epis20 : mathemagics -soul of gold-
『レオさ、ちゃんとした武器……片刃の剣とか、欲しくない?』
ということでやってきました職人街。
王城やパパのお店がある王都の中央からは結構遠いです。
なので、治安も少し悪くなりますが、今はレオもマイラもいるので、そういう意味での不安はありません。現時点における問題は、レオが生け捕りをできるのかという点にあります。
レオのあの斬撃は、本人の意識すらも超えて発動する攻撃なのだそうです。
曰く、自分の身の危険を感じたり、相手に対し殺意が芽生えたりすると自動的に刃が翻る……そんな感じで、前者はヒュドラの時、後者は私が襲われていた時がそんな状態であったとか。
となるとレオには、手加減なり無力化なりといった、(比較的)穏便な攻撃手段が無いことになります。
ところが今回の場合、それが必要になってきます。
誘い受けで襲ってきたものを全部殺す……という物騒な手段は採らず、下手人を捕縛し、黒幕を吐かせるのが作戦の目的となるからです。
そこで、片刃の剣はどうでしょうかという話になります。
もっというとアレです、刀の刃と峰を逆にした……某漫画のいわゆるシンボルアイテムでもある逆刃刀です。
いわゆる峰打ちというのは、実際には結構致死性のある攻撃方法だそうで、まぁ鉄の棒で力いっぱいぶん殴られるんだからそれはそうだよなぁ……という話ですが、確実に死ぬよりかは全然マシでしょう。
『レオって、相手を無力化したい場合はどうしてたの?』
『ん?』
『人殺しって、面倒じゃない? 後々、色々と』
『ああそれは……無力化したい、そう思って刃を向けると、相手の手や脚が斬れていたかな』
『うわぁ……』
『結局、血を流しすぎて死んじゃう場合の方が多かったけど』
『うわぁ……』
『そんなことがある程度続いてからは、スラム街で僕に喧嘩を売ってくる人はいなくなっていたけどね』
『うわぁ……』
先日、レオのヤンチャな話を聞きながら、訊き出したことには。
『けど、だったらまだ、やりようはあるかもね』
『ん?』
手や脚を斬っただけでも、攻撃が停止する場合があるとのことでした。
なら、すなわちレオの斬撃が停止する条件は、相手の絶命「だけ」ではないということです。
剣の形をした、しかし斬れない武器を手にしたらどうなるか、興味ありませんか? 私、気になります。
「だけど、そんな武器は普通には売ってない。なら、イチから造ってもらう必要があるんだけど、残念ながらそっちの伝手は本当に皆無。だから飛び込みで一軒一軒当たるしかないんだけど、私達にはそこにも制限がある。それは監視者に、武器を作っていると知れられるわけにはいかないってこと」
「なかなかに面倒な話になってきたね」
「だから、武器だけを頑固に作り続けていますってタイプの、ちゃんとした職人さんは今回選考外。そういうのにも憧れるけど、今回大事になってくるのはむしろ正反対のことかな。剣の形をしていながらも人を殺せない武器が欲しい、そんな妙な依頼を要求通りに叶えてくれる、だからむしろ札束で殴れば黙々とこちらの要求を呑んでくれる、そういった、こだわりの無い製作者が望ましいと思うの。といって、ちょっと振っただけで折れたり曲がったりしてしまうのも困るから、ある程度の腕はやっぱり必要なんだけど」
「こだわりがない人には、腕の方に問題がありそうだね」
「そうなんだよねぇ~」
ただ、この世界には、夢の世界には無かった好材料もある。
「だから、ちょっと視点を変えて、材料に特殊な金属を使おうと思っているの。ヒーロリヒカ鋼って聞いたことある?」
「全然?」
「ユーマ王国には、東の帝国から南の大陸経由で入ってくる希少品なんだけど、青く光る部分と赤く光る部分が木目状に交じり合っていて、武器にすると錆びない折れない曲がらないの三拍子が揃った、すごく高級な金属材」
これは多分、夢の世界のダマスカス鋼に近いものなんじゃないかと思う。ママが昔、身に着けていたというブレスレットがそれだったけど、アクセサリにしたくなるのも納得な、カラフルな紋様が綺麗な金属だった。
要は複数の鋼材を重ねた積層鍛造の金属材なのだろう。
