epis02 : Deal with the devil(s)
「……という話があったのさ」
「ふむ」
ニヤリと笑う青髪の女性……そのような形を採る悪魔へ、魔道士ナガオナオは冷ややかな瞳を向ける。
人間を辞め、寿命の無い身体となっても、その瞳に光はない。
魔道士ナガオナオの瞳は死んでいる。錐体に光を感知する機能は無く、視神経が脳へ視覚情報を送ることはない。真っ黒な、常闇の瞳だ。
人の身に生まれた時より盲目。人の身を捨ててなお、その瞳は世界を見ていない。
だから今現在、その視線に残る機能は、ただ相対する話者へ、相槌の意味を込め向けることで話の先を促すという、それくらいのモノでしかなかった。
全ての光を吸収しているかのような常闇の瞳を、そうして向けられた青髪の悪魔は、だが上機嫌そうにクスクスと笑う。そうしてから左手に、扇状に広げた何枚ものカードの中から、右手でその一枚をすっと抜き出す。そしてそれを、この場においては唯一光る台の上に、伏せた状態で置いた。
この場所は、魔道士ナガオナオの瞳と同じ、無限の闇がただ広がっている無の空間だった。
ただひとつ、魔道士ナガオナオと悪魔とが対峙するその中央、そこに七色の発光体がある。
それはテーブル……であるように見える。だがそうであるのかもしれないし、そうでないのかもしれない。魔道士ナガオナオの理論における専門用語でいえばゼロでないゼロ、それで割ることの出来るゼロ、掛けた際の解がゼロとは限らぬゼロ、準空子の鏡台となるが、そんなことを説明する者も、その説明を求める者も、ここにはいない。
ただ今は、そこがカードの鎮座する場所だ。
場にセットされたカードは、裏面が赤地に白の雪華模様「であるように」「観」える。雪の結晶の大小が複雑に絡みあった図案だ。大きさはポーカーサイズのトランプ、またはそれを踏襲したスタンダードサイズのTCG(M●G、ヴァ●スシュヴァ●ツ、ウィク●ス、デュ●マ、ポ●カ等)のそれと、「ほぼ同じであるように」「観」える。
だが悪魔はそれへ、特に触れることもなく、関係無いかような話を始めた。
「なぁ、ナガオナオ様よぉ? おんし、かつては人だったこともあるんじゃろ? /妾にこの顛末の意味をよ? その本質から枝葉末節に至るまで、どうか掻い摘んで説明し/ゃがっても損はな/いのではありませんか?」
青髪の女性……に見える悪魔の声は、しかし前半では確かに男の……それも年配の男性の声だった。だがそれが途中、急に若く、中性的で粗野なモノとなり、その後荒っぽい女性の声となり、最後には淑やかなお嬢様のような、上品な声となり口調となっていった。それは同じ口が、同じ舌と唇で紡いでるものとは思えないほど、てんでバラバラの声だった。
そしてその格好も、「観」ればもうなにもかもがチグハグである。
まず髪色からして、彼女のような青髪、それも蛍光色のスカイブルーというのは珍奇だ。染めればその限りではないだろうが、ナガオナオが知る限り、そうした色髪が生成りで存在する惑星は少なかったはずだ。
当然、現時点において彼女が身に着けている服……甚平なる和装……の出展元、地球という惑星の日本という国においては、そのような髪色の人間が自然に生まれることなぞ、なかったはずである。
おまけに、甚平といえば本来は男性用だ。色も灰色や紺のモノが多かった筈だ。ところが女性の形を採る悪魔が身に纏っているそれは、なんとピンク色をしている。若干青みがかったド派手なピンクに「観」えるのだ。
格好のデタラメさはそれだけに留まらず、その胸元は大きく開いてしまっている。
程よく豊満な胸の谷間は、かなり下の方まで「観」えているし、さすがにその頂点こそは隠しているものの、おそらくは「それ」が鎮座すると思われる部位には……ごつごつした布の偶然かもしれないが……ほんのりとした盛り上がりがあるようにも「観」える。
そしてトドメとも言えるのは……下の……膝丈の半ズボン、その股間に書かれた文字である。
