プロローグ①
幼い頃から、あの方は私の憧れだった。
日の光を浴びて柔らかく輝く金色の髪に、澄んだ緑色の目。
まるで、物語に出てくる王子様のように……いや、イラストの王子様なんかよりもずっと美麗なかんばせを持ちながら、騎士として鍛えた体は強靱で、うっとりするほどたくましい。
誰にでも優しい彼は目上への礼節を欠かすことがないのはもちろん、私のような目下の者に対しても傲ったりせず、同じ人間として接してくださった。
子どもの頃から、密かに育んでいた恋心。
でも、この恋が叶うことはないと分かっていた。
あの方は――アレクシス様は、リーデルシュタイン辺境伯のご子息。
私は、リーデルシュタイン騎士団長の娘。
偶然私の兄とアレクシス様が乳兄弟で、物心付いた頃から兄妹のように過ごしてきた。ただ、それだけ。
いつかあの方は、次期辺境伯夫人としてふさわしいご令嬢を妻に迎える。私はそのお姿を、遠くから眺めることしかできない。
でも、それでいい。
あの方が輝く姿を遠くからでも拝見できるならそれでいい、と思っていた。
十八歳の冬までは。
その日、父は辺境伯様やアレクシス様のお供として遠征に出ていた。
騎士団長である父が辺境伯様の護衛をするのはいつものことだから、いつ帰ってくるのだろうかと軽い気持ちで待っていた。
……でも、雪の降る夜中に私は母に叩き起こされ、急ぎリーデルシュタイン城の玄関ホールへ連れて行かれた。
そこで私を待っていたのは、血まみれになって横たわる父と辺境伯様、多くの騎士たちの亡骸と、血と雪解けの水でびしょ濡れになった状態で立ち尽くすアレクシス様だった。
「……よく聞きなさい、リーゼ。お父様は……アレクシス様を庇って、戦死なさったのよ」
震える声で言った母はその場に頽れて、慟哭を上げた。
……嘘だ。
そんなの、嘘だ。
父は、リーデルシュタイン騎士団の誇る最強の騎士だった。辺境伯様だって、国境を守る名誉を授かった貴族として、父と一緒に鍛錬を積んでいらっしゃった。騎士たちも勇猛果敢な人ばかりだったのに。
城の人間たちが慌ただしく行き来する中、アレクシス様は呆然とその場に立っていた。目を見開き足元に横たわる亡骸たちを見つめるそのお顔からは、一切の表情が窺えなかった。
本当なら、幼なじみというだけの私がアレクシス様に声を掛けるなんて、とんでもない。
でも、今のアレクシス様を放っておくことはできなくて、私は彼のもとに向かった。
「アレクシス様……」
「……リー、ゼ」
ゆっくりと顔を上げたアレクシス様が、光の失せた緑色の目で私を見てくる。
私が恋い慕っている人が、うちひしがれている。
彼が被っている赤と黒は……きっと、父たちの血だ。
「アレクシス様には、お怪我はございませんか? ご無事ですか……?」
歩み寄って、手を伸ばす。
せめて、アレクシス様の御身だけでも無事であれば。
そんな気持ちで伸ばした手だけれど……はっと目を見開いたアレクシス様が、私の手をパンッと叩き落とした。
その音は存外大きく響いた。玄関ホールを走り回っていた使用人たちも一斉に動きを止めて、怖々とこちらを見てくるのが分かった。
手を叩かれた私は呆然として、アレクシス様を見ていた。
アレクシス様は私を見下ろすと背を向けて、歩きだした。
彼の歩いた後のタイル床には、薄赤色の足跡が点々と続いていた。
すぐに辺境伯様たちの葬儀が執り行われて、唯一の子であるアレクシス様が辺境伯の座を継がれた。
葬儀の間は抜け殻のようにぼんやりとしていたアレクシス様だけど、爵位を継ぐなり行動に移った。
彼がまず行ったのは――辺境伯様ご一行を狙った者たちの、追跡。
どうやら一行は視界の悪い雪降る夕暮れ時に森の小道を行軍していて、背後から急襲を受けたそうだ。
盗賊……にしては洗練された動きで、躊躇うことなく辺境伯様の乗る馬車を襲撃してきて、辺境伯様は抵抗する間もなく斬られた。
