辺境伯子息と野花のお姫様①
本編よりも少し前、アレクシスが若い頃の話
ゲルタ王国の貴族は十代前半くらいで社交界デビューして、それ以降は春と秋の社交シーズンになると王都の屋敷に移動して社交にいそしむことが多い。
アレクシスは、辺境伯家の嫡男……つまり跡取り息子だ。
よって普通ならば、十二歳で社交界デビューをしたからには積極的に社交界に出る必要があるのだが、彼に関してはそうでもなかった。
というのも、リーデルシュタイン領は国境を守っており、常に隣国の動向を警戒し、盗賊などが出没すればすぐに討伐に出向かなければならない。
そういうことで正直なところ辺境伯家の者は、毎年春と秋にわざわざ王都に行って連日パーティーに参加したりする暇はないのだ。
社交界に出る時間があるのならば、騎士たちと共に己を鍛えて、いつでも出陣できるように備える。
リーデルシュタインを初めとしたゲルタ王国内の辺境伯家は基本的にこの「例外」が認められており、社交界でも辺境伯家の者が欠席するのはかなり寛容に受け止められている。
むしろ、「自分たちが楽しく歓談している間も、辺境伯家は国のために動いている」と好意的に捉えられるくらいだ。
なお、アレクシスは元々それほど社交界が好きではないので、これ幸いとばかりにサボ――欠席している。
だが、いくら辺境伯家でも新年の挨拶や国を挙げての式典が行われる日などは王城に出向かなければならない。
貴族の男子が成人である十八歳になった年に行われる叙任式も、同じだ。
ゲルタ王国では、貴族は男女ともに十五歳から公務の参加、そして十八歳の成人から結婚が認められる。
平民階級はもう少し規則が緩いらしいがとにかく、アレクシスも十八歳になったことで国王のもとに参上して、成人したことを報告せねばならなかった。
おまけにその年は他にも色々と用事があり、アレクシスはリヒャルトを始めとした部下を連れて王都に向かい、半年ほどそこに滞在することになった。
リヒャルトの誕生日は春、アレクシスの誕生日は一ヶ月遅れなのだが、残念ながら予定の都合上リヒャルトの誕生日はリーデルシュタイン城で祝えたが、アレクシスの誕生日は王都で迎えることになった。
当然、父やリーゼたちから直接誕生日を祝ってもらうことはできなくて、秋になって故郷に帰るまでおあずけとなった。
……そうして、秋。
「リーデルシュタインも、すっかり秋の色に染まっているな」
馬上でアレクシスが呟くと、隣を併走していたリヒャルトも辺りを見回して頷いた。
「僕たちがここを離れたときは、まだ朝が肌寒い頃でしたものね。……まさか、半年も故郷を離れることになるとは思っていませんでした」
「……悪いな。おまえも、もっとここでゆっくりしたかっただろうに」
「いえ、お気になさらず。そもそもはあなたのお付きとして王都に行きましたが……行った甲斐はありましたからね」
リヒャルトが微笑むので、アレクシスも小さく笑みをこぼした。
成人の報告のために、そして先日就任したばかりだがシェルツ子爵として、アレクシスは半年間を忙しく過ごした。
それは側近のリヒャルトも同じなのだが……彼はアレクシスよりも幾分時間に余裕があるため、王都の者と積極的に交流していた。
その甲斐あってか、彼は王城騎士団からスカウトを受けた。
アレクシスとリヒャルトは夏に王城で行われた公開試合に参加して、それぞれ華々しい戦績を残した。それが王城騎士団の目に留まり、是非ともリヒャルトを引き抜きたいという申し出があったのだ。
その申し出にリヒャルトは最初渋い顔をしたが、アレクシスの方が彼を強く推薦した。
リーデルシュタイン騎士団の優秀さは有名で、是非とも引き抜きたい、という声をよく聞く。
それは辺境伯からすれば誇らしいことで、鍛えた若手のうち半分は王国内の他の地へ、半分を自領の騎士団員として配置することで、国としての戦力を高めている。
リヒャルトは自慢の部下だが、彼には彼が一番輝ける場所で活躍してほしいと思っている。
そういうことで二人でじっくり話し合い、もし王城騎士団員になるとしてもアレクシスは全力で応援すること、リーデルシュタインに残る場合も腹心として歓迎することを伝えた。
