過去を乗り越えて⑤
私は、やっと口を開いた。
乾燥してかぴかぴになった唇を動かして、たどたどしいと自覚しながらも、【一度目の人生】について話す。
辺境伯様たちの死により、アレクシス様は心を病んでしまったこと。
デュルファー男爵が主犯だと分かり、血祭りに上げたこと。
女性たちが逃げてしまい、跡継ぎを作るために私があてがわれたこと。
愛のない結婚生活を送り、妊娠したこと。
そして――戦いを続けるアレクシス様を止めようとして、おそらく盗賊と勘違いして斬り捨てられたこと。
私の話を、アレクシス様は黙って聞いてらっしゃった。
でも……テーブルに置いた手の平が拳を固めたり解いたりしていて、それが彼の感情を表しているようで、じくじくと胸が痛んだ。
ほとんど、脳みそは機能していない。
ただただ冷たい体を抱えて、私は【一度目の人生】を終えて【二度目の人生】になり、冬の襲撃事件を防いだことまでを話した。
「……でも、これだけは信じてください。私は、デュルファー男爵と繋がってはいません。ただ、あなたに幸せになってほしくて……それだけが、全てでした」
「リーゼ」
「申し訳ありません……でも、今の説明に、偽りはなくて……」
「リーゼ、もういい」
静かな、声。
咎めるわけでも、怒鳴るわけでもない、ごく静かなその一言からは――拒絶、の意志が感じられた。
もう、私の心臓すら動いていないのではないか。
そんな冷たい体で私が顔を上げると、目を伏せたアレクシス様は小さく首を横に振った。
「……君の言いたいことは、分かった。そして……なぜ君が偶然南方地方で不審者を見つけられたのかというのも、分かった。それらのことを踏まえると、君が男爵と協力しているわけでもなさそうだ、ということも理解できる」
「……」
「ただ……申し訳ないが、【一度目の人生】について、全てを信じることはできないし、受け入れるのも……難しい」
苦しそうに言われて、私は首を横に振った。
なんとか、頬にも笑みを浮かべることができた。
「いいえ、私が男爵と繋がっていないことだけでも信じてくださるのなら……私は、十分です」
「リーゼ……」
「私の目標は、既に達成しています。だから、あなたにとっての私が信用ならない、頓珍漢な発言をする馬鹿で無礼な女だという認識だとしても、構いません。……私はいつでも、婚約解消を受け入れます」
「リーゼ」
「ですがどうか、男爵への警戒は怠らないでください。……もう既に【一度目の人生】とは別の未来を歩いているので、私はこれ以上あなたに助言することはできません。私とあなたが婚約する理由も、ありません」
「やめろ、リーゼ」
はっきりと命令されて、私は口を閉ざした。
アレクシス様はテーブルに広がった紙を掻き集めるときちんと重ね、紐で綴じ直してからそれを私に差し出してきた。
「俺は、君との婚約を解消するつもりはない」
「だめです。そんなの……あなたにとっていいことにはなりません」
「何が俺にとってのいいことかは、俺が決める。君ではない」
アレクシス様は断言すると立ち上がり、私に背を向けた。
「……俺は今でも、君のことを愛おしく思っている。だから、時間をくれ。……君の語る【一度目の人生】について、受け入れたいと思っている」
「いいのです。受け入れられないものを無理に受け入れる必要はありません」
「いや、これは俺がやらねばならないことだ」
アレクシス様は振り返ると、ほんの少し目を細めた。
「小姓にも口止めを命じているし、このことを他の者に話すつもりはない。……だから、リーゼ。早まった真似はするな。そしてこれから六日間も、俺の側にいろ」
「……なぜ、ですか」
「君のことをこれからも愛し、守りたい。……そう思っているからだ」
アレクシス様はそう言うと再び私に背を向けて、リビングを出て行った。
その場にひとり、私を残して。
その後の日々は、私にとってかなり苦痛だった。
「真冬の襲撃事件を防ぎ、アレクシス様に幸せになってもらう」という当初の目標は、ほぼ達成できている。
私に求婚するというくだりは予想していなかったけれど、それでアレクシス様が幸せになれるのなら、と思って頷いた。
でも今、私はアレクシス様にとって解しがたい存在になった。
「愛おしく思っている」という言葉を疑うつもりはないけれど……今までと同じような気持ちで私を見ることはできないだろう。
もし、「やはり君との結婚は無理だ」と言われたとしても、従順に従おう。
私の心はアレクシス様への慕情を訴えてたとしても、それがアレクシス様の幸福の妨げになるのなら、全力でねじ伏せる。
そして……私の顔を見ていると不快になるだろうから、さっさと姿を消そう。
再婚約は難しいだろうし実家の足枷にもなるだろうから……どこか遠く離れた場所で、一人で生きていけばいい。
男爵が滞在する間は、私も自分の部屋には戻れない。だから渋々アレクシス様の部屋で寝泊まりするけれど、当初以上にアレクシス様との距離は大きくなった。
ベッドについても、ついにアレクシス様は従者を半ば脅して、リビングにある大きなソファにカバーを掛けさせ、そこでお休みになるようになった。私をそこに追いやることも、できたはずなのに。
アレクシス様は本当にあの資料について口外しなかったようで、翌日以降も城の皆の態度は変わらなかった。
辺境伯様でさえ、「アレクシスと仲よくなっているか?」と私に言ってきて父が真っ青な顔をするという、通常運転っぷりだった。
城内で時々アレクシス様を見かけるけれど、その背中は遠い。
私の方も意図してアレクシス様の視界に入らないようにしているけれど、たまに変に気を利かせた騎士たちによって二人きりにさせられてしまい、いたたまれない空気の中で過ごすことになってしまった。
……大丈夫。
アレクシス様に何を言われても、私は受け止められる――いや、どんなに胸が痛くても、受け止めなくてはならない。
それが私の臣下としての責務であり――そして、重大なミスをした私自身が負うべき罰であるから。




