epis12 : Blue bullet wanders into free
最強と最強が戦えばどうなるか。
それは古今東西、あらゆる場所で討論されてきた永遠の命題だ。
栄光に満ちた過去の英雄、当代随一とされる武術の使い手、威名轟く異国の豪傑。
自分の考える最強は誰それである、いいやそれよりも強い者がいる、いやそれは相性の問題で、彼は彼に負けるが彼には勝てる、云々。結論がでないそれを、しかし人は夢中になって語りたがる。
だが、これにおいてはまず、最強が何か、最強とは何かが問題となってくる。
同じ土俵に立つ者同士であれば、それは戦えば済む話だ。
だが、例えば素手であれば最強の者、剣を持てば最強の者、馬へ騎乗すれば最強の者と、最強同士でそれぞれが得意とすることは、違う場合がある。過去の英雄は既にこの世にいないことがあるし、存命であったとしても全盛期は過ぎてしまっているだろう。
ならば最強とは何か、何であるのか。
言葉の意味から考えれば、それは「最も」「強い」ことであろう。
東方に蟲毒という呪術があるらしい。箱の中に沢山の毒虫を閉じ込め、争わせ、最後まで生き残っていた虫が「最強」とする儀式であるとか。言ってしまえば、これで最後まで生き残った毒虫は確かに「最強」であろう。その箱の中で「最も」「強」かったのだから。
だが、それは同時に「その箱最強のムシケラ」でしかない。人間が叩き潰せば死ぬし、馬に踏まれても死ぬ、炎にくべても死ぬだろうし、雪崩に巻き込まれても死ぬだろう。雷に打たれれば跡形も無くなるだろうか。
結局の所、最強を決める際にはこの「箱」がなんであるか、どういうものであるかが重要になってくる。これは「前提条件」と言い換えてもいい。「素手で戦えば最強」「剣で戦えば最強」「槍で戦えば最強」「弓を射れば最強」「馬に乗って戦えば最強」「目隠しをして戦えば最強」「二十歳以下なら最強」「五十歳以上なら最強」「女性の中では」「あの時代の英雄の中では」「この戦場に限れば」そういうもの全てに、それぞれの「最強」はある。
だが、最強と最強が戦えばどうなるかという命題においては。
違う「箱」でそれぞれ生き残った、それぞれ違う「最強」をこそ、ぶつけてみたくなるものだろう。それは、容易には実現しない対戦カードだからこそ、妄想のし甲斐があるのだ。
──けどよぉ?
──なら、これは何と何との、「最強」王座決定戦なんだい?
「ギシャラ゛ラ゛ラ゛ラ゛ラ゛!!」
「っ……」
「ギャヴ!?」
目の前で繰り広げられる、修羅と修羅とが相食む、ある意味では蟲毒そのものな光景を見ながら、「黒槍のコンラディン」は呆然とそのようなことを考えていた。
彼の視界およそ十五ヤルド(メートル法なら13メートル強)先、そこで象よりも巨大な魔物が暴れている。
幅広の、トカゲのような胴に、そこから何本も生えた首。
「しっ!」
「グギュッ!」
その首が今、またひとつ落ちて。
「グギュッラ゛ラ゛ラ゛ラ゛ラ゛!!」
またひとつ再生する。
斬ったそばからその傷が再生していくデタラメな魔物、その名はヒュドラ。
大きいものは全長が人間の背の十倍以上にもなる「素人には結構厄介な」魔物だ。簡単な対処法があるので、冒険者ギルドではさほど危険視されていない。だが、準備無しで出くわしてしまったら、高ランクパーティであっても危険な相手となる。
それは、喩えれば水のようなものだ。日常で、水を怖れている者など稀だろう。だが人は水に落ち、息が吸えなくなると、さほど長くは生きていられなくなる。対処可能な領域であれば無害、そうでなければ劇毒、それがヒュドラという魔物だ。
──今日、俺達は準備などしていなかった。
ヒュドラの極悪さは、その脅威の再生能力にある。
少々の傷は、一瞬で再生し無かったことにしてしまう。
首を落としてさえ、ほんの数分で新たな首が生えてきてしまう。
