タンポポを見つけて
初めて花を見つけた時、一つの花を見つけても隣にはもう一つ同じのがあった。
またもう一つあり、気づいた頃にはとてつもない量の花があった。
俺の中でいつしかそれは、現実を風刺している恐怖の光景に変わっていった。
タンポポはタンポポだった。
複数いようが単独でいようがタンポポの枠を超えることは出来ない。
色鮮やかに咲いていたとしても、茎が伸びていたとしても、彼らの個性はタンポポとしてまとめられタンポポとして生涯を終える。
人間もそう。
自分は生まれて名前をつけられる。
学校に行くと同じような世代の人達がいる。
そして、中学、高校となんとなく時を進める。
もし、区別するための今までの自分の記録、名前がこの世から消えてしまって、タンポポのようにまとめられたりしたら、自分は自分として存在しようとするのだろうか。
周囲に溶け込み、自分のことも考えなくなって、誰の記憶にも残らない、踏み潰されるだけのタンポポになるかもしれない。
踏み潰されされた後、自分に何が起こるのか俺は知らない。知りたくもない。お願いだから一歩先を進みたい。エスカレーターのような進み方ではなく、宇宙飛行士の偉大な一歩なんて高望みはしないから、せめて、覚悟とともに地面の感触を味わえる一歩を踏み出したい。
俺はタンポポではない。踏み出すための足がある。
勇気なんて元々誰も持ち合わせていない。
ただ一部の人は、後悔を怖がった自分自身の姿がどれだけ愚かなのか知っているだけ。