甘い反撃②
私の呟きを聞き、アレクシス様はふふっと笑ってテーブルに肘を突いた。
決してお行儀のいい仕草とは言えないけれど、アレクシス様がすると不思議と絵になる光景だ。
「ああ、君の好物だから奮発したんだ。……もちろん、俺個人の資金から出している」
「そ、そんな、もったいないです。……あれ? 私、ペラルタベリーが好きだって、言いましたっけ?」
ペラルタベリーは子どもの頃から好きだったけれど、高貴な方々が口にする食材ではない。当然アレクシス様が召し上がることもほとんどないだろうし、わざわざ話題に挙げたこともないはずだけど……。
するとアレクシス様はますます笑みを深くして、指先でご自分の口元をとんとんと叩いた。
「子どもの頃に一度だけ、俺とリーゼとリヒャルトで、もらいもののペラルタベリーを食べたことがあった。確か俺たちが八歳くらいのことだったと思うが、リーゼは口や手をべたべたにしながら食べていたんだ。おいしいおいしい、って言いながらな」
「なっ……! そ、そんなの覚えていなくていいです!」
「はは、それは難しい話だ。……恋しく思っていた女の子のことなんだから、覚えているに決まっているだろう?」
低くしっとりとした声で囁かれるものだから、思わず私はぶるっと身を震わせてしまった。
こ、恋しく思っていた女の子……。
それじゃあ、アレクシス様は八歳……私が五歳くらいの頃から、私のことを好きな子として認識してくれていた、ってこと……?
子どもの頃は身分の差とかアレクシス様のお生まれのこととかがよく分かっていなくて、兄と同じような接し方をしていた。
口や手をべたべたにしてペラルタベリーを食べるはしたない姿も見せたし、おんぶしてとねだったことも、兄含め三人でお昼寝をしたことも……。
羞恥やら驚きやらで私が何も言えないでいると、アレクシス様は笑みを深くして、ペラルタベリーを一粒手に取った。
「……当時の君にとっての俺は、リヒャルトと同じような存在だったのだろう。だが……俺は物心付いた頃から、君のことを意識していた。もっと喜ぶ顔が見たい、おねだりでも何でも叶えてあげたい。……これからもずっと、君の笑顔を見ていたい、と思っていた」
「……」
「だから、最初の婚約者との話が上がったときには……正直、かなりショックだった。俺は辺境伯の息子で、君は騎士の娘。幼なじみといっても身分が違いすぎて君とは結ばれないのだという事実を、はっきり突きつけられたようでな」
アレクシス様はそこで言葉を切り、ペラルタベリーを口に含んだ。ちまちまと食べていたために口や手を汁まみれにした過去の私と違い一口で食べたので、汁が出ることはなかった。
「婚約者にフられた後も、諦めていた。……だが、あの廃屋で君と背中を合わせて戦ってから、分かったんだ。俺は、こうして背中を預けられる人を妻として求めている。君を手に入れるためには、俺の方から動くべきなんだ、とな」
「……そうだったのですね」
「だから、リーゼが俺の求婚に応えてくれたときには……本当に、嬉しかった。二十一年間生きてきて、これほど嬉しいことはなかった」
アレクシス様はそう言うともう一粒、ペラルタベリーを選び取った。
でも、ヘタの部分を摘んだそれの向きを変えることなく、私の方にずいっと向けてくる。
「……え?」
「ほら、リーゼも食べるといい。先ほど食べたが、甘くてとても美味だった。リーゼも気に入るだろう」
「は、はい、ではありがたくいただきます……」
今年最初の収穫物で高値だっただろう、ペラルタベリー。アレクシス様の懐からお金を出してくださったとのことだから、しっかり味わっていただこう。
……そう思ってベリーの盛られている皿に手を伸ばしたら、すっとそれが遠のいていった。
そんなことをする犯人は、一人しかいない。
「……アレクシス様」
「それはだめだ、リーゼ。……これを食べなさい」
私の手の届く範囲から皿を遠ざけたアレクシス様は、相変わらずの笑顔だ。
彼が「これ」と呼んでいるのは――無論、その指先が摘んでいるペラルタベリー。
「……分かりました。では、お皿に置いて……」
あ、私の手元の皿まで没収された。
周りの給仕たちも、こっちの様子に気づいているはずなのに我関せずで、黙々と作業をしている。
……これは、いわゆる「あーん」の状態だ。
アレクシス様がお持ちになっているペラルタベリーを食べない限り、話が進まない……。
寄り目になりながらベリーを見てから、アレクシス様を見る。
美術品も裸足で逃げ出しそうな美しい笑顔を向けてきたので、ベリーに視線を戻す。
……恥ずかしいけれど、やるしかない!