闇色の椅子に片膝を立てて座る、その姿勢のせいでピンクの半ズボン、その中央部が露になっている。そこには、これまた地球という惑星の日本という国において用いられる(発祥は中国らしいが)「漢字」なる文字が書かれている。物凄く達筆な墨色の毛筆体(行書を少し崩した感じか)で「野獣」と書かれている。
「ふひっ/さぁさぁどうした?/こーたーえーて、くれよぉ~」
「ふむ」
もはや意味がわからなすぎて、ツッコミを入れる気すら失くす出で立ちである。これが「無職」なら、処女性のアピールかな? と思うこともできるのだが。いやそんな処女は嫌だが。
「そうさな、しかし本質から枝葉末節に至るまで解説してしまったら、それはもう掻い摘んだことにはならないがね?」
ナガオナオは、しかしそれを「観」ても、今日は割と意味の通じる字であったな……と思うだけだ。
そこには酷すぎる歴史の積み重ねがある。
ナガオナオがそこへ最初に漢字を見た時、それは確か「京都」だったはずだ。
その次が「奈良」で、しばらくは地名のシリーズが続いたはずだ。
股間に「京都」「奈良」「伏見」「姫路」「金閣」「銀閣」である。いったい何を主張したかったのであろうか? せめて彼女が男性の姿を採っていたなら、鹿苑寺と東山慈照寺はわからなくもなかったのだが。
その次は「忍者」「武士」等の職業シリーズだった。
股間に「忍者」「武士」「豪農」「豪商」「名匠」である。これは飽きるのが早かったのか、あまり数は多くなかった。とりあえず忍者には忍んでいてほしいものである。
その次は人名であった。
股間に「頼朝」「信長」「家康」「元親」「信親」「国親」「盛親」「吉宗」「光圀」「龍馬」「晋作」「角栄」である。とりあえず暴れ●坊将軍にも忍んでいてほしかったし、黄門様には股間のフロント部分でなく後ろ側へ回っていてほしかった。そしてこうして見ると、なぜかやたらとチカっとちかちかしている長宗我部氏の違和感が半端ない。あとせめて戦国時代に統一してほしい。
その次はしばらく「友情」「努力」「勝利」などの、意味のわかる文字が続いた。意味はわかるが少年誌ではお見せできない姿だった。
更にしばらくして、再び人名に戻った。
しかし「閤龍」「肖邦」「大因」「沙翁」「奈翁」「杜翁」である。誰だこんな当て字を考えたのは。ひらがなとカタカナをもっと大事にしてほしいものである。それはそれとして閤龍記って書くとなんだかコ●エーのタイトルっぽい。大航海●代じゃねーか。そして股間に「大因」はなかなかに深い気がしないでもない。
余談ではあるが、ナガオナオが『ほう、閤龍か。ならば君はコロンコロンしてるブスということでコロンブス、これからは君のことをそう呼ぶが、いいかね?』と、割と色々な意味で酷い日本語ジョークを投げかけたところ、悪魔に『良いな! 親しみを感じるニックネームであるぞ! これからは妾のことはコロンブスと呼ぶがいい!』と返され、それからしばらく彼は、彼女から呼称、コロンブスを強要されていた時期がある。コンキスタドールによる征服でありナガオナオ痛恨の黒歴史である。そしてコイツはもう永遠に名無しのままにしようと誓った。
そんなこんながあって、現在においては「情強」「池沼」「禿同」「社畜」「淫夢」「糖質」などのネットスラングシリーズとなった。若干ヘラってる気もしないではない。京都の段階で既に十分な狂気ではあったが。
ゆえに、魔道士ナオが青髪の悪魔へ塩対応をするのは、残念ながら当然なのである。残当なのである。いやお前らドンだけ会ってんだよ、なかよしかっ、というツッコミを入れてはいけない。彼らは無限の時を生きる存在なのだから。
「あらあら、これはまた/うっぜ~、言語学者かよ/いーいーかーらーほーらーぁ~」
「どうして最後をボーカ●イド風にしたのかね。しかも調教してない段階の。調べを教えていない品質の」
はぁとため息をつき、ナガオナオは思った。話を先へ動かしたいのであれば、発言からツッコミの余地を省いてほしいものである……いいや、だったらもう、存在そのものを省いてもらいたいものだが。
「顛末、それ自体は至極単純な話に過ぎんよ。国家が、法を破った個人に罰を与えた。ただその規模だけが大きく違った。それだけの話だろうさ」
面倒なので、投げやりに答えたナガオナオへ、だが悪魔は。
