今この瞬間のために生きている。
与えられた責務に対し疑問を抱いたことなんて1度としてなかったし、おそらく死ぬまで、俺はあの子の問い掛けに「そういうもんなんだ」としか返せないのだろう。
……それが何だか、どうしようもなく、虚しさにも似た感情を覚えさせるけれど。
「お帰り、師匠。今日の成果はどうだった?」
出先から戻った直後。
青みがかった灰色の髪と目を持つ少年に出迎えられて一瞬言葉に詰まる。
数日前まではこうして自分を出迎える存在などいなかったから慣れていないのだ。
「別に。いつも通りさ」
答えた自分の声が思った以上に素っ気ないものとなって、頭を抱えたい衝動に駆られた。
……違う。違うのだ。いや、何も違わないが。
意味のない葛藤を抱える俺とは裏腹に少年は気にした様子もなく「流石だね」と。
何も分かっていやしない。
「ねぇ、いつになったら僕も一緒に狩りに行けるようになる?」
「当分先に決まってるだろ」
「えーっ!」
剣も弓もロクに扱えないガキが文句を言うんじゃねぇ。
「僕、結構筋は良い方だと思うんだけどなぁ」
「筋が良いだけじゃダメなんだよ」
「逃げ足も速い」
「猫に勝てるようになってから言いな」
ちぇ、と少年は唇を尖らせた。
飯の準備をするから手伝えと話題を逸らせば、ころっと表情を変えて「もう済ませてあるよ」なんてことはないようにそう返してくる。
……大丈夫か?
ここにやって来るまでは料理の『りょ』の字も知らなかったようなガキが1人で作ったと聞かされて疑いを覚えない大人はいないだろう。
まともな料理が出てくる保障もない。
食べられる代物ならそれだけで及第点。
見たところ怪我をしている様子はないし、何かが焦げたような匂いもしてはこないが。
ダイニングへ移動するとそれはもうご立派な冷製パスタがレタスとトマトの簡易なサラダと共にテーブルの上で今か今かと食べられる瞬間を待っていた。
「師匠の口に合うかは分からないけど、料理はやっぱり、少しくらいは凝ってる方が良いかなって」
俺の作った大雑把で大味な料理では満足できなかったらしい。
生意気で、呆れるくらい『筋の良い』ガキに何も言い返せなかった。
……俺も、俺を師匠と仰ぐ少年も、生まれは街一番の商家だ。
血筋で言えば俺は当主の実兄。
少年は当主の息子。
つまり、身元知れずの浮浪児や奴隷商から買い付けた奴隷などではなく、可愛い可愛い甥っ子を預かってその面倒を見ているという訳だ。
商家の人間がどうして狩人なんてしているのかと聞かれたら「そういう家で、そういう役回りだったから」としか答えようがない。
先祖代々受け継がれてきた習わしで。
とある魔女に薬の素材や珍品を納品する代わり、商家としての繁栄の加護を賜る。
そういう家で、納める品を集めるための狩人という立場を任された。
そういう役回りだったのだ。
誰かや何かを呪ったことなんてないけれど、疑問を抱けば、きっと俺は俺に与えられた運命ってやつを呪っただろう。
そんな役回りを引き継ぐ甥っ子がこれから何を思い、どう育つか?
……俺の知ったことではないね。
どうでもいいと、感傷を嫌ったのは一種の防衛本能ってやつだった。
ただ、家に帰れば俺が今に至るまでに培った技術の全てを教え込む。
先代がそうしたように、俺は筋の良い少年を自身の後継者として育て上げる。
魔女に納める品というのはおおよそが手に入れるのに苦労するものばかりで、伝説の幻獣相手に大立ち回りを披露しなきゃならなかったり、落ちたら即死の断崖絶壁に挑まねばならなかったり、と。当然のように命を賭けることを求められるのだ。
柔な鍛え方じゃ1週間と保たない。
何なら1日であの世行き。
「師匠はさ、逃げ出したいとは思わなかったの?」
リビングの床に座り込んで武器の手入れをしていると藪から棒に尋ねられた。
横からこちらの手元を覗き込んでいる少年を振り返ることはしない。
「何からだよ」
「狩人の仕事から」
「さあな」
他に答えようがなかった。
「狩りに出たまま帰って来ないことだってできたでしょ?」
「そりゃあ、何か。俺に死んで来いって意味か?」
「違うよ! そうじゃなくて」
「出先で死ぬ以外に帰って来ないままでいる理由なんてねぇだろうが」
俺の家はここで、帰るべき場所もここ以外にはないのだから。
少年は納得のいっていない顔を見せる。
……商家としての繁栄の加護を賜るため、なんて言いはしたがその実、魔女から呪われることを恐れているだけなのだ。
関係を断つことで魔女の機嫌を損ねはしないかと。
だから、狩人という立場は必要不可欠でありながらも忌み嫌われている。