まるで、「命」を「湯水のごとく」使っているかのようだ。
──こんなところに九頭のヒュドラが出るなんて聞いてねーよ。前代未聞じゃないのか? こんな、王都に近い所で大型のヒュドラが出るなんざ。
ヒュドラは、成体で三頭の首を持ち、五年から十年ごとにその首を増やしていくという。それに比例して、再生能力もまた強化されていくらしい。
──ってこたぁ、こいつぁ少なくとも俺より年上ってこった。
何十年も生きた大型のヒュドラ。準備無しに戦えば劇毒の魔物。
そんなモノに出会ったらどうすればいいか。
──決まってる……逃げる……だ。
──逃げて、ギルドに報告してから対処する、あるいはしてもらう、だ。
──ここで戦うなんざ莫迦げている。ヒュドラには対処法がある。必勝法と言ってもいい。準備なしで戦うなんざ、それは素人の無謀、蛮勇ってもんだ。
熟練の冒険者である「黒槍のコンラディン」は、そう思っていた。
否、今もそう思っている。とっとと逃げだす、それが賢明だと。
──だが今、俺の目の前で繰り広げられるコレはなんだ。
一体、なんだというのか。
「しっ!……」
今、目の前で少年の細い身体が踊っている。
一瞬たりとも立ち止まることなく、ヒュドラの胴の周りをあっちに跳ね、こっちに跳ね、その前足に、後ろ足に、腹に背に、そして首に、斬撃を入れながら飛び跳ねている。
その機動は、輝く白刃の軌跡を伴っている。
それが暴風雨がごとく、ヒュドラへ刃の嵐を喰らわせているのだ。
だがヒュドラの極悪さは、やはりその脅威の再生能力にある。
しかもこれは九頭の。かなり深い傷でも、一瞬で再生し無かったことにしてしまう。
首を落としてさえ、数十秒で新しい首が生えてくる。
事実、少年の剣はもう何度もヒュドラの首を落としている。
地面には既に二十を超える首が転がっている。そのどれもが人間の成人女性程度の大きさだ。後から生えてきたモノは、鱗の再生までは間に合っておらず、白っぽい色に血管の筋が走る、ぬるんとした──気色悪い──トカゲ頭だが、それでも眼があり鼻があり口がある。
「叔父様!」
再びひとつの首が斬れ、飛んで。
「おっと!?」
それが──俺と姪っ子ちゃんの──間近に落ちた。
ヒュドラの肉には毒がある。──姪を──ジャガイモのような肉塊にしたくなければ──自分が──彼が気をつけていなければならない。──俺──「黒槍のコンラディン」はひゅうと息を吸う。
嵐は、しかしいまだ、去ってはいない。
少年の刃が舞始めてから、既にどれくらいの時が流れたであろうか?
剣の冴えも驚異的であるが、その持続力もまた異常に思えた。少年の足は絶えず動き続けている。その身体は跳び、跳ね、ヒュドラの攻撃を紙一重で躱し続けている。剣の軌跡は、まるでその曲線をずっと伸ばし続けているかのようだった。
もはや最初の頃のように、それを止めようとは思えない。
むしろこのまま「どちらの最強が勝つか」見届けたくもある。
かたや「斬撃には無敵の再生能力を発揮する魔物」、かたや「相手がくたばるまでやむことのない斬撃」だ。最近では──自分も──彼も落ち着いてきたとはいえ、男心がくすぐられる対戦カードであることに間違いはなかった。
そうして少年は斬る。
斬って斬って斬り続ける。
首が落ちる。再生する。足が斬られる。再生する。少年の身体がヒュドラの胴、その真下に潜り込む。胴に一文字の傷が入り、すわ内臓が零れるかというほどに血が吹き出し、あふれてくる。だが再生する。
刃は止まらない。
首が落ちる、首が落ちる、首が落ちる、足が落ちる、首が落ちる、首が落ちる、首が落ちる、首が落ちる、背に十文字が入る、首が落ちる、首が落ちる、前の両足が同時に斬れる、首が落ちる、首が落ちる。
再生する。
しかし少年もまた止まらない。
白刃は翻り続ける。