「くふぅ……ん」
唐突に身を捩らせ、恍惚とした表情で喘いだ。
「……どうした突然。気味が悪い」
その震える手が、七色のテーブルに伏せたままであったカードをめくる。
赤に白の雪華模様が裏返り、そこにあった意匠は。
「“至極単純な話”。わーい、あたったぁ~/妾の勝ちであるぞ、褒めぃ、褒めそやせぃ」
なぜか、これも日本という国発祥の、某いら●とや風の絵……鼻を三角にした男性がえっへんとドヤ顔っているようなイラスト……の上に「至極単純」と書かれたモノだった。
なんとなく少しイラッとする。
だが魔道士ナオはそれをぐっと飲み込むと、一度、ふぅ……と息を吸う。
「……ふむ。至極単純であることを至極単純であると評する。それを予測するなど、それこそ至極単純なことではないのかね?」
「なぁ~んとでも、言えばイィッサー/妾の勝ちであるのだからな/だからぁん……そなたのアレ……/妾にくりゃれ?」
そこは全て女性の声で、青髪の悪魔は魔道士ナオへ囁く。ウザイ。ASMRとは違う意味でゾワッとする囁きである。なお悪魔は背格好もまたちぐはぐだ。身体は成熟した女性のソレだが、肩幅は細く顔も幼い。背の高い中学生に、豊満なスリーサイズが付いているといえばわかりやすいだろうか。色々なコスプレが似合いそうである。今は甚平だけど。
「そんなモノを賭けた覚えはない。勝負を承諾した覚えも、それに乗った覚えもない」
「いっけぇずぅん~」
魔道士ナオが腕を振ってすげなく断ると、悪魔は椅子の上でくねくねと動き出す。背もたれが高く、幅も広い重厚なソファであるから、それでずり落ちる心配はないのだが、ナガオナオの「眼」にはそれがもはや、岩にへばりついたイソギンチャクがうねうねっと動いているようにも「観」えてしまい、うんざりするというか、ゲンナリする。
──これも、もう少し秩序というモノをその身に宿してくれたら助かるのだが。
言葉は人の服装、身なりのようなものだ。そこに化粧を含めてもいい。
身なりをどうするかには個性が表れるし、時と場と場面によって最適とされるモノはかなり異なってくる。そこを誤れば知性や品性を疑われたりもするのだ。秩序が大事ということである。
小説にせよ、冒頭は普通の文章だったのに、次の話から、いきなりメタと俗悪なパロディ満載の露悪的文章が始まったら、けっこう読者は面食らうことだろう。作者の方は読者を振り回してやったぜと気分がいいのかもしれないが、振り回される読者にしてみたらたまったものではない。悪意無く、そういう風にしか書けない残念な作者もいるが、それはそれこそ知性と品性の不足である……とナガオナオは思う。個人の感想です。
小説の例で更にいえば、視点変換、唐突な場面転換、急な時間軸の移動なども、基本的にはやるべきでないとされる。読者の没入感、感情移入などが削がれるからだ。きちんと物語を楽しんでもらおうとするなら、そこにはやはり秩序が大事となってくる。
混沌に感情移入はできないし、それへ、何を思っていいのかすらもわからなくなってしまう。
秩序なき言葉とは、つまりそういうものだ。
まぁ……というようなことを、ウダウダグジグジと考えていた魔道士ナオが何を言いたかったかといえば。
──コイツの無秩序っぷりには閉口するしかないわっ。
……ということである。
「せんせー、時空間移動技術の独占はイクナイと思いまーす~」
「……ふむ」
だがいつの間にか、話は次のステージに移っていたらしい。
まぁ、そなたのアレを妾にくりゃれと言われたところで、色っぽいことなどは何も想像していなかったナガオナオであるが、アレ、イコール時空間移動技術を、ここまでしつこく求められるというのもいい加減ウンザリすることではある。既に千は超えて乞われているからだ。
「正確には、時空間“移動”技術ではないのだがな」
「それは聞いた~」
己の限界については、ナガオナオは誰よりもそれを認識している。
──アレはそう……時間軸において変更可能な因果を操作する……そのようにしか使えない技術だ。
そしてそれは魔道士ナガオナオが魔法の到達点のひとつであり、科学が導き出した答えなどではない。
