たくさんの空を抱えて
今までのうちに何回、将来について考えたのだろう。
結局、考えるだけでは妄想のようなものに発展して、得られるものはないだろうと分かってはいる。
市内ではそれなりに速かった短距離選手だったんだけど、なんでだろう。
高校ではする気になれなかった。
こんなことがかつてのチームメイトや顧問の先生にバレたら色んなことを尋ねられるのだろうなと分かってはいたけど、そんなことどうでもいいに近かった。
そのぐらい俺の意志はなぜか固かった。
もう誰も穢すことの出来ないくらいに。
父は俺に対して熱心だっただけに、思いの丈を伝えると信じられないと驚きを隠せないでいた。
誰かにいじめられたのか、顧問が嫌だったのかという今までされてこなかった質問を受け、変な方向に発展しないために黙っていたら、父はやってくれとは言わなくなった。
何を思ったのだろう。
何を悟ったのだろう。
勝つことに飽きたわけではない。
その考えが井の中の蛙だと分かってはいるし、かといって挫折したわけでもないのに追いかける気にもなれない。
動機が弱かったんだと思う。
オリンピック選手だって順調に進んでいったわけではないはず。
きっと彼らはその時、初心に帰って動機を再確認するのだ。
強い、堅い決心があるから立ち上がることが出来るのだろう。
俺の場合、短距離だって何か走っているうちに褒め称えられるようになってそれで気分が良くなって、周りに言われるがままやっていた。
悔しい経験がないわけではないが、気分転換すればすぐに忘れた。
俺の思考回路はごく単純、都合がいいようにできているらしい。
思えば、何かしようとした時、強い決心をして馬鹿みたいに足掻いたことだって人生に一度もなかった。
辛い、怖い。
こんな人間でいいのか。
大きな壁が予兆もなく現れた時、俺はその場で何をするのか自分でも分からないことが怖い。
自分を理解できていない。
変えなければならないのか、続けていいのか分からない。変えようと思って、果たして本当に変わるのか分からない。
変えようと思って、手遅れになるような失敗をするのではないかと怖くなる。
だが、もう時すでに遅い。
もう何か追い求められる期間は終わった。
俺は一生俺のままである。
歪んだ考えを、誰にも正されることもないまま、人生を終える。
極論、どんな偉業を達成しても、人は死ぬのだ。死ぬと決まっているのに、人並み以上の苦労をするのは、死ぬことに対して恐れている亡者の醜い悪あがきである。