第5話 愛、それは狂った毒の蜜
賢人が2階の自室に戻ると、窓ガラスが割られて机の上に破片が散乱しており、ベッドの上でアワアワしている亜里沙の姿を見つけた。
「あ、い、いや、違うの。別に泥棒しに来たんじゃなくて、えーと……」
「いやいや、この状況で泥棒だったら逆に驚くわ!
取り敢えず落ち着け。何があった? ボロボロじゃないか」
「えっとね、20分前くらいにE1地区って場所の公園のベンチで目が覚めたんだけど、近くの巨大な穴からゾンビが湧き出てきてたから……ゴホッ……恐くて逃げたの。
そしたら突然、賢人の叫び声がこの家の中から聞こえてきたから取り敢えず合流しようと思って……」
「巨大な穴か……了解、何はともあれ無事で良かった。
さあ、いつまでも再開を喜んでる訳にはいかないぞ。
今、家の外にはどれ位のゾンビがいる?」
「ここら辺は特に数が多いみたい。
フィールド全体で10000体しかゾンビはいないみたいなのに、E1地区とD7地区の間に大体2000体くらいは居そうだったもん。
その内の500体くらいが今この家の周りを囲んでる」
「そん……な……それは、マズい。
多分だけど、ゾンビの発生スポットってのが各1地区にあって、少なくともE1地区では初期配置として2000体のゾンビが発生したんだろう。
500体か……多すぎるな。ゾンビの強さってどのくらいだ?」
「個々としては、動きは鈍いし階段を上るのが極端に苦手みたい。だからこそ今こんなゆっくり話せてるわけなんだけどね。
でも、全員が軍服みたいなのを着てたし、何となく訓練されてる動きだったから、集団だと連携してくるかも。彼等は生前、何処かの国の軍人って設定なのかも」
賢人は暫くの間、ぶつぶつ呟きながら解決策を模索したが、うなだれて椅子に寄りかかった。
「……残念だけど詰んだ。どんなに策を弄したとしても一般人2人がこのゾンビ地獄の中で助かる方法なんて1つも考えつかない。周りに屋根伝いに移動できそうな家も無いし。終わりだ」
悲痛な表情の賢人に引きずられるように亜里沙の顔が歪んだ。
「……そう。賢人がそう言うなら、本当にどうしようもないんだね」
2人の間に重い沈黙が落ちる。このままだと、数分後には確実に2人とも死ぬのだ。
「ああ……死にたくない。やっぱりこのまま、何も分からず死んでいくのは嫌だ。
所詮、一般人が押し寄せるゾンビを倒すなんてのはフィクションだけの話だよなぁ。
……やっぱりこれもスパイの仕業かな」
「……スパイ?」
賢人は諦観しきった様子で話し始める。
「うん、どうせ俺はもうすぐ死ぬだろうから……最期にこの話をしとこうか。
さっきヘルプで確認した事なんだけどな? 俺らが祭壇のある部屋から飛ばされた時のことは覚えてるか?」
「……うん、ちっちゃい女の子がぶつぶつ何かを言ってたよね?」
「うん、あれは【箱庭創造】っていうハルスの異能なんだけど、あれの発動条件は対象者が能力者と同じ部屋にいることなんだ。
しかも、対象者を選択する時はさらに条件を指定しないといけない。
あの時の指定条件は、『この部屋の椅子の上に接着している個体』だ。
あの時この条件を満たしていたのはクラスのメンバーしかいなかった。
でも、フィールド全体の能力者数が3になってたろ? 新たに能力者になったのは2人しかいなかったってのに。
極めつけは初めて会った時の言葉だ。『殆どの皆さん、はじめまして』ってね。
あの時はアイリスと知り合いだからこんな挨拶になるのかと思ってたけど、明らかに俺らに向けて話しかけてたし。
もし俺らに向けて挨拶するなら、『皆さん、はじめまして』じゃないとおかしいだろ? だって全員がハルスとは初対面のはずなんだから。
だから俺の推理によると、元々奴等の仲間で異能を持っていた奴が地球に来てクラスメイトとして俺達の中に溶け込み、まんまと召喚を成功させてここまで来たんじゃないかと疑っている訳だ。
ここまでは分かるか?」
亜里沙はゾンビが近づいて来る恐怖で身体を震わせながらも、真摯に賢人の話を聞こうとしている。
が、よく分からず首をひねった。
「うーん、うん? でも、どうやってその人は地球まで来たんだろう。
それに、それは決定的な証拠でもないでしょ? 単にハルスっていう人が言い間違えただけとか、昨日の時点で他の能力者がクラスメイトになりすましたりとかしてるのかも」