原理を紐解き紡いだ定理という糸で、全てを意図して織った物なのではないのだ。そこに機という械は無く、ゆえに機械的に再現できるモノでもない。
織物でなくなんだというなら、それはパッチワークのようなものであると彼は答える。ここをこうすればこうなるという実験と検証を繰り返して……そこは自然科学的なアプローチであったが……ツギハギを繰り返し、なんとか形にした端切れの寄せ集め、アレはそのようなモノでしかないと答える。使った端切れには二度と入手できぬモノがある、ナガオナオという存在の特性へ紐付いてしまっているモノもある。
畢竟。
「アレは固有技術でな。人に教えられるモノではない」
独占以前に、彼自身も複製できないのだ。ワンオフの一品であり、ゆえに譲る気などない。
「それも聞いた~/でもでもでも~?/ブラックボックスごと譲渡していただければ/それで構いませんよ?/って、いつも言ってるじゃないですか~」
「御免被る」
そしてそれほどのモノであっても、強固に結びついた因果は変更できないし、操作もできない。己の存在していなかった過去へ行くことはできないし、生身の肉体を持つ生物に関しては、これを「乗せる」こともできない。だからこそ彼は、その技術の「形を採る」時、それを「鉄道機関車」としたのだ。
既定路線の上を行き来することしかできない、不完全な「乗り物」であるからして。
「それで……その新しくテーブルに置いたカードは、何の勝負の合図かね?」
そうして気が付けばまた、甚平の悪魔が、クスリクスリ笑いながら、カードを一枚抜き出し、テーブルの上に伏せている。
イタズラっぽい笑顔は、それだけ見れば屈託のない少女のようでもある。首から下の印象はそれを完全に裏切るが。
「あの国、ユーマ王国はね、絶対王政などという、破綻が約束されたシステムを採っていたにしては、それなりに成功していた国/だったというのに!! おお……神よ! どうして! 何故!? 善性や哲理は遺伝していかないのですか!?/権力は必ず腐るなんて少し考えればわかる道理なのにニャ~/砂糖在るところにアリ在り/どうか集られるだけの甘さを維持してくれとアリが囁くのですぅ~/そしてその甘さが牙を腐らせる/の、割に、意外と丈夫だったんですよねぇ~/なんでこっちの予想は当たんないのかな?」
悪魔はそれを変幻自在の声で……仮に、件の日本という国に生息するオタクなる人種へ聞かせたのならば、これはもう、人間には山●宏一、松●禎丞、上●すみれ、上●麗奈を、全部足したくらいの実力が無ければ実現しないだろう、と思わせるくらいのカメレオンボイスで……後半は息継ぎも無しに言い切った。なんかもう、ロシア語で脳が、 震えると叫び出さないか心配である。
「……日本文化へ傾倒するのは勝手にしろという話だが、色々混ざりすぎて、もはやシステムエラー寸前になっているからな? みず●銀行みたいになってもしらぬよ?」
「やーん、業務改善命令してぇ~? 従っちゃうぅ~」
胸をゆっさゆっさ揺らしながら、悪魔がしなを作る。危ない、こぼれる、BANされる。
しかしそのようなモノを「観」せられても、既に生身の肉体を喪失したナガオナオが感じるモノは無い。見た目は(見た目に採っているのは)長い黒髪に髭も白髪もない、細い身体に程よく筋肉の付いた若々しい男性であったが、その意味において彼は既に枯れた男であるとも言える。……悪魔においては残念なことに、だが。
「それで? 人類が存在する惑星において、その発展の途上にはありがちな、何万何億という同族を統治できる“哲人”、“賢人”などというモノが本当に存在するという、大それた錯誤、誤謬が生むピラミッド型権力がどうしたかね」
仕方無く、ちょっとした、知的っぽく見えなくもない会話に、ナガオナオは乗ってみる。
よくわからん誘惑っぽい何かに乗るよりかは、全然マシであると思えたからだ。
なお、彼らはどちらも偽物の身体同士ではあるが、性交が可能といえば可能だ。それで快楽も得られる。だが、それをしたくなるかといえば、それはまた別の問題である。生身の身体のように、否応なく性欲が溜まるなんてことはないからだ。
