は絶対君主制を認めろというに等しい。その意味において、「神に選ばれし」自分が「絶対君主」となるべき……そう考える彼には、間違いなく正義があり美学がある。
ただ、それが世間に認められるかどうかは所詮、全部運。
──やはり運だ。私には、運が足りない。
世間というのは、彼が思う以上に複雑だ。それは計算能力や、地頭の良さだけではどうにもならない領域でもある。独善的な正しさがまかり通るわけではない世界、美しいと感じるモノは人によって異なる世界、自分の都合ひとつでは動いてくれない世界、それと……そういったモノと、どういった姿勢で向き合っていくかという、それは個々人へ与えられた永遠の課題だからだ。これはスポーツの世界において、どれほど体力や運動能力に優れていたとしても、姿勢がおかしければ結果は出せず、それどころかいつか身体も壊してしまうことに似ている。
──だからこそ私は、幸運の女神を味方につけるしかない。
ゆえに彼は壊れた。世界に対する姿勢がおかしくて、壊れてしまった。
彼は欲している。自分の妹が本当に可愛らしく思えた、その頃を思い出させる姪の肉体を。
彼は欲している。自分の妹のせいで没落するかもしれなかったロレーヌ商会が、しかし再興するきっかけとなった幸運に愛されし姪を。自分へも財をもたらしてくれるだろう幸運の女神を。
彼はだから信じた。姪、ラナンキュロアこそが自分の運命の相手であるのだと。
運命の相手なのだから、どのような手段を使ったとしても、それを手に入れることこそが、神の意に沿うことであると信じた。
それこそが、今の彼にとっての「正義」だった。
自分を軽んじた人間、自分を敵対した全ての人間に天罰が下り、自分と自分の愛する者だけが神の愛によって祝福される。嗚呼……それはなんと「美しい世界」なのだろうか。彼はそこへ向かって猛進している。己が「正義」を妄信している。狂った道を邁進し続けている。壊れてしまった彼の迷走は、だから止まらない。
「……くそ」
彼は卓上の呼び鈴を鳴らす。
そうしてから椅子の脇に置いてあった剣の柄を握った。
この数ヶ月、苛立ちが脳内を、体内を、常に焦がしながら巡回している。
「どうしてわからない……私に奉仕することこそ、この国に奉仕することなのだということが……我が妹を奪った下賎の非国民め……」
「へへ、お呼びですか? 旦那」
執務室へ、本来の彼ならば下賎といって蔑む種類の男が入ってくる。
それは明らかにカタギではない風貌と出で立ちだった。
元々いた真っ当な家の使用人は、もはやゲリヴェルガの命令を聞こうとはしない。それらはもはや、彼にとっては長女に雇われる形でこの家に潜入しているスパイでしかない。執事長は彼の息子へと希望を託し、それにべったりだ。
妻は「あなたは異常よ、もうついていけません」と家を出ていった。離婚こそしていないが、別邸にて別居中の妻には指一本触れることが出来ないため、自慰や商売女を抱くなどはプライドが許さぬ彼の性欲は、溜まる一方だった。
そうして彼に残った「手駒」は、今、目の前にいるその男、ただひとりだけとなっていた。
「進捗はどうなってる!」
「おっとぉ、開口一番イラついてんねぇ。わりぃことは言わねぇから、色街にでも行って一回発散してきなって。いい子、紹介しますぜ?」
短い赤毛を、油か何かで逆立てた男。
「下らん! 話をはぐらかすな!!」
「情のふけぇ女に抱かれて眠るってのも、最高なんですがねぇ」
下卑た笑みを浮かべる、その頭の両脇には虎縞の刈り込みが入っていた。
「低俗な話は真っ平だと何度も言ってるだろう!」
「低俗ねぇ……ま、進捗なんて、あったら速攻報告しに伺ってんだけっど。報告がないってこたぁ、進捗もないってことなんで」
「ぐっ……」
現在、ゲリヴェルガの「手駒」としてそこにいる赤毛の男性、彼は名をアルスという。
