第2話 月の導き故トモガラは踊る
(あぁ、面倒な事になった。)
アイリスが教室から出て行き、にわかに騒がしくなった教室の中で賢人は密かに嘆息した。
ふと周りを見渡してみると、血塗れで気絶している女子が2人、その場で崩れ落ち放心したり吐いたりしている生徒が数人の他、先程までの恐怖心を誤魔化すように大声で話し始める奴等もいる。
そして誰もが先生の死体を見ようとはしない。
この混乱の中で冷静なのは賢人を含めてほんの数人しかいなかった。
特に今の状況で話す相手もいないため賢人はすぐにドームへ向かおうとしたが、さっさと行こうと踏み出した彼の足は学級委員長の言葉によって阻まれた。
「み、みんな取り敢えず落ち着こう! 教室の前は血塗れだから、机を退けて後ろに集合して」
「けどよ、委員長、こんな状況でなにをするって言うんだ?」
そう答えたのは学校の中ではちょっとした不良グループのリーダーだった、坂本 栄司である。
詳しい話は省くが、彼は1年程前から賢人に様々な嫌がらせをしていた。
賢人と殆ど接点は無かったはずだが、何故か目の敵にしているのである。
そんな彼ではあったが、流石に異常事態においてまで諍いを起こす気は無いらしい。
「そ、それは……取り敢えず集合してから考えよう!」
委員長、香坂 慎平も平静を装ってはいるが、どうやら先ほどの光景が余程ショックだったのか未だに混乱が抜けきっていないようだ。
だが彼の無駄に威厳のある顔立ちのおかげか、他の生徒達もその言葉を受け、放心しながらも、気絶している2人を除いた38人は教室の後ろ側で話し合いを始めた。
「僕も未だに状況がよく飲み込めた訳じゃないけど……
と、取り敢えず、明日にはこの中の数人しか生き残れないって事でいいんだよね?
実際に、田中先生は殺されちゃった訳だし」
「うっ、おえぇ」
先生が爆散した光景がフラッシュバックしたのか、1人の男子生徒が堪りかねたように嘔吐する。
「ひっ、もう嫌だ! 俺は死にたくない!」
居なくなったアイリスに怯えているのか、教室の隅でうずくまる別の男子生徒。
「私だって死にたくないわよ! ぐすっ、うぇーん」
委員長の発言で放心状態から現実に戻ってくると、途端に不安の声を上げて騒ぎ始める生徒達。
なにせ明日にはこの中の殆どが死んでしまうというのだ。パニックに陥るのも無理はないだろう。
「あー、委員長、悪いんだが……血塗れの奴等とか気絶してる奴等もいるし、2時間後に再集合する事にして一先ず解散しねーか?
女子達なんてみんな顔が真っ青だし、こんなパニック状態じゃ話も進まんだろうから一旦落ち着いて各自状況を整理しよう」
そう言い出したのは剣道部の部長、火野 孝行である。
彼は身体能力が高いだけではなく、頭も良いのだが、坂本のせいでクラスの中で孤立気味の賢人にすら気さくに話しかけるような人格も良くできた人間である。
火野の言葉によって初めてこの場の状況を冷静に見る事ができた委員長は彼に同意し、一先ず皆でドームに向かう事になった。
アイリスが出ていった教室の扉を委員長が緊張しながら開いてみると、そこには高校の体育館3つ分くらいの大きさのドームが隣接していた。
その中を全員で恐る恐る確認していくとビジネスホテルのようなシャワー、トイレ付きの部屋が40部屋、大きな食堂等が確認できたので、2時間後にこの食堂で集合することになった。
賢人は皆と別れた後、割り当てられた個室のベッドに腰を下ろすと、すぐに一連の状況について考え始めた。
しばらくすると、突然ノックの音が彼の部屋に響く。
「誰だ?」
「私だよ、矢野 亜里沙、ちょっといい?」
「ああ、ちょうど良かった。とりあえず入れよ」
矢野 亜里沙は賢人が1年程前にふとしたきっかけで命を救って以来、彼に好意……もはや信仰と言っても良いほどの好意を抱いている幼馴染だ。
賢人は彼女を隠し事をする必要の無い、ただの良き理解者だとしか思っていないが……
とりあえず賢人は彼女にこれまでに感じた違和感を話した。
「今のところ突然の異世界召喚でかなり戸惑っているわけだが、ちょっとおかしくはないかね、亜里沙くん?」
「そう? 私は全然訳わかんなくてちょっとどころじゃないんだけどね、あはは……」
「うん、まぁこの際異世界召喚の事は置いとこう、どうやら開発者とか言う奴が犯人みたいだし……
まずおかしいと感じたのは奴等の使う言語とこのドームだ。
明らかに奴等は日本語を話してる。初めはチート能力で勝手に現地語が日本語に翻訳されるご都合主義的展開なのかと思ったが、アイリスの口元を見る限りそういう訳じゃなさそうだ……
そして教室とドーム。
ここは月だぞ?
教室はまあ地球から召喚されたんだとしても、教室の空気はなんで無くならない?
このドームはどこから持って来た? 空気はどう循環させてる? これだけの設備を用意するのにどれだけの労力と資金と資源がかかる?
