epis16 : Blue Forever [Blue]
《ラナの“私”視点》
しばらく、レオは、じっと何かを考えていた。
それは、何を言うか悩んでいるというよりも、口にしようとしている言葉を吐露してしまうべきかそうでないか、そのことで悩んでいるように見えた。
その表情に、私の殻の中の、なにかが揺れ動く。
「レオ」
「ん」
だから私は促す。
それを私にぶつけてほしいと。
私を傷付けてもいいから、レオの気持ちを教えてと。
この殻に叩き付けてほしいと。
「……僕はね」
「うん」
そうしてレオは語る。この数ヶ月間、ずっと掴みきれなかった、その気持ちを。
「本当はね、少し前までの僕は、いつでもスラム街に戻ってもいいと思ってたんだ」
「……え?」
無限のような一瞬、レオは私を見た。
そうしてから、慌てたように今にも泣きそうなその瞳を、そらす。
だから私は……ああやっぱり……と思った。
レオは私を、怖がらせることを怖れている。
「僕はずっとラナが、僕を利用しようとしていることを知っていた。衣食住の保証と引き換えに僕はラナを守る。そういう契約関係だから、いつでも終わりにしていいと思っていた」
「……うん」
そう、私はレオを縛る気なんて無かった。
レオが家のお金を奪って逃げたとしても、私はそれを追わないでおこうと決めていた。だってそれも賭けの一部だったわけで、悪いのは勝手に巻き込んだ私だったのだから。
「でもさ、ラナ、僕を守ったでしょ?」
「あ……」
「叔父さんに組み敷かれた、みっともない僕を見て、ラナは色んな危険を顧みずに、僕を助けてくれたよね? あの人はそれを間違いと言ったけど、僕はそうは思わない」
『君は今ここで僕にあの魔法を見せるべきじゃなかった』
「でも、叔父さんにレオを殺す気なんて」
叔父さんは正しい。あれは叔父さんが、私のことを想って言ってくれた言葉だ。
立派な大人の男性である叔父さんが言った、正しいことだ。
「それは、あの人の言葉を借りていうなら、あの人の目線でしかわからないことだよね? 僕はね、あの時本当に嬉しかったんだ。あんな風にやり込められたのは、初めてのことだったからね。僕はこう見えて、スラム街では無敵の存在だったんだよ。喧嘩を売ってくる連中は殺して、擦り寄ろうとしてくるヤツはみんな遠ざけて……そうしてるうちに誰も近寄ってこなくなったけど、大の大人を含めてみんな僕を怖がっていた。その僕が、あの時は何もできなかった」
だけどそんなこと、レオには関係ない。
「……うん」
レオは人を殺してる。目の前でも見た。
私はそれを見て何を思った?
「だから僕はね、生まれて初めて、助けられたんだ」
──美しい。
「どうしてかわからないけど僕にはそれが、嬉しかったんだ。すごく嬉しかったんだ」
「うん……」
美しい、だ。
それは醜いあたしの狂った感覚だけど、それが私のリアルだ。
「ね、レオ」
「ん……わっ」
レオの頭を両手でそっと抱き、無理矢理、私の方へ向かせる。
驚いたようなレオのその顔が、可愛い。
怖くない。
──怖くない。
「私がレオを助けたのは私が考えなしだったから。レオが傷付けられるかもって思ったら身体が動いていただけ。それでもいいの?」
「関係ないよ。僕の気持ちが、心が決めたことだから」
私は今、ここにいるレオを、愛しいと思っている。
どうしてかわからないけど私にはそれが、嬉しかった。すごく嬉しかった。
「僕はね、逃げると耐える……その意味で“わざと負ける”は沢山経験してきたけど、それと、勝つつもりでやって負けることは、全然別物なんだなって思ったよ。正直驚いたし、混乱もしていた。それは多分怖い、心細いってことなんだと思う」
私はずっとなにひとつ、勝つつもりで勝負をしたことなんて無かった。
母親を、父親を諦めてから、私はずっとなにもかもを諦めていた。
──未来さえ。
自分は間違って生まれてきた人間だと思っていた。
──ああ、だからか。
だから、正しいことでは、私は救われないのだ。
「ラナの魔法で動けなくなったのも本当にビックリしたけど、それは怖くなかったよ。ラナからはそういう気配がしなかったからね。むしろあの時は、ラナの方が……何にかはわからないけど……なにかに恐怖していたよね?」
「……それは」
いつの間にか、レオの視線が、私の視界いっぱいに広がっていた。
違う、私の視界が、レオの瞳へと収束している。
