アレクシスと純粋な悪魔たち①
2024年6月10日に、マッグガーデンブックスより書籍化します
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ある日、アレクシスはリーゼや部下たちを連れて辺境伯領に存在する某孤児院を訪問していた。
親を喪った子や親に捨てられた子などを成人するまで面倒を見てやる孤児院は、地域によって貧富の差が激しい。王都近郊だと比較的大きな建物で衣食住も完備しているが、僻地だとどうしても子どもたちの生活水準が下がってしまう。
だがリーデルシュタイン辺境伯領では、孤児院の経営支援に力を入れている。王都から遠く離れた辺境だからこそ、子どもたちの育成に力を入れたい。文字を教え自力で生きられる知識を身に付けさせ、希望者がいれば剣術や馬術も教える。
将来有望そうな少年であれば、十代前半のうちに辺境伯騎士団が引き取ることも少なくない。また賢い少女の場合は上流市民階級の家に奉公に出させ、行儀見習いをさせる。そういった斡旋も、辺境伯家が精力的に行っていた。
そういうことで、アレクシスは子どもの頃から父親にくっついて各地の孤児院をまめに訪問していた。彼がシェルツ子爵になってからは父の名代として赴くことも多く、孤児院のシスターや子どもたちにとってアレクシスはすっかり顔なじみになっている。
「アレクシス様だ!」
「ししゃくさまだ!」
「皆、久しぶり。変わりはないか」
馬車から降りたアレクシスを、子どもたちが総出でお出迎えする。
そんな婚約者の姿を、リーゼは少し離れたところから見守っていた。
(やっぱりアレクシス様、大人気ね)
体が大きなアレクシスは黙って厳しい顔をしていると少し怖いかもしれないが、彼はいつも笑顔で子どもたちと接している。男の子たちにせびられて肩車をしてやったり腕にぶら下げてやったりするし、女の子にお願いされたらままごとの相手だってする。
そういうアレクシスの姿を見ていると、リーゼの胸はじんっとした温かいもので満たされる。
【一度目の人生】では心を病んでしまった彼だが、優しくて繊細で他人思いだからこそ、親しい人たちの死に打ちひしがれてしまったのだ。
(もう、アレクシス様の瞳を曇らせたりしない……!)
一人決意を固めたリーゼだが、シスターたちと話していたアレクシスが「リーゼ」と呼んできた。
「せっかくだから、君のことを紹介したい。来てくれ」
「あっ、はい!」
アレクシスに呼ばれたリーゼが皆のもとに向かうと、彼女の肩を抱いたアレクシスが朗々とした声で告げた。
「俺は先日、ここにいるリーゼ・キルシュと婚約した。いずれ彼女には、リーデルシュタイン辺境伯夫人になってもらうということを、皆に伝えたい」
「まあ、そうなのですね!」
「こんやく?」
「結婚のちょっと前の状態のことよ」
「そうなんだ! じゃあ、おめでとう?」
「おめでとうだよ!」
「おめでとうございます、アレクシス様、リーゼ様!」
シスターたちも子どもたちも喜んでくれたので、リーゼは面はゆい気持ちになってきた。
婚約したことは方々に知らせているが、発表のときにはやはり少し気恥ずかしいような気持ちになってしまってなかなか慣れない。隣にいるアレクシスは、堂々としているというのに。
その後しばらく、アレクシスたちは孤児院を見て回ることになった。
子どもたちの日常生活や孤児院の施設の点検、シスターたちの報告を聞くことだけでなく、アレクシスや騎士たちは主に少年たちの様子を見て騎士の素質を確かめ、リーゼや女性使用人は女の子たちの所作や言葉遣い、年少者への対応などを見て、奉公に出せそうな子がいないかをチェックする。
シスターたちはアレクシスの意図を知っているので少し緊張していたが、子どもたちは無邪気にいつもどおりの日々を送っている。下手にかしこまられたり背伸びをされたりするよりずっといいので、リーゼも気楽な気持ちで子どもたちの様子を見たり遊んでやったりした。
「お疲れ、リーゼ。そちらはどうだ」
しばらく孤児院を歩いた後で合流したアレクシスに問われたので、リーゼはうなずいてシスターから預かっていた孤児たちの名簿をアレクシスに見せた。
「何人か、使用人教育を施してもよさそうな子がいました。それから……一人ですが、運動神経がずば抜けて高い女の子もいました」
「なるほど。……辺境伯騎士団には女性騎士がいないが、もしその子が希望するのならば馬術などを教えてもいいかもしれないな」
「はい。後でシスターに相談してみようと思います」
「そうしよう。……孤児院全体も衣食住が整っていて、子どもたちの健康状態も良好だ。ただシスターが言うにこれまで使っていた井戸の一つが枯渇したらしいので、飲料水の入手経路について考えようと思っている」
「なるほど」
アレクシスの話をふむふむ、と聞いていたリーゼだが、ふとアレクシスが首を傾げた。
「……おや、髪に糸くずがついているな」
「えっ? ……ああ、さっき子どもたちと一緒に毛糸を使って編み物をしたので、そのときについたのかもしれませんね」
「取ってあげよう」
そう言ってアレクシスは右手を伸ばし、リーゼの左耳にかかっていた髪の房を掻き上げ――
ちゅっ、と耳殻にキスを落とした。
「ひゃっ!? な、なんですか!?」
「ああ、すまない。リーゼの耳は小さくて可愛いな、と思っていたらキスしたくなってきた。糸もちゃんと取った」
「だ、だからっていきなりしないでください!」
「分かった。では……ここにキスしていいか、リーゼ?」
リーゼの抗議を受けたアレクシスは、ここ――リーゼの唇の端に触れながら、大真面目な顔で許可を求めきた。
……いきなりしないでほしい、と言ったのはリーゼだが、だからといっていちいち許可を求められるのは恥ずかしい。
「……も、もう。そんなこと聞かなくていいです」
「矛盾しているぞ、リーゼ」
指摘されたリーゼはむっと唇を突き出し……そして、「……キスしてください」と上目遣いでお願いをした。
ちょうどリーゼの視線の高さにあるアレクシスの喉が、ごくっと上下した。彼の大きな手がリーゼの腰と背中に添えられ、抱き寄せられる。
そうして、二人の唇が重なり――
「……あーーーーっ!」
馬鹿でかい声に、二人はぎょっとして体を離した。
自分たち以外誰もいないと思っていたのに、声のする方を見ればそこには孤児院の子どもたちの姿があった。
少年が二人に、少女が一人。泥遊びをした帰りなのか、三人とも服に泥がついている。
子どもたちに見られてしまった、とリーゼは青ざめ――
「赤ちゃん、できちゃった!」
再び放たれた馬鹿でかい声に、アレクシスと二人して「……は?」となってしまった。




