二度目の人生を共に②
どういうこと、なんで、という混乱の気持ちもあるけれど――迷う気持ちの中にぽつんと、希望の光が灯った。
「……私は、未来を知っている」
今年の冬に、デュルファー男爵の企みによって辺境伯様たちが亡くなる。
私は……未来に何が起こるかを知っている私は、あの悲劇を止められるんじゃないの?
いや、でも、あの出来事がそのまま起こるとは限らない。そもそも、自分が過去に巻き戻ったなんて信じられないし。
でも……もし、襲撃事件を防げたら。
辺境伯様も、父も、騎士たちも、死亡せずに済んだら。
アレクシス様の豹変について兄は、自分のせいで多くの人が死んだからだろう、と言っていた。
もしそうなら、襲撃事件を防いだらアレクシス様は豹変せずに済む。あの優しくて思いやりに満ちたお方のままで……。
「……そ、そうだ! アレクシス様!」
がばっと立ち上がって、私は上着だけをひっ掴んで廊下に出た。
もし、私が二年前に戻っているのなら。この城にいるのは、あのお優しい、貴公子の模範のようなアレクシス様だ。
結婚してから一度も目を見てもらえず、夜の生活も義務的でやや乱暴なものだった。
でも、昔の優しいアレクシス様に会える。
もう一度、「リーゼ」と優しい声で呼んでもらえる――?
使用人たちがぎょっとする中、私は廊下を走った。途中で「こら、リーゼ!」「リーゼ様!?」と皆がびっくりする声が聞こえるけれど……今はとにかく、アレクシス様のお姿を見たい。
確か、独身時代のアレクシス様は毎朝、庭で鍛錬をなさっていた。でも朝の清々しい日は、騎士を連れて朝の乗馬をすることもあったようで――
鍛錬に使われていた庭よりも厩舎の方が近かったから、私はそちらに向かった。
妊娠していたときと違って体は軽いけれど、それでも起きてすぐに走るから、もう息は上がっているし足もガクガク震えてきた。
でも、会いたい。
アレクシス様のお姿を、見たい。
――厩舎の周辺に、人だかりができている。その中に、アレクシス様の側近騎士の姿もある。あたりだ。
「アレクシス様――!」
私の叫びを聞いて皆がこっちを見て、ぎょっと目を見開く。そして――愛馬の手綱を手にしたアレクシス様も、こちらを向いた。
――どくん、と心臓が幸福でうち震える。
アレクシス様が、いる。
簡素な乗馬服姿越しでも、胸の筋肉の盛り上がりがよく分かる。
周りの騎士や従者たちよりも背が高くて、秋の朝の日差しを浴びてさらさらの金髪が映えている。
緑色の目が私を見て、きょとんとしている。あの悲劇の日からは見られなくなった、アレクシス様の無防備な姿。
私が、お慕いする人。
「リーゼ、どうしたんだ。朝早くから」
とうとう力尽きて私が草地にへたり込むと、手綱を従者に預けたアレクシス様が自らやってきて、私の前に膝を突いた。
きれいな緑色の双眸が、私を見ている。
大きな手の平が、私に向かって差し伸べられる。
「血相を変えて……って、顔色が悪い。ほら、手を貸すから。立てるか?」
「う、ううう……」
「リ、リーゼ!? どうした、吐くのか!?」
アレクシス様はわたわたしているけれど……まさか、吐くはずがない。
嬉しくて、嬉しくて、胸がいっぱいになって泣きたくなってくる。
アレクシス様が、昔のままのアレクシス様が、ここにいる。
私の前に立って、私を見て、私に手を差し伸べてくれる。
「ア、アレクシス様……!」
「えっ、ど、どうしたんだ! 泣いて……!?」
「え、ちょっと、アレクシス様。リーゼ様を泣かせたんですか?」
「まずいですよ! 騎士団長に叩きのめされちゃいますよ!」
「辺境伯様にも叱られますよ!」
「お、俺が泣かしたのではない! ……ああ、リーゼ! どうしていっそう泣くんだ!?」
「ご、ごめんなさいぃ……!」
アレクシス様を困らせてしまっている自覚はあるけれど……どうしようもなかった。
だって騎士たちの会話から、「今」のことが分かったから。
騎士団長である父も、アレクシス様のお父様である辺境伯様も、ご無事なんだ。
生きていらっしゃるんだ。
誰の命も失われていない、平和な時代。
私はその時に戻っているのだと、はっきり確信したのだった。
アレクシス様は私をなだめてくれたけれど、私がしゃくり上げながら気持ちを静めようとしている最中に父がやって来てしまい、その場は騒ぎになってしまった。