「これの更にいいところは、紋様があまりにも美しいから、実用性よりも装飾性を重視した武器にもよく使われるってこと。つまり、宝飾品やアクセサリをメインに扱うお店でも買えるってこと。それにね」
「うん?」
「こういう世界では、装飾性を重視した武器であっても、お金さえ積めば実用に耐えるクオリティにすることが可能なんだ」
「そうなんだ?」
ヒーロリヒカ鋼、それ自体は剣とするに何の不安もない高級金属。
それを一流の鍛冶師に形を整えてもらい、砥師に研いでもらう。今回の場合、刃の切れ味はそこまで重要じゃないから、後者は一流でなくてもいい。
そこまでできたら、後はしっかり柄や鍔と組み合わせてもらい、ちゃんとした鞘をあつらえてもらう。完成したらいちどレオに使ってもらって、不備があれば調整してもらう。
これでいい。頑固職人さんと一対一でやりとりするのとは別の、だけど武器を拵える際にはごく一般的な流れのひとつだ。作る物が全く一般的じゃないことを除けば、だけど。
ただ、これをするには大変なお金がかかる。様々なコネクションを持つ商会の信頼を、金で買うようなものだからだ。最低でも金貨十枚、普通には二十枚くらい、札束でぶん殴るにはそれ以上必要だろう。
そして今回、私は基本的に、札束でぶん殴る方向で行こうと考えている。ここをケチる理由はない。なにもない。作戦においてかなり重要な要素であるということもあるが、王都においては金イズパワー。斬れない剣を最高のクオリティで作ってくれなどという、トンデモな依頼を滞りなく最高の結果で仕上げてもらうには、相当の圧力が必要だ。
だからこその金貨百枚だ。今は九十五枚だけど。
もうここはド●ペリタワーを築くくらいのつもりで行く。
女、見せちゃうぜ~。
「というわけで、あちらに見えますのが宝飾品、貴金属等を大規模に取り扱っているドヤッセ商会の支店のひとつです」
支店というか、職人とのコネクションを繋いでおくための衛星店舗ですね。
宝飾品、貴金属の加工に必要な彫金の技術と、武具や農具の加工に必要な鍛冶の技術は、その大部分が別物ではあるけれど、一部は重なっている。そしてその一部を完全に切り離すと、それはそれで商売がしにくくなってしまうものだ。
だから宝飾品、貴金属で手広く商売をするドヤッセ商会も、鍛冶職人とのパイプを残すために職人街へ支店を置いている。
「……って成り立ちの支店だから、扱っているのは装飾性の強い武具とか防具。主な顧客層は番役、大番役の貴族様とかかな」
「番役?」
「地方に封じられている伯爵家、侯爵家の貴族は、王都リグラエルに別邸を持つのが義務のひとつとなっているの。番役はそこへ伯爵、侯爵当人が一定期間常駐することで、大番役は、その期間が一年以上になることね。どっちも領地の安定度なんかを目安に王命が下って任命されるけど、大番役の場合は特例として、正室が王都で妊娠した場合には、これを自主的に申し出ることができるの」
「え? 地方貴族の奥さんが王都で妊娠?」
「伯爵家、侯爵家、公爵家の子供は、十五歳までに二年間、王都の王立学園で色々なことを学び、これを卒業しないと爵位の継承権が得られないの。だから伯爵家以上の、大貴族の正室は、子供が成人するまで王都で過ごすのが一般的とされていてね、それならもう、奥さんには最初から王都にいてもらった方が手っ取り早いし安全じゃない? そんな感じで伯爵様、侯爵様は、今では王都に自分の奥さんを置いて、自分自身は領地と王都を行き来する生活を送るのが普通になったってわけ」
伯爵家の正室である私の伯母さんが王都で暮らす理由は、そういうことだ。長男は今年王立学園に入学したんじゃなかったかな。
レオは脳内で内容を整理していたのか、しばし沈黙して後に言葉を返してきた。
「ああ、王都にいる妊娠中の奥さんをひとり残して領地へ帰るのが不憫であれば、大番役を申し出ろってこと?」
「そそ、だから伯母さんも、ほとんどずっと王都で暮らしてるんだけど、この番役、大番役のシステムはだから、王都へ富を呼び寄せる機能も担っていてね」
「……どういうこと?」