赤毛は南方の大陸に多いと聞いているが、混血が進んだボユの港周辺では普通に見る髪色でもある。そこら辺が出身なのだろうとゲリヴェルガは思っていた。
「この三ヶ月でお姫さんが出歩いたのはたったの三回、パパのお店に行ったのと、旦那の弟君に逢いに行ったのと、冒険者ギルドから東の森へと出向いたのと、既に報告済みのそれだけでさぁ」
「だから東の森の時に動けと……」「待った待った待った、説明したハズですよねぇ? 東の森は魔物の巣なんですって、しかも旦那の弟君、黒槍のコンラディンも一緒だったんですぜ? 今動かせる人員じゃとてもとても。コイツが足りませんぜ?」
おどけた顔で、指で丸を作ってみせるアルス。彼は、簡単に言ってしまえば冒険者崩れなのだという。
「だから言ってるだろう! この策が成功すれば私は絶対に財務省で返り咲く! そうすれば報酬など」「先立つモンがねぇとどうにもなんねぇんすよ、この世界」
立身出世の夢を見て王都へと上り、そこで夢破れて落ちぶれた男……とゲリヴェルガは聞いている。一応、今でも王都の冒険者ギルドに籍は置いているらしいが、そちらからの仕事は何も請け負っていない状態だという。
「生きる死ぬの世界に生きてるモンを動かすにゃあ、先立つモンがいるんですよ。そうじゃなかったら信頼関係ですかね。旦那が身分を明かしてくれりゃあ、もう少しやれることも増えるんですが?」
「何度も言わせるな! 私の名は絶対の秘密厳守だ!!」
「だったら、やっぱりコレですかねぇ。旦那の今の予算でやりくりするなら、成功率が高ぇ一回に賭けるしかねぇと思いますぜ? それに、あんま下手に動くっとあっしみたいなんに、また出所を特定されますぜ?」
「ぐ……」
アルスは、自力でゲリヴェルガの重層的な迷彩を潜り抜け、その正体まで辿り着いたただひとりの人間だ。それで脅迫でもするのかと思えば『あっしを雇ってくんねぇかな』と来た。当時のゲリヴェルガは困惑したものだ。
「だからそれをいつまで待てばいいと聞いている!!」
「やー、旦那の姫君は出歩くのが月に一、二回って深窓の令嬢様じゃねぇっすか。それも最近は警戒してるのか、中央の、警官がうじゃうじゃいるところしか通らねぇってモンだ。冒険者ギルドへ行った時は馬車まで使ってたしなぁ」
アルスは目端の利く男だった。自分の迷彩を潜り抜けたことも、自分の有能さを信じているゲリヴェルガには評価できるポイントだった。そしてなにより、おそらく「その道」に長けたアルスを、人知れず葬り去る手段が、今のゲリヴェルガには無い。
だから危険とは思ったが屋敷へと招き入れ、「手駒」として扱うことにした。当然屋敷にいる間は丸腰にさせ、こちらは常に武器を手元においている。それでも勝てる気はしないのだが、牽制の意味でもこの扱いは必要……だとゲリヴェルガは思っている。
「成功率が高い一回に賭ける、そう言って最初に失敗したのはお前だろうが!!」
「いやー、あっしゃあ五人でも成功すると踏んでたんですがね、あそこで七人全員を動員したのは旦那のご命令でしたけど。ふたりは残しておくべきでしたよねぇ。そうしたらもう少し今が楽になったんですが?」
アルスは嫌みったらしい笑みを浮かべ、人指し指で右側の耳を掻きながら言う。
アルスはそちら側の耳が少し欠けている。冒険者崩れならばさもありなんといったところではあるが、ゲリヴェルガはその一点でもって、彼を自分の家畜のようなものであると思うことにした。家畜の耳は、時に目印としての穴が開けられたりしているからだ。
「御託はいい! 最初の失敗の責任を取れ!!」
「責任っつわれてもねぇ、最初の襲撃がどうして失敗したか、全員やられちまったんで、その原因すらわからねぇときた。ひとりは監視役に置いておくべきってぇ、あっしゃあ言いましたよね?」
耳をほじった左手の小指を、ふっと息で払いながらアルスは皮肉な笑みを浮かべる。
