過去を乗り越えて④
さて、デュルファー男爵が滞在する間、私は「警備のため」という名目でアレクシス様の部屋で寝泊まりすることになった。
ちなみにそれを城の者たちに告げたところ、八割の人間は「まあ、そうですよね」という反応で、一割九分の人間は「さすがにまだ早いのではないですか」と多少は心配してくれた。
残り一分である私の父だけはかなり渋い顔をしていたけれど、アレクシス様が毛布要塞や武器の話をすると、なんとか頷いてくれた。
ちなみに男爵をもてなす手伝いをするために城に滞在していた母は、「あら、そう? やっとなのね」という反応だった。
恋話が好きなメイドたちは、私たちの関係が大きく進歩することに期待している様子で、「リーゼ様の魅力で、アレクシス様をメロメロにしてしまいましょう!」「男爵が帰るまでとは言わず、帰った後もアレクシス様の方から『リーゼを離したくない』と思わせるようにしましょう!」と目を輝かせながら言ってきたけれど……それはないと思う。
なぜなら私とアレクシス様の間には、ちょっとやそっとでは乗り越えられないような立派な毛布要塞が建設されているし、朝私が起きたときにはアレクシス様は訓練に出られていて不在で、着替えた頃にやっと顔を合わせるからだ。
夜も、私の就寝を見届けてからベッドに入っているようなので、艶めいた会話をすることもない。
就寝時の挨拶は「おやすみなさい」、起床して最初に顔を合わせるときには「おはようございます」で、これまでと変わらない。
もはや同衾しているというより、ルームシェアしているだけだ。
でも私としてもこれくらいの距離感で十分だし、あまりにもあれこれ言うとアレクシス様を困らせてしまう。
……ただでさえ男爵の接待中で悶着している今、アレクシス様は難しい表情をなさることが多くなってきた。
どうやら男爵はアレクシス様にもあれこれ用事を申しつけたり、どこぞへ同行するよう頼んできたりするそうだ。
だからせめて私は、アレクシス様の邪魔にならないように心がけながら、日々過ごしていこう――
あの日までは、そう思っていた。
デュルファー男爵は十日もこちらに滞在するそうで、必然的に私の行動範囲も狭くなった。
初日は男爵の動向を探ろうと考えたけれど、目を付けられた今は、逆に男爵から逃げるよう努めている。
男爵は、私を邪魔者認定したはずだ。
アレクシス様に守られている今、派手な行動は取らないと思うけれど……揚げ足を取られないようにしないと。
そういうことで休憩時間中も騎士団に行くことを控えて、アレクシス様の部屋のリビングで過ごすことが多くなった。
といってもアレクシス様の部屋には娯楽品の類がほとんどなかったので、自室に置いている本などを持ってきてもらって、時間を潰すようになった。
それが、原因だった。
男爵が滞在し始めて、四日目。
「……就寝前に、すまない。話がある、リーゼ」
お互い寝仕度を整えて、あとはベッドに行くだけ――というところで、アレクシス様に声を掛けられた。
私は寝間着の上にガウンだけ羽織り、アレクシス様に誘われてリビングに向かった。
ソファに座るアレクシス様の表情は、強張っていて――ありとあらゆる嫌な予感しかしてこない。
どうして、こんなに怖い顔で私を見ているのか。
どうして、顔色がよくないのか。
どうして――テーブルに、見覚えのある紙の束があるのか。
「座りなさい」
「……」
「小姓が君の部屋から持ってきた本の間に、これらが挟まっていた。俺の名前が見えたから、報告書の類だと思って君の許可なく読んでしまったことを……まず、謝罪する」
そう言ってアレクシス様が頭を下げたので、私は首を横に振り――テーブルに広げられた「それら」に視線を落とした。
そこに書かれているのは――『【一度目の人生】記録』の文字と、デュルファー男爵に関する記述。
【二度目の人生】を始めていることに気づいた私が、【一度目の人生】で見聞きしたことを忘れてはなるまいと書き出して――その後も色々な出来事を書き留めた結果、かなりの枚数になったので紐で綴じて本形式にしたもの。
いつもなら鍵付きの引き出しに入れておくのだけれど、デュルファー男爵が訪問してくると聞き、急いでその資料を引っ張り出して読んだ。
そして、すぐに準備の手伝いをしなくてはならなくなって本棚に差したままにしてしまっていた。
それらが今、テーブルに広げられている。
私にとって、最悪の形、最悪のタイミングで。
「だが……ここには、デュルファー男爵が主体となり、俺や父上を害そうとした出来事について書かれている。それだけでなくて……この記述では冬の奇襲が成功して、父上やヨナタンたちが犠牲になったこと、そしてその後俺が心を病んで殺戮を繰り広げ――君と愛のない結婚をしたことについても書かれている」
「……」
そう、私は記憶にある限りのこと全てを、そこに書き出した。
本当なら、こんなものをいつまでも残しておくべきではないのだけど……いつ未来が変わるか分からないから、捨てるに捨てられなくなっていた。
アレクシス様の顔を、見られない。
顔を見るのが……怖い。
「リーゼ。これは……一体、どういうことなんだ?」
「……」
「正直に言うと、俺はこれを見て最初に、君のことを疑ってしまった。デュルファー男爵が言うように、君は俺たちを嵌めようとしてあの襲撃犯たちを雇ったのでは……とさえ思った。本当に、申し訳ない……」
どうして、どうしてあなたが謝るのですか。
こんなものを持っていた私が疑われるのは、当然のこと。
男爵の言うことが本当だった……もしくは、私は男爵と繋がっていたのだと思っても、おかしくはないのに。
「だが、それにしてはこの【一度目の人生】についての記述が気になった。……ただの妄想録と片づけるには、どうもおかしい」
「……」
「リーゼ。君は以前、『自分の人生をやり直した女性』の話をしたね? 過去に産んであげられなかった子はどうなるのだろうか、と。あれは……君自身の話だったというのか?」
アレクシス様の声には、疑いの色がはっきり浮かんでいる。
それも、当たり前だ。
人生をやり直すなんて、信じられない。
世の中にはたくさんの不思議な出来事があって、「妖精の仕業だ」とか、「奇跡が起きた」と言われるけれど……人生を繰り返して、しかも未来を変えることができたなんて、前代未聞だ。
「……もしこれらが本当にただの妄想記録だったら、君は何らかの反応をしてくれただろう。だが、黙りということは……これは、事実なのか?」
「……」
「教えてくれ、リーゼ。……君はなぜ、このようなものを記した? 【一度目の人生】とは、どういうことなんだ?」
アレクシス様はこんなときでも、「教えろ」と命令口調にはならなかった。
私が貝のように口を閉ざし続けたからといって、無理にこじ開けようとはなさらないだろう。アレクシス様は、そういう方だ。
でも、きっとアレクシス様は心を病まれる。
それに、私への疑念も払拭されるどころか、ますます悪化していくに違いない。
……これは、私が招いたミス。私の責任。
それなら。
私がするべきなのは――たとえ馬鹿者扱いされたとしても、真実を語ることのみだった。