ゾンビがリビングのガラス戸を割ってなだれ込んでくる。
そうした音をBGMに、二人は話し続けた。まるで会話が終わる時が彼らの最期であるかのように。
「どうやって地球に潜入したかは分からないさ。俺にだって分からないことはたくさんある。
でも、言い間違えは恐らくだが、ない。
小説の設定では、ハルスは【絶対契約】の力に縛られていて嘘が付けなかった。だから多少不自然でもああ言わざるを得なかったんだと思う。
それに、クラスメイトになりすますっていうのも多分有り得ない。
俺の知ってる異能に該当するものがない。現実的には、だけど。
もしそれが成功するとしたら【睡眠憑依】を使った時だけだと思うけど、それは今メニューに商品として載ってるからね」
「うん、ゴメンね。賢人が一番いろんなことを考えてくれてるのに、私どうしても信じたくなくて……ゴホッ……
だって、みんなはこれまで一緒に努力してきたクラスメイトの仲間だったから……
確かに良い人とは言えないような人達だって居たけど、だからってこんな事されて死ぬべき人間は一人もいなかったはずなのに……」
「……あぁ、済まない」
賢人はうなだれつつも謝罪の言葉を口にした。
「……なんで賢人が謝るの? 何も悪い事してないのに」
「多分奴等の目的は俺だったんだ。みんなは恐らく、ただそれに巻き込まれてしまっただけなんだよ。俺が、俺がみんなを巻き込んでしまった」
「それは違うよ!
確かに私達は全員、異世界召喚に巻き込まれたわけだけど、彼等の目的は賢人だけじゃない。元から私達全員よ!
だって賢人だけが目的ならこんな大掛かりな仕掛けはしないし、ビジネスホテルのような設備も用意しない。
もし私達が巻き込まれなくても、別の誰かが巻き込まれてた。そうでしょ?
私は……少なくとも私は、賢人と知り合えて、命を助けてもらって、仲良くなって……とても幸せだった。
だからたとえどんな目に遭っても、自分を不幸だなんて思わない!」
そう亜里沙が顔を真っ赤に染めて叫んだ瞬間、賢人はこれまで一人で抱えていた、自己嫌悪の圧迫感が少しだけ軽くなった気がした。
それと同時に、今までは唯の幼馴染だとしか思っていなかった亜里沙に対して、どうしようもなく愛しいと思い始めた。
「あぁ……ありがとう、亜里沙。その言葉だけで俺は、救われたよ。」
「ふ、ふん! 感謝しなさいよね…………あ……ゾンビがもう2階に来たみたい……これから、どうするの?」
賢人は亜里沙の質問に対して呆気にとられた。
話を聞いていなかったのか、と。
「いや、だからもうどうしようもないんだってば。窓の外を見てみなよ。ゾンビ、ゾンビ、ゾンビだ。2人して逃げ切れるもんじゃない」
焦ったような様子の賢人に対して、亜里沙は冷静だった。
「生き残る秘策、あるんでしょ? 」
賢人の動きが、止まる。
そして諦めたように乾いた笑顔を向けた。
「……2人とも生き残る策は無い。だから、亜里沙だけは生き残ってくれ。安心しろ、俺の言う通りにすればゾンビくらい蹴散らせるようになるさ」
賢人は自身にもうすぐやってくるであろう死への恐怖を見透かされないように精一杯の笑顔を振り絞ってそう言ったつもりだった。
が、亜里沙は賢人の言葉に対して静かに首を横に振ると、優しくこう言った。
「バカね、本当バカ。ギリギリまで粘って、私だけが生き残る選択肢を提示して強引に承諾させようとしたんでしょ。
悪いけど……ゴホッ……騙されてはあげない。どうするのか知らないけど、1人ならなんとかなるんでしょう?
貴方なら、本当はどっちが生き残るのが最適解かなんて分かってるはず。
ウォーターグラウンドについて知識を持ってるのは貴方しかいないのよ? 賢人以外にこの世界の真実を追求できる人なんて多分存在しない。
それに……この身体じゃ、私だけ逃げても生き残れないわ」
そう言いながら亜里沙は上着を脱ぐ。彼女は血塗れのシャツを着ていた。
賢人の目が驚きで見開かれた。
「なっ、どうしたんだ、その傷は!」
「逃げる時にしくじっちゃってね。なんとなく分かるの、もう私は助からない。
だから……ゴホッ……賢人が私の代わりに見つけ出してよ、どうしてこんな事が起きたのか、なんで私が死ななきゃならなかったのか。
どうするのかは知らないけど、私が死ねば賢人はゾンビ共を蹴散らせられるんでしょう?
