スナックのママ
俺は、閻魔大王様のおかげで、犬からスナックのママに変身できた。これでピアノ会場に入れる。
俺に与えられた時間は5分間だけだ。急いで会場に入る。
人間の姿は久しぶりだな。犬の四足歩行に慣れていたので、再び二本足になると歩きにくい。とにかく、空いてる席を見つけて、さっさと座ろう。
会場のアナウンスで長男が呼ばれた。長男が緊張した顔で登場した。
「頑張れ!」
俺は心の中で最大限のエールを送る。
ふと、長男と目が合った気がした。もちろん、長男は気づかない。俺はスナックのママだからな。
「曲は、Mr.Childrenの○○です。天国のお父さんに捧げる曲だそうです」
司会者が曲紹介を行った。
長男はそこまで俺を想ってくれているのか……
ハンカチで涙を拭った。隣の人がチラッと視線を向けてきた。
おっと、気をつけないと。
俺は、誰かと話をしたら、閻魔大王様に消されてしまうんだ。二度と家族に会えなくなってしまう。
会場の静寂の中で、長男のピアノがスタートする。
俺は、ジッと長男を見つめていた。
演奏を聞いていると、長男が生まれてからの日々が思い出された。
オムツをしてヨチヨチ歩いていたり、それから走れるようになって自転車に乗って……
俺は最後の5年間は視力を失っていたが、それでも長男の成長を感じて嬉しい毎日だった。
アイツも逞しくなったなぁ。
長男の演奏は感動的で素晴らしい演奏だった!
会場内は大きな拍手に包まれていた。
俺は、余韻に浸りながら会場を出ようとした。たまたま、妻とすれ違った。
話がしたい……でも、できない……
俺は下を向いてすれ違う。
一瞬、妻の手が俺に当たった。
スナックのママの姿だし、妻が俺に気づくはずがないよな……
たまたま手が当たっただけだな。
サヨナラ……
会場を出たところで、時間オーバーになった。
俺は外で繋がれている犬のセイヤに戻った。
長男のピアノを聞けて感無量だ。ありがとう、閻魔大王様。
会場から妻と長男と次男が出てきた。
長男が駆け寄ってきた。
「セイヤ、僕頑張ったよ。入選したよ!」
喜びを爆発させている。
ワォーン。俺も嬉しくてちょっと吠えた。長男が俺を撫でながら言った。
「僕がステージに立った時に、真ん中ぐらいの席で化粧の濃いオバさんが見えたよ。そのオバさんを見たら、不思議と落ち着けたよ」
そうなのか! そのオバさんは、俺だよ!
出来ることなら、長男を抱きしめたかった。せめて、ホッペをペロさせておくれ。
帰りの車の中で長男は、笑顔を浮かべて眠っている。長男のお腹を、俺の短い前足で撫でた。
入選おめでとう、パパは見届けたよ……
感傷に浸っているのに、次男が俺の尻尾を掴んで遊んでいる。次男はいつもマイペースなんだ。
家に帰ってから長男が呟いた。
「ねぇ、ママ。僕のMr.Childrenは天国のパパに届いたかな。」
妻は、息子に優しい口調で
「きっと届いたよ。案外、会場で聞いてたりしてね〜」
そうだよ、俺はお前の近くで聞いたんだよ!
俺の生活リズムも固まってきた。
まず、朝7時に起きて、家族みんなで散歩だ。
俺は人間時代には早起きが苦手だった。犬になってからも、どちらかといえば苦手なんだ。
しかし、丸まって抵抗しても、結局外に連れだされる。眠いなぁ。
でも、家族みんなで歩くのは楽しいな。妻と長男と次男のノンビリした会話を聞きながら、トコトコ歩く。
いつも会うワンちゃんがいる。
多分、柴犬だと思うが、俺よりも少し大きいかな。
かなり元気なワンちゃんで、俺を見つけると、ワンワンと吠えながら走ってくる。これは、友好的なワンちゃんなのか? だとしたら、俺はどのような対応をすべきなのか?
犬を飼った事がないので、サッパリ分からない。
とりあえず、逃げずにワンちゃんが来るのを待ってみよう。
ワンちゃんは、俺の所に来ると、周りをグルグルと歩いたり、ジャレついてくる。
どうやら、敵意はなさそうだ。俺を犬として認めてくれているようだ。
俺も、見よう見まねでワンちゃんにジャレてみた。
結構楽しいな。俺も犬社会で生きていくわけだし、この柴犬ワンちゃんと友達になれたらいいな。ひょっとして、このワンちゃんも前世は人間かも知れないしな。
友達ワンちゃんとバイバイして、朝の散歩から帰ると朝ご飯を食べて、子どもたちは学校に行く。
妻は、レッスンの準備の為に、ピアノを弾いている。俺は早起きして眠いので、丸くなりながら、妻のピアノを聞いている。気持ち良すぎて、眠ってしまうよ〜。
この時間は、家で妻と二人きりだ。犬だけど、幸せを噛みしめる事ができる時間だ。
やっぱり、この女性と一緒になって良かった……
といっているうちに、ピアノ教室の生徒さんがやってきた。午前中は、大人にも教えているようだ。
俺は、今日もレッスンバッグを運ぶお手伝いだ。
頑張るぞー。




