辺境伯子息と小さなお姫様②
かくしてリーゼ・キルシュとの出会いを果たしたアレクシスだが、その後すぐにエリーザベトが屋敷に帰ってしまったので、リーゼにも会えなくなった。
リヒャルトのときはアレクシスにも乳を与える必要があったのでエリーザベトも城で暮らしていたが、今回はそうする必要もないので屋敷で娘を育てるという。
アレクシスの側にはリヒャルトがいたので寂しくはなかったし、間もなく二人は勉強や剣術の基礎を習うようになったので、忙しくなった。
リヒャルトは家族なので頻繁に妹と会っていて、「つかまりだちをしていた」「なんだかよくわからないことばをしゃべっていた」ということを報告してくれた。
アレクシスも早くリーゼに会って、未確認生命物体が人間になったのかを確認したかった。
そうして、アレクシスとリヒャルトが五歳になり、もうすぐリーゼも二歳になるという頃、再びエリーザベトがリーゼを連れて城にやってきた。
エリーザベトに抱っこされているリーゼは、なるほど確かにすっかり人間らしくなっていた。
もこもこのぬいぐるみを抱えたリーゼはリヒャルトに手を繋がれてよったよったと応接間を歩き、覚えたての言葉を喋っていた。
「アレクシスさま。リーゼが、ぼくのことをよんでくれるんですよ」
ここ一年ほどの間に、アレクシスに対して敬語で話すようになったリヒャルトはそう言い、妹を抱っこしてアレクシスの前に座った。
「ほら、リーゼ。おにいさまだよ」
「おにーしゃー!」
「いえてないじゃないか」
「いえてるんです!」
アレクシスが突っ込むとリヒャルトはむっとして、ぬいぐるみごと妹をぎゅっと抱きしめた。
かつてはアレクシスに対して絶対に反抗しなかったリヒャルトだが、最近はしっかりと自我を持つようになり、こうして軽く対立することも起こるようになった。
リヒャルトは妹に甘いようで、城で暮らしている間もよくリーゼの話をしては相好を崩していた。
基本的にあっさりしているリヒャルトがここまででろでろになるとは思っていなくて、アレクシスも驚いたものだ。
……だが、しかし。
リーゼはリヒャルトのことを「おにーしゃー」と呼ぶようだ。きっと、皆で言葉を教えてやったのだろう。
では、アレクシスのことは呼べるのだろうか?
「おれのなまえは、よべるのか」
「むずかしいんじゃないでしょうか。……ははうえ、どうですか?」
「そうねぇ……アレクシス様のことはよく話していますが、ちょっと発音が難しそうですね」
近くのソファに座って茶を飲んでいたエリーザベトが苦笑するので、アレクシスはむっとした。
「おにーしゃー」が言えるのなら、「あれくしす」くらいなら言えるはずだ。
よし、とアレクシスはリーゼの前でどかっと座り、彼女を真っ直ぐ見つめた。
……今初めてアレクシスは、リーゼの目が澄んだオレンジ色であることに気づいた。
ぱちくりとまばたきをしたリーゼは、「どちらしゃまー?」と言いながらアレクシスの方に手を伸ばしてくる。
……ふわり、と温かい何かがアレクシスの中で生まれた。
「リーゼ。おれは、アレクシスだ」
「おうお……にゃーお?」
「ンンッ」
なぜかは分からないが猫の鳴き真似をされて、アレクシスの胸がぐぐっと苦しくなった。
幼女の可愛らしい仕草にほっこりするのはともかく、なぜ胸が苦しくなったのか分からなくてアレクシスはしばらく呼吸を整えるのに時間を要し、それから改めてリーゼの目を見た。
「アレクシスだ。ア、レ、ク、シ、ス」
「あれぅ……しゅ……?」
「アレクシス」
「……あるくしゅしゅ!」
理解した! とばかりにリーゼが自信満々に言ったため、妹を抱えていたリヒャルトが「ンブフッ!」と噎せた。
「ふ、ふふっ……リーゼは、アレクシスさまのなまえを、あるくしゅしゅだとおもったみたいです」
「リーゼにはまだ早かったようね」
「いや、そんなことはない!」
リヒャルトに続きエリーザベトにも言われたが、アレクシスは声を張り上げた。
「おれはきょうこのひより、あるくしゅしゅにかいめーする!」
「やめてください」
エリーザベトとリヒャルトの声が重なった。
それからはエリーザベトも城に滞在することが多くなり、リーデルシュタイン城に子どもの笑い声が増えることになった。
最初はアレクシスのことを「あるくしゅしゅ」と呼んでいたリーゼだが、すぐに「アレクシス」ときちんと言えるようになり、可愛らしいドレスを着てエリーザベトと一緒に歩く姿をよく見かけるようになった。
城には使用人の子どもたちもいて一緒に遊ぶこともあるが、乳兄弟であるリヒャルトとは違ってあくまでもアレクシスと彼らは「主と従」の関係だった。
リヒャルトもそろそろ身分の差を考えるようになったようだがそれでも、取っ組み合いや言い合いの喧嘩をするし、一緒に悪さをして一緒に叱られることもある。
なお、力では絶対にアレクシスが勝つが、口論でリヒャルトに勝てた試しはなかった。
アレクシスとリヒャルトが八歳になると、本格的に勉強や剣術、馬術の訓練を行うようになった。
アレクシスは次期辺境伯で、リヒャルトも騎士になる予定だ。リヒャルトを側近として重用する可能性も高いので、二人で切磋琢磨していた。
そしてリーゼも五歳になり、活発で愛らしい少女になっていた。まだ彼女は身分差について分かっていないようで、アレクシスのことは二人目の兄のように接してくる。
実はヨナタンやエリーザベトは、「そろそろアレクシス様に対する態度を変えさせるべきだろうか」と考えていたがアレクシスの方から、もう少し遅らせてほしいと頼み込んでいた。
アレクシスには、きょうだいがいない。
親戚としてはとこにあたる存在はいるが、アレクシスの父である辺境伯とはとこたちの父であるデュルファー男爵は仲が悪いようで、あまり顔を合わせることはなかった。
他の使用人の子とは違う、リーゼという女の子。
近隣貴族から贈り物のペラルタベリーを食べるときには、口や手をベタベタにしていた。
アレクシスと兄の訓練風景を見に、訓練場の隅っこにちょこんと座っているときもある。
覚えたての字で「あれくしすさま」と書いた手紙を渡してくれたこともある。
小さくて、可愛くて、ついつい構ってしまう存在。
アレクシスにとってかけがえのない、小さなお姫様。
そんなリーゼに対する気持ちが何なのか、まだアレクシスにはよく分かっていなかった。
辺境伯子息と小さなお姫様
おしまい