父はすぐに、アレクシス様の乗る馬車に向かった。そこも既に襲われていて、アレクシス様が必死に応戦していた中に飛びこみ――アレクシス様を庇って、胸を貫かれたという。
その他にも大勢の死傷者を出しながらも騎士団は応戦を続け、騒ぎを聞きつけた商隊が駆けつけて襲撃者たちが逃げるまでの間、アレクシス様を死守することに成功した。
でもその場ではとにかく安全確保して撤退するしかなくて、襲撃者たちを追うことはできなかったそうだ。
――アレクシス様は騎士団を率いて出陣して、一ヶ月もしない間に全てを終わらせて帰還なさった。
襲撃者たちは、リーデルシュタイン辺境伯領の南端にある森にアジトを構えていた。
襲撃してきたのは盗賊上がりの連中で、彼らを締めた結果浮上した主犯は――アレクシス様の従叔父にあたる、デュルファー男爵だった。
男爵は領地を持たない貴族で、亡くなった前辺境伯様とは祖父母を同じくしている。
どうやら前々から虎視眈々と辺境伯の座を狙っていたようで、前辺境伯様とアレクシス様を殺して辺境伯の座を自分の一族に継がせようとしたようだ。
――アレクシス様はアジトを壊滅させて、男爵の一族を皆殺しにして帰ってこられた。
私は見ていないけれど……出迎えた騎士曰く、血まみれで帰城したアレクシス様は狂ったような笑顔で、男爵の頭部を小脇に抱えていたという。
アレクシス様は、復讐を果たした。
男爵には咎があったので、貴族が貴族を殺したとしてもアレクシス様は罪に問われなかったけれど――それまではアレクシス様の妻の座を狙っていた令嬢たちが、一人残らず去っていってしまった。
血にまみれた、復讐の鬼。
父親の仇を取ってもなお、デスクワークを家臣に丸投げして辺境での戦いに身を投じるアレクシスと添い遂げようという女性は、いなかった。
このままでは、辺境伯家が断絶してしまう。
悩んだ家臣たちは――私に、白羽の矢を立てた。
「リーゼ様は、アレクシス様の幼なじみでしょう。あなたなら、アレクシス様に寄り添うことができるはず」
「どうか……辺境伯領の未来のため、アレクシス様のもとに嫁いでください。そして、次期辺境伯となる男児を産んでください」
私よりずっと偉くてずっと年長の人たちが、私の前でひれ伏している。
それくらい、彼らは困り果てていた。
私は、悩んだ。
今のアレクシス様は、確かに恐ろしい。私が声を掛けても返事をなさらないし、視線も合わせない。
でも……微かな期待が、胸にあった。
アレクシス様がどんな姿になろうと、あの方は私の永遠の憧れ、初恋の人。
どんな形であれ、あの方と添い遂げることができるのなら。
妻として、隣に立つことができるのなら。
……母も王国騎士団で働いていた兄も、私を止めようとした。でも他ならぬ私本人が承諾したことで、一気に話が進んだ。
私は家臣たちに連れられて、アレクシス様の部屋に参上した。かつてはきちんと整えられていたそこは、荒れ果てていた。
家臣たちが、アレクシス様に事の次第を伝える。かつては優しい笑みを向けてくれたアレクシス様は落ちくぼんだ目を私に向けて、ぎり、と歯ぎしりをした。
「……結婚? 俺が、リーゼと……だと?」
「はい。リーゼ様もご了承なさいました」
「……。……他の候補は?」
「前にも申しましたように、全員辞退なさって……」
「……」
アレクシス様はじろりと私を睨むと、ちっと舌打ちをして椅子から立ち上がり、私たちに背を向けた。
「……仕方がない。婚儀の仕度を進めろ」
「はい、すぐに」
「……あ、あの、アレクシス様。私、あなたを支えられるよい妻になります!」
私は背伸びをしてそう言ったけれど、アレクシス様の背中は何の返事もくれなかった。
気を利かせたらしい家臣の一人が手の動きで、「下がりなさい」と示したため、私は一礼して部屋を後にした。
「……リーゼとだけは、結婚したくなかった」
そんな、アレクシス様の呟きを背に受けながら。