二度目の人生を共に③
アレクシス様の部屋を辞した私は、すぐに自室に戻った。
私は十二歳まで辺境伯領にある屋敷で暮らしていたけれど、三つ年上の兄が騎士見習いとしてリーデルシュタイン城に上がったのにくっついてここにやって来た。
騎士団長の娘である私はこの部屋を与えられて、礼法や基礎教養を教わった。そして兄が十九歳で王国騎士団に加った同じ年から、私もリーデルシュタイン城の経理補助の仕事をするようになった。
……【一度目の人生】では、結婚してからもこの部屋は残っていたものの、ほとんど使うことはなかった。
この際だからと捨ててしまったものも多いから、それらを見ると懐かしいような妙に寂しいような気持ちになってくる。
デスクの引き出しを開けて、少し灰色がかった下書き用の紙束を取りだして、ペン先にインクを含ませる。
今はまだ記憶がはっきりしているけれど、いつか【一度目の人生】の情報を忘れていってしまうかもしれない。
だから、私が【一度目の人生】で見聞きしたこと、それから周りの人たちについての情報を、今のうちに書き出しておこう。
まずは……今年の冬に発生するはずの、襲撃事件。
あの痛ましい事件が起きた後、アレクシス様が独自で調査をしてデュルファー男爵一家を見つけ出したそうだ。
でも戦闘狂になっていたアレクシス様は事後処理や報告書の作成とかをしなかったから、必然的にそれらは私の仕事になった。
あの頃はアレクシス様が成し遂げる血なまぐさい戦績をまとめるたびに胸が痛んだけれど、今では詳細に情報をまとめておいてよかったと思える。
……そもそもリーデルシュタイン辺境伯家の家督は、デュルファー男爵の父親が継ぐ予定だった。
でもその人は若い頃にかなりのやらかしをしたようで地方謹慎処分を受けて、辺境伯位はその人の弟でありアレクシス様のお祖父様である方に移った。
やらかした父親を持つデュルファー男爵はそれなりに努力した結果、領地を持たないものの男爵位を名乗ることを許されたけれど、辺境伯位が自分に返ってくることはなく、そのまま現当主であるオリヴァー様に譲られた。……これが相当不満だったようだ。
デュルファー男爵は、雪の中で行軍する辺境伯様一行を襲撃することにした。辺境伯様と後継者であるアレクシス様、そして男爵にとって大きな障害になる騎士団長である私の父が皆揃っているのを事前に知った上で、馬車の行く先に雪を盛る。
そうして除雪作業に手間取ったり車輪が雪で動かなくなったりした隙に、雇っていた者たちに一行を襲わせる計画だった。
――【一度目の人生】では、その計画が八割方成功してしまった。襲撃者たちはアレクシス様も殺そうとしたけれど、通りすがった商隊が応援に来てしまいそうになったので、仕方なく撤退した。
……これらのことは、男爵邸にあった指示書から判明した。襲撃者たちは雇い主の素性を知らなかったので、アレクシス様が締め上げてもほとんど情報は得られなかった。
でも、微かな見た目の情報からアレクシス様は男爵家を割り出して、突撃して――剣を突きつけられた男爵が白状したところで、一家全員皆殺しにしたという。
私は紙に、リーデルシュタイン辺境伯家を巡る二つの家――アレクシス様たちフェルマー家とデュルファー男爵たちプロイス家の人間関係図を書き、そこに知り得ている情報を書き込んでいった。
……現在存命の人でフェルマー姓を名乗っているのは、辺境伯様とアレクシス様だけだ。
アレクシス様の母君は十年以上前に、祖父母も五年ほど前に亡くなっているし、辺境伯の直系にあたる叔父やいとこのような存在もいない。
だから、デュルファー男爵は辺境伯様とアレクシス様を狙った。
お二人が亡くなれば、血縁をさかのぼって自分に辺境伯位が来ることが確定しているから。
――ぐっ、とペン先を紙にめり込ませてしまう。
ちょうど男爵の名前の場所だったので、そこがじわじわと黒ずんでいくけれど、まあいいだろう。
【一度目の人生】では、この家系図に載っている者全員が死亡した。
それだけでなく、父を始めとした騎士たち、それから男爵に金で雇われた襲撃者たちもだし……私もきっと、アレクシス様に斬られて絶命した。
アレクシス様や辺境伯様たちはもちろん、デュルファー男爵や雇われただけの人も……できるなら死なないでほしい。
死んだら、全ておしまいだ。
デュルファー男爵側の人間は罰せられるだけのことはしていたけれど……それでも、あんな結末は迎えたくなかったはず。
私は、未来を変えたい。
誰も幸せになれなかった【一度目の人生】を、繰り返したくはない。
「そのためには……動かないと」
