はじめの頃は
泣いて叫んだことがある経験は決して人より少ないわけではないと思うのだが、大多数の人は俺を落ち着きがある人物と言った。
何故だろう。
学生ながらにして個性を持っている人間は少ない。個性というものは、沢山の選択をして、何か別のものを捨てて、環境の波に呑まれることがなくなった時、自然につくものである。
だから個性を求めても個性は得られず、自分を隠す仮面にしかならない。何かを求めた末に行き着いた合理的な価値観、それが最終的な「個性」なのである。
貪欲であり、同時にそれが人生を探すために許されている学生時代では、枝のように切り開かれている可能性の道を早急に決めようとする方が逆に不自然である。
それでも自分の道に進む者は、そうしなければならなかった状況下にあるか、規模の広い遊びかどちらかである。
でもやっぱり、人は個性を第一印象だけだったり偏見だけ決めつけたりする。外から見る自分の方が単純であり簡単であるから人は内なる個性を高めようとしない。
内なる個性は目に見えないし、形や結果になりづらい。
けどそれを最後まで信じれる奴は凄い。
なんか宗教的な考えになってしまったけど、漫画や映画の綺麗事みたいに聞こえちゃうかもしれないけど、結局死んでから人生楽しかった、嬉しかったと思えるのはそういう生き方だと俺は思う。
結局、死ぬまで良い人生だったかなんて分からないのだから。
今となっては他人が思う自分のイメージなんて気にしなくなっていた。
それに縛られて何にもできなくなったら、元も子もない。
何の為の人生なのかまだ俺は見つけられてないけど、しっかりと前だけを見つめている。
他人の意見で目線を逸らしたりしないように。