「お貴族様は、見栄を何よりも重視する生き物だってこと。階層社会へ真っ向から喧嘩を売ろうとした小娘が、徹底的に破壊し尽くされるくらいには……ね」
「……よくわからない」
ママは、伯爵家の正室である姉より、自分は優れているんだと世間に認めさせたかった。そのために婚家である商家、平民のクセに金だけは持ってる薄汚れた商人の財産を食い潰した。
その自滅は、貴族社会にとっては「正義そのもの」に他ならない。
ママは階層社会の秩序へ喧嘩を売った挙句自滅し、没落した。
そのような存在だったからこそ、ママは過剰に嘲笑われ、今でも語り継がれている。
ああはなるな、馬鹿なことをすればお前もああなるぞという、教訓のひとつとして。
「王都では財の多寡が人の価値を決めるの。そんなところでお貴族様が見栄の張り合いをしたらどうなるのかって話」
「見栄の張り合いには、お金がかかるってこと?」
「当然。貴族にとって浪費は美徳って言葉を聞いたことはない?」
奥さんひとりの身の回りに限定したってドレス、ジュエリー、アクセサリー、馬車、髪とボディのメンテナンス費用、香水、お側付きの品格と質……これだけでもう平民には信じられないようなお金の掛け方をするのだ。
「なんだか、もの凄く莫迦らしい話を聞かされてる気がするんだけど」
「常識が違うからね、私達と、お貴族様とでは。けど、それは一概に莫迦にしたモノでもないの」
「どういうこと?」
お貴族様が見栄でお金を浪費してくれるから、王都の商店には地方貴族の富が落ちてくる。それはもう、ある種公共工事のようなものだ。お神輿様を立派にするための。
私自身、その恩恵へ与れる商家に生まれた娘なので、そうしたことに文句を言うのは筋違いだ。
「だからそういうお貴族様の見栄を満足させるための武具、実用性の低い装飾的な武器の需要も出てくるの。今回の場合、それを活用させてもらうわけだから、ここは、はは~ありがとうごぜいますだお貴族様、へへ~ってことで拝んでおきましょ」
「はぁ。へへ~……?」
「わぉん……」
店の手前で、なぜかマイラもおじぎでもするかのようにうなだれ、情けなく鳴くのであった。
「なるほど、お話は承りました。護身用として刃を逆にした短剣が欲しい、しかしそれはちゃんと使用に耐える物でなければならない……この理解で間違っていませんか?」
「え、ええ」
夜なのに、妙に明るい店内の一室で、私は少し当惑していた。
ここは存在することに意味がある特殊な支店であるから、営業時間も特殊だ。お客が来れば深夜であっても開けるスタイル。それは事前に調べて知っていたから、完全にふりで飛び込んだ私達にも、丁寧に応対してくれたことには不思議がない。妙に毛並みのいい大型犬、その背に括りつけられた明らかに重そうな革袋、この二点だけでも、目端の利く商人であれば何かを察するだろう。
特殊な支店の存在意義を思えば、個別の接客室があることも、それがかなりの高級家具を品良く並べた上品な部屋であることも、まったく不思議ではない。私から見て左の大きな鏡、あれはおそらくマジックミラーだろう。その裏に警備兵なりなんなりがいるのか、それともいないのか、それはわからないが、設備としてそれがあることにも特に疑問はない。武具を扱う高級店だ、様々なトラブルを想定しているのだろう。
「ふむ……」
問題は、応対してくれた店員の姿だ。
といっても、別に汚かったり臭かったりといった、そういうことではない。
むしろ逆だ。
「その上、なるべくなら、女性がスカートの下へ佩いても問題がないようにしてほしい、ですか。佩くのはあなたということですか?」
「……ええと」
今、私の目の前で接客というか応対をしてくれている店員さん。どう見ても二十歳を超えてない女性……なのですけど。
割と極端なタレ目で、柔和な丸い顔でありながらも、どこか油断できない匂いが漂っている……そんな女性。
高級店であるはずなのに、自己紹介もなしに商談を始めようとしている点もまたおかしい。
「実用性を求めるとなると、使用される方の体格、体型、筋力、手の形、武具の扱いに関する経験の有無などはかなり重要になってきます」
「それは……そうなのでしょうが……」
そこで、店員さん(?)は、ちらとレオの方をみる。
