子どもとふれあおう②
家族での挨拶を終えたところで、兄は辺境伯様たちにもご挨拶しに行くことになった。
ここで本来なら義姉もご一緒するべきだけど、エトムントがなかなか落ち着かないので別室で母子ゆっくり休んで、挨拶は兄だけが代表して行くことになった。
父と母はそれぞれやることがあるので、私が兄に同行して辺境伯様の執務室に行って挨拶に付き添い、そのままアレクシス様の部屋に向かったけれど――
「よく帰ってきた、義兄上」
「……」
「ああ、自己紹介が遅れたな。……貴公の妹君を貰い受ける予定の、アレクシス・フェルマーだ。これからあなたのことを義兄として慕わせていただきたい。そういうことでまずは、俺がリーゼのことをどう思っているかについての説明をしたい」
「……あの、ちょっと待ってくれませんか、アレクシス様?」
待った、の姿勢を取った兄を見て、深くお辞儀をしていたアレクシス様が不思議そうな顔で体を起こした。
部屋に入るなり、私たちは正装姿のアレクシス様に迎えられて――仰々しい挨拶をされるに至った。
廊下を歩きながら兄は、「もしかするとアレクシス様、変に緊張しているかもな……」と乳兄弟ならではの鋭い勘で言っていたけれど、アレクシス様の行動は兄の想像をも通り越していた。
「えーっとですね。確かにいずれ僕はあなたの義兄になりますが、そこまで態度を変えなくていいですよ。所詮、僕の方が部下ですから」
「それはそうだが、何事にもけじめは必要だ」
「ええ……まあ、そうですね。分かりました、あなたがそうおっしゃるのなら。あ、でもリーゼについての発表会は不要です」
これ以上問答するのは面倒だと思ったようで、注文を付けつつ兄の方が白旗を揚げた。
……まあ、お二人はお二人で、うまくいくよね。
男同士で積もる話もあるだろうから、私はさっさと退室して義姉が休憩している部屋に行くことにした。エトムントにも、会いたいし。
「お邪魔します」
「あら、どうぞリーゼさん。エトムントも落ち着いたのですよ」
ソファに座る義姉のところに向かうと確かに、ベビーベッドに寝かされたエトムントは私を見て、きゃはは、と楽しそうに笑った。
……最後に見たときのエトムントは生まれて間もない赤ん坊だったから、随分大きくなったんだな、と実感する。
「エトムントももうすぐ一歳ですよね」
「ええ。最近は喃語も喋るようになって。夫と二人で、『とうさま』と『かあさま』のどちらを先に言えるようになるか、勝負をしているのですよ」
「あはは、それは負けていられませんね」
では、ということで私もエトムントの顔を覗き込んで、「リーゼおばさまですよー」と呼びかけてみた。
返事は、盛大なゲップだった。
「……そういえば、リーゼさん。あなたとアレクシス様のこと、王都でも噂になっているのですよ」
ゲップ攻撃を食らった顔を洗って部屋に戻ると、義姉がそんなことを言った。
王都でも……私たちのことが、噂に?
「ええと……それはどういう形で? それと、誰が広めたのですか?」
「心配なさらなくてもいいですよ。悪い噂ではなくて、あなたたちが協力してならず者退治をした、そうすることで愛が芽生えたのだ、という真実に基づいた噂です。わたくしや夫が調査した限り、尾ひれが付いているものや悪意があるものもなさそうですし、純粋に皆の憧れとして語られているようです」
「……そ、そうですか」
「ちなみに噂の発端は、社交界だそうです。どうやら、アレクシス様の元花嫁候補だった令嬢方が、積極的に広めたようで」
「ま、まさかあの方々!?」
義姉の話を聞いて真っ先に思い浮かんだのは、かつてわざわざリーデルシュタイン領までお越しになった六人のご令嬢たち。
私に求婚するとなり、アレクシス様は婚約者候補の女性たちの屋敷を全て回り、お断りの旨を告げた。
真剣に説明することでどの家からも了解は得られたそうだけど……その中でも六人のご令嬢は、実際に私の顔を拝んでみようと思い至ったようだ。
立て続けに六人の令嬢から観察されたし、しかもアレクシス様から公開プロポーズされた場にも居合わせて、たいそう乗り気の様子で応援された。
……あの方々が王都に戻り、ご自分が見聞きしたことを説明したとなれば、噂が広まった理由も納得できる。
それに社交界の皆様は「楽しい」ことが大好きだ。
最も盛り上がるのはゴシップネタだと言われているけれど、あまり上品な趣味とはいえない。
一方、実際の恋愛話を「憧れ」として言って回るのであれば、眉をひそめられることもないんだ。
……そ、そっか。私たちのことは、そんなに広まっているんだ……。
まあ、いい形で広まっているのなら文句はないかな。
兄一家は半月ほどリーデルシュタインに滞在するそうで、その間三人は主に、郊外にあるキルシュ家の屋敷に滞在していた。
そっちには母がいて、父も休みをもらって過ごしているそうだ。ただ私は経理の仕事でちょっと急がなければならない事案があったので、兄夫婦に断りを入れた上で城に留まることにした。
とはいえ、城から屋敷までの距離は馬車で半日も掛からない程度のもの。だから天気のいい日は、兄たちが城に遊びに来ることもあった。
「ごきげんよう、シェルツ子爵。ほら、エトムントもご挨拶よ」
「ごきげんよう、夫人。それから……エトムント殿」
義姉に挨拶するときは堂々としていたアレクシス様だけど、その腕に抱かれているエトムントの番になると、わざわざ腰を折って身長を縮め、エトムントを怖がらせないように頑張っていた。
今日はご機嫌がいいらしいエトムントは最初、ぱちくりとまばたきをしてアレクシス様を見ていたけれど……義姉に促されたアレクシス様がおそるおそる手を伸ばすと、その指をがしっと掴んだ。
「おお! これはなかなかの握力だ! 将来は、リヒャルトのような立派な騎士になるかもしれないな!」
「まあ、子爵からのお墨付きなんて、よかったわね、エッティ」
義姉にも言われて、エトムントはますます機嫌がよくなったらしくて――それまで掴んでいたアレクシス様の指を、ぱくりとほおばった。
「なんと、俺の指が離乳食に見えたのか!?」
「も、申し訳ありません、子爵! すぐにお手拭きを――」
「いや、構わない。……念のために手を洗っておいてよかった。エトムント、強い子に育ちなさい。君が成長するのを、俺は楽しみにしている」
わたわたとする義姉とは対照的にアレクシス様はからりと笑い、空いている方の手でエトムントの頭をそっと撫でた。
……その後すぐにアレクシス様は手を洗い、義姉が侍女に呼ばれたので私がエトムントの面倒を見ることになった。
面倒を見るといっても、アレクシス様にじゃれて疲れたようでうとうとし始めているので、抱っこしてあやすくらいだ。
もうすぐ一歳になる子どもは、結構重い。
でも椅子に座って胸に抱き寄せると、もぞもぞと体をよじらせて抱きついてきてくれた。
……可愛い。




