7話:準備
【魔王】との戦いを明日に備えた俺たちは、多くの準備に駆られた。
俺は武器や防具を店で購入しなければならなかったし、シンティアとラルはビギニンを治める領主と何かしらの打ち合わせがあるらしい。
まあ、この近場を【魔王】との決戦上にするんだ。
色々と話し合わなければならないことは、あるだろう。
ビギニンの中心に、どんとそびえる領主の屋敷に、気後れせずに入っていくシンティアを見て、ああ、アイツはこの2年間【勇者】だったのだな、と当たり前の事を思い、らしくもない感慨が押し寄せた。
俺は領主の屋敷の前で2人と別れ、シンティアに貰った金をポケットの内で弾ませながら、武器屋に駆けこんだ。
……ここだけ聞くと、中々に酷い話だ。
まあ、出世払い、若しくは必要経費という事で自分を納得させよう。
◆
武器は双剣を選んだ。
俺は大体の武器は人並み以上には使える。しかし、その中でも一番習熟しているのは双剣だと自分では思っていた。先ほどのマンティコアとの実戦で、ある程度の感を取り戻せたのも選んだ理由の一つだ。
「ほお、凄いな。兄ちゃん、買ったばっかの武器をそこまで器用に扱えるとは」
更に感を取り戻すために、剣を方手でくるくる回して曲芸まがいの事をしていると、店主に褒められた。この店主は中々ものが分かっている。
俺は神童だからな。
このくらい、造作もない。
防具はレザーアーマーにした。
【加護】がない俺は身体能力・魔力総量に大きなハンデがある。特に防御においては、かなりの不安があった。
必然的に俺は敵の攻撃を正面から防ぐのではなく、回避しなければならない。基本的に、まず当たってはいