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epis11 : Hello Alone


<ラナ視点>


 あたしは生まれついてより、どうしてか男の人が怖かった。


 男が怖い。男の匂いが怖い。男らしさが怖い。


 自覚できるその原因は、悪夢だ。


 あたしは幼い頃からずっと悪夢を見続けてきた。


 自分が汚くて醜くておぞましい男性に取り囲まれ、酷いことをされ続ける夢。それは頬をつねっても痛くない夢、そのままに、なんの痛みも伴わない、幻影の地獄だったけれど、どうしてかひたすらに辛く、苦しいという感覚だけはあった。


 そしてそれ以上に、どんどんと自分が自分ではない、汚くて醜くておぞましいモノへと腐り果てていくという絶望の感覚が、凄くイヤで。


 あたしはどうしてか、生まれついてより本当に男の人が怖かった。


 男は怖い、汚い、醜い。


 ()はその、癇癪(かんしゃく)のような嫌いの感情と共に成長してきた。






 あたしには未来が無い。


 この国では、女の子は十六を超えたらどこかへ嫁いでいくのが普通だ。


 それなりの資産があるとか、それなりの立場がある(いえ)の子の場合、それはもう大体が政略結婚になる。




 けど、(うち)は中堅どころの商家で、資産も立場も中途半端なランクだった。


 だから本来、私は、将来の相手を、親が選ぶ誰かと、自分で選んだ誰か、そのどちらかで選ぶことができたはずだった。だってそれなりに裕福な家庭で、子供が女の子ひとりなんてことは通常ありえない。嫁に問題があるのであれば(めかけ)を囲ってでも男の子を作る。それがこの規模の(いえ)の「普通」なのだ。


 だからお兄ちゃんでも、弟君でもいい、男兄弟がいれば、あたしの結婚はもっとお気楽なものになっていたはずだ。「後継ぎ問題」の矛先がそちらへ向いてくれるから。




 ところがママは、子供をあたししか産まなかった。




 これには悲劇的な……というには美しさの足りぬ物語が背景にある。


 パパは若い頃、何がどうしてそうなったのかは知らない(知りたくもない)けれど、財務省の貴族官僚だった祖父と、ズブズブの関係になっていたらしい。ナニをズブズブしてたんですかねぇ。


 ま、そんなわけだから、パパは貴族官僚の娘を嫁に貰い受けた。それが私のママだ。


 長女、長男、次女、次男、三男という並びの五人兄弟、その次女であったというママは、十四歳の時に二十代も半ばであったパパの元へと嫁いできたらしい。


 私の(いえ)が後取り息子のいない、「普通」ではない家族構成となったその所以(ゆえん)は、この五人兄弟の確執(かくしつ)に端を発している。


 この五人兄弟、どうやら貴族官僚に相応しいだだっ広い家の中で、いつからか長女派閥と長男派閥に分かれていたらしい。家庭内派閥間抗争……お貴族様はお暇なことです。




 次女(ママ)は明確に長男派閥に属していた。


 それはもう、後取り確定の長男の派閥であるからして、当然優勢の(がわ)であるからして、なぜか長男派閥に従わない長女派閥をネチっこく虐め、いたぶっていたのが次女(ママ)達であったという。


 長男、三男、次女(ママ)から虐められ、いたぶられる毎日を送る長女と次男。本来、そこに下克上など起こるハズもなく、長女と次男は不遇の人生を送るハズ「であった」。




 ところが。




 驕れるものは久しからず、盛者必衰(じょうしゃひっすい)のコトワーリをアラワース。


 次女(ママ)が十三歳、長女(伯母さん)が十六歳の時、事態は一転、逆転する。


 長女(伯母さん)が、格上である伯爵家の後取り息子に見初められ、婚約したのだ。


 これで一気に、家中(かちゅう)のパワーバランスが変わったらしい。


 未来の伯爵家正室という肩書きは、貴族社会では重かった。


 長女はそれまでの鬱憤(うっぷん)を晴らすかのように、連日ざまぁざまぁと高笑いしながら次女(ママ)へ陰湿なイジメを仕返し、ついでのように騎士爵を叙爵(じょしゃく)した次男も増長して、それへ追従(ついしょう)してきたらしい。


 貴女の将来のために、せめてご一緒に花嫁修業くらいさせてあげましょうね……と、使用人に次女(ママ)の世話をサボらせ、当然の結果としてその生活の質を最底辺まで落とさせたのを皮切りに、日々清潔でなくなっていく次女(ママ)(くさ)(くさ)いと嘲笑(あざわら)い、そんなことでは将来子を産むことにも障りますよと、腹を(えぐ)るように押してきたという。


 もっとも、これは本人が……まだ少しは会話ができた頃のママが吐き捨てた、一方的な言い分に過ぎない。私はそこで、実際にどういうことが行われていたのかについては、何も知らない。それ以前に、長男派閥(ママたち)が長女、次男へ(具体的に)何をしていたのかも知らない。全てはもう想像するしかない過去の話となってしまっている。


 人生において五回も会っていない長女(私の伯母さん)は、最近では体型がだいぶ丸くなってしまっていたけど、それに見合う貫禄も持つ、上品な女の人だった。今でも半年ごとに届く手紙の字は綺麗で、文章からは知性が感じられる。少なくとも今は幸せの只中にいて、誰を恨む、(うらや)むも無いといった様子に思える。




 ともあれ。




 当時の次女(ママ)は、もうこんな家にはいられないとばかりに、自分の婚約を急いだのだそうだ。長女(伯母さん)は婚約期間の数ヶ月だか一、二年なりが過ぎれば伯爵家に嫁いでいったというのに。


 それで、長女の良縁にいたく満足していた財務省の貴族官僚様(おじいちゃん)は、ならばとズブズブの関係……もとい、懇意(こんい)にしていた商家の大旦那(パパ)に、あっさり娘を嫁がせたというわけだ。


 それで。


 実家から開放され、それなりの資産家である裕福な(いえ)の奥方様となったママは、それはもうなんていうか……(あたし)の口からいうのもなんだけれども……荒れた。


 長女()の結婚指輪がこれくらいと聞けば、それ以上の宝石をパパへと強請(ねだ)り、姉が着たドレスはこれくらいと聞けば、無理矢理にでもそれ以上のドレスを求め、結果として、自分では身動きもできないような、アホらしい規模のモノを着込むことになってしまったらしい。そんな姿でオーホッホッホとふんぞり返って笑った姿は、それはそれは、滑稽なモノだったそうな。


 ……見てきたように言うねって?


 見てはいないけど、見てきた人に聞いた話だよ。


 当時を知るマダムな小母様方(おばさまがた)が、私へ直接言ってきたんだよ。


 どれも、凄い厚化粧のおばちゃん達だったけどね。


 あれは心底楽しそうだったな~、あなたのお母様は……ってね。どいつもこいつも似たような表情で似たような話しっぷりだった。テンプレートでもあるのかしらね?


 まぁ、つまり、この辺りのことは、十年以上が経った今でも、業界の笑い話として残ってしまっているのだ。(あたし)の耳へ届くくらいに。


 ……届けなくていいのに、さ。


 でも、まぁそれも、十四の少女が必死に空回りしてる……くらいの時分にはまだよかったらしい。


 伝え聞く姉の、(きら)びやかな噂話に対抗心を燃やし、婚家の財産と評判を食い潰す妹。


 ある意味、嘲笑う対象としては、これ以上ないほど「可愛らしい」存在だ。今では見る影もないけど、その頃のママは亜麻色の髪にメリハリの利いたボディが魅力の、正統派美少女だったそうで、そんなのがトンチンカンに空回りしてる姿は、それはそれは滑稽でしょうがなかったらしい。


 けれどママは、自分が影で嘲笑われていることなど気付かずに、姉の結婚で失ってしまった何かを取り戻そうと、必死だったそうだ。


 ……それはまぁ、ほんの少しだけ「好意的に語るなら」だけどね。




 そうして奇行は止むことがなく、一年が経ち。


 いつしかママは「いい笑いモノ」として、その筋(どの筋かは知らない)では知らない者がいないほどに、有名になっていたらしい。


 さすがのママも、その頃には自分が笑いモノにされているということには気付いていたようだ。でも、そこはもう意地なのかなんなのか、自分でもどうしようもなくなっていたらしい。


 この辺りの噂話については真偽不明の度合いが強くなるため、詳細は控えたいけど、概要だけ語ると、笑いモノにされていることに気付いたママは、それゆえの反抗心を見せてしまったらしい。そして多くの敵を作ったらしい。先述の厚化粧な小母(オバ)ちゃん達は、この時期になにか嫌な思いをさせられたのかもしれないね。




 そうしている内に、また一年が過ぎ、ママが十六の時に私が生まれるのだが。


 それでも奇行が止むことはなくて……むしろ悪化していって……この辺りの噂話になるともう、乱交パーティがどうとか、悪魔召喚の儀式がどうとか、よく真偽不明のそれを子供(あたし)の耳に届かせたもんだよな~……ってレベルの話になってくる。


 だからこの時期にママが何をやっていたのかは私も知らない……赤ん坊だった私のお世話で忙しかったんだと、信じたいのだけれども。




 で。




 それは、あたしが二歳の時のことだったらしい。


 ママの姉(伯母さん)に、息子が生まれた。


 伯母さんは、伯爵家の後継者を産んだのだ。


 それはもはや、貴族社会において、揺るぎない地位を手に入れたということでもあった。




 それが決定打だった。


 それで詰みだった。


 ママはそこで決定的に壊れた。




 私の、夢などではない、確かにそれは実際にあったことと、この身が記憶している、痛みを伴う、あたしの一番古い記憶。




 それは。




 ママが何かをわめき散らしながら、(あたし)を床に投げ捨てる記憶。




 あたしの髪の生え際には、凄く小さいけれどその時の傷がまだ残っていたりもする。




 後に、複数人の証言から補完したその情景の真相は。




 それは……「どうしてアンタは男じゃなかったのよ!!」と叫び、自分の子を床へ叩きつける、狂人のようなママの姿だったらしい。












 ……。


 ……はいはい。


 ……はいはいはいはいはい。


 ごめんなさいごめんなさい、生まれてきてごめんなさい。


 男に生まれなくてごめんなさい。


 あー、もーさー、わかってますってば。


 私が男に生まれていたら、ママがあんな風になることもなかったんだな~って。


 私じゃなくてもさ、初めての子が男だったらさ、お兄ちゃんだったらさ、こんな風じゃなかったんだよ。だからわかってますってば。


 私がわるぅございます。わるぅございましたっ。






 けどさ。


 二歳からそんな感じだったんだよ?


 こんな内面にも、そりゃなりますって。


 親に見切り、付けちゃいますって。




 確かに私は悪かったのかもしれないけど、その全部をあたしのせいにされても困るよ。


 例えばさ、パパとママに言うならさ、男の子が産まれるまで励めばよかったじゃない。


 知ってるよ? 赤ちゃんは、ドスコーイがアッハーンしてできるものだって。


 夢の中で結構生々しい映像も見たしね、知識だけなら、普通の女の子よりも多いんじゃないかなって思う。


 そりゃさ? その頃にはパパもママの奇行に辟易(へきえき)していて、抱くのもヤになっていたのかもしれないけどさ? でも、その頃って、計算するとパパもまだ二十代じゃない。なんとかすればなんとかなっていたんじゃないの? ドスコーイもシャキーンでギャンギャーンだったでしょ? いや知らないけど。でもさ、ママってあれでおっぱい大きいし。そこだけは遺伝していてほしいなーって思うくらいに大きいし、私はその姿を知らないけど昔は可愛くて美少女だったんでしょ? アッハーンもウッフーンでイッヤーンしてればよかったんだよ。子作りは爆発だっ。


 それくらいの努力も放棄してさ、パパを「やっぱり女はダメだ……」となるくらいまで追い込んでさ、そのまま(うち)の子供はあたしだけで……まぁママの実家の例からすると兄弟なんていなくて逆に良かったのかもしれないけど……そんな状態になっちゃったのはさ、さすがにあたしの所為(せい)じゃなくない?


 なに? 三歳とかだったあたしが、「弟か妹がほしいな~」って言えばよかったの?


 そんなんでドスコーイはズギャギャーンってなるものなの?


 私の感覚だと、男の性欲はもっと理不尽で自分勝手ってイメージなんだけど。


 っていうか、その頃にはパパ、もうほとんど家に帰ってこない状態だったんですけどね。


 ママはあたしが近付くと鬼みたいな顔になったしさ、下手したら蹴りとか入れてきたしさ……そんな状況で、自分より五、六倍も長く生きてる大人相手に、私がどうすれば良かったっていうのよ。


 ……わかるよ?


 それでも、頑張ればなんとなかったでしょって根性論。


 どうにかすれば、どうにかなったでしょって結果論。


 みんな、大好きだもんね。


 言ってれば人の不幸はみーんな自己責任、同情なんて要らないもんね。


 優越感に満ちた顔で、嘲笑いに近づいてこれるもんね。


 かわいそうね~……ってさ……うっせぇよ。


 生まれる場所を選べないって不幸ね~……うっせぇよ。


 それでもしっかり生きていかなくちゃね~……うっせぇよ。


 伯母さんは、今でもきっと、あんな顔で幸せなんだろうね。ええ末永くお幸せに。


 それは素直に祝福してあげる。伯母さんには、逆境にめげず玉の輿に乗った頑張り屋さんには、その権利があると思うから。たぶん。


 ママも伯母さんもパパも●●●野郎も、みんな頑張って生きてるんだよね。あたしだけが不幸なんじゃない。だったら頑張らなくちゃ。頑張れないのは本人の責任。わかってます。


 うん、だから私は、あたしの自己責任も認める。


 多分、どうにかする方法は、あった。


 なんとかできる可能性は、あった。


 けど、あたしにそれを掴み取る才覚はなかったよ。残念なことに、ね。


 いたいけな時分の自分を利用して、鬼みたいなママを懐柔するなんて()()()()考えは思い浮かびもしなかったし、どこにいるかもわからないパパ(まぁ、今思えば直営店のどこかで仕事に没頭していたんだろうけど)を探し出して、(いえ)に帰ってきてほしいと泣き付くなんてこと、しようとすらも思い付かなかった。


 そうしてる内に手遅れになってたよ。


 人の才覚と時間には限界があるんだよ。


 根性論を結果論で語る人には、是非覚えておいてほしい。


 千対万の戦場で、「ひとり十人を殺せば勝てるから死ぬ気で頑張れ、命令だ」としか言わない指揮官、有能と思います? 敗戦後に、そいつが「部下が自分の言うことを守らなかったから負けたのだ。私は悪くない、私の命令を遂行できなかった兵が悪いのだ」とのたまってくれたりしたらどう思います? 十人を殺せなかったあたしが悪いの? それ本気で言ってる? 日和たいだけじゃないの? 感情移入先を、「無理と暴言が言える立場の人間」にしたいだけじゃないの? ねぇ?




 私は勝てなかった。結果的に、根性なんて出せなかった。そんなものが自分にあったのかもわからない。


 私はただの子供で、大人は、特に大人の男性は怖くて、パパすらも怖くて、右往左往してるだけの役立たずだった。


 そんな状態で二、三年が経って、私が六歳か七歳の頃には、ママにはもう、こちらから話しかけても一言の返事すら返って来なくなってしまった。それであたしも、そんなママをもういいやって諦めたんだ。それが手遅れってこと。


 あたしがパパにママに、(いえ)に期待することは、八歳の頃にはもう全部無くなってしまいましたとさ。ちゃんちゃん。


 そうして、顔を合わせれば嘲笑ってくる人達からも距離を取り、家に()もるようになって。


 だけどそこは、裕福なお(うち)の子でしたから、何の不自由もなく生きられて。




 まぁ……ね。


 わかってますってば、それもホント、ダメだったんだろうな~……って。


 でも一旦ダメになると、それでも生活ができてしまうと、人間って、何もできなくなるのですよ。ええ、本当に。少なくとも、私はそうだった。何もできませんでした。本当にね。


 ぼーっとして、時々書斎の本棚から分厚い本を持ち出してきて、なんとなく文字や計算の勉強(自習)をしてみたり、外国語の難しい本をデタラメに翻訳してみたり、飽きてそれを枕に昼寝してみたりもして、そうしてる内に、なんかもうそれだけで、時間なんてあっという間にすぎちゃった。


 八歳から十三歳まで五年間。


 世捨て人みたいに、あたしはそうやって生きてきた。






 そうして私は十三歳になった。


 ママが結婚した歳まで、あと一年という時分の自分になってしまっていた。


 ママの結婚はこの辺りの常識でも少し早すぎた。本来の適齢期は十六から十八くらい。二十歳になったら行き遅れ、二十五で既婚暦のない独身女性だったら、これはなにか問題のある女性、というのが常識だ。この世界ではそうなんだから仕方無い。


 だから私も、遅くとも十八か九の頃までには結婚させられるだろう。


 私の意志とか都合とかは全部無視して。




 あの汚くて醜い生き物と生涯を共にしろと強いられる。


 あたしにはやっぱり未来が無い。








 ……最近では。


 もう全部投げ出して、家を出たいと思っている。


 どこかへ、逃げたいと思っている。


 それはおそらく、事情はまるで違うものの、ママが今の私と同じ年の頃に熱望していた何かと、似た願望なんだと思う。あたしは結局、莫迦(バカ)で間抜けなママの娘なんだ。


 だけど私は、逃避先に「結婚」を選べない。選びたくない。


 男なるモノへ夢は見れないし、なによりママを見ていると、それこそが終わりの始まりにも思えてくる。


 だけどなんだかんだで、私は一人娘で、血を残す義務からは逃れられない。だからこのまま(いえ)にい続ければ、パパに都合のいい相手と結婚させられてしまう。


 それはつまり、パパのドスコーイをアッナーンし続けた●●●野郎とってことだ。逆かもしれないし、リバ(どっちもどっち)かもしれないけど。おぇ。


 そりゃ、ま。


 ●●●野郎だって頑張って生きているんだろうさ。それは認める。努力も、あたしよりかはアレの方がずっとしてきたんだろう。あたしは世の中の誰よりも努力してない自信がある。我が家におけるクソオブザイヤーを五年連続受賞だ。尊べ。


 けど、だからってあの●●●野郎を尊重(リスペクト)できるのか……って話だ。


 これはもうハッキリ言う、生理的に無理。


 自分の心理とか性癖とかを自己分析する気はないけれども、もうホント、アレが男だからイヤだという以上に、私はアレの顔を見ただけで吐き気がする。あの気持ち悪い手があたしの身体に触れるだけで、その部分が冷たく腐ってしまったような気さえしてくるのだ。


