幻想と冒険と青春 ~宣言~
とある世界。とある大陸を有する国、カナメリダ合州国と呼ばれる国の、首都の、大広場と呼ばれる場所。
広場を覆い尽くす人々。
視線の先には、高く作られた演説台。
そこに独り、現れる。
長い白髪、白い尾、民族衣装を纏っている。背筋は曲がっていなかったが、杖をついている。
演台に立ち、人々を見渡し、笑う。
「こんにちわ、皆さん。この場で発言させていただけること感無量です。
そのことに、まずは皆さんに感謝を。
そして、ここに私が到る理由を察して、もしくは理解していただき謝意を述べさせていただきます。
“ありがとう”。
目覚めてから此処に立つ瞬間まで、何を言うべきか考えていました。各国の元首、そして皆さんを前にして、言わなきゃいけないことを思い出しました。
私は、冗談を言いに来ました。
そう、冗談です。
私は、見たままの獣人で、もう十分に歳を喰った年寄りでしかありません。
それでも、冗談の一つくらい言えるでしょう。
今日、それを皆さんに聞いてもらおうと思ったわけです。いいえ、聞いてもらわなくっちゃ、いけませんね。
みなさんのような人々を前に話すような機会を折角貰えたのですから。
もしこれ以上、仰々しいことを言わなくても、せめて少しは笑って帰っていただけることでしょう。
“海を航行中だった客船が沈んでしまった。小さな木片が浮いているのに気づいた三人の乗客が、必死でそれにつかまろうと泳いでいったが、木片は一人しかつかまれないようなものだった。だから三人は誰がつかまるべきかを話しあいで決めることにした。その三人は、歌姫タニア・キホリバーグと教皇とカナメリダ大統領。教皇は、自分は世界有数の大宗教のトップの肩書をもっていると威厳たっぷりに語り、何百万もの人々にとっての精神的な支えであると言った、それを聞いた二人もなるほどと納得した。次に大統領が自分は世界で最大最強の国家の国家元首であり、自分にもしものことがあれば世界中が大変なことになってしまうと言い、他の二人はなるほどと納得した。最後にタニアは歌い言った。「私がいなくなれば、この歌声は聞けなくなりますよ」、言われて二人は唸って、タニアを海に沈めることにした。「その決断は、私が女だからですか?」「いいや」「私が歌い手だからですか?」「いいや」「では何故?」「貴女が亜人種だからだ」”
笑えないですか?
えぇ確かに笑えませんね。彼女には亜人を理由に虐げられ、音楽活動の幅を狭められた時代があります。半年ほど前に彼女に会いましたが、このブラックな冗談を笑っていました。
さて今日、なんのためにここにいるでしょうか。
冗談を飛ばすという目的の一つは、果たせました。
なんのために皆さんと共に、ここに在るのでしょうか。
“奴隷とされているすべての者は、同日をもって、そして永遠に、自由の身となる。政府は、かかる人々の自由を認め、これを維持する。そして、かかる人々が、あるいはそのうちの誰かが、真の自由を得るために行ういかなる活動についても、これを弾圧する行為を一切行わない。”
そう表明され、これが公布されたとき私は幼いながらに感動したものです。
でも、この百年そうはなりませんでした。
これは、失言でしたね。
正しくは、その努力は足るに至りませんでした。
悪しき習慣、邪な慣習というのは、ひとの心の中に潜んで蝕み、ゆっくりと人生と生命、そして文化と制度を破壊していきます。
獣人がいえ、全ての亜人種が選挙に立候補し、当選されることの重要性について理解していただきたい。
それには大きな理由があります。
この場所にいる、私の獣人ではない友人や人間、そして支持者のみなさん、その理由がわかれば、なぜ私がこうしてようやく当選するまでに何度も立て続けに立候補していたかもわかってもらえると思います。
集会や討論会でも、「この国で亜人種が為政者になるということ」について、いろいろと論争があったのにお気づきになったはずです。
“亜人種”と“亜人種の友人”の間に、“友人を選出すること”と、“亜人種自身を選出すること”の間に大きな違いがあることに、みなさん気付いていらっしゃることでしょう。
私たち亜人種たちは、何年もの間、全国で中傷にあってきました。
いいえ、我々は残虐されてきました。そう、残虐です。
蔑まれ憐れみを向けられ、虐げられ、そして痛みを伴わせれてきました。
その“友人”が、どれほどよい友人であろうとも、私たちを代表してくれる”友人”を持つだけでは十分ではないのです。
人間がどれだけ寄り添ってくれても、人間は亜人種とは呼ばれません。
人間は人間です。
この国に溶け込んだ長耳人たちは、何年も前にそのことに気がついていました。