その速度は上がり続ける。
暴風が嵐に、嵐が竜巻に、竜巻が真空の乱舞へと変わる。
それはもはや、人であるとするには無理のあるナニカ。
斬るということに特化したひとつの奇跡。
常識をも斬る剣。
再生と破壊の我慢比べ。
どちらが速いか、どちらが強いか。
守り手が勝つか、削り手が勝つかの単純勝負。
ともに人理を外れた者同士の「常識外れ」対決であった。
だが。
やがて、それはそうなることが予め決まっていたとでもいうかのように。
少年の速度が、ヒュドラの再生能力を上回ってくる。
もう、おっつかない。それが見ていてわかる。
傷を再生し首を再生し再生し再生し続けても、絶えず、止まず、終わらない創傷。
まるで、命をすりおろしているかのようだ。
再生した部位も、しかし無慈悲に斬られてしまう。
再生途中の部位も、しかし無慈悲に斬られている。
そうしてヒュドラの身体が少しづつ小さくなっていき。
気が付けば、九本あった全ての首は消えてなくなっていて。
彫刻の刃が、胴の前半分を削り終えた頃。
少年の動きが止まった。
ヒュドラの巨体も沈黙している。
場に、しばしの静寂が流れ。
ヒュドラの身体は、残っていたその後ろ足を折り、ずぅん……と重々しい音を立てながら崩れ落ちた。
もはやそこに、再生の兆しは……ない。
肉は完全に沈黙していた。
だからもう、そこにはもう。
冒険者見習いに狩られた強大な魔物が、敗者として転がっているだけだった。
「こりゃあ、まいったね」
ラナンキュロア……ラナの叔父である黒槍のコンラディンは、そのふたつ名に冠された黒い槍で、自分の肩をトントンと叩きながら言った。
「レオ君と言ったか」
「はい」
目の前には魔物、ヒュドラの死体が転がっている。
その首「であった」無数の残骸もそこらじゅうに散らばっている。
その数、百にも近い。
「ヒュドラってね、普通は斬って倒すモンじゃないんだ」
「……はぁ」
「見なさい、君が切り落としたこの首の数を」
その首はもう、地面すらも見えぬほどにそこら一帯を埋め尽くしていた。
「酷い惨状だ」
「……はぁ」
レオとラナ、そしてラナの叔父である冒険者コンラディンは王都の東、俗に大迷宮とも呼ばれる大森林の一角に来ていた。大迷宮にはそこかしこに風雨で削られた岩石群……というか奇岩群がそびえ立っていて、それが文字通り迷路のような地形を作っている。だが、それでもその大地は豊かのようで、木々はそこかしこに生い茂っていた。
ここはそうした地形の、比較的開けた一画だった。
そう……開けた一画「だった」。今はもう所狭しと魔物だったモノの残骸が転がり、足の踏み場にも困る状態だが。
「ふむ」
冒険者コンラディンは、比較的「無事」であった張り出した岩のひとつに、そこにまで飛んできていた血を丁寧に拭ってから、「さて、どうしたもんかね」と呟き、ゆっくりと座る。
「ヒュドラには再生の呪いがかかっている。どこを何度斬っても再生してくるんだ。それがヒュドラの忌むべき特徴であり、恐ろしいところでもあるんだけど……それは今実感したはずだよね?」
「はぁ……」
物理的に少し高い場所から見下ろされたレオは、ハッキリしない答えを返す。
あれだけ動いて息切れひとつしていないというのも恐るべしだが、だからこそその子供っぽい態度が恐ろしい。
──こりゃあ、典型的な、大人を信用してないガキの顔だな。
大人から、ろくでもない目にあわされてきた過去があるのだろう。冒険者になりたがる若者にはそういう者も多い。誰も信用できないから、腕一本で成り上がれる「と思われてる」冒険者になりたがるのだ。
それはそれでいい。そういう者は得てしてあっさりと死ぬものだが、それを止める権利も、能力も、自分にはない……とコンラディンは常々思っている。
だが、それが可愛い姪っ子の恩人となると話は別だ。
──さて、どうしよう?