 だからこれは本人に、ハッキリとそう伝えたことがある。私に近付くな、触れるなと。


 返ってきた言葉は、「慣れますよ、そんなもの」というものだった。そしてそれはなぜだか自嘲めいた響きを伴っていた。




 冗談じゃない。慣れてたまるか。


 それは慣れたんじゃなくて、諦められるようになったってだけでしょ。




 確かに。


 両親の仲の良さであるとか、憐憫(れんびん)嘲笑(ちょうしょう)もしてこない同性の友達とか、普通の生活とか。


 あたしは色んなモノを諦めながら生きてきたけど。


 それでも諦め切れないモノはある。


 私があたしであるというただその一点だけは譲れない。


 理屈より先に身体が拒否するモノは受け入れたくない。


 それは私が()()()を裏切るということだ。




 男は怖い、男は汚い、男は醜い。それは慣れや諦めで収めるにはもう私の一部過ぎる。


 無理矢理引き剥がすならそれは、私がその一生を廃人のように過ごすことと同義であるように思えた。だから私は()()()をどうにか慰撫(いぶ)する、その方法がずっと欲しかったんだ。




 ()()()を、幸せな夢の中で眠らせるために。








 あの日、レオを綺麗だと思った。




 醜い男どもを一瞬のうちに殺すあの刃が、美しいと思った。


 最初の内は、寄れば男の人の悪臭以上に、ゴミと残飯の(にお)いが酷かったけれど、でもそれは、別に「怖い」わけでもなくて。


 洗って洗って洗っているうちにそれは消え、運動をして汗をかいた時だけ「ほんのり嫌な」匂いがする、それでも私にとっては「特別」な少年がそこに残っていた。


 今は剣を構え、血塗れで立っていた時に感じた、あの「美しさ」は隠れてしまっている。けれど、レオはよく見れば顔も綺麗だった。綺麗とはいっても、男性らしさを全く感じない顔というわけでもない。むしろ顔だけ見ればそれは鋭すぎ、女性らしさもまた薄い。レオは逆三角形の輪郭に鋭い目付きが光る、シャープな印象の顔だった。ヒゲや体毛は無く、産毛だけが光る肌はつるんとしていて綺麗で、それは男性らしくも無く女性らしくも無くて。


 では、それが何であるかといえば……レオはとても「少年らしい」顔をしていた。


 だけどそれは。


 きっとそれは、男の子が男性へと変わる途中で、一瞬だけ「成る」暫定的な、サナギのような過渡期の形態であって、レオ自身の生まれ持つ特徴であるかといえば、それもまた違うはずだった。


 この形態のレオは多分、今しかいない。すぐにあたしが嫌う(にお)いを発するようになって、私が「怖い」と思う、私が受け入れることのできない何かへと変わってしまうのだろう。


 それは仕方の無いことだ。




 あたしはレオが人を殺すその姿を美しいと思った。


 それは考えるまでもなく非道徳的な、良識に喧嘩を売る、間違った美意識なのだろう。


 女は男を受け入れるべきであり、そうして子を産むのが正しい。それがこの世界。




 だからそれを美しいと思えない私は、間違っている。




 認める。




 あたしはきっと、この世界に生まれてはいけない人間だった。


 だけどそれならば、私は、間違っているあたしを満足させ、眠らせてあげたいとも思っている。私もいつか大人になる。この世界に慣れるのか、諦めるのか、それはわからないけど、そんな私にも、あたしがこのままじゃいられないことはわかっている。


 この我儘(わがまま)で、なにもかもが心細くて、世界に溶けることを怖れてる()()()は、いつか消える。きっと消えて無くなる。


 レオが少年のままではいられないように、私も、あたしのままじゃいられない。


 だからこの時をせめて幸せに、永遠に。


 私の中に刻み付けて終わりたい。


 そうした終焉(おわり)を、(あたし)は望んでいた。








 だから私は賭けをしていた。


 レオに、それなりの一次的接触を試みてみる。


 男の人は怖いけれど、自分からそういうアプローチをかけることには、戸惑いはあまり無かった。私の身体に価値なんてない、そんなものは、使える道具であれば遠慮なく使ってしまえばいいと思っていた。


 それで。


 そうしてレオが、あたしを(ほっ)してくれるのであれば、その時は()()()()を殺す。


 そういうことにした。(あたし)がそう決めた。


 それは酷く背徳的な妄想で、だけど心休まる夢想でもあった。








 だからそれが勇気になった。


 あたしは五年ぶりに現実を見て、真実を欲した。


 ()()()()に殺されたい。それ以外の誰にも殺させない、殺されたくない。ならばあたしは私以外の脅威と向き合う必要があった。


 あたしを(さら)おうとしたゴロツキ達。


 それを雇った、誘拐未遂事件の黒幕は誰か?




