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地雷が見える 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 すまない、つぶらやくん。さっきの授業のノート、うつさせてくれないかな? いや、全部じゃなくて大丈夫。あの先生が小さい文字で書いた補足だけ。

 いや、知っての通り、僕、目が悪いじゃん? けれどさっきの授業、前の方がかなり埋まっていて、ちょっと席を下がらざるを得なかったんだ。普段の字の大きさだったら問題ないのに、今日に限って先生、細かいことを書いてくれちゃって……。

 

 ありがとう、助かったよ。コピーして家でゆっくり写させてもらうよ。ほい、謝礼のアイス。

 いやはや、昔はそれなりに目が良かったんだけどねえ。今じゃメガネにおんぶにだっこな状態さ。裸眼だと、こんなに近い君の顔さえ危ういくらいだ。これも、あの時に体験したことが原因なのかもね。

 

 ――ん? その時の話が聞いてみたい?

 

 ああ、君はその手の話が大好物だったもんねえ。いいよ、じゃあ話そうか。

 

 

 小学校の頃、メガネをつけている子というのは、つけていない子にとっては興味関心の対象でさ。メガネを貸してもらって、代わりにかけてみるということが、よく行われていた。メガネをしている子同士でも、取り替えっこをする姿も見受けられたな。

 僕自身もメガネを借りたことがあったよ。自分で話すのもなんだが、僕のメガネ姿というのが、妙に似合っていたようでね。リクエストがあるたび、それに応えていたんだ。

 

 そんなある日のこと。おニューのメガネに取り替えてきた女の子が、自分のメガネを僕に掛けてほしいと頼み込んできた。

 これまでの金属製のフレームから、プラスチックのセルフレームに取り替えている。「いつもやっていることだし」と、僕は二つ返事で了承。さっそく両耳にモダン部分を引っかける。

 当時はさほど視力が落ちていないせいで、メガネをかけると目の前がぼやけるのはいつものこと。しかし、今回は格別にその度合いが強い。数十センチ先さえ危うくなるくらいだ。

「また強烈な度にしたね」とコメントしつつ返したけど、後遺症なのか、どこかを注視した後に視線を移すと、だいぶぼやけて見えてしまう。

 仮性近視かなあと思いつつ、しばらくはメガネ掛けの依頼は断るようにしたんだ。


 ところが次の日も、その次の日も、目を休ませているにも関わらず、僕の視界は思い出したようにぼやけることがあったんだ。

 こう、テレビのスイッチを切り替えられたかのように唐突で、目の前にモザイクがかかっちゃったような風景なんだ。回復するのも、また前触れなくだ。

 最初の数日は、この切り替わりも半日に一回で、時間も数分程度。さして問題にはしなかったんだ。

 けれど、一週間が経つ頃には、少しずつ切り替わりの間隔が短く、時間も長くなり出していることに、僕は気づく。「このまま切り替わっている時間が、ずっと続くようになったらどうしよう?」なんて思い始めて、一割の恐怖は二割、三割と僕の心臓の中で、ウエイトを増していく。

 「きっと目が疲れているんだろう」と、暗に「眼科に行かなくて大丈夫」と自分に言い聞かせ続ける僕。だが、モザイク視野に新しい変化が現れ始めたんだ。


 表現するとしたら、そうだな……目に見えているものを絵画に例えようか。入り込んでくるものというのは、そのできあがった絵の中へ無造作に垂らされる、紫色のひとしずくなんだ。

 そいつらは、僕がモザイク視野へ移ると、途端に姿を見せ始める。

 それはほぼ子供の身体と同程度の大きさ。輪郭は炎が揺らめくように安定しないが、その場を動かない。大小も様々だが、身体を成す内側部分は、紫を基調とした、テレビの砂嵐が流れ続けているかのようだ。凝視していると、気分が悪くなってくる。

 他の人には、それが見えていないようだ。避けるような素振りを見せない。そして、そいつがたたずんでいる場所へ足を踏み入れてしまうと、まずいことが起こる。

 転倒、くしゃみ。飛来する虫や、ボールなどとの衝突。そこで足を止めて大きく鼻をすする場合もあった。鼻水が出てきたらしい。


 見えている時の僕はというと、その部分をきれいにかわしていった。予想通り、転んだり、くしゃみをしたり、ぶつかったりなどということには出くわさない。

 これはどうやら持病も基準に入るらしかった。毎年、重度の花粉症に悩まされる僕が、花粉が乱れ舞っていると報じられる日でも、発作に悩まされることはなかったんだ。その分、紫の占める範囲も尋常じゃなくてね、室内外を問わず、ほぼ迷路のような配置だった。

 この頃の僕は、もう正常な視界が見える時間より、このモザイク視野を見る時間の方が長くなっている。それでも構わなかった。

 紫に重なると面白くないことが起こると知った以上、かえってそれが見えない通常の視界は危なさが増す。もし、このモザイクが彼女のメガネによるものだったら、彼女に感謝しなくてはいけないところだろう。

 僕は彼女の様子も、それとなく気を配るようにしていた。件のモザイク視野となる際は、特にだ。

 推測は確信へ変わる。彼女の進行方向にも、いくつか紫のしずくが立ち塞がったことが何度かあったんだ。それを彼女は、ごく自然な動きでかわしていく。

 真っ直ぐ歩いていたのが、わずかに軸をずらすことでほとんど歩く速さを落とすことなくやり過ごしたり、逆に向こう側から来る人に道を譲る素振りをして相手に紫を踏ませたりと、えぐい点も含めればかなり手慣れている。