与えられた役割を全うしたところで誰も喜んではくれないし、負い目からか恐れからか、目も合わせてもらえなくなる始末。
何故、俺は狩人であり続けているのか。
「分からないよ」
「そういうもんなんだよ」
理屈ではないのだ。
「でも僕、師匠が幸せそうにしてるところを見たことがない」
納得のいっていない顔のまま、一丁前に人の心配をしていやがるらしい。
思わず鼻で笑ってしまった。
「ガキにゃあ分からねぇさ」
そう言いながら、誤魔化しただけの俺自身もまだまだガキってことなんだろう。
◇
何やかんやと、面倒を見ている間に少年が青年となるのはあっという間だった。
すっかりスレちまって可愛げの欠片もねぇ。
面白みもクソもねぇ。
無愛想な男がまた1人増えたって訳だ。
「お前、今年でいくつになる?」
「……18だけど。それが?」
「へぇ、18か」
青年の問い掛けには答えず鸚鵡返しに繰り返す。18か。
いつかの俺のようにリビングの床に座り込んで武器の手入れをしていた青年がチラッとこちらに視線を寄越すので「武器見てろ」と注意を入れる。
「声を掛けて来たのはそっちだろ、たくっ……」
ボヤかれたが無視だ。
近くのソファーに腰掛けている俺はグラスに注いだ水を煽りながら思い返す。
……先代が俺にやたらと豪勢な料理を振る舞ってくれたのも18の頃の話だったか。
誕生日でもねぇのに何の祝いかと不審に思って尋ねはしたものの、結局理由は教えてもらえなかった。
気恥ずかしさで言葉に直すことができなかったのだろう。
今の俺がそうだから、多分おそらくきっと。
理由なんてなかったのだ。
ただ不意に、感慨深くなって、その成長を祝いたくなった。
衝動的に、そうしたいと思ったから行動に移しただけだなんて言える訳がない。
そうやって、自分自身さえ誤魔化して。
教え子の未来から目を逸らして。
聞けるはずもない問い掛けを酒と一緒に呑み込みたかった。
……お前は逃げなくていいのか、なんて。
逃げ出したところで行く先はない。
その事実を嫌になるくらいよく知っているというのに、聞けるはずがない。
それでも思ってしまうのだ。
この子なら俺とは違った道を歩めるのではないか。
そうした方がこの子のためになるのではないか。
期待。希望。幼き頃の夢。
俺自身の勝手な願いを押し付けそうになる。
「……あんた、まともな料理も作れたのか」
手の凝った料理をいくつも作って食卓に並べると生意気な教え子は胡乱気な視線を寄越しながら、まず真っ先にそう言った。
「あ? 俺の料理はいつだってまともだろうが」
「いつもは火を通して終わりじゃないか」
「食えるんだから『まとも』だろう」
食に拘りを持ってられるのなんて若い内だけだ。
食えるだけで及第点。
「……どういう風の吹き回しだ?」
「別に。何となくだよ、何となく」
「気味が悪い」
「うるせぇ、食わないなら捨てるぞ」
本気で捨てる気で言えば「食わないとは言ってないだろう」と青年は慌てて席に着く。
……まったく素直じゃねぇ。
しかし、いざ食べ始めると、それまでに抱いていた疑心はどこへやら。子供の頃に返ったかのように目を輝かせて次から次へと俺の作った料理を頬張るから愉快なもんで俺は呵呵と笑った。
「……なぁ、本当に何だったんだ?」
余韻に合わせ、ゆっくりと食べる速度を落とした教え子からの問い掛けを噛み締めるように、俺は酒を煽りながら答えた。
「さあな」
「あんたがそんな風に笑うのも、酒を煽るのも、今までになかったことじゃないか」
「ただの気まぐれだよ」
嘘は言っていない。
だが青年は納得のいっていない顔を見せる。
……なあ、先代。あんたが俺を見ていた時もこんな気持ちだったのか?
昔の自分を見せられているかのような懐かしさと、けれど、けして自分ではないという事実が切なくも眩しい。
「俺は俺の思うままに生きてる」
ああそうさ。
「お前も好きに生きろよ」
「……なんだよ、いきなり」
「別に。何となくだって、初めに言ったろう」
俺の言葉に教え子が何を思ったかなんて知ったことではない。
ただ、ハタから見りゃ、損な役回りを押し付けられた不幸で不自由な男のように見えるかもしれないが俺にとっての幸福はこの家にある。
この瞬間にある。
だから、帰ってくるのだ。
ここが俺の帰るべき場所と言えるのだ。
そういうもんなんだって、他の言葉では言い表すことのできない自分に、もどかしさや不甲斐なさを感じはするけれど。
例え胸にある思いを上手く言葉に直すことができたとしても素直に口にはしないだろうけれど。
俺は確かに、この家で、教え子と過ごす時間のために生きている。