 犯人はママ……などというつまらない結論ではない。


 ママに陰謀劇を(おこ)せるほどの気力は残っていない。あるいは知性もだ。


 けど、こうとは言えるのかもしれない。


 原因は、ママだ。




 ことの因縁の始まり。


 ママ達五人兄弟と姉妹が確執を抱えた理由、そもそもひとつの家の中で長男派閥と長女派閥に分断してしまった理由は何なのかというと。


 そこには、どうしようもなく生々しく、気持ちの悪い答えがある。




『上の兄さんは、下の姉さんに想いを寄せていたんだ』


 五人兄弟の末っ子、三男(私の叔父さん)は、苦々しい顔でそう証言してくれた。ここでいう上の兄さんとはつまり長男のことであり、下の姉さんとは次女、つまりママのことだ。


『今にして思えば、とても普通とは思えないような想いを、ね』


 それは、明らかに兄が妹へ向ける感情ではなかったらしい。長男(伯父さん)次女(ママ)の使用済みの下着類を集めたり、こっそり自分の体液を混ぜた食べ物や飲み物を次女(ママ)に与えたりしてたらしい。そりゃ、(こじ)らせたもんだね。おえ。


 そして莫迦(バカ)で幼くて無垢であった頃の次女(ママ)は、それに対してはあまりにも無防備であったという。着替え中であったり、なんなら裸の状態でも、長男()の突然の来訪に平然と応対したりしてたし、頻繁にされるボディタッチにもなんら抵抗、拒絶をしなかったという。ママァ……そういうところだぞぉ……。


 後に家を出て、世間の常識を学んだ三男(叔父さん)が、今にして思えばそれはまさに異常というほかない光景だったそうだ。


『そしてね、君はその頃の姉さんに、つまりは君のお母さんに、とても似ているんだよ。それ自体は、当たり前のことだけどね』


 気が強そうなのにどこか甘さのある顔、すらっとしているのに女性らしい凹凸(おうとつ)のある身体、そして、どこか別の世界にでも生きているかのような、独特の雰囲気。


 ……そうなの?


『髪の色や()の色は違うし、姉さんに比べれば君の方がまだ賢そうに見えるけどね。そこはお父さんの血かな』


 自分ではよくわからないけれど、三男(叔父さん)がいうにはそういうことらしい。


『つまり、なんですか? 私は、伯父様からその、身体を狙われているとでも?』

『どうだろうね。狙われているのは身体だけで済むだろうかね』

『……どういうことですか?』

『昔の兄さんは、もしかすれば本当に姉さんが“欲しかった”のかもしれない。でもね、それは昔の話で……これは兄さん姉さんの名誉のためにも明言しておくけど……結局は果たされなかった想いでもあるんだ。それは間違いないよ。僕の全てに懸けて誓おう。……けど、兄さんが自重し一線を越えようとしなかったのは、姉さんが兄さんの妹だったからでもあるからね』

『……はい?』


 あのね……とそこで叔父さんは、大人が子供に、噛んで含ませるみたいな言い方をする時の顔をした。


『この国では、姪を(めと)ることを禁止してないんだよ?』

『は?』

『君も、今となっては僕も貴族ではないがね、貴族社会において伯父が姪を娶ることは、むしろ普通の婚姻と看做(みな)されているんだよ?』

『は……』

『とはいえ……』


 叔父さんはクセなのか、日焼けした頬を、ごつごつした自分の手でさすりながら喋る。時々短いあごヒゲがじょりじょりと音を立てていた。それへ、あたしは嫌悪感を感じていたけれど、この時はそれを(おもて)に表すこともできず、真面目に傾聴(けいちょう)する風を装うのに必死だった。おぞましい話を聞かされ怯える少女、そのように見えればいいとも思っていた。