どうやら案の定、父はアレクシス様が私を泣かせたのだと思ったようで、一瞬殺気立ち――アレクシス様が丁寧に説明している間に辺境伯様まで来てしまった。
父よりも辺境伯様の方がお怒りで、「いくら幼なじみの間柄とはいえ、淑女を地べたに座らせて泣かせるとは、なんということだ!」と問答無用でアレクシス様を引きずっていってしまった。アレクシス様は辺境伯様よりも大柄なのに、必死の抵抗も虚しく連行されていった。
……もちろんいきなり泣きだした私が悪いので、私は謝罪して回ることになった。
「本当に申し訳ありません、アレクシス様」
「いや、気にしなくていい。それより……何かあったのか?」
朝食の後でアレクシス様の部屋に伺うと、優しい笑みに迎えられた。
アレクシス様を心配させて、しかも誤解で辺境伯様に連行される羽目になったのだから、事情はきちんと説明しないといけない。
でも……「私は二年後から巻き戻って、今に至りました」なんて言えるはずもないし、言ったとしても信じてもらえるわけがない。
「その……少し夢見が悪くて」
「夢? ひょっとしてその夢に、俺が出てきたのか?」
「えと……はい、そうです」
「そうか……さては、夢の中の俺がリーゼを悲しませてしまったんだろうな」
アレクシス様は眉を垂らしてそう言って、私の肩をぽんぽんと叩いてくださった。
「人間誰しも、感情が高ぶることはある。父上や騎士団長たちの誤解も解けたから、俺は気にしない」
「申し訳ありません、本当に……」
「気にするな。……それにしても、すっかり大人になったというのにリーゼも可愛いところがあるのだな」
アレクシス様がからかうように言ったので、私はさっと顔を上げて――アレクシス様の眩しいほどのご尊顔を真正面から見て、頬に熱が上ってしまった。
私は……私はかつて、この方と結婚した。
夜も一緒に過ごして、懐妊して。
今の彼とかつての彼は、別人だ。
別人の、はずだ。
それでも……そういう相手だと思ってしまうとどうしても恥ずかしくなって、私はスカートの裾を摘んでお辞儀をした。
「で、では私は失礼します! アレクシス様のお時間を奪ってしまい、申し訳ありませんでした!」
「構わない。俺もこの後、男爵からの手紙の返事を書かねばならず、憂鬱になっていたところだ。だから、リーゼが突撃してきたから気も紛れて、よかった」
アレクシス様は明るく言うけれど……。
「……男爵?」
「ああ、従叔父のデュルファー男爵だ。……リーゼは会ったことがないだろうな」
なんてことないようにアレクシス様は言うけれど――
デュルファー男爵。
忘れるものか。かつての……【一度目の人生】で、辺境伯の座ほしさにならず者を雇って、辺境伯様や父たちを殺させた人。
あの悲劇を起こした、主犯。
私が心の中でもやを抱えていることに気づかない様子で、アレクシス様はくるくるとペンを回した。
「最近、なにかと父上に接触しようとしてな。……これまでは疎遠気味だったのにいきなり寄ってくるから、父上も難儀している。それで今度は息子である俺にも、晩餐会への招待状を寄越してきたのだ」
「い、行かれないの……ですよね?」
「その予定だ。……では、男爵でも納得するような文句を考えるから、一人にしてもらっていいか?」
「あ、はい、もちろんです。長々とお邪魔しました」
「ああ。また後で」
気さくに声を掛けてくださるアレクシス様の笑顔に胸をときめかせつつ――部屋を辞した私はささっと廊下の隅に寄り、壁に身を預けて目を閉ざした。
……そう、確か【一度目の人生】でもそうだった。
デュルファー男爵は聖歴六百七十四年の秋頃からしばしば、リーデルシュタイン城に手紙を寄越してくるようになった。
そこでどんなやり取りをされていたのかは私は知らないけれど……きっと、冬の襲撃事件の準備を進めていたんだろう。
アレクシス様の様子からして、男爵の誘いに乗る気はなさそうだ。それはそれでいいけれど、かえって男爵の行動に火を付ける結果に繋がるかもしれない。
「……あの悲劇を、起こすわけにはいかない」
私は、決めた。
今年の冬に待ちかまえる、襲撃事件。
あれを防いで、誰も死なない、誰も悲しまない未来を掴んでみせる!