子どもとふれあおう③
「今まで、こうして乳幼児とふれあう機会がなかったので分からなかったが……子どもは、こんなに可愛らしいものなのだな」
私の隣に座ってエトムントの寝顔を見ていたアレクシス様がぽつっと呟いたので、私は顔を上げた。
「奇遇ですね。私も、エトムントが可愛いなぁ、って思っていたのです」
「そうか。……それに、実子ではないがこうして子どもを抱いてあやすリーゼの姿も、素敵だ」
「そ、そうですか?」
アレクシス様に言われて――ふと、目の前が一瞬暗くなるような感覚に襲われた。
……かつての私。
【一度目の人生】を歩んでいた私は……こんな感じで我が子を胸に抱くことはできなかった。産むよりも前に、アレクシス様に斬られてしまったから。
今の私たちは、皆が幸せになれる道を歩んでいるはずだ。
でも……あの子は。
【一度目の人生】で、アレクシス様に無理矢理抱かれた末にできた、あの子は……どうなってしまうんだろう?
もし、このままアレクシス様と結婚して、懐妊するとして。そのときにできる子は、あの子と同じなのだろうか。
私は。
未来を変えた結果。
生まれたかもしれないあの子を、消してしまったのではないか――?
「……リーゼ?」
アレクシス様の声に、はっとした。いつの間にか俯いていたようで、顔を上げて横を見ると心配そうな瞳と視線がぶつかった。
ひょっとすると今の私は、表情が強張っていたのかもしれない。
横を見ると、気遣うようにこちらを見るアレクシス様が。
「……。……あの、アレクシス様。仮に、ですけれど」
「ああ」
「お腹の中に赤ちゃんがいる女性が自分の人生をやり直して、過去とは違う未来を歩んでいるとします」
……気が付けば、そんな話をしていた。
今までなら絶対に口に出さなかっただろうけれど、エトムントを抱っこして、【一度目の人生】で産んであげられなかった子のことを考えて、気持ちがざわついていたからかもしれない。
私が、未来を変えたことで唯一後悔していることをアレクシス様に話して、少しでも気持ちが楽になりたい。
そんな我が儘でしかない考えだったけれど、アレクシス様は真面目な顔で話を聞いてくださった。
「その場合……産んであげられなかった子とその女性は、もう巡り会うことはないのでしょうか」
「……哲学じみた話で、なかなか難しいな」
アレクシス様は私の話を聞いても一笑に付したりせず、悩ましげな表情になって考え込んだ。
「リーゼの話を考えるにあたり、他の色々な条件も考慮せねばなるまい。……ちなみにその女性の夫君は、どちらも同じ男性か?」
「そうです……い、いえ、そういうことにしておきます」
「なるほど。では、いつかその子と巡り会えることだろう」
私が顔を上げると、アレクシス様は微笑みを向けてから、すうすう眠るエトムントの髪をそっと撫でた。
「両親が同じであれば、未来が変わろうときっとその子は両親のもとに会いに来てくれる。最初産んでやれなかったというのなら、今度こそ産み落とせた我が子と再会を果たせると……俺は考えている」
「……」
「だから、案ずることはない。自分が選んだ未来を自信を持って歩み、いつか我が子と巡り会えたなら今自分にできる限りのことを尽くして愛してあげればいい。……俺なら、その女性にそう言うな」
「……」
じん、と胸が痺れ、同時に頬を叩かれた気持ちになった。
【一度目の人生】の私は……十九歳になる年の春に結婚して、約一年後に妊娠が判明した。
それに比べて今の私は、十九歳の春になってもまだ婚約者の立場だから……いずれアレクシス様と結婚して子を身ごもることがあっても、【一度目の人生】と全く同じ状況ではないだろう。
でも、そうだとしても。
アレクシス様がおっしゃったとおり、もう一度私たち夫婦の子として生まれてきてくれるなら。
今度こそ、愛情をいっぱいに注いで育てることができるのなら……。
思わず喉まで出かけた「ありがとうございます」の言葉を呑み込み、私は頷いた。
「……そうですね。私もきっと、そうだと思っています」
「ああ。……それにしても、不思議なことを言うのだな。小説にでも出てきたのか?」
「え、ええ、そんなところです。実は、私が今言ったような状況になった主人公が悩むシーンがありまして……」
「はは、そういうことか。……未来を変えることなんてできないだろうが、もしできたとしても俺だったら変えないだろうな」
「……アレクシス様は今まで、後悔したことはないのですか?」
「ないことは、ない。だが……変えたことでこうして、リーゼと婚約できる未来がなくなってしまうのならそれは、俺にとって何よりも悲しいことだからな」
私が思わず言葉を失ってアレクシス様の顔を凝視していると、アレクシス様は大きく頷いてからエトムントの柔らかいほっぺをむにむにと軽く押した。
「……だがもし何度も人生を繰り返すことになっても、俺はそのたびにリーゼを選ぶ。子どもの頃から君だけを想い、結婚の話が上がるようになってからも……君だけを妻に迎えたかった、と思っていたから」
「アレクシス様……」
「リーゼ、愛している」
低くて色っぽい声が、私の耳を擽る。
顎の下に片手を添えられて、軽く上向かせられる。そうすると視界に、アレクシス様のご尊顔が飛びこんできた。
私は、私は。
この人に、愛されている。
【一度目の人生】では心を病んでしまったアレクシス様に、邪険にされたこともある。
「リーゼとだけは、結婚したくなかった」のような言葉を呟かれたこともある。
でも……私は今の、優しいアレクシス様の言葉を信じたい。
私も、愛しているから。
「アレク――」
私の呟きが、アレクシス様の唇によって塞がれそうになった、その瞬間。
それまでは大人しく寝ていたエトムントがぐずり始めて、私たちは同時にぎょっとしてしまった。
「あ、ああ、エトムント! どうしたの、おしっこが出たの!?」
「いや、これはまさか……空腹なのでは?」
「そうなのですか? ……ああ、だめよ、エトムント。そこを触ってもお乳は出ないわ!」
「そこはまだ俺ですら触ったことがないんだぞ! ほら、食事の準備をしてもらうから、泣きやみ……うわっ!?」
「エトムント、アレクシス様の御髪も食べ物じゃないわよ!」
「アレクシス様、リーゼ様!」
すぐに、離乳食やおむつを持ったメイドが駆けつけてくれて、エトムントを引き渡すことができた。
そうして私たちは二人してよだれまみれになってしまったので洗面台で顔や手を洗い、「子どもの世話も大変ですね」「そうだな」と苦笑をこぼしあったのだった。




