ヒロインちゃんには秘密がありまして
白銀に輝く長い髪を一纏めにした気の強そうな令嬢が、目の前に立つ。手の甲で髪を払った彼女が、不遜な態度で私の名前を呼んだ。
「アリアネスさん、お時間よろしいかしら?」
「……はい」
周りから聞こえるくすくすとした忍び笑い。お可哀想にと囁かれる令嬢等の声に、言葉通りの憐憫は含まれていない。
周囲の悪意を味方につけた令嬢が、鼻を鳴らして踵を返す。静々、その後ろを追った。カツカツ踏み締められる靴底は早足で、どんどん人気のない廊下を進んで行く。
すっかり人の気配も話し声もしない階層までつれて来られ、ひとつの引き戸に彼女が手をかけた。開かれた扉が床を滑る、ガラガラとした音が耳につく。見上げたプレートには、第二準備室とかかれていた。
「やばくない!? 周りの子たちこわすぎない!?」
「やばいやばいやばい。リアル令嬢まじむりこわい」
ぴしゃん! 扉を閉め切った令嬢が、先ほどまでの気の強さが嘘のような弱り切った顔で口を開く。八の字に下がった眉は頼りなさげで、年相応の女の子がそこにいた。
私も扉に凭れ、顔を覆って深いため息をつく。こわい。悪意こわい、本当無理……!
「お帰りなさいませ。お嬢様、ソフィア様」
「ルディ! ありがとう、用意してくれたのね!」
令嬢がぱっと顔を上げ、ルディと呼ばれた男の子の元へ駆けて行く。制服をぴしりと着こなした彼は背が高く、柔和な笑みを浮かべていた。
彼の横にある作業台は、丁寧に片付けられた上にクロスまで敷かれ、優雅なお茶会グッズが並べられていた。第二準備室が何を準備する部屋なのかわからないけれど、埃ひとつなく整頓されている様は、恐らくルディさんの仕事の成果だろう。できる、従者、素敵。
「ソフィアちゃん、座って。今日も一日生き残れたわね!」
「ありがとう、ブリジットちゃん。本当、毎日サバイバルだよね!」
令嬢に勧められた向かいの席に腰を下ろし、ルディさんが淹れてくれたお茶にお礼を注げる。
改めて、私たちの関係性を説明しよう。
まずは私、ソフィア・アリアネス。
さる乙女ゲームの主人公と同じ名前をしている私の周りでは、予想外の出来事がしょっちゅう起こる。一歩踏み出す毎に地雷でもあるのかな? と疑った数は一度や二度じゃない。
例えば、曲がり角に差し掛かった瞬間、角の向こうからやたらと顔の良い男が現れ、危うく恋が始まりそうになる。言っている意味がよくわからないかも知れないけれど、ぶつかりかけただけで、恋が始まりそうになる。
……ぶつかってはいけない。決してぶつかってはいけない。本能的に私は察した。
同時に悟った。ヒロイン補正やべえ。強制的に恋させようと、世界が仕向けてくる……。私は自分が転生者であることを理解した。
そして彼女。白銀の令嬢、ブリジット・エフィリア。
白鳥の化身かと見紛うばかりの美しい容姿をしている彼女は、さる乙女ゲームの悪役令嬢と同じ名前、同じ見た目をしている。
お察しいただけただろう。彼女も転生者だ。そして私も彼女も原作を履修済みだ。当然、この先巻き起こるイベントやエンディングについても把握している。
悪役令嬢の彼女の末路は、大体死ぬ。ど派手に公の場で断罪されたあと、処刑される。所業としては、ヒロインを結構な頻度で高いところから突き飛ばす。ヒロインを閉じ込めて火をつける、なんかがある。こわい。そのヒロイン、私なんだ……。
ブリジットちゃんの生存ルートは、国外追放のみだ。
ひょんなことからお互いが転生者だと知った私たちは、こうして人目を盗んで密会している。お互いに情報を共有し、打倒運命! おばあちゃんまで生きてやる同盟を結成した。
ちなみに、ブリジットちゃんの従者のルディさんは、ブリジットちゃんが幼少の頃に「このままだと死ぬ!!」と泣き喚いたことから、事情をご存知だそうだ。そんな小さな頃から自分の先が短いことを悟ってしまったら、そりゃあこわいだろうなあ……。
紅茶を傾けたブリジットちゃんが、深くため息をつく。
「ソフィアちゃん。今日はどうだったの?」
「昼寝してる先輩を見かけて、王子とぶつかりそうになって、美術くんのハンカチを拾ってしまったよ……」
「すごい吸引力ね!?」
「ハンカチはちゃんと職員室の落し物ボックスに入れてきたよ! 顔はばれてないはず!」
「フラグ粉砕のプロかしら!」
ブリジットちゃんの賞賛に、ふっ、と口許を緩める。
しかし今日も焦った。サボり魔の先輩を見つけたときは心臓が凍ったし、必死に音を立てずに後ろへ下がり、別のルートから走った。
王子は沢山のノートを抱えており、危うくばらまかれたノートを取る指先が触れ合い良い感じのピアノ曲が流れるところだった。
儚い見た目の美術くんの私物は、高確率で忘れ去られている。この対処についてはばっちりだ。
「ブリジットちゃんは?」
「わたし……わたし、ね……」
一気に目許を暗くさせたブリジットちゃんが、お菓子を一口齧る。私もお茶を飲み、小さめの可愛らしいクッキーを手に取った。ルディさん、学生生活を営みながら、こんなお菓子が作れるだなんて、すごい……。
「今日もサミュエル様に、顔が良い!! としか伝えられなかったわ」