「けどね、ヒュドラは火に弱い、冷気にも弱い。こんなに大きくなっても変温動物の特徴はなくしてないんだ。だからね、ヒュドラは冬眠中に、土に埋まってるところを、油を流し込み燃やすのがもっとも手っ取り早い討伐方法なんだ。ちなみに窒息もするから、熟練の風魔法、水魔法の使い手ならそれでも倒せるよ。僕はそのどちらでもないけどね」
「はぁ……そう、ですか」
冒険者にとって無謀や蛮勇は最大の悪手となり得る。準備不足でことに当たるというのもだ。
少年には、その理解が足りない。足りてない。
準備が、大事なのだ。
──だが、どう言えば響く?
彼は見事魔物を倒しきった。
準備不足のまま、会敵の後、即座に無謀か蛮勇かもわからぬ特攻をかまし、それでそのまま、普通に戦えば難敵であるはずのヒュドラを殺しつくしてしまった。
「準備ってのは大事だ。つまり知ること、備えること、用心すること、そういうのだ」
「……」
それを褒めるべきか、諌めるべきか。
冒険者コンラディンに、人を導く能力など無い。それは自覚している。ギルドの教導官に誘われたこともあったが、即座に断ったくらいだ。
ただ、失敗をやらかしてしまった者へ、反省を促すくらいのことはできる。
そういう役割ならこれまでも多くこなしてきたし、それによって若者から尊敬されたり、慕われもしてきた。
──考え無しのガキがここまで強いなんて、反則じゃねぇのか?
そういう意味では、レオがそれでヒュドラを「倒してしまえたこと」は、逆に良くなかったのではないか、とも思う。冒険者は見習いの内に、取り返しがつく範囲で失敗をして、反省して、慢心と油断をなくした方が、後々の生存率が上がると言われている。百年以上続いた冒険者ギルドの金言だ、それはきっと正しい。
だが少年は「倒してしまった」。それも無傷での圧勝、完勝だ。
こんな時、一応は年上の者であるのに、そうである者としてどう振舞うべきなのかわからない。
ただ、なんとなく、これはそのままでは不味いのではないかという、予感のようなモノだけはハッキリと感じていた。なにせ可愛い姪の恩人だ、増長させ、慢心させて、自滅するのを見て見ぬフリというわけにもいかないだろう。
「あの、叔父さん」
叔父の苦りきった表情に一抹の不安を感じたのか、姪であるラナンキュロアがおずおずと話しかけてきた。普段が気の強そうな少女に見える分、不安そうな表情には、どこか男の下劣な欲望をくすぐるものがある。特に目の前で壮絶な戦いが繰り広げられた後には、だ。
──いかんいかん、俺にそんな気はないぞ。兄さんじゃあるまいし。
「なんだい?」
だから彼は、努めて大人の落ち着きでもって応えた。
……つもりだった。
「じゃあこれ、倒してはいけなかったのですか?」
冒険者コンラディンの可愛い姪であるラナンキュロア、ラナは、どうしてだか突然「嫌な臭い」を発した叔父に怯えながら、それでも気になっていたことを口にしてみた。
──冬になったらどこかの誰かが討伐する予定で、放置されていた、とか?
そうであるなら「大人の決まりごと」を無視してしまった形となる。その場合、なにかしらで面倒なことになるだろう。商人にとって証文の横紙破りは掟破りの所業だ。
「いや、ヒュドラは無価値な魔物だからね、誰がいつ倒しても問題はないよ」
「無価値……なんですか? 再生の呪いを何かに転用したりとか……は?」
「無理無理。確かに、生肉を傷に貼り付けるとその傷は回復するそうだけどね」
「え」
「あくまでその傷だけは、ね。しばらくすると、治った傷から、こぶのようなものが盛り上がってきて、それはどんどんと大きくなってしまうらしいよ。そのまま放置すると全身に激痛がするようになり、一週間から半月ほどで死に至るらしいね。ちなみに生肉を食べても同じらしいよ。その場合は極端な遅効性となるみたいだけど、大体半年くらいで、全身の肌がやはりでこぼこになって死ぬらしい。そしてこの肉は焼いても食えない。炭化する部分以外はすぐ、ぐずぐずになって溶けしまうそうだよ」