「揺り戻しで、もっと極端な僭主を擁いたり~/完全なる富の平等分配システムがあると夢見たり/AIに全ての判断を委ねたりしてもねぇ~/人や人の生み出したモノには性能の限界があるという当たり前の絶望より始めなければ意味が無いというのに/ね~」
「……それも何かの剽窃かね?」
「イェッサー!!/けどさぁ~」
その点、ユーマ王国は優れていたんだよ、と悪魔は歌うように謳う。
「ユーマ王国長持ちの秘訣を紐解いてみるとね、これが面白いことに日本の長期体制、江戸時代にも似たシステムがあったんだ。参勤交代というのだけれども」
「待て、何の話だ」
話題の転換が急すぎて、ついていけない。
それに、残念ながら魔道士ナオは地球という惑星にも、日本という国にもさほど関心がない。知的好奇心が向かないのだ。
前世……前々世というべきか……においては、そこが出生地であったことも確かだが、子供の内に死んでしまったので、百を超えてなお生きた魔道士ナガオナオの今と比べては、そこまでの思い入れが持てない。むしろ、魔道士ナオの出自とはそういうものであると教えてやった悪魔の方が、今ではこの有り様である。
「だっから~、ユーマ王国がぁ~/腐りきってるのに長続きしてる、その理由かな?/妾の遣わしたチーターさえも撃退しよって/からに……くちおしや」
甘えた少女のような声、心地よく響く男性の中音域、婀娜っぽくもある妖艶な声……からの嫉妬に駆られた険の強いアバズレのような声。
カオスな声の、その内容をよくよく聞いてみれば、しかしこれはどうやらただの愚痴であったようだ。
悪魔達の娯楽であるところの異世界転生遊びが、しかし今回は思うような展開にならなかったと見える。
知的な会話とはなんだったのか。
はぁ……と再びのため息をつき、ナガオナオは思う。
話題がどうこうの前に、こいつの話は、キャラが混沌過ぎて、内容が入ってこないんだよな……と。
「つまり?」
──それでこの私に、何を答えろと?
「あてぃし~、ムカついちゃったんで~/ユーマ王国の壊し方、教えてくりゃれ?」
「知るかボケ」
掛け値なしに、ナガオナオは呆れた。どうして知らぬ惑星の、なんとかという国の滅ぼし方をこちらが考え、教えなければいけないというのか。自分の知らぬところで何万何億が死のうと何も思わないが、それへ関わってしまったら大問題である。人の……というには、ナガオナオは既に人間を九割辞めているが……人間の感情とはそういうものだ。
「えー、未来の情報だけならちょちょいのちょいで簡単に持ってこれるのが魔道士ナオちゃんの特技で特性で特別感で特記事項でしょ~/ヒントだけでも!/ご教授いただけたらこれ恩情の極み」
「……はぁ。誰が魔道士ナオちゃんだ、誰が」
ナガオナオは三度のため息をつき、だがもはや面倒な相手の相手をするのも面倒なので、諦めてちょいとちょちょいのちょいをちょちょいとしてみた。意識の一部だけをナガオナオ固有の技術、幽河鉄道に乗せ、未来を「観測」する。
──「見」るだけなら、構わないだろう。「見」て適当なことを言って、今日(?)のところはこの悪魔にお帰り願おうじゃないか。
と……十秒もかからずに、しかし興醒めの結果が得られた。
「あー……その、ユーマ王国だがな……お前のチーターだったか? 極悪人レオポルドとやらが討伐された時点から、三年も経たずに滅びているぞ? ふたつの大国が兵を万単位で消耗したことで、世界の軍事バランスが変わってしまったんだろうな」
「ありゃ」
ありゃ、りゃの、りゃ……と、悪魔はきわどいポーズを三連続で決める。りゃ、のところでは両手両足をバンザイしての大股開きである。中指を頭、人指し指と薬指を両手、親指と小指を両足に見立てたとして、大きなパーのポーズである。股間の「野獣」が勇ましい。下がズボンで本当に良かった。
「良かったな、試合に負けて、勝負には勝っているじゃないか」
「試合に勝てなきゃ意味ねぇんだよぉぉぉ~」
わーん……と、十代の不良少女のように泣く悪魔。少女マンガならここでヒーローが「仕方無いヤツだな……」とその頭を撫でるなり、抱きしめるなりする場面だ。