「寧ろ何故その一言の方が叫べるの」
「いやだって、顔が良い」
「わかる」
サミュエル様とは、件の王子様の名前だ。そこだけ光度違うの? と思わずにはいられないキラキラっぷりと、甘く優しい笑顔。顔面偏差値高い族の中でもトップクラスの彼は、ブリジットちゃんと婚約関係にある。
そう、この『婚約者』というワードが、ブリジットちゃんを悪役たらしめる要因だ。ブリジットちゃんは死亡ルートを回避するため、この契約を破棄しようと苦戦している。
「だって、推しが! 動いてる推しが! 目の前に推しが!!」
「ブリジットちゃん、落ち着いてー。ルディさん困った顔してるよー」
「はっ!!」
某司令官のポーズを取ったブリジットちゃんが、慌てて背筋を正す。
ブリジットちゃんが婚約破棄に踏み出せない最大の理由。それが、サミュエル王子が彼女の一番好きなキャラだからだ。
「だってあのキラキラ見てたら言葉なんか出てこなくなくなるんですもん未だにまともにご尊顔拝めたことがないのよ? 半径3メートル近付かれただけで呼吸がおかしくなるのわかってる顔がいいのいいにおいするし何なのあの人天の使い? 名前からしてそうじゃないなーんだそうだったのね無理無理無理無理」
「待って、ブレス大事。呼吸してブリジットちゃん」
「わたしはルディと国外で暮らすんだあああああああああ」
「落ち着いて? ルディさんそこいるから、落ち着いて??」
テーブルに伏せてしまったブリジットちゃんの背中を、困った笑顔でルディさんが撫でている。良い人だ。こんなにもおたく心を爆発させているのに、やんわりとした微笑で宥めてくれている。
すんすん、鼻を鳴らせた美少女が、ようやく顔を上げた。
「そういうソフィアちゃんは、ウィルフレッドくんとどうなの?」
「ごふっ」
ここからブーメランになることを、ご容赦願いたい。うっかり咳き込んだ喉を治め、頭を抱えて項垂れる。暗雲を背負った私に、ブリジットちゃんの頬が引き攣ったのがわかった。
ウィルフレッドくんとは、ゲーム内で私が真っ先に落としたキャラクターだ。無口で無愛想で冷めた目をしている一匹狼タイプなのだけれど、とてもかっこよくて、実は優しくて、可愛らしい一面もあって、お勧めの人なんです。
しかし、それとこれとは話が違ってくる。重たくため息をついた。
「……私さ、元々結構いい年だったんだよね……」
「おいくつですか……?」
「31」
「先輩じゃないですか。ちーっす」
「お嬢様」
「こほんっ」
ブリジットちゃんとルディさんのやり取りが微笑ましい……。
「職場と自宅を繋ぐ伝書鳩のような生活を送っていたのよね。うっかり乙女ゲームにはまっちゃってさ、沼だよね? そしたら実物目の前にいるじゃん? あまつさえ私、ヒロインじゃん? 殺されるかと思ったよね」
「今日は先輩の祝賀会にしましょう」
「先輩扱いやめよ? 心に響く」
にっこり笑ったブリジットちゃんが、ソフィアちゃんと呼んでくれる。よかった。一応この世界では同い年なんだから。
「それがさ、長年培ってきたフラグ粉砕スキルが遺憾なく発揮されてね、反射的に避けちゃうの」
「あ……」
「何ッとかフラグを拾えても、清らかな青少年にイケナイことするお姉さんの気持ちになっちゃって……」
そうなんだ。この強制的にラブロマンスが展開される仕組みに気付いてしまったがばかりに、私の察知能力と反射神経は磨き抜かれてしまったんだ。恋したくても出来ない。
何とか近付けても、擦れた心がぴゅあボーイの心を弄んでいるようにしか感じられない。どうやったら、身も心も当事者になれるんだろう? 誰か教えて……。
悲しみの表情で、ブリジットちゃんが私の手を握ってくれる。眉尻を下げる彼女は、ただただ美少女だった。
「わたしが近くにいると邪魔にしかならないから、応援しか出来ないけれど……、わたし、ソフィアちゃんの幸せを願ってるわ!」
「もう私、ブリジットちゃんと結婚する……」
「だめよ……。わたしといると死亡率跳ね上がるんだから……」
「おのれ運命!!」
「お嬢様方、そろそろお時間です」
ルディさんの声に、はたと時計を見上げる。下校時間を過ぎ、残っている人も疎らであろう時間帯に、時の流れの残酷さを実感した。ブリジットちゃんがため息をつく。もっといたかったわと呟かれた声に、ルディさん今だ抱き締めてあげてと心の底から思った。
「また来週ね、ソフィアちゃん」
「うん。いつもありがとう、ブリジットちゃん」
「気をつけて帰ってね」
ごちそうさまをして慌てて立ち上がる。ルディさんが纏めてくれたお土産のクッキーを手に、二人へ手を振った。
ああ……、何としてでもブリジットちゃんには生き残ってもらいたい。どうすればあの子のフラグをへし折れるのだろう? フラグ粉砕は特技のはずなのに……。
考え事をしながら歩いていたせいだろう。人がいないという思い込みもあった。
曲がり角を曲がったところで身体に衝撃が走り、よろめいた私の腰に腕が回された。
「お前、前向いて歩けよ」
切れ長の目と黒い髪。至近距離から私の顔を覗き込むウィルフレッドの登場に、頭の中で良い感じのピアノ曲が流れた。