まだ、私を怖がらせないようにと心配しているレオの視線を、お願いだからそらさないでと求めているのは……私の方だ。
不安そうなそれを、だけどまっすぐな、綺麗な瞳だと思った。
胸がジンと熱くなってくる。
「いいんだ。だから僕はやっとラナを、ほんの少しだけ理解した気になったんだ。この人は大人じゃない。子供でもないけど大人でもない。そのラナが僕を助けてくれた。だから僕もラナを助けなくちゃいけない……世界は、大人達の世界は、いつだってそんな、大人でも子供でもない、中途半端な僕達のことを嫌っているから」
嫌われ者同士で、助け合うしかないんだよ。
シャープな顔立ちで、だけど妙に優しく、レオはラナにそう言い笑った。
「あ……」
その笑顔に、私の中で何かが、ピキリと音を立てて割れる。
殻が罅割れ、ボロボロとその残骸が落ちていく。
ずっと。
その中にはきっと真っ黒な、気持ちの悪いナニカが眠っているのだと思っていた。
だけど殻が割れて漸く見えたその顔は、なんだか……そんなバケモノじみたナニカなどではなくて……ふてくされたような顔で「なによ?」とすねる……つまりは私とあまり変わらない、ただの十代の女の子であるように思えて。
当然か。それはあたしなんだから。
「僕はラナに救われた。心細いところをラナに救われた。嬉しかったんだ、本当に。色々考えるラナが考えなしに僕を救ってくれた。それはラナの叔父さんに言わせれば莫迦なことかもしれないけど、なら僕は莫迦なことでしか救われない莫迦野郎だったってことさ」
「それじゃ私とレオ、莫迦野郎共ってことになっちゃうじゃない」
「嫌?」
──ううん。全然。
「僕はラナに救われた。だから僕もラナを救いたい。僕達は大人じゃない。善人じゃない。頭も良くないかもしれない。でも僕はラナが悪でもいい。極悪人でもいい。頭が悪いからとんでもない方向へ向かってしまうかもしれない。でも、僕はラナが人を殺せというなら殺す。守れというなら守る。それが法で罰せられることでも、構うもんか。ラナに恩が返せるのであればそんなもの、やっぱりどうでもいいとしか思えないからね」
レオは悪でいいと言った。
正義よりもラナを取ると言った。
それはやはり凄く、酷く、「弱い」選択なのだろう。
誰も説得できない、何の納得も得られない「子供のわがまま」。
だけどそれが私達のリアルだ。
それはレオを、一人前の大人にしようとしたあたしを、あたしの傲慢を、失敗を、嘲笑うかのようでもあった。
その嘲笑が、今はとても心地良い。
あたし達は子供だった。
それがどうしようもない現実だから。
本当は、そこから始めなくちゃいけなかったんだ。
「レオ」
「うん」
そうして私の心は決まる。
「スラム街には、戻らないで。私の側にいて」
「うん。ラナがそれを望むなら」
わがままとイタズラ心で世界に対峙する、子供の心で遊ぼう。
「世界と全面戦争、始めるよ? 世界対、私とレオふたりきりの戦いになるよ。付いてきてくれる?」
「付いてくるのはラナだ。世界は元々、僕を嫌っているからね」
「ぷ」
そうだったそうだった。
物理法則すら裏切っているかのような剣の使い手。
そうだった、そうだったね。
あたしと同じだ。
「あはっ。私、レオの剣に頼るよ? 人殺しの剣に頼るよ? 法律で裁けない人を無法に殺してと言うよ?」
「ラナだって無茶苦茶な力を持っていたじゃないか。僕はずっとラナに頼りっきりだ。ラナが僕に誕生日をくれたんだ。僕がするのは、そのお返しでしかないんだよ」
吹き出しそうになってる私に釣られたのか、普段は鋭いばかりのレオの顔に、柔らかいものが混じってくる。
そうしてみると、レオは本当に可愛らしく思えて。
それが余計に、私の心をくすぐってくる。
そこにいるのは少年だった。
そしてあたしは少女だった。
少年と少女は出会った。
──さあ、この世界を壊そう。
<System log>
──エピスデブリ[II] 「世界にたったひとりの孤独」 の不揮発性が解除されました──
──エピスデブリ[III] 「世界への復讐心」 の特性が変化──
──エピスデブリ[III] 「どうにもならない世界」 との 結合における剛性 が 弱体化しました──
──「弱き復讐者は、更に弱きモノを攻撃する」──
──「最も弱き復讐者は、最も弱き自分自身を攻撃する」──
──これら 人心の呪縛 より 解放されました──
──「世界への復讐心」の 矛先 が 自分 から 自分を搾取しようとする者 へと変更されました──