早くその方法を教えて? ほら、もう部屋のドアを叩き始めてるから」
「無理だ! 亜里沙じゃないと……」
「ふふっ、何年一緒に居たと思ってんの? 昔から、人を護る為のウソばっかりつくんだから」
「……い、嫌だ!! せっかく……せっかく、亜里沙のこと! 大切にしようって! 自分のせいで死なせたくないって! そう思ったってのに!
……俺が!俺が最期まで亜里沙を護る!!護るから……ひっく……頼む、生き残ってくれ……」
亜里沙は賢人の頭を優しく撫でながら、
「うん。うん。誰だって、こんなところで死にたくないし死なせたくないのは一緒だよ。でも私は、その言葉が聞けただけで充分。
ありがとう、賢人。大好き。生まれ変わっても、きっとまた貴方を愛するわ……」
「……ぐすっ……俺も! 亜里沙のことが大好きだ!
うん。……わかった。わかったよ。
亜里沙を殺す。
ごめん、ごめん……もっと生きたかったよな? 死ぬのは恐いよな?」
「うん。でも私ね、昔賢人に命を救われた時から、これからはこの命を貴方を護る為に使おうって決めてたの。
貴方を護って死ねるならそれは本望。
絶対、この異世界召喚には何か裏がある。それを暴いて、出来れば他のみんなを助けてあげてね。
貴方に、世界の命運は託したわよ」
「あぁ、お前の仇は絶対に討ってやる。この命はお前の願いの為に使う。だから安心して……死んでくれ」
「うん!……最期にもう1回だけ言わせて……
私は賢人のことが……大好きでした」
亜里沙は泣きながらも賢人に心配させないように笑顔で告白し、賢人は無言で亜里沙の元に駆け寄って抱き締めながらキスをした。
しばらくして賢人は顔を離すと真剣な表情で亜里沙にその方法を伝える。
荒唐無稽な内容だったが彼女はなんの疑いもなくその言葉を信じた。
そして2人は再び、いや、最期に今度は賢人を生き残らせる為にキスをする。
「……亜里沙、いくよ?」
「……ん…んぅ……いいよ」
次の瞬間、賢人は台所から持ってきていたアイスピックを自分ごと亜里沙の心臓に突き刺した。
「ゴフッ……勝手に死んだりしたら……あぁ、きっと、許しちゃうなぁ……」
2人は折り重なるように倒れ込むと、そのまま動かなくなった。
『異能【時間操作】の取得条件を満たしました!
取得条件:異性とキスをしながら相手の同意を得た上で自分ごと相手の心臓を貫く』
「……ふう、こんな取得条件、もし知ってても本当にやるやつは気が狂ってるな」
亜里沙の死体と賢人の血で真っ赤に染まったベッドの上で長い間虚空を見つめ続けた後、賢人は自嘲気な笑みを浮かべた。既に自身の傷は異能を得ると同時に修復されている。
「ま、でも成功して良かった。結局、上手くいくか賭けになっちまったからな」
そう、異能を既に取得したクラスメイトはこうした取得条件を満たしていたんじゃないかと賢人は推理していた。それが当たった形だ。
「うん、だとすると……取得したクラスメイトにも心当たりがある。探しにいこうかな?
……ん? あぁ、お前らまだいたの。お前らのせいで亜里沙が……いや、もういい」
そう言いながら賢人はゾンビ達がガチャガチャしていたドアを開け、そっとゾンビの額に手を当てた。
すると、今までアウアウ言ってたゾンビはそのまま固まって動かなくなった。そしてあっという間にボロボロに崩れていき、砂になった。
「うんうん。使い方も分かるし、便利だねぇ、【時間操作】。なにげに無詠唱で使えるのがポイント高けぇよな!」
賢人は泣きそうになる顔を軽口で必死に抑えながら、一旦部屋に戻って亜里沙の死体を丁寧にお姫様抱っこして、ゆっくりと階段を降りていった。
「ちゃんと墓、作ってやるからな」
彼の原動力はいまや、亜里沙との約束を果たすことしか残っていなかった。