──クソ、下賎の者はこれだから。
「私が命令したのは! お前も含め八人で事に当たれ、だ!!」
「そうしたら成功してたってぇ?……勘弁してくだせぇよ旦那、七人をやったのはとんでもねぇ手練ですぜ? ロレーヌ商会にゃそんな人脈、ありゃあしねぇってのは前にご報告した通りですがね。……スラム街に凄腕の剣客でも来てたんじゃねぇですか? 剣の試し切りに」
「だったらそれが誰か突き止めろ!!」
「喧伝されている中にはいませんねぇ、該当者。そうすっと影働きをする類の連中ってことになんですが……あっしの人脈はなんていいますかね、裏街道の表層部がメインなんっすよ、軍や騎士の下部にも少しゃあ手を広げられますがね、どこぞの貴族に囲われてる凄腕の剣客の情報なんざ、どうにもならねぇ領域っす」
「使えん!!」
「スラム街もまた、特殊な領域っすからねぇ、情報を得るのは簡単なんですがね、そいつの真偽を確かめるってぇのがまた、とんでもなく大変でぇ。今回のも心当たりがないか、その辺のやつらに当たってみたんですが、もうでるわでるわ、胡散臭ぇ話が山盛りのテンコ盛りよぉ」
曰く、自分がやった……刃物のひとつも持っていないのに?
曰く、そういうことをしそうな魔物見た……全ての致命傷は刀傷だった。
曰く、軍隊がやってきた……軍隊が動いたかどうかぐらい、簡単に調べられる。
曰く、警邏兵がやった……そんな凄腕が警邏兵などやっているものか。
曰く、ここら辺のボスならそれくらいできる……できねぇよ。そこの調べはついてる。
曰く、ここら辺には無敵のクソガキがいて……莫迦か。
「そんなわけなんで、次の襲撃のタイミングを図っているトコなんでぇ、まぁ次は俺が監視役になるんで、大人しく待っていただけないっすかねぇ。家へ直接襲撃するのは今でもNGなんっすよね?」
「それだと目的を達した後に、ことを穏便に済ませられなくなる。それに、後に我妻となる者の実家を襲ってどうしようというのだ。今もそこに住まう姪の母親は、私の妹なのだぞ」
「あんま“やり口”を選んでっと、“そういうやり口を採るのは誰か?”ってヒントを相手に与えてしまうんですかね?……ん?」
「どうした?」
唐突にアルスが、執務室の窓へ視線を走らせる。
「どうしたというのだ、無礼であろう」
「いやね、あそこのでっけぇ木なんですがね」
「ああ、そこの窓からは遠くの記念樹が見えたはずだが」
ゲリヴェルガは、アルスから視線を外さない。その手は脇の剣を握り締めたままだ。
「あっしゃあ、連絡用の符丁ってのを決めてましてね。そのひとつが、あの木に襤褸切れをひっかけるってぇのなんですが……」
「臭嵐の真似事か? 趣味が良くないな」
臭嵐は、王都リグラエルで稀に起こる、ある種の災害だ。それを自然災害と呼ぶか、人為災害と呼ぶかは、それぞれの感性、もしくは思想によって異なる。
「ま、あれなら人に見られても季節外れの臭嵐かって思われるだけなんでね。で、黄色の襤褸切れを引っ掛ける時の符丁は、事態が好転した、連絡求む、なんすよ」
「なんだと!?」
思わずゲリヴェルガは首を回して窓の外を見た。すぐ後にこれは迂闊だったと彼は反省するが、別にアルスはゲリヴェルガを、ここで害するつもりなどは無かった。
「黄色?」
「汚れ、くすんじゃいますがアレは確かに黄色ですぜ? ちょっくら行ってきてもいいっすかね? 旦那がお望みの進展、得られるかもしれねぇっすよ?」
「おお……」
「行って、いいっすか?」
「何をしてる! 急げ! 今すぐその進展とやらを持って参れ!!」
「へーいへい」
そうして、しばしの後。
「どうやら姫が、動き出したようですねぇ」
これは好機であると逸るゲリヴェルガと、罠かもしんねぇんでと慎重論を唱えるアルスとの間で、またひと悶着があった。
うーん、この兄。