しかもこの設備、どう見たってビジネスホテルそのままじゃないか。このベッド、机、椅子、シャワー、普通に考えて俺らの世界を知らないとこんな物は作れないよ。
……ここまでは分かるよね?」
「うん、確かに言われてみればおかしいよね、アイリスっていう人も日本について知ってそうだったし」
「そう、つまりは奴等の中に日本人がいる。間違いない。そして俺はそれが開発者なんじゃないかと思う」
「どうして?」
賢人は少し思い悩んだ末、とある秘密を亜里沙に打ち明けることにした。
「……そりゃあ、開発者っていうくらいだ。
この世界を開発したんだろうよ、奴好みにさ。
だから奴等は日本語を話すし、おそらくだが、ウォーターグラウンドは微妙に日本文化が混ざった中世ヨーロッパ風味のファンタジーだろうね」
その言葉に亜里沙は驚く。
当たり前である。彼の発言は意味が分からないのだから。
「えっ!? なんでそう言い切れるの?」
困惑した表情の亜里沙に対して賢人は諦めた様な笑顔で言った。
「アイツ、この世界の事を『ウォーターグラウンド』って言ってたろ? まずこれ、和訳してみな?」
「え? えぇっと……水の大地? ……!? まっ、まさか!」
「あぁ、水地。俺の名字だ。
どうやら開発者ってのは俺の父さんの可能性が高い。
俺の父さんが10年前に失踪したのは知ってるだろ?
父さんの書いた小説に『ウォーターグラウンド』ってのがあった。
ジャンルは異能バトル系ファンタジー。
父さんはこの小説を書いてる途中で行方不明になったから、きっと俺達だけじゃなくて父さんもこの世界に飛ばされたんだ。
恐らくこの世界はその小説を基に父さんがなんらかの力を手に入れて創り出した世界なんだろう。
この月の施設もその力で作ったんだ、きっとね」
「く、苦しいかもしれないけど、偶然の一致って線はないの?」
「いや、そもそもその小説の中に異能力者としてアイリスという人物が出てくるしな」
「………………」
亜里沙は絶句した。
いつもは冷静な賢人ですらもこの事を思い出した時は心臓が止まる心地がしたのだからそれも仕方ないことではあるが。
「そ、それで賢人はこれからどうするの?」
「決まってるじゃないか、こんな世界を作って俺らを振り回してる父さん達を止めて、きちんと罪を償わせるさ。
既に先生が殺されてるんだ。多分明日からはもっと大勢が殺される。
でも、ここは月だ。父さん達を止めるにはウォーターグラウンドに行かなきゃいけない。
だからまずはそれまで生き残る必要があるな。
あ、この話、周りに知られるとマズイから秘密にしとけよ? この事件の犯人として槍玉に挙げられたらマズいからね」
いきなり訳の分からない状況に放り込まれて不安が爆発しそうだった亜里沙だが、その不安が打ち消されそうなほど賢人から秘密を打ち明けてもらえたことに対して嬉しく思い、満面の笑みを浮かべた。
「分かってるよ、賢人が不利になる様な事は絶対にしないんだから。ふふ、2人とも生き残れるといいね!」
「いや、お前それは死亡フラグ……」
その後、しばし談笑していると約束の2時間が近づいてきたので、2人は食堂へ向かうことにした。
2人が食堂へ到着すると、そこには既に殆どのクラスメイトが揃っていた。どうやらみんな不安で1人になるのは嫌だったらしい。
賢人と亜里沙が到着したことを合図に話し合いが始まった。
「それじゃ、とりあえず僕の方からこれまで僕らの身に起こったことをまとめてみるよ。
まず、ホームルームのあと異世界の月? に召喚された。
それからアイリスって名乗る女の子から色々言われて、せ、先生……を殺されて、明日、僕らは殺し合いをしなきゃならないらしい。
大雑把にこんな感じでいいかな?」
そう委員長の香坂が切り出すと、サッカー部部長の脳筋バカこと貝原 伸介が質問する。彼はクラスの中でよく騒いでいるリア充グループの中心人物である。
「でもよー、ぶっちゃけ、殺し合いって言われても具体的には何すんだ?
誰もそれに参加しなきゃいい話じゃねえか?」
「あははは、バーカ、お前そんなん無理矢理させるに決まってんじゃん!
あの、先生を爆散させた能力とか使われてさぁ」
そう反論したのは1年前にこのクラスに転校してきて以来、何故か常に満面の笑顔を保ち、コイツが真顔になるのは世界が滅ぶ時だとまで言われるダフニー・御堂である。
ファミリーネームが御堂、ファーストネームがダフニー。
彼は教室でクラスメイト達が固まってた時ですら笑顔だった。
「み、みんな、こんな時まで喧嘩しないでよぉ。ほ、ほら、周りの人達も呆れてるよぉ?」
「全く、明日殆どの奴らが死ぬっていうのに能天気なもんだなぁ。
どうせ死ぬなら、俺を巻き込まないで勝手に死んでくれよな」
クラスの癒しとも言われる土居 このみ《どい このみ》がなんとか殺伐とし始めた会話を宥めようとするが、直後の坂本の発言によって台無しにされる。
「おいおい、坂本、そりゃあ無いんじゃねえか? 仲間割れしてる場合じゃないって」
「そうそう、仲間割れとか敵の思うツボだぞ……」
「ゲフンゲフン、その通りでござるなぁ」
「うん? なんか言ったか、ブタ」
「ブヒィィィィ、ダフニー殿、何で拙者だけそんな扱いなんでござるかぁぁ。イケメンフェイスでそんなこと、そんなこと言われたらぁ……興奮するでござる」
「あ、相変わらずきめぇなお前……」
そんな感じでギャーギャーと騒ぎ始めた集団を横目に、賢人はひたすら思索に耽っていた。
こうして話し合いに何の進展も見られないまま、しかしちょっとだけ気分は持ち直して会議は解散することになり、結局は各自で対策を考えて明日に備えるということで皆は眠れぬ夜を過ごすことになった。