天正
俺と織田信長は、本能寺で明智光秀の軍勢に急襲されたが、危ないところを友達ワンちゃんのおかげで命拾いした。
とりあえず、織田家が懇意にしている寺院に逃げ込めた。俺と織田信長は傷の手当てをしてもらったおかげで少しずつ回復していった。住職さん、ありがとうございます!
犬の俺は、しばらくはこの寺院で飼ってもらえる事になった。織田信長はどうするのだろうか? やはり、自分を殺そうとした明智光秀を許さないだろうか。すぐに大軍を率いて、明智光秀を潰しにかかるのだろうか。
しかし、織田信長は動く気配がない。どうしたのかな?
織田信長は穏やかな表情で、
「ヤスケ、お前は不思議に思っているんじゃないのか? 何故ワシが、怒り狂っていないのかって思っているんじゃろう。お前の顔にそう書いているぞ」
俺の顔を見ながら、言った。
俺は、その通りに不思議そうな顔でワン、ワンと吠えた。
「お前に出会ってから、ワシは少し変わったのかもしれぬ。明智光秀が謀反を起こしたのは、ワシへの不満もあったかもしれぬ。それでなくても、ワシは今まで非道な事も多くやってきた」
「戦国の世を生き抜く為とはいえ、多くの人間に恨まれているだろう。今回は助かったが、いずれは誰かに討たれる運命じゃろう」
「だったら、ワシは本能寺で死んだことにしようと思う」
ここまで聞いて、俺はひっくり返ってしまった。
信長様、本気ですか? ウソでしょ?
「今後は、出家して仏門に入ろうと思う。今までの行動を悔い改めながら、残りの人生を賭けて修行しようと思っているんじゃ」
仏門ですと? 泣かぬなら殺してしまえホトトギスというほどのアナタがですか?
俺は完全に固まってしまった。
織田信長の目は本気だった。
「流石にヤスケも驚いているようじゃな。でもワシは決めたんじゃよ。本能寺で死を覚悟したところをお前ともう1匹の犬に救われた。きっと、お前たちは神が派遣してくれたんじゃな。これまでは、神をも超えると言っていたワシが神に救われたんじゃ」
織田信長は、俺の使命を知らないはずなのに、正解を言い当てている。確かに、俺ともう1匹の犬は閻魔大王様によって、400年以上の未来からやってきたんだ。
「ヤスケよ、これから側にいてくれよ」
織田信長は優しく俺を撫でた。
俺は織田信長を助けることに成功したので、閻魔大王様が息子裕太を海難事故から救ってくれた。
だから、これからは織田信長と共に穏やかに過ごすのもいいかもな……
2人の息子は、妻が立派に育ててくれるだろう。
史実においても、明智光秀は本能寺の中で織田信長の遺体を必死に探したが、見つからなかったという。実は、織田信長は助かっていて、その後は仏門に入り歴史の表舞台から完全に姿を消すことになるのだ。
俺のせいで、歴史が覆されたと思っていたが、結果的には織田信長という戦国武将は本能寺で死んでしまったのだ。これが、本能寺の変の真相だ!
それから、織田信長は名前を天正と改めた。日々、座禅をして読経に励んでいる。俺も、横で読経を聞いたり、寺院のお手伝いをしようと頑張った。前足で雑巾がけを一生懸命やった。
「ヤスケ、お前もなかなかやるのう」
織田信長……じゃなくて天正もすっかり僧侶が板についてきたようだ。法衣を身につけて、俺を抱っこしてくれた。
ところで、本能寺の変以降、世の中はどうなったのだろうか?
住職様と天正が話しているのを横で聞いていると分かってきた。どうやら、明智光秀は羽柴秀吉に討たれたらしい。明智光秀の天下はあっけなく終わっていた。
「光秀も可哀想な男であったかもしれん。仕えたのが、織田信長でなければ違う形の生涯が送れたであろう」
そう語る天正の瞳は少し潤んでいた。
「これからは、羽柴秀吉が天下人になるかもしれんな。だが、長くは続くまい。最後には、徳川家康のような男が勝ち残るだろうよ」
流石は、一度は天下を手中に収めた男だな。時代を読む眼力は健在だ。
数年後に天正は病に倒れた。病名は分からないが、様子を見ていると、もう長くないと思う。
俺は天正の近くで見守っている。確かに、破天荒で無茶苦茶な男だったが、どこか寂しげであり、また優しさも持っていたはずだ。しかし、不器用に強さを誇示することでしか自分を保てない男だった。
戦国武将の中でも最大のインパクトを残した男の生涯が終わろうとしている。
俺は、クゥーンと吠えながら、前足を天正の手に乗せた。天正は、呼吸を乱しながらも笑って、
「ヤスケ、お前とは本能寺で出会って以来、長い付き合いになったのう。燃え盛る本能寺からお前と一緒に脱出したのが昨日のようじゃな」
そーいえば、そうだなぁ。俺は犬だけど、目頭が熱くなってきたよ。
「かつては神をも超えようとしたワシじゃが、こんなに近くに神様が居てくれたんじゃな。お前こそ真の神様じゃ」
「でも、お前には大事な人たちがいるはずじゃ。お前は、ただの犬じゃなくて、何か理由があってワシの元へ来たんじゃないのか」
そう、息子の命を救う為だったんだ。でも、途中から俺はこの男の人間臭い部分が無性に気になったんだ。
「ヤスケ、いや……本当はセイヤだったかな。お前の大事な人たちと再会できるように祈っておるぞ」
天正は俺がセイヤであることも知っていたのか!
「長い間、本当にありがとう。楽しかったぞ」
そう言い残して、天正……いや、織田信長は激動の生涯に幕を下ろした。