テーブルに少し身を乗り出して、アレクシス様が摘むペラルタベリーに食いつく。すぐにヘタをくりっと回転させてねじ切ってくれたので、私も一口でベリーを口の中に入れた。
「……あっ、あまひ……」
「そうだろう? だがペラルタベリーは暖かい時季になればますます甘みが増すという。……今年の夏に入荷されるペラルタベリーはきっと、とろけるほどの甘さだろうな」
そんなことを言いながらアレクシス様は、没収した皿を戻してくれた。そしてご自分ももう一つベリーを口に入れて、「うん、甘い」と呟いている。
その余裕たっぷりのお顔を見ていると……なんだろう。
私の中で負けん気のような、対抗心のようなものが、むらっと湧いてきた。
ちょうど給仕が二人分のお茶を淹れて、ケーキも切り分けてくれた。今日のケーキはドライフルーツたっぷりのバターケーキ。
王都の高級菓子店で作られるバターケーキはふわっさくっとしているけれど、リーデルシュタインの伝統的な作り方だと生地が密なものが完成する。
……よし、これでいこう。
「バターケーキか。リーゼも……」
アレクシス様が、言葉を途中で切った。
なぜなら、アレクシス様の前に置かれたケーキの皿を、私が没収したからだ。
これにはさすがに給仕たちもはっとしたようだけど、当の本人であるアレクシス様はきょとんとしている。
私は小さなナイフを手に取ってアレクシス様のケーキを切り分け、フォークで刺した。
「はい、アレクシス様。あーん?」
私がフォークを向けると、アレクシス様はぽかんとしたまま、フォークに刺さったケーキと私を交互に見ていた。
ふふ……父も言っていたものだ。『護身用の剣術とはいえ、時には反撃も必要だ』ってね!
「あーん」をされたのだから、「あーん」で返す。これこそ正当なる反撃だ。
……まあ、一切照れず余裕の表情で私に「あーん」してくるアレクシス様だから、きっと涼しい顔で流されてしまうだろうけど。
……あれ?
「……んんっ!」
アレクシス様の頬が徐々に赤くなっていって……さっと横を向くと、口元を手で押さえてしまった。
え、もしかして、照れてらっしゃるの?
耳まで真っ赤で……え、えええ?
「あ、あの、アレクシス様……?」
「い、いや、気にしないでくれ。少し驚いただけで……。……よし」
大きく深呼吸してから、アレクシス様は私が差し出したフォークの先にぱくりと食いついた。
ケーキはなるべく小さめに切り分けていたしアレクシス様は口が大きいので、一瞬でケーキは消えていった。
私はおずおずとフォークを皿に戻して……向かいの席ではアレクシス様が、もじもじしながら咀嚼していた。
ア、アレクシス様が恥ずかしがるから、私まで恥ずかしくなってきた!
「あーん」しているときは、こっちも余裕でいられたのに!
しばらくの間、ガゼボには何とも言えない空気が流れた。さっきまでは私の方をじっと見ていた給仕たちも背を向けて、なにやら一生懸命皿を磨いているようだ。
……私たちの間に、会話がなくなった。
でも、意外とこの空気も嫌いではない。
まだアレクシス様が黙っているので、私はカップを手にして中の茶を一気に呷って喉を潤そうとしたけれど、思ったよりもまだ熱くて舌を火傷しそうになってしまったのだった。