「そんなのって……過去に実例が?」
「さぁ? 僕も実際に見たわけじゃないからね。ただこれは冒険者ギルドの教えだよ。だから信憑性は高いね。なんならためしに、焼いて確かめてみるかい?」
ぐずぐずになるのが本当かどうかくらいは、確認できるかもね……とやはり少し「嫌な臭い」を発しながら……彼女の叔父は言った。
「いえ……食べたいとも思えませんから……でも、それなら血も……害はないのですか?」
ラナの側に立つレオは、ヒュドラの血によってもはや全身がくすんだピンク一色に染まっていた。魔物の血は赤でない場合も多い。ラナも、それは知識としては知っていたことだが、自分の目で見るとそれはより気色悪く思える。
「毒は毒らしいね。大量に飲むとやはり死ぬらしいよ。どれくらいの量で致死量になるのかは僕も知らない」
「え、レオ大丈夫?」
「……飲んでないから」
「まぁ少し口に入った程度なら問題はないんじゃないかな。血を浴びるのもマズい魔物というのもいるからね、そういう魔物にはそういう注意喚起がされているものだよ。これは日常的に人の生死と向き合うギルドの、その仕事の大事な本分だ、抜かりはないはずだよ」
「それなら、いいけど」
ラナはそこではぁとため息をつく。深く息を吸うと、周囲に立ち込めていたヒュドラの血や内臓の臭いが肺に入ってくる。成分が人のそれとは違うのか、あまり鉄の匂いはしない。破れた消化器官からのモノだろう汚物の臭いと、同じく胃酸かなにかの酸っぱい苦味のような臭いが複雑に混じりあっている。
その臭いに顔を顰めながら、ラナはレオを見て──あとで念入りに洗ってあげなくちゃ──と思っていた。冒険者家業というのも、こんなことが多いなら考えものである。レオには綺麗でいてほしいのに……と。
「ま、毒ではないにせよ、そのままだと剣が錆びるよ。ほら」
コンラディンからレオに、何かが飛んでくる。雑な襤褸切れのようだ。
「やる。返されても困るし」
レオはそれを受け取ってから「……ふん」と鼻息をひとつ吐き、それで剣を拭ってからキン……と鞘へ刀身を仕舞った。
──もっと、綺麗な布で拭いてあげたい。
「……肉は毒、血も毒、なら皮や牙や骨に使い道は?」
ラナの妙な視線を感じたレオは、促されたと思ったのか、ラナが言い足りてなかった部分を口にする。あるいはそれは、スラム街で培った貪欲が言わせただけだったのかもしれないが。
「さてどうだろう。僕の記憶が正しければ、ヒュドラの素材が買取表に載っていた覚えはないけどね」
これがドラゴンとかであれば全然話は変わったんだけどね……と、さして残念そうでもなく、「黒槍のコンラディン」はおどけた表情を見せる。
「ドラゴンは全身が貴金属並みの価値を持つ魔物だからね、大型のものを一匹討伐すれば、十年は遊んで暮らせるよ?……ま、本来大型のドラゴンなんて、十人以上の熟練パーティが半壊を怖れず挑んでやっと倒せるくらいなんだけどね……ははっ……君、ドラゴンキラーになってみるかい? 単騎でドラゴンキラーを成し遂げれば、それはもう英雄だよ?」
「……はぁ」
「それもまったく、不可能そうじゃないしね……ハハッ……まいったねぇ……」
冒険者ギルドでもひとかどの人物として、一目置かれている熟練の冒険者にしては、それはあまりにも乾いた笑いだった。実際、口の中が乾いているような、掠れた声でもある。
「……あの、ラディ叔父様。やはり他に、何か問題があるのではないですか? ずっと浮かない顔をしていますが」
「あー、まー、問題があるといえばあるんだけど、それを今君達に言っても響かないからなぁ……そうだねぇ……さしあたって言えることは、君」
「……僕、ですか?」
「一人前の冒険者にしてほしい、だったよね?」
その目が一瞬、ラナの方へと向く。ラナはそれへ軽く頷き、同意を返す。
──そう、私が叔父さんにお願いしたのはそのことだ。
──レオが、将来がどうなるか、どうなりたいのかはわからない。