長耳人に対する誹謗中傷、噂の類は、長耳人の社会的な指導者を選出し、長耳人社会全体が、その根も葉もない噂や植え付けられた固定概念ではなく、その指導者たちの姿によって判断されるようになって、はじめて解体されるのだ、ということに気付いたのです。
私たち獣人も、いいえ獣人だけでなく、あらゆる亜人種は、その指導者によって、亜人種である人々によって、目に見える存在として、人々――社会によって判断されるべきです。
目に見えない存在であるかぎり、われわれは忘却の渕で、もしくは何処かの誰かには、親も兄妹も人間の友人ももたず、ろくな仕事にもついていない存在でありつづけることでしょう。
純血だけでもこの国の国民の四分の一を占めるともいわれる私たちは、固定観念の中の存在として、獣人…亜人種の犯罪者予備軍としてありつづけるのです。
固定観念についてとやかく言うつもりはありません。そんなのは、未来の哲学者が決めてくれるでしょう。
言いたいことは、今日では、長耳人社会は、長耳人社会の友人ではなく、彼ら自らの為政者たち、議員たちによって判断され、この国での居場所があるということです。
私たちも、人々が私たちを、私たち自身の指導者、為政者、議員たちによって判断できるようにすべきです。
議席を獲得した亜人は、新たな雰囲気をつくりださなくてはなりません。
社会全体だけでなく、私たちの模範と希望を必要としている若い人々のあいだで尊敬を集めることでしょう。
もうあまり時間が残っていないので、あと少しだけお付き合い願いたい。
希望をなくしてしまった人々の表情が、私には忘れることができません。
それが獣人であれ、老人であれ、子供であれ、どうせ無理だとあきらめかけながらも仕事を求める耳長人であれ、自らの抱えた苦難や情熱を母語ではない言葉で説明しようと頑張る蜥蜴人であれです。
私は「私」という言葉を、誇りをもって使っています。
今夜、私が人間であれ、獣人であれ、亜人であれ、友人のみなさんの前に立っているのは、あなた方のことを誇りに思っているからです。
私たちは、獣人であり、そのことを誇りに思っているから、議員を選出することができました。私は議員になることができました。
指導者として先頭に立つ亜人は、責任を逃れることなく、職を失うことも恐れない人物であろうと私は思っています。
そう努力を忘れないであろうと思います。
私は幾晩も、怒りや憤りを抱えた人々とともに歩き、彼らの表情をみてきました。
“あの日”、ひとりの獣人が、ただ亜人種であったということだけを理由に殺されました。
あの冗談が、言えなくなってしまった日でもあります。
その夜、私は悲しみや憤りを抱えた人々と共に行進しました。
その後彼らは、ロウソクに火をともし黙って立ちつづけました。彼らは強い人々でした。
すでに街中や集会ですでに顔見知りの人々もいましたし、これまでに合ったことのなかった人々もいました。
人間、獣人、耳長人、蜥蜴人、蛙人、侏儒人、巨人、祥鬼人、竜人、それは皮肉なことにこの国の理念的な光景でした。
それでも私にはわかりました。
彼らは強い人々だと。
でも、そんな彼らでも希望を必要としていたのです。
それは彼らが必要としているのは前向きになれる希望です。
彼らに希望を与えなければなりません。
より良い世界への希望、より良い明日への希望を。
生きていける希望を。
社会での通念的な圧力にたえられなくなっときに逃げ込むことができるより良い場所があるのだという希望を。
大丈夫だ、きっとすべてよくなる、という希望を。
獣人だけでなくても、耳長人でも、老人でも、障害を抱えた人たちでも、私たちはみな希望がなければすっかりあきらめてしまう。
もっとたくさんの亜人種が選挙で選ばれれば、それは公民権を剥奪されたも同然だと感じている人々への道標に、前に進めという旗になるはずです。
つまりそれは、すでに一度あきらめてしまったこの国の国民に希望を与えることになります。
だって、獣人にできたなら、誰にだって可能性があるはずですから。
だから、今日、私が伝えなければならないことがあるとすれば、それは獣人だって選挙で勝てるんだということです。
これは道標ですよ。
みなさん。
いいですか、
人間が、
獣人が、
耳長人が、
侏儒人が、
あなたがた一人ひとりが、人に、誰かに、希望をあたえるんです。
与え続けれるんです。
あなたが諦めてしまわなければ…!
それでは、今度は議事堂でお会いしましょう」
カナメリダ合衆国初、獣人として元老院議員になったサラ・モーニンの演説。
参考サイト http://acrir.blog91.fc2.com/blog-entry-32.html#more