触れてもいい人
本編よりも少し後くらいの話
アレクシスと婚約してからも、リーゼは頻繁に騎士団詰め所に行っていた。
「あっ、リーゼ様!」
「こんにちは、リーゼ様!」
「後で見てくれませんか? 俺、この前新しい技を編み出したんです!」
運動着姿で髪もすっきりとまとめているリーゼが訓練所に現れると、騎士――特に若手たち――は嬉しそうな顔をする。
今日もリーゼは騎士たちに囲まれており――そんな婚約者を、アレクシスはそっと物陰から観察していた。
リーゼは騎士たちに人気だが、女性たちとも仲よくしている。
男性からも女性からも、年配者からも若者からも人気者の婚約者を持てて、アレクシスは非常に誇らしい。
なお、今のアレクシスが堂々と訓練所に出ずに不審者のごとく陰から様子を見ているのは、別に疚しい気持ちがあるからではない。
元々アレクシスはこの木陰で休憩がてら愛剣の手入れをしていて、そこに後からリーゼが登場しただけなのであり、こっそりリーゼの姿を見たいという気持ちがあったからではない。
誰に何と言われようと、ないものはないのだ。
アレクシスは真面目な顔で手元の剣を磨きながらも、聴力はリーゼのいる方に全力で向けていた。
リーゼは若手騎士たちと一緒にこちらまで来ているようで、可愛らしい笑い声がわりと近くから聞こえてくる。
「……エルマーは、もうそんなに上達したのですね。すごいです」
「いえ、俺はまだ昇格試験を受けていません。いくら練習で勝利を重ねられても、昇格試験で合格しなければ話になりません」
「エルマーは真面目なのですね」
どうやら今、リーゼは見習い騎士のエルマーと話をしているようだ。
かつて、リーゼが女性だからと甘く見て訓練を申し込んだエルマーは、回避型のリーゼに翻弄されて敗北してしまった。
元々少々自信家なところがありそこが欠点でもあったエルマーはそれ以降考えを改めたようで、今では同期の中でも抜群の成績を収めるだけでなく、仕事の態度も真面目で騎士たちからの評判もいいそうだ。
アレクシスも、エルマーの才能と態度を高く評価している。
おまけに……エルマーはリーゼと親しいが、立場をよく理解している。リーゼにベタベタせずに距離を保っており、訓練中は手を抜かないがそれ以外のときは女性として丁重に扱っている。
そういう点でも、アレクシスはエルマーのことを好ましく思っている。
彼なら……いずれリーゼがアレクシスの妻となったときの護衛などを任せてもよいかと考えている。
リーゼがエルマーと並んで歩き、アレクシスの隠れ――座っている場所の近くにあるベンチに腰を下ろした。
リーゼだけ座らせてエルマーは立っているところから、彼の騎士としての心構えが感じられていっそう好感触だ。
リーゼはエルマーから、先日見習いたちの中で行われた練習試合の結果をまとめた書類を受け取り、彼と一緒にあれこれ談義している。
エルマーは真面目な様子でリーゼの話を聞き、「今度リーゼ様に、こいつとこいつを鍛えていただきたいです」と提案している。
なるほど、アレクシスの未来の妻は騎士団の士気を高めるだけでなく、騎士たちの実力向上にも一役買っているようだ。
ますますリーゼのことが誇らしくなり、アレクシスは剣を足下に置いて大きく頷いた。
「あっ、リーゼ様だ! こんにちはー!」
「こんにちは。機嫌がよさそうですね」
「そうなんですよ、聞いてください! 俺この前、町でむっちゃ格好いい置物を見つけたんですよ!」
「へえ、どんなものだったのですか?」
「上半身が裸マントのおっさんの置物なんですが、右手に剣、左手に盾を持っていて、カブトムシの角みたいなのが付いた兜を被ってるんです! すっげぇイカしてたんで買いたかったんですが、高かったんで諦めました!」
「ぷっ……あはははは! それ、私も見てみたかったです!」
「でしょう!?」
リーゼはテンション高めの見習い騎士の話も聞いて、きちんと相槌を打ってやっている。
人気者の婚約者を持てて、アレクシスはますます嬉しくなってきた。
……だが、自分の前では遠慮がちに微笑むことの多いリーゼが、騎士たちの前では大きく口を開けて笑っているのを見ると、ちょっとだけ羨ましくなってくる。
ちくっとする胸元に手をやったアレクシスはふと、リーゼの髪に葉っぱが付いていることに気づいた。つい先ほどまではなかったので、今付いたばかりだろう。