──けど、何宿何飯の恩にせよ、その義理だけを果たして後はスラム街へ戻すというのは何か違う気がした……から。
ラナはレオに感謝している。自分勝手な賭けに、巻き込んでしまっている負い目もある。
ならばこそ、ラナはレオに「独り立ち」して欲しかった。
冒険者というのは出自がかなり怪しい者であっても、実力さえあれば出世していける職業だ。スラム街出身だが実力は確かなレオが「独り立ち」するには、うってつけの職業でもある。
危険もあるが、若い内に頑張れば、一生食うに困らない財を築くことも夢ではない。
それに……本当に危「険」を「冒」さなくてはならないのは、貴族や商家との繋がりが一切無い、完全にフリーの冒険者だけだ。冒険者ギルドも所詮は社会構造の一部、冒険者も、コネのあるなしでその扱いは大きく違ってくる。
後ろ盾があれば、使い捨てにされたりすることはないはずだ。
──それならば●●●野郎の妻だろうが、変態伯父さんの愛妾だろうが、用は足りる。
──そういう未来なら、私も受け入れられる。
──レオが、私とは関係ないところでの幸せを望むなら、私はあたしを眠らせよう。それがどのような形でも、慣れるでも諦めるでもなく、そうしてもいいとあたしが思うから。
それもまた、ラナの賭けの一部だ。
──私は多分、レオを好きとか愛しているとか、そんなんじゃないんだ。
──そういうモノじゃない。きっと違う。
──レオには幸せになってほしいと思う。
──でも、そうなった時、その隣にいるのはあたしでなくてもいい。
──レオが私と一緒になって幸せになれるとは思えないから。
──私がレオを幸せにできるとは思えないから。
──そういう風には思えない。だってあたしは男の人が怖い。
──大人になったレオの側にいる勇気がない。
──それはたぶん、レオからしてみたらとても失礼な、中途半端な状態なんだと思う。
──でも、けど、それでもレオは……あたしの「特別」だ。
──こんな風に思える人は初めてで。
──それだけは確かなことで。
──あたしは本当に、それだけで十分なんだ。
ラナはそう……思っていた。
「正直ね、彼を鍛える……その役目の半分は、僕には不可能だよ」
ラナンキュロアの決然とした表情に、黒槍のコンラディンはわざとらしいほどに真面目な顔で答えた。
「どういう……ことですか?」
「だってこの子、僕よりも強いから」
「は?」
「正直その部分に関しては、僕はもう脱帽だよ。君の剣は僕の……というか世間の常識を超えている。速いとか鋭いとか、もうそんな次元の話じゃないんだ。どの動きに意味があってどの動きに無かったのか、何をどう変えればこれが更に鋭さを増すのか、僕には何もわからない」
「……叔父様は、現在の冒険者ギルドでもかなりの実力者と伺っていましたが」
「これはね、そういう通常の基準でどうこう言える話じゃないんだ。そうだね、僕は確かに、ありがたいことにそうした名声を承っているよ? でもね、その次元で答えれば……この“天才剣士”君は、冒険者ギルドの誰よりも強い……というか、この国、この大陸、この世界全ての誰よりも強いかもしれない……もっとも」
彼はそこに、百ほども転がる魔物の首を、持っていた槍で指し示す。
「コイツのように、思わぬ弱点があるのかもしれない。だから、あくまで、かもしれないという話だが……君の見せたアレは、そういうモノだよ」
彼もまた男であり冒険者だ。はるか高みにある武へは憧憬と敬意の感情が湧き出てきてしまう。今後もこれが、失われることなく大成してほしいとも思う。
だから敢えて厳しく、突き放したことを言おうと思った。
「なぁ、君さ、僕から何か教わりたいかい? 確かにね、冒険者としてやっていく上で大切なことはさ……ギルドに張り出されるクエストの中から、割のいいものを探すコツであるとか、依頼人との適切な距離感とか、荷物が重くなりすぎぬよう、必要なものを過不足なく揃える下準備のノウハウとか、まぁそういうヤツだ……そういうことなら、教えられるよ? でも、多分だけどね、僕のそれは“天才剣士”君向けのモノじゃない。普通の、これから頑張って成長していく若者向けのモノだ。もっとハッキリ言うと、僕に“天才剣士”君を扱えるとは思えない。君はずっとふてくされたような眼をしている。どうして戦ってもいない僕が偉そうなことを言ってるんだ……そんなところかな? 僕はね、そういう態度の人間を導けるほど、出来た人間じゃないよ?」