 僕は彼女の自然な動きを参考にしつつ、回避技術を学ぶ毎日。これはこれで、自分の上達が感じられて、なかなか楽しかったよ。

 

 だが、ある日の放課後。今やお約束となったモザイク視野の時間が訪れた時、僕は今まで以上の密度で紫が集まっているのを確認したんだ。

 それも、これまで直立不動だった奴らだったが、今日は動く。これまで見てきた通り、それに触れた人は、こけたり、咳き込んだり……不幸と呼ぶにはあまりに些細な、プチ不幸に襲われていく。しかも今日は、人と重なって消えても、その人が場を離れるとさほど時間を置かずに、ポップアップしてくる。

 

 ――あまりにかわすものだから、挑戦状を叩きつけてきたってところかな?

 

 僕は臆さなかった。むしろ、望むところだったよ。ほとんどゲーム感覚になっていた僕にとっては、新しいステージに到達した何よりの証に思えた。

 

 ――このレベルは、初見なんだ。スタイリッシュに行くよりも、ひとまずはクリア優先といこう。

 

 僕は通行人の怪訝そうな顔などお構いなしに、半ば踊るような動きをしつつ、家路へ着く。飛んで回って、腰をひねって、三回くらい背後からくる自転車に、ベルを鳴らされたりした。

 だが、僕の身体が触れていないところは、すなわちプチ不幸ゾーン。彼らが追い抜きざまに、大きくくしゃみをしたり、軽くハンドルを取られたりする様を見ると、「ざまあみろ」と黒い笑いさえこみ上げてくる始末。優越感は、いいものだ。

 そんな調子で、家まであと半分くらいのところまで来たんだけど、思わず「うわあ……」とつぶやいてしまう僕。

 目の前の道、どうやっても紫をかわしていく手立てがない。ここを通れないとなると、かなりの遠回りだ。とっさに周囲を見回すと、紫の間隙を縫っていくためには、小さい公園を抜けていくしかないように思えた。というより、むしろ公園へは、僕一人が通れる道幅が紫達によって一直線に開かれている。

 完全に紫達をなめてかかっていた僕が、その道をずんずん進み続けたところで、「待って」といきなり肩を掴まれたんだ。

 

 振り返ると、あの日、メガネを掛けさせてくれた女の子。紫のしずくが見えて、僕と同じく避け続けている子だったんだ。

 彼女の自宅はこちらではなかったはずなのに


「このまま、どこへ向かうつもりだったの?」


「どこって、家だよ家。こっちの方向なんだ」


「うそ。だってあの公園を通って帰って行く姿、今まで一度も見たことないもの」


 いつから見ていたんだ、と少し背筋が寒くなってくる僕。振りほどいて先へ進もうとしたけど、今度は腕を強引に掴まれた。


「これ以上は進んじゃ駄目よ。今の君じゃ、お迎えが来てしまう」


「お迎えって、なんだよ? 親からの迎えなんぞ頼んでないぞ」


「人はね、どこかしら非がなくちゃいけない。汚れていなくちゃいけないの。それはちょっとした怪我でも、体調不良でもいい。最終的に追い出すことができるとしても、悪いものが身体の中へ入らないといけないの」


 彼女の言葉へ重なるかのごとく、出し抜けに汽笛が響き渡った。音の元へ振り向くと、紫達が作った道の上を、幅いっぱいを埋め尽くすようにして、汽車の頭らしきものが近づいてくるところだった。

 公園からここまでの間は、ざっと70メートル。線路がないのに滑ってくるその汽車の速さは、自転車程度といったところ。じっとしていれば、あと数秒でここまでくるだろう。


「君にも適性があるなんて思わなかった。ごめん、それは誤算。だから、君は元に戻るべき。この視界のことも忘れて、普通の人間らしく……」


 彼女が腕を放したかと思うと、両手で僕の身体をドンと押した。当然、道を外れた僕は群れを成す紫達の中へ倒れ込む。

 ご無沙汰していた花粉症の症状が、一気に襲いかかってきた。涙、鼻水、のどの痛み……もう僕には周囲を見やるゆとりがない。

「ドン」と目の前で何かがぶつかる音と、もう一度汽笛が鳴り響く。しょぼしょぼする目を何度もこすり、改めて見た時には、すでにモザイク視野は消え去っていたよ。紫も汽車も、ついでに彼女の姿もね。


 学校の連絡網は、前後の家庭しか電話番号を知らない。彼女とは連絡を取れず、一日が過ぎた。

 次の日に来た彼女は、またメガネを替えていたよ。今度はまた厚めのフレーム、色も琥珀色をした、どこか大人向きの色合いだった。

 あの時のことを尋ねたけれど、彼女は「きれいな身体でないと、できないこともあるんだ」とだけ話して、それ以上のことは語らずじまいだったよ。



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― 新着の感想 ―
[一言] とても面白かったです! 便利な能力だと思ったのですが、それを逆手にとった紫の誘導は怖かったですね……。 辛いことがあって、でも良いことだってあって、そうやってトントンになるように出来ているも…
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