『とはいえ、だからといって自由に婚姻が結べるかというと、これもまた違う。それぞれの家にはそれぞれの事情があり、貴族社会の婚姻はそれに大きく左右されてしまう』

『はい』

『君の場合もね、そうなんだよ。君の祖父は財務省の貴族官僚だ。伯母は伯爵家の大奥様だ。そして父親は財務省へ、国の財務に深く入り込んだやり手の商人でもある。それらの意向を全て無視できるほどに、兄さんになにか力があるわけではない』

『……というと?』

『つまりただ君が欲しいと言ったところで、君の父や祖父や、上の姉さんが嫁いだ伯爵家を無視してコトは運べないということだね』


 つまり伯父さんがあたしを嫁に欲しいといったところで、それは理由もなしに叶えられるモノでもないということらしい。むしろ断る理由の方が明確に存在しているんだとか。あたしが一人娘であるということ、だから婿取りをしなければならないこと、その婿は国の財務に関われるほど優秀な商人でなければならないこと、そういうこと。


『君が、()()()()()()()()()()、その真意が知りたいという話だったね?』

『……はい』

『君を、今から数ヶ月後の、十四の誕生日に社交界デビューさせたい、だからその準備を兄の家でしようという話だったか……それは、僕の生まれ育った家でもあるんだけど』

『はい』

『今までの話を聞いてわかっただろう? その招待状は、怪し過ぎる。悪いことは言わない、やめておきたまえ。招待には応じない方がいい。兄さんは独善的で愚かだ。何を計画しているか知れたもんじゃない。独善的で愚かというのは、なにかことを成すにはもっとも適さない性格なんだ。全てが自分の理想通り、物事が進行することを前提に考えてしまうからね。そういう冒険者はすぐ死ぬというのが、僕達の常識だよ』


 財務省貴族官僚の家を出て、ギルドからそれなりに信頼される冒険者となった叔父さん、そのふたつ名で「黒槍のコンラディン」は、穏やかな声で私をそう諭した。


『逆に、そういう者の考えは、突飛過(とっぴす)ぎて常人には計り知れないモノがある。どう考えたらそういう結論に辿り着くのか……という飛躍が多過ぎるんだ。だから僕にも兄さんの考えはわからない。昔からずっとそうだ。それに振り回されていたんだと気付いた時には、僕は家に居場所を()くしてしまっていたよ』


 こうして可愛い姪が頼ってきてくれるくらいには、僕も許されたんだと思いたいけどね。


 複雑な笑みでそう自嘲する叔父は、かつて姉を虐めていた人間とは思えないほど、穏やかで紳士的であるようにも見えた。大の男性である以上、やはり私には恐ろしくもあったけれど。


『僕から話せる内容は、以上だよ、嫌なことには巻き込まれたくないだろう?』


 けれどこの人は、比較的信用できる人だとも思った。視線に嫌なものは含まれていないし、何かを強制してくるような、押し付けがましい感じもない。(こちら)を心配してのことだろうが、必要と思われる情報を開示することに躊躇(ためら)いはないし、かといってそれを恩に着せようともしてこない。


 彼はちゃんと「大人」なのだ。「子供」から搾取することは考えない、立派な「大人」なのだ。


 だから、私は運命の一部、あるいは賭けの一部分を、彼に託してみようと思った。


『はい、伯父様からのご招待は丁重にお断りしようと思います……ですが、それとは別件で、ひとつ叔父様にお願いしたいことがあるのですが』

『叔父様、ね。“ラディ叔父さん”と呼んでくれると嬉しいな』

『はい、ラディ叔父“様”』

『ま、それでもいいけど。それで、別件というのは?』

『はい、私は先日、不注意から悪漢に襲われたのですが……』








「その子が、冒険者になりたいという“天才剣士”君か」




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