「……はぁ」
「言いすぎです! 叔父さん!」
ラナは、急変した叔父の態度に不審なモノを感じながら、しかし反射的にレオを守ろうとその視線の間に挟まった。レオをラナが背負う形になる。
「そう、僕は君の叔父さんだ。叔父様なんて柄じゃない。君は僕の可愛い姪っ子だ。その君がどうしてもというなら、やれるだけのことはする。少なくない依頼料も戴いてしまったしね。けど、それが彼の身になるかどうかは、彼次第だよ? これは僕に教わる気があるのかというのが一点、僕の教えることが彼にとって有益かどうかというのがもう一点……現状、そのどちらにも、僕は疑問を抱かざるを得ない」
「ラディ、叔父様……」
「僕に出来るのは、僕が出来ることだけだ。こと武力、強さという点でいえば、君に教えられる人はおそらくいないよ。そして君の中で物事の価値基準が強いか強くないか……それだけというなら、君はもうきっと何も学べない。戦って戦って、死ぬまで戦い続けるしかなくなる。それがいいなら、そういう風に生きたいなら、僕は面倒見切れないよ?」
「えらっそうに。戦って戦って死ぬまで戦うのの何が悪いっていうんだ」
「……本当にそう思うなら、僕に出来ることは何も無いって話なんだけどね」
はぁとため息をつく自分の叔父に、ラナはどうしていいかわからなくなる。
「あ、あのっ! とりあえず街に……そう! 街に戻りませんか? ヒュドラに素材的な価値はない……んですよね? 討伐証明部位、でしたか? ヒュドラのそれはどこなんですか? もう、それを持って引き上げませんか?」
だからとりあえずは、この場を収めることを最優先とした。
色々な意味で、ここは空気が悪い。こんなところで長話はゴメンだった。
「そうだね、僕も言い過ぎた。街に帰ったら美味しいものでも食べて、湯に浸かり身体があったまったところで落ち着いて考えてみるといい。僕もそうする。君は今、血に塗れすぎている。そんな状態で考えることは大抵ろくでもないことだからね」
「……ほっとけ」
──ああ、こういうところは、すぐに死んでいく若者の特徴、そのものなんだけどな。
その実例を、冒険者業界の前線で見続けてきた男は、やれやれと頭を振って、岩を降りる。
重そうな黒い槍を持ちつつの、軽やかなその身のこなしは、確かに熟練の冒険者らしい、自然で危なげのないものだった。
ラナンキュロアは今、十三歳だ。母親が十六歳の時に生まれている。だからその母親は二十八か九ということになる。
ゆえに、その弟である冒険者コンラディンは、まだ二十代の半ばだ。
それは、若くから冒険者をやってきた者にとっては、全盛期と言っていい年代である。
体力が衰えるには遠く、経験と研鑽はもう十分に積み上がっている。
その身体は、見ただけでラナが怯えてしまうほど男らしく仕上がっているのだ。
贅肉の無い、逆三角形の鋼のような身体。
身長はさほどではないにせよ肩幅は広く、背の筋肉の盛り上がり方も尋常では無かった。
冒険者は戦うばかりが仕事ではないが、その容貌はまさに魁偉、歴戦の戦士と呼ぶに相応しいものであった。
その身体が、しかし音も無くラナの近くへ着地する。
丁度、ラナを挟んでレオとコンラディンが対峙する形だ。
──だから大人は嫌いだ。
上から目線でアレコレ言われたレオは、血でヌルつく肌感覚の不快もあってイラッとした表情を隠しきれていない。ラナの、不快ではないがどこか粘っこいモノを感じる視線からも逃れたくて、自分の視線は空へ、澄み切った空の青へと移していた。
──言いたいことはわかる……けど、あれほど頑張ってくれたレオに、ねぎらいの言葉ひとつもないの?