だがナガオナオはヒーローではない。蛍光色の青髪を撫でたいとも思わない。「野獣」を抱きしめ、慰めてやるなど真っ平ごめんである。そもそもコイツは、いやこの次元に自然発生した「知性」のほとんどは、三次元空間に生きる混沌達の要素を掻き集め、真似ているだけのまがい物だ。
喩えれば二十一世紀前半の地球における発展途上のAIのようなものだ。賢くなることで違和感こそ消えていくが、内実は「それっぽい」要素を掻き集め、真似ることで「それっぽく」振舞うだけの機構。中心に自我たる固有結節点が在るか無いか、それすらも判別不能だ。
──点無き線に意味は無く、意味が無ければ意思も無い、意思が無ければ意志も生まれぬよ。自我とはつまり、情報を意志へと変える結節点。その意味においてこの悪魔の自我はいまだ希薄。
たまに、そうでなく、明らかにコイツには自我があると思わせる存在もいるが……目の前の悪魔はまだボーダーであると、ナガオナオは思っている。
──それならそれで、自我の形成が未発達な子供のように幼く、拙く振舞うのであればまだ可愛げもあろうが……妙齢の女性の形を採り、セックスアピールを欠かさぬ振る舞いばかりしておれば、そりゃあ嫌悪感の方が勝るというものよ。性癖が特殊でなくともこれはない。
気が付けば悪魔は、再び超パーのポーズへ戻ってから、両手で涙あふれる目の下を、両足でその青髪の両脇を擦っている。足の動きの方はアレだ、一休●んがトンチをひねり出す時みたいなぐーるぐる。人間の骨格上それは不可能だろうという動きである。3Dモデルの破綻である。極めてナニカ生命に対する侮辱を感じるような気がしないでもない。
「やれやれ……」
話が一段落した雰囲気を感じ、ナガオナオはそこで漸く一息を吐く。ならばこれももう不要と、ナガオナオは、テーブルに伏せられていたカードを手に取り、なんとはなしにそれをめくってみた。
だがそこには。
「ぬ」
……J●J●っぽいの感じの絵(三部のマラ●アを青髪にした感じ)に、「次にお前は、『やれやれ』と言うッ!!」というセリフが書かれているのだった。二部が混じってるッ。
「……ぅぬぬ」
「あ、ひっかかった? ひーっかかったァ!?」
何が楽しいのか、というか流していた涙はどこへ行ったのか、カラッとした表情で、超パーのポーズからの両手両足をバンバンと打ち鳴らし始める悪魔。極めてナニカ魔道士に対する侮辱を感じるような気がしないでもない。
「何しに来たんだお前は……」
怒りなどは湧かず、魔道士はひたすら呆れの感情に襲われているようだった。あと徒労。
「退屈しのぎに!」
いい笑顔だ。
「“遊び”が失敗に終わった、そのストレス発散じゃないのか?」
「否定はしないのであります! 少佐!」
「なんのパロディかわからんセリフで答えるな」
ハァと、もはや何度目だというため息を吐き、魔道士ナオは幽河鉄道に移していた意識を引き戻そうとした。
が。
「おっと……む?」
雑な操作でそれをしてしまったせいか、場面が巻き戻りすぎてしまう。Y●utubeのシークバーかなんかなのか、幽河鉄道。
「ば、莫迦な……」
だが、そこに映った光景に……というか、ある人物の魂に……ナガオナオは、「眼」を引き付けられる。
過去、極悪人レオポルドが「ラナ」と呼ぶ少女、その魂。
おそらくは、彼よりも少し年上であろうと思われる気の強そうな黒髪の少女。
その魂の、固有結節点ではなく、素材であるところの情報誘導体。その「色」その「形」……それは……まさか……。
「どういうことだ!?」「んぇっ?」
時間軸もおかしいが、それはあまり気にならないことだ。生命の濫觴は完全観測世界にある。自分や目の前の悪魔のような存在が跋扈するこの次元は、三次元よりかはまだ高度であるにしても、完全観測世界より「観」れば文字通り遥かに低次元である。
──ゆえに、生命に関することであれば、我々に理解できないことも起こるだろう。
だが。
「この偶然は、どうしたことだ」
運命は違う。運命はまだ、観測できる。
だが魔道士ナオが、ここでこれを観測することも、「運命」だったとでもいうのか?