……緑色の葉っぱを頭に付けているリーゼは、とんでもなく可愛らしい。
叶うことならアレクシスが取ってやりたいが……それをするとリーゼの姿を後ろでずっと観察していた不審者扱いされると思ってぐっと堪え、木の幹に手を掛けた。
早く自分で気が付いて、取ってほしいのだが――残念ながら、エルマーがリーゼの髪を見て声を上げた。
「リーゼ様、御髪に木の葉が付いてますよ」
「えっ!? ど、どこ?」
「ここです」
エルマーが、リーゼの髪に手を伸ばした。
――みしり、とアレクシスの手の中で幹が悲鳴を上げた。
エルマーの手がリーゼの髪に触れそうになった、そのとき――
「あ、ごめんなさい。場所だけ教えてくれますか?」
すっとリーゼが体を引いたため、エルマーの手元からリーゼの髪の房が逃げていく。
よし! と拳を固めたアレクシスの正面で、エルマーは首を傾げ――そして、はっとした様子で頭を下げた。
「申し訳ありません、汚れた手で触れようとして。……木の葉は、右耳の後ろ辺りに付いています」
「あ、そうじゃないんです」
指示された場所にくっついていた葉っぱを取りながら、リーゼは微笑んだ。
「取ってくれようとした気持ちはありがたいのですが……できれば、異性の方にはあまり触れないようにしているので」
「……なるほど。確かに、アレクシス様に嫉妬されてしまいますね」
聡いエルマーはすぐに気づいた様子で、表情を引き締めた。
「大変失礼しました。以後、ご婦人の御髪にみだりに触れないようにいたします」
「気遣いありがとうございます。……私、やっぱりアレクシス様だけに触れてもらいたいので」
リーゼがはにかんだ様子で言った、直後。
――ゴッ! と音を立てて、アレクシスの頭が木の幹にめり込んだ。
派手な音を立てたため、覗き見をしていたことがリーゼにばれてしまった。
そしてアレクシスは先ほどリーゼが座っていたベンチに腰を下ろし、額の手当を受けていた。
「もう……お近くにいらっしゃったのなら、声を掛けてくださればよかったのに」
「す、すまない。出るに出られない状況になったもので……」
ごつごつした木の幹で擦りむいてしまった額に、リーゼが呆れた顔で傷薬を塗り込んでいる。
まさか、リーゼの言葉に興奮して喜びのあまり木の幹に頭突きをしてしまい、それで額に傷をこしらえてしまうなんて格好悪いことこの上ないが、リーゼが手ずから治療してくれるのだから役得かもしれない、とアレクシスは心の中で思った。
だが、治療をしながらもリーゼはどこかぶすっとした様子だ。
「……その、リーゼ。覗き見のようなことをしていたことは謝る。すまなかった」
「……別に、怒ってはいませんよ」
「だが、機嫌を損ねてしまったようだし……」
「それは……」
うっすら血の付いたガーゼを薬箱の中に入れたリーゼは、俯いた。
リーゼは立ち、アレクシスは座っているのでその顔は俯いていても見えて……頬がほんのり赤く染まっていた。
「……さっきの、アレクシス様に聞かれているなんて、思ってなかったんですもの」
「さっきの? ……ああ」
すぐに理解したアレクシスは微笑み、手を伸ばした。
先ほど、エルマーが触れようとしたときはやんわりと体を引いたリーゼだが、今はその場から動かず……さらり、とアレクシスの指先がリーゼの髪の房を梳った。
この髪に触れていいのは、触れることをリーゼが望んでいるのは、アレクシス一人だけ。
それを唇に寄せるとリーゼがはっとしたように顔を上げたため、する、とアレクシスの指先から髪が逃げてしまった。
「……俺は、リーゼの気持ちが聞けてよかったと思う」
「……」
「君に触れていいのは、俺だけ。……それを聞けて、本当に嬉しかったんだ」
「……アレクシス様」
「リーゼは皆の人気者で、それを誇らしく思う一方で……少し、嫉妬もしてしまっていた」
情けないな、と苦笑すると、リーゼは首を横に振った。
「そんなことないです。……嫉妬していただけて、嬉しいです」
「そ、そうなのか?」
「はい。……私も気を付けますので、もっともっと、触ってくださいね?」
恥ずかしがるように微笑みながら言われて――思わずアレクシスは負傷した額に手をやってしまい、傷の痛みに悶えてしまったのだった。