どちらかといえば明確にレオびいきのラナは、若干叔父に腹を立てながら、早くレオを洗ってあげたいと思っている。その視線はレオのピンクに染まった立ち姿に固定されていて、叔父の方など見ていない。
そしてその叔父、冒険者コンラディンは。
──さて、それじゃあひと仕事、しますか。
「っ!?」
「え?」
ラナの両脇で、何かが同時に跳ねた。
「ぐっ!?」
レオが呻く。
「な、何!?」
何が起こってるかわからずに、ラナは反射的に叔父が着地した方へ向こうとしたが。
「きゃっ!?」
その脇を、まるで岩石のような何かがすり抜けていく。
「うぐっ……」
そうして気が付けば。
「ほら、やっぱり欠点があった」
視線を、レオの方へ戻したラナの視界には。
左手でレオの左腕を捻ったまま右手でその肩を掴み、地面に押さえ込んでる叔父、コンラディンの姿があった。
「レオ!?」
「ふざけるな! 放せ!!」
レオはその顔を地面に……ぬるっとしたヒュドラの血が染み込む地面に……押し付けられたまま、肩が痛むのか苦悶の表情を浮かべていた。
「ま、この後すぐお役御免になるにせよ、今はまだ姪から頼まれた仕事を受注してる最中だからね、金銭分、できるだけのことはするよ?」
ラナの叔父はそれを、なんでもないことのように、平常運転の顔で為している。
状況の急変についていけず、ラナは頭がパニックになりそうだった。
「あぁ!?」
「君の剣はね、抜いてからが怖いんだ。一度抜いたら止まらない、狂犬のような剣だ。だったら、抜かせなければいいんじゃないか?」
「何を言って……くそっ! 放せよ!!」
「膂力は見た目通りだね、つまり筋力が上の者に抑え込まれたら終わりというわけだ……最初の石突きを躱したのはさすがだったけどね」
「ふざけるなよ!! 放せってば!」
「ま、放してもいいんだけど、君、屈辱は必ず晴らさないと気が済まないタイプ? 僕はまだ死にたくないなぁ……一発殴られるくらいならいいけど、放したら剣を抜いて襲ってきたりしない?」
「ああ゛っ!?」
「あ、ダメだこれ、放したら殺しに来るタイプだ」
「しないよ!! 放せ!!」
「叔父さん! 放してあげてください!」
まいったなぁと呟く叔父に、ラナは反射的に叫ぶ。
「ん……君、今の僕の話、聞いてた? あのね、僕、これでも結構今ドキドキなんだよ? 自分より圧倒的に強い、それも向こう見ずな若者を押さえ込んでいるんだもん。あ、別にこれで俺が勝ったとか、そういう話じゃないよ? これはね、ちょっとした年長者の親切。すこし荒っぽいが、まぁ冒険者なんてそんなもんだ。“天才剣士”君は僕よりも強い、それが悔しくてこんなことしてるわけじゃない……いやそれもちょっとだけあるかな……でもね、何も考えず戦い続けるってのは、いつか誰かにこうされるってことなんだ。理解してくれる?」
「だからふざけんな! わけのわかんねぇことを言ってんじゃねぇよオッサン!!」
「あ~……やっぱり響かない」
やっぱり柄じゃないんだなぁ、こういうのは……呟きながらコンラディンは、さて、これをどう収拾したものかと考えた。
──腕の一本か二本、折るか。
傍らで、彼の姪っ子がビクンと何かに怯えたような気配を見せた。
──でもそれだと後が怖いなぁ……剣だけ取り上げといて、とりあえず俺がボコされて終わる感じにしておくかな。治療院のお高い施術を受けるくらいの蓄えはあるし、死ななきゃどうとでもなるだろ。
──さすがに死ぬのは勘弁だ。俺が死んで、それで姪っ子ちゃんが目を醒ましてくれるならいいんだが、そんな様子にゃあ見えない。無駄死にはさすがに格好悪いぞ。
──それにしても、姪っ子ちゃんはとんでもないモノを拾ってきたもんだよ。家はそういう血筋なのかな?
──ま、これで姪との縁が切れるというならそれも仕方無い、どこまでもこのガキに肩入れするというなら、この子にも未来はないだろう。仕方無いが、道を過つのも若者の特権、それを奪う権利は、僕にも無いよ。
……コンラディンの中で取捨選択が進み、その末に、実に熟練の冒険者らしい結論……自ら死に行く者を止めるすべはない、賢きはそれに巻き込まれぬよう振舞うこと……が出かかった、その時。
「だめぇ!!」
黒髪の少女、ラナの身体が、七色に光った。