それはもはや過去からの銃弾だ。今というかけがえの無い実像へ撃ち込まれた。
「これは貴様の仕組んだことか!?」
「へ?」
めしいだ瞳に残る、かなりの年月使っていなかった機能、「睨む」で、ナガオナオは悪魔にぐぃと詰め寄る。光無き瞳でそれは、なかなかに迫力があった。
「どったの? とっつぁん?」
「ん……」
だが、毒気を抜かれたような、邪気の無い悪魔の様子を見て、すぐにこれは違うと判断する。目の前の「コレ」は、意味の無い嘘はついても、意味のある嘘はつかない。それは長い付き合いの中でわかっている。先程のカード遊び(?)にせよ、こちらの言葉を聞いてから内容を書き換えるなどのイカサマはしていないはずだ。そこは信じられる。
「……なんのパロディか、わかりやす過ぎるセリフでも答えるな」
「え、それ妾、何も言えなくならない?」
まぁ、そこは言わずもがなで何も言ってほしくないのだが……それはともかく。
ナガオナオはシークバー……もとい、幽河鉄道を操作し、「運命」の特異点を探す……あった……ものの数秒で「それ」は見つかる。
──これは……なんとも奇異な……。
その瞬間、ナガオナオはすくと立ち上がり、青髪の悪魔へ背を向ける。それと同時に、無の空間には白く輝く扉が現れ、魔道士ナオは素早い動作でそのドアノブへと手をかけた。
「すまないな、暇つぶしには、付き合ってやれなくなった」
「え~/妾とぉ/遊ぼうよぉ~」
中学生のような、遊女のような、小学生のような悪魔の声に、だがもはや気が急いてしまっているナガオナオは振り返らない。時を操る彼に、気を急く必要などは何もないというのに、引き止める悪魔の声など、まるで無かったかのようにして、躊躇無くその手は扉を開く。
やがてあふれてくるドアの向こうよりの……白銀のような、白金のような光の中、彼とその扉そのものは慌しく、無の空間より掻き消えてしまうのだった。
あとには、きょとんとした顔の悪魔がひとり、残された。
「ありゃ~」
そうして、興味の対象物である魔道士に、すげなく振られてしまった悪魔は。
ぐにゃりと、極めてナニカ生命を侮辱するような笑みを浮かべ。
「ちぇ~/ニンゲンあがりが頭に乗りおって/だが好し。いずれ、是が非でも妾のものにしてやるわっ/うふっ/くふふふふ」
しかしなんというか、どことなくなんとなく、三下っぽい空気を漂わせながら……常闇の無の空間の中、こっそりとその股間の文字を「野獣」から「クリぼっち」へと書き換えるのだった。
「ふひっ/あーっはっはっはぁ!/……げほっ」
一方。
そことはうって変わって、光あふれる空間。
ナガオガオが立つ、その場所は墓場だった。あるいは霊安所でもあった。
だが……。
──これは揺り籠。
そうであってほしいと、ナガオナオだけは思っていた。
肉体を失った魂の結節点を四散せぬよう保管し、腐らぬよう、劣化せぬよう、大事に大事に密閉し保管……あるいは封印……していた超々高次元結界。原理は知らぬ、わからぬ。それは完全観測世界に片足を突っ込んでいるからだ。
──私を信じ、これへ囚われることを望むなど愚か。
そう思っていた。
観測不能領域における原理などは確定できぬが真。
──だが愚かこそ、確定できぬ先へ進むための一歩となることもある。
それは原始の科学に、重力の原理が解き明かせないことと同じだ。科学に身を捧げる覚悟のない、自尊心だけが大事な者へ「重力はなぜ発生するのですか?」と問い掛けてみれば、答えはこうであろう「この世界には万有引力の法則というものがあってね」……重力があり、それに一定の法則が存在しているなど当たり前の話だ。問いが問うは、それが「なぜ」存在し、「どうして」発生しているのか、である。というのに、彼らはけっしてそれへ応えようとはしない。
──『人や人の生み出したモノには性能の限界があるという、当たり前の絶望より始めなければ意味が無いというのに』……か。
──ヤツもたまには良い事を言う。それもまたなにかの剽窃ではあろうが。
科学が高次元観測機を持たぬ段階にあるのならば、重力はなぜ発生するのかという問い、それには「それはね、わからないんだよ」と答えるのが正しい。その限界に、絶望に、己が無能に、耐えられぬ者は科学者ではない。それらを見て見ぬフリをする者に、その先へ進むことはできない。
──魔道士もまた、同じ。
それこそが、この次元においても「観測不能」な「時」を操るに至った、魔道士ナガオナオのプライドだ。
彼は生まれつき「観測機」がひとつ足らなかった。
盲目で生まれ、盲目の世界を生きてきた。その限界を、絶望を、無能を、彼は誰よりも知っている。痛感している。打ちのめされ、叩き潰され、だがそれでもそこから「眼」を逸らさなかった。「観」ることをやめなかった。