よし、と気合いを入れて、私は本棚からリーデルシュタイン領の地図を引っ張り出した。
男爵が襲撃者たちを住まわせていたアジトは……領内の南の端にあった。森に囲まれた廃屋で、まさかここに悪人が住んでいたなんて思ってもいなかった。
今の季節は、秋。あの事件が起きるのは冬だから、もう男爵側は何らかの動きを見せているはず。
かといって、すぐに男爵を叩くわけにはいかない。それこそ証拠不十分だし、もし信じてもらえたとしても「もしかしておまえは、男爵と繋がっているのではないか」と疑われたらまずい。
男爵を糾弾することはできなくても、ひとまず……あの襲撃を防がないと。
そのためには……。
「……私が騎士たちを連れて、アジトに突撃する」
これが一番楽だろう。すぐに紙に、その言葉を書き込んだ。
まずは何らかの用事を設けて、私が南地方に行く理由を作る。そこで私は「偶然」、森の奥に行く怪しい人たちを見つけた。付いていくと、アジトに籠もっている様子……というのを確認する。
これはなるべく早くに済ませたいけれど、早すぎると空振りしてしまいかねない。
【一度目の人生】で家臣が仕上げた報告書には、「秋の終わり頃から本格的に活動していた」とあったから……秋が終わるまでには行っておきたい。
それで、「領内で不審な人物を見かけたから、騎士団を案内したい」と辺境伯様に申し出る。あくまでも領内警備の範疇だから、辺境伯様も父も承諾してくれると思う。
襲撃者たちの姿を騎士たちに確認してもらい、その場で捕縛する。
取り逃がしたとしても、辺境伯様たちに「自分たちは何者かに狙われている」という意識を持っていただければ十分だろう。
……よし、これで行こう。
決定した内容をぐるっと丸で囲んだけど……ふと、心に陰が過ぎる。
もし、この計画がうまくいって冬の襲撃事件を防げたとしたら。
【一度目の人生】とは違うこれからの人生は、どうなるんだろう。
辺境伯様も父も殺されないから、アレクシス様が病むこともない。
アレクシス様には婚約者候補がたくさんいらっしゃるから、その中からより優れた方を次期辺境伯夫人として迎えるだろう。
ちなみに跡取り息子でありながら二十一歳になってもアレクシス様が婚約者を持たないのには、ちょっと理由がある。
かつては婚約者の令嬢がいたけれど、「アレクシス様は真面目すぎてつまらない」ということで婚約解消を申し出られて、アレクシス様がそれを受理したんだ。
……アレクシス様は、「俺と彼女には縁がなかったということだな」と寂しそうに笑っていた。
その令嬢が婚約解消後一年もせずに結婚して子どもも産んだと聞いたときには呆れたけれど、その令嬢は傍系王族の公爵家の娘だったので、辺境伯様も何も言えなかったという。
それはいいとして。
お優しくて勇敢なアレクシス様は無事、奥方を迎える。
それは、私ではない。
【一度目の人生】では候補の女性たちが皆逃げてしまったから仕方なく、跡継ぎを作るために私があてがわれた。
私はアレクシス様の幼なじみだし、剣術も嗜んでいるから体も丈夫な方だ。それに、リーデルシュタインのことにも精通しているし、経理補助をしているから書類仕事も得意な方だ。
父親が騎士爵を賜っただけのほぼ平民である私が辺境伯夫人になれたのは、そうするしかなかったから。
でも、今は違う。
「……私以外の人と結婚した方が、アレクシス様も幸せだよね」
なんてったってアレクシス様は【一度目の人生】で私との結婚を提案されたとき、「リーゼとだけは、結婚したくなかった」ってこぼしてらっしゃっていたんだ。
アレクシス様は、誰にでも優しい。
しかも私は乳兄弟の妹で、騎士団長の娘。だから私にも優しくしていただけで、私のことはこれっぽっちも好きではない。
それを聞いた当初はショックだったけれど、仕方ない。
私とアレクシス様では何もかも違って、釣り合うはずがないもの。
アレクシス様がご令嬢と結婚するのを見届けたら……経理補佐の職を辞して、屋敷に帰ろう。
屋敷にいる母も、「そろそろ結婚を考えたら?」と言ってくるから、同じくらいの立場の男性とお見合いでもして、家庭に入ろう。
……アレクシス様は、私の初恋の人。
今でもずっとお慕いしている人。
だからこそ、【二度目の人生】では幸せになってほしい。
アレクシス様にふさわしい女性を奥方に迎えて、仲睦まじく暮らしてほしい。
私は一度、アレクシス様と結ばれている。
産むことはできなかったけれど子どもも宿したし、これ以上の贅沢は言えない。
「……アレクシス様。あなたが幸せなら、私は十分です」
呟き、私は儚い恋心にそっと蓋をした。