辺境伯子息と野花のお姫様②
アレクシスが帰城した数日後、リーデルシュタイン城でアレクシスの成人祝いのパーティーが開かれた。
当主の息子の誕生会は毎年開かれているが、十八歳という節目を記念する今回は、いっそう盛大に開催する。貴族たちにも招待状を送っており、着飾った紳士淑女が大勢会場に現れた。
……彼らの中には純粋にアレクシスの成人を祝うつもりで来た者もいるだろうが、他の目的を持つ者も少なからずいるだろう、と本日の主役として挨拶をしながらアレクシスは冷静に考える。
アレクシスは身長が高いし体格もいいので、正装は特注サイズで作らせた。
白いジャケットとスラックスが鍛えられた体のラインを魅せて、腰から提げたリーデルシュタイン辺境伯家に伝わる宝剣、胸に付けた勲章の数々がさらに彩りを与える。
しかもアレクシスは母親譲りの美貌を持っており、滑らかな金髪を結んで前髪を上げていることで、その美貌が明らかになっている。
そんな彼に、妙齢の女性たちが釘付けになっている。
そう、十八歳になったアレクシスは結婚ができる。
彼の妻の座を射止めようと志す令嬢、娘を次期リーデルシュタイン辺境伯夫人にしようと目論む貴族たちから、ぎらぎらしたものを感じていた。
挨拶を終えた後の歓談で、アレクシスは貴族たちから次々に声を掛けられた。側にリヒャルトが控えてある程度客人を捌いてくれているが、アレクシスも注意して紳士淑女を観察していた。
なるほど、どの令嬢も美しくて品がある。
見目がよいだけでなく知識も豊富で、会話上手。
マナーとして令嬢たちには一人一回ずつダンスに誘ったが、皆とても上手だった。
……だが、アレクシスは社交辞令の笑みを浮かべながら、内心首を捻っていた。
王都で出会った女性にしても今回踊った令嬢たちにしても、自分が彼女らの誰かを選んで結婚する姿が想像できないのだ。
脳内で無理矢理自分に花婿衣装を着せても、隣に立つ女性のイメージがとんと湧かない。
そんなことを考えながらも、器用なアレクシスはきちんと会話やダンスをこなして、ある程度のところで切り上げると後は家臣に任せてリヒャルトと共に会場を出た。
「アレクシス様、大人気でしたね」
リヒャルトがからかうように言ってきたので、アレクシスはやれやれと肩をすくめて首のクラバットを緩めた。先ほどから、これが苦しくて仕方がなかったのだ。
「なんというか……やはり俺は、社交に向いていないと思う」
「ああ、分かります。アレクシス様、挨拶したりダンスしたりしながら、何か別のことを考えてらっしゃっていたでしょう?」
「な、なぜ分かった!? ……まさか、来客たちにもばれて……」
「ああ、いえ、幼なじみの勘みたいなものです。他の人には気づかれていないと思うので、安心して――」
「兄さん?」
リヒャルトの声に被せるように聞こえてきたのは、女性の声。
――どくん、とアレクシスの心臓が高鳴る。
リヒャルトはおや、と首を傾げると早足で歩き、廊下の曲がり角のところで足を止めた。
「なんだ、リーゼ。ここまで来ていたのか」
「う、うん。せっかくドレスを着たんだから、アレクシス様にご挨拶したくて……大丈夫かな?」
――どくん、どくん、と体中が緊張を訴える。
あの廊下の曲がり角の先には、リーゼがいる。
それも……おそらく、今日のためにドレスを着ておしゃれをしたリーゼが。
リヒャルトはちらっとアレクシスの方を見ると片目を瞑り、妹の方に顔を向けた。
「ああ、今なら大丈夫だろうよ。……それにしても、父さんと派手に喧嘩していたな」
「だって、騎士の娘がアレクシス様の誕生会に行くなんてとんでもない、って言うんだもの。……確かに私は招待客じゃないけど、一目でいいから……お誕生日おめでとうございます、って言いたいし、このドレスも見てほしいもん」
リーゼが、拗ねたように言っている。
アレクシスの前では絶対に聞かせてくれない、幼さ残る話し方を耳にして――わけも分からず、アレクシスの体が熱くなった。
「そっか。じゃあ、父さんには僕がいいように言っておくから……こっちにおいで」
「ありがとう。……あっ」
アレクシスの正面からリヒャルトがすっと姿を消して、代わりに出てきたのは――キャラメル色のドレスを着たリーゼだった。