「見た所、そちらのお嬢様の方が、剣の経験はお有りのようですね」
「……」
お嬢様……目端が利きそうな女性ではあるが、そこは見破れないようだ。
もっともそれは、レオがもう、声と表情、仕草以外、ほとんど完璧な女の子に化けているから仕方の無いことだけど。
声はどうしようもないので、私がいいというまでは黙っているよう指示してある。まぁレオの声は、変声期が済んでいるのかいないのか、よくわからない中性的な声ではあるけれど。
「事情がある……というのはなんとなく察せられます。面倒事はゴメンですが、それを含めての対価はお支払い戴ける……と考えても構いませんか?」
今度は、今はレオが持ってる革袋へと視線が移る。一応は中で固定し、音がしないようにはしているが、そのずしりとした質感で中身は一目瞭然だろう。
「……全てを秘密厳守としていただけるなら」
「それは当店においては当然の標準仕様です」
「そうでしょうね」
そもそもが、秘密を守ってくれそうな高級店を狙って、ここへ来店したのだ。
この分野へコネがない以上、最初から選択肢は少ない。
「あの……もしかして、私のことをご存知ですか?」
私は八歳から家にひきこもった人間だ。貴族社会やそれに付随する業界で悪名高いママ……の娘であるとはいえ、今の私がそこまで有名であるわけもない。
ただ、目の前の女性から、なにか妙な雰囲気を感じる。
どこか、私を面白がってるような空気を感じる。あたしは、その手の気配には敏感なのだ。
「ふふ、そのように警戒されなくても大丈夫ですよ。当商会のモットーは、お客様にはひとりひとり、真摯に付き合え、ですから」
「はぁ……」
「お茶は口に合いませんでしたか?」
「ん」
接客用のテーブルには白いカップがふたつ並んでいる。最初はみっつだったが、レオは無言で固辞した。
「お客様は、ご夕食はもう?」
「いえ、まだですが……」
「そうですか、ならばお茶菓子などいかがでしょう? いいチョコレートケーキがありますよ?」
「っ……」
落ち着け。
今、私はぶりっぶりな少女の格好をしている。
いかにも、流行のお菓子が好きそうな少女に見えるだろう。
ここでチョコレートケーキを勧められることには、何の不思議もない。
「誰か!」
テーブルの上の呼び鈴を鳴らし、店員(?)の女性は、やってきた小間使いらしき年配の男性に「あれを」と指示を出す。ということは、小間使いを小間使いとして使える程度には偉いのだ、この人は。
やがてテーブルの上に、どこかで見た色と形状のケーキがみっつ並ぶ。
「どうぞ。当商会の他の支店であればまだしも、当店の顧客層を考えるとこれは、必要経費とするには無理のある茶菓子なのですが、まぁそこは私のワガママでして、無理を通させてもらっているのですよ。これは内緒ですよ?」
妙に茶目っ気のある仕草で謎の女性はこちらへウィンクを飛ばし、皿のひとつを手に取って、そのひとかけらをフォークでさっと口に運んでしまった。
「んー。頭脳労働者には沁みる甘さと苦味。どこの誰がこのようなものを考え出したのだろう? 素晴らしいと思いませんか?」
「ぇ……あ、はい」
どっちだ。
これはどっちなんだ。
すごくわざとらしい。もの凄くわざとらしい。
「さ、そちらのお客様も、是非」
でもまだ、決定的なことは言われていない。
レオは、無言のまま、しかし今度はそれを固辞しなかった。
軽い会釈をして、チョコレートケーキにフォークを入れ、それを口に運ぶ。
「!」
なんか目を見開いて驚いてる。
そして明らかにフォークを動かす手が早くなった。
それ自体はツンデレ少女のテンプレムーヴで可愛かったけど、その反応は私が引き出したかったなぁ。おのれ目の前の誰か、レオの初めてを奪いおってからに。
「毒か何かを警戒されるということであれば、残ったひとつの半分を私が戴いても構いませんよ?」
「毒って……私は、ここでそのようなモノを盛られる理由があるのですか?」
ちょっと軽く探りを入れてみる。
「いいえ? ただ、王都のちゃんとした店であればそんなことはありませんが、地方の悪質な店では、客を眠らせて身包み剥ぐなどもするそうですから」