だがアレクシスは、おそらくリヒャルトは王城騎士団になるだろうと思っている。
「もしおまえが王都に行くとなっても、俺たちが乳兄弟であるということに変わりはない。おまえの選択が何だろうと、俺はおまえの意思を尊重させるからな」
「……ありがとうございます。まあ、まだ分かりませんけれどね」
「どうだろうな。案外おまえ、王都で知り合った女性と恋に落ちてあちらで家庭を持つかもしれないぞ」
「はは、それはどうでしょうね」
軽口をたたき合うのも、赤ん坊の頃から同じベビーベッドで寝ていた間柄だからこそできることだ。
そんなことを話している間に、一行はリーデルシュタイン城に到着した。
「……これは、アレクシス様! お早い到着で!」
出迎えた門番が焦ったように言ったので、アレクシスは頷いた。
「道中の気候がよかったので、予想よりも旅が順調に進んだ。……そういうことだから、出迎えなどは結構だ。俺たちが早めに帰還したことだけ、皆に伝えてくれ」
「はっ、かしこまりました!」
「焦らずともよいからな!」
走っていく門番に声を掛けてから、アレクシスは馬から下りた。
当初の予定では、帰還はもう二日ほど遅れることになっていた。
辺境伯たちは王都で誕生日を迎えたアレクシスのために、誕生パーティーを開いてくれるということだが、まさかその予定を前倒しにすることはできない。
アレクシスは馬を部下に預けて、着替えのために自室に行く――前に、騎士団詰め所に寄ってみることにした。
……そして詰め所の渡り廊下で、思いがけない嬉しい再会を果たした。
リヒャルトを伴って歩いていたアレクシスは、廊下をお下げの女性が歩いていることに気づいた。
簡素な運動着姿で、腰には細身の模擬剣を提げている。
――どくん、とアレクシスの心臓が鳴った。
リーデルシュタイン騎士団に女性はいないが、運動のために女性たちが訓練所に出入りすることもある。
だから、騎士団詰め所付近に運動着姿の女性がいるのはおかしなことではないが――あの後ろ姿は、間違いない。
「……リーゼ?」
「……えっ? ……あ、アレクシス様!?」
振り返った彼女はアレクシスを見ると、ぎょっと目を見開いた。
騎士団長の娘であるリーゼは、護身のための剣術を習っている。アレクシスも、訓練所で剣を構えるリーゼの姿を遠目には見たことがあった。
リーゼは訓練後らしくて、髪はぼさぼさで顔には泥の汚れがあった。
汗を拭ったのだろうタオルをぽとりと取り落としたので、兄であるリヒャルトがやれやれと肩をすくめながらそれを拾ってやる。
「久しぶりだな、リーゼ。……訓練後か?」
「う、うん、久しぶり、兄さん。それから……あ、あの、申し訳ありません、アレクシス様! 久しぶりにお会いできたのに、こんな格好で……!」
兄からタオルを受け取ったリーゼは顔を真っ赤にして、わたわた慌て始めた。
アレクシスが帰ってくるのは二日後の予定だったから、まさかこんなに早く……しかも汗と泥まみれの姿を見られるとは思っていなかったのだろう。
……恥ずかしそうに顔をタオルに突っ込むリーゼを見て、アレクシスの心臓がひときわ高鳴った。
半年ぶりに見るリーゼも夏に誕生日を迎えて、十五歳になっているはずだ。
しばらく見ないうちに女性らしくなったと思ったが泥だらけの姿は子どもの頃と変わらなくて、アレクシスは微笑んだ。
「いや、気にしなくていい。リーゼは子どもの頃もよく、どろんこになって遊んでいたな」
「も、もう! そんなの思い出さなくていいんですっ! ……私、着替えてきますっ!」
アレクシスとしては励ましのつもりで言ったのだが、どうやら逆効果だったようだ。
顔をますます赤らめたリーゼが足早に去ってしまったので、アレクシスはしょぼんと肩を落とした。
「……もっとゆっくり話したかったのに、逃げられてしまった」
「妹の非礼を詫びます。……ただ、アレクシス様ももうちょっと、乙女心というものを察してくだされば嬉しいです」
リヒャルトは、冷静に突っ込んだのだった。