十五歳という年齢のわりに落ち着いた色とデザインのドレスなのは……きっと、「自分は招待客の令嬢ではなくて、ただの使用人」ということを念頭に置いているからなのだろう。
髪は緩くまとめて、緑色のリボンで結んでいる。秋の夜は冷えるからか薄手のショールを纏っており、窓から吹き込む夜風を受けてふわりと揺れた。
まさか廊下を曲がってすぐのところにアレクシスがいるとは思っていなかったようで、驚きに目を見開いている。その目の周りや頬、口元にはほんのりと化粧をしているようで、艶やかな唇につい視線を向けてしまう。
質素ながらも美しく着飾ったリーゼを見て――アレクシスは、ぐっと拳を固めた。
そうしないと、両手を伸ばしてリーゼの肩を掴み、自分の胸元に引き寄せそうになったからだ。
「ア、アレクシス様! えと、あの……お、お誕生日おめでとうございます!」
最初は焦った様子だったがすぐにリーゼは当初の目的を思い出したようで、祝いの言葉を言うとドレスのスカートを摘み、貴族の女性風のお辞儀をした。
――どくんどくん、とアレクシスの体中を熱い血液が流れていく。
「私、どうしてもアレクシス様にお祝いの言葉を言いたくて……あの、すみません。父からは猛反対されましたし、あんまりきれいじゃないんですけど……」
「リーゼ」
声が、少し掠れる。
アレクシスは前に進み出ると、躊躇うように胸元に引き寄せていたリーゼの右手を取り、そこに軽く唇を落とした。
先ほど会場で令嬢たちにしたのと同じ、挨拶のキス。
同じなのに――無性に胸が熱くて、緊張してきて、香ってきたリーゼの匂いで頭がくらくらしそうになった。
「祝いの言葉、ありがとう。こうして、美しく着飾った君が会いに来てくれて……本当に嬉しい」
「えっ……本当、ですか? 私、きれいですか……?」
「ああ。とても……美しい」
そう言った瞬間、驚くほどアレクシスの頭の中がすっきりした。
自分は、リーゼに恋をしている。
これまでどの令嬢に対しても特別な感情を抱かなかったのは――ずっと心の中に、リーゼがいたからなのだと分かった。
リーゼのことはずっと、可愛い妹分だと思っていた。
数日前、騎士団詰め所の前で偶然顔を合わせたときも、「恥じらっている姿が可愛い」とは思った。
だが今ははっきりと、ドレス姿のリーゼを見て美しいと思い、「愛しい」という感情を抱いた。
先ほどは、自分が結婚する場面が想像できなかったが、今ははっきりと――花婿姿の自分の隣に、キャラメル色のドレスを着たリーゼが微笑んでいる光景が思い浮かんだ。
アレクシスはずっと、リーゼのことが好きだった。
結婚するならリーゼがいいと、はっきりと思った。
その後、リーゼは夜の闇に紛れるようにこっそりと帰っていった。
なお、これまでのやり取りの間リヒャルトは姿を消していたようだが、リーゼが帰るとなるとどこからともなく現れたので、リーゼを外まで送るように命じた。
リヒャルトは去り際、ちらとアレクシスの方を見た。
その唇が無音で告げたのは――「だめですよ」という言葉。
分かっている。
アレクシスは、リーゼを恋愛対象にしてはならない。リーゼと結婚することはできない。
アレクシスはシェルツ子爵で、次期リーデルシュタイン辺境伯。
リーゼは騎士団長の娘だが、階級としては平民。
侯爵とも並ぶ権力を持つ家に平民の娘が嫁ぐのは、非常に難しい。前例がないわけではないが、よほどの覚悟と根回しがなければ、誰かが傷ついてしまう。
リーゼのことが好きだ。愛している。
だが、この想いを告げることはできない。
リーゼだって、同じ階級の男と結婚する方が幸せになれるだろう。
溌剌としていて野花のように愛らしいリーゼだが、社交に出たことはない。慣れない環境に放り込まれたら、心も体も弱ってしまうかもしれない。
それくらいなら、アレクシスは貴族の令嬢、リーゼは――リーデルシュタイン騎士団の将来有望な若手などと結婚した方が、お互い苦労せずに済むだろう。
この年になってやっと気づいた初恋は、叶うことがない。
アレクシスとて、いつまでも初恋を引きずるつもりはないし、いずれ妻を迎える際にはリーゼのことはきっぱり諦める覚悟はある。
だが、それまでは。
胸の奥で咲いた淡い初恋の花を、大切にしていたかった。
辺境伯子息と野花のお姫様
おしまい