「……勉強になります」
「……」
レオが、気が付けばこれまたツンデレ少女のテンプレムーヴ(今度はデレ要素の方)な感じで『おいしいよこれ! ラナも食べて! 食べて!』という視線を私の方へ送ってきている。いや実際に口を開いたらそんな言葉使いにはならないんだろうけど。
仕方無く、自分でもひとかけらを口へ運んだ。
「……おいしい」
この味は間違いなく、パパのお店のものだ。他のところのだと、カカオ豆の焙煎すら行っていないモノがある。かなり頑張っているものでも、湯煎やすり潰しが甘かったり、薄皮を剥いていなかったりして、妙な味と質感になってしまっている。
ケーキに使っても違和感がないチョコレートは、まだパパのお店でしか食べられない。
「そうでしょうそうでしょう。なにせ元祖であり先駆者、スィーツ界の革新者でもあるロレーヌ商会の純正品ですからね」
「……」
私のファミリーネームを強調して言うなや。
あと、これは確かにロレーヌ商会の純正品だけど、最高級品ってわけでもないからね。最高級品はお貴族様とかにしか売っていないし。
……色々と面倒なのだ、見栄の世界は。
「あそこも、過去には色々ありましたし、今でも口さがない連中はやいのやいの言っているようですが、これのおかげで完全に持ち直しましたからね……ところでご存知ですか?」
「……何をでしょう?」
「ロレーヌ商会の会長様は、妙なことを吹聴していましてね。なんでも、チョコレートは会長様の一人娘が考えたモノなんだとか」
「……」
心臓が冷える。
「ま、誰も信じてはいませんが」
確かに、私はパパへそのことを口止めしなかった。
けど、言うわけがないと思っていた。スィーツの販売にはブランドイメージの構築が重要になってくる。そこで、十やそこからの娘が考えたお菓子だなんて、莫迦にされるに決まっている。
何を考えているんだ、パパ。
「ただね、これには最近、もう少し面白い噂話が出回っていましてね。その会長様の一人娘ちゃん、最近、誘拐されそうになったらしいんですよ」
なんでも、チョコレートの秘密を聞き出すために、商売敵がその身柄を狙ったのだとか……云々。
──その方向性は一応、一度は考え、潰した。
──けど、パパがチョコレートの出所を吹聴していたというなら、話は変わってくるのではないか?
──ダメだ、今はこれを深く考察してる余裕がない。
「……ふむ」
チョコレートケーキを頬張りながら、謎の女性は心底楽しいといった表情で私を見ている。
これはもう、気付いていると考えた方がいいだろう。
私の顔立ちは、ママに似てるらしい。他にも何か、察することのできる何かがあったのかもしれない。そこを考えても今は仕方無い。
今は。
──どう反応すればいいか、だ。
「スターティングウィズ」
「え?」
気を引き締めなければと決意したところに、虚を突かれる。
「職人の手配料が金貨四枚~、材料費が金貨二十枚~、工費が金貨十枚~、雑費に銀貨五十枚がつきまして~、諸々で総計が二割増しとなりまして、では?」
ん、ええと、銀貨百枚が金貨一枚だから。
「四十と一点三だから、金貨四十一枚と銀貨三十枚?……諸々って何よ?」
「はやっ。さすがはロレーヌ商会の秘蔵っ子ちゃん」
「……」
「申し訳ありません。イタズラが過ぎたので、もうネタばらしを」
謎の女性はくすくすと笑い。
「そちらの白いわんちゃん」
レオの足元で、またも気配を消していたマイラを視線で指し示し。
「結構有名なんですよ? ロレーヌ商会の会長様のお屋敷で飼われてる愛玩犬として、ね。そんな大きな身体のわんちゃんが、日に三回も四回もお散歩で街中を歩いていたら、そりゃあ覚えられますって」
「あ……」
いえあの、マイラは愛玩犬じゃなくて番犬……。
「かくいう私も、街中でちょいちょい見かけていましたしね」
そこで謎の女性は立ち上がり、頬にケーキかすをくっつけたまま右手をこちらの方へ伸ばし。
「はじめまして、当方ドヤッセ商会の会長の次女で、当店の総支配人を任されております、マリマーネ・シレーヌ・ドヤッセです」
当惑する私の右手を取り、握手の形にして、まるで人形相手にそうするように、それをぶんぶんと振った。