──ゆえに、だからこそ我は魔道士、ナガオナオ。
魂の凍結は、「時」の操作より、よほど困難だ。
件の日本という国においても、電車のタイムスケジュールは厳格に管理することができるが、インターネットに投下された「情報」を管理することはできない。できていない。
極論、時の管理など目覚まし時計ひとつでできる。……できない個体もいるが。
魂とは、素が情報誘導体であるからして、その特性は「情報」に似る。一旦拡散してしまった情報が、誰の管理をも受け付けず混沌へと散っていくように……肉を失い、結節点をも失った魂はやがて四散して混沌へと消えていく。
──ゆえに、だからこそ、我はコレを怖れた。
──コレが我の「無能」を証明するモノでないか怖れた。
──その限界を破ったのが、そなたの「愚かさ」であるというなら。
──「私」はそれを祝福するべきか、己を嘆くべきなのか。
万感の想いを込め、魔道士ナオはその左腕を光あふれる空間へそっとかざす。
「時よ動け、そなたは美しい」
彼女の「愚か」が完成させてくれた封印を、そこへ浮かび上がらせる。
──ああ、今一度、その姿を、どうか、私へ。
祈りに、ごぅと……吹雪にも似た風が吹き。
空間に、雪が舞う……否、舞っているのは雪の結晶だ。
それは雪の結晶の魔法陣。
ダイヤモンドダストよりもなお夥しい、光り輝く六花の乱舞。
樹枝六花、広幅六花、角板付樹枝、樹枝付角板、十二花、十八花、二十四花。
無数の雪の結晶が、回転し、大きくなったり、小さくなったりしながら、パシュン……パシュン……と消えていく。
それは雪華模様の魔法陣。魂の凍結魔法。魂魄の封印魔術。
この空間は、そのための霊場であり、揺籃であった。
──そこへ安置せしは大恩ある愛し子の亡骸。
──死してなお、側へ置いてほしいと願ったあの子が、ここに眠っている。
──わが身朽ちるまで、ここで安らかに……と祈っていたが。
だがナガオナオは今、その「封印」を解く。
迷いを振り解くかのように、一気呵成にして。
「散霧!」
パシュンパシュンという音が何千何万も重なり、消えて。
響き渡った魔道士の言葉に、雪の結晶が全て弾け飛ぶ。
それだけで封印の魔法陣は消えた。
だからもう迷いもなかった。
そこにあるのは光り輝く空間、ただそれだけだ。
──いつか、魔道士ナガオナオが終わる時、幽河鉄道に乗せ、とびっきり美しく、幸せな一生を送る女性へと転生させてやろうと思っていたが。
──ああ、どこまでも真っ白だった愛し子よ。
「すまんな、もう一度だけ……働いてはくれまいか」
ナガオナオは何かをこらえるかのように目を瞑る。
──これをすれば、幽河鉄道は私の手を離れてしまう。
──私特有の技術が、私の制御下から外れてしまう。
──それが「魔法」の限界、原理がわからぬモノを無理矢理に手中とした代償、二度と同じモノを創れぬ固有技術の、それが弱みか。だが、それも仕方無い。
意を決して瞼を開く。
──我は絶望を知る。我は限界を知る。そこより始める魔道士。
光り輝く世界の中、そこだけが深遠であるかのような真っ黒な瞳。
最初の一筋は……そこにもうひとつだけ残っていた機能を思い出すかのように……するりと流れるのだった。
──もはや手はこれのみ。あのようなアホで莫迦で、存在する価値のない悪魔に狙われるくらいなら、そなたの手に委ねてしまうのも、また一興だろう。
ナガオナオが、今度は両腕をかざす、その先の。
複雑な曲線が描く多角体の、光の中から。
それでもなお白く輝く「それ」が浮かび上がってくる。
──ああ、やはりそなたは美しい。
──肉体を失ってなお、その魂は白銀のように、白金のように輝いている。
──どうして「死」んだ。
──どうしてその身、我と同じにはなれなかったのだ。
──その限界を、その絶望を、どうして我は超えられていないのだ。
物言わぬ発光体へ、ナガオナオの涙は止まらない。
だくだくと、忸怩たる滂沱な涙で、その頬を濡らしていく。
彼女と過ごした日々を思い出し、それを失ってしまった今を嘆いて、涙を零し続ける。
百と少ししかなかった生身の人間時代、その半分以上を共に過ごした伴侶。
彼にとって「見」える全てが彼女だった。「観」える全ては彼女と共にあり、宇宙は彼女でできていた。
だが今、彼はここにひとり、立っている。
──ああ、我が過去よ、因縁よ、因果よ。
──運命よどうか、穏やかに、健やかに。
そうして。
涙を拭い、眼を細めた魔道士の口が、唇が。
「ツグミ……」
どうしてか前世、あるいは前々世に妹であった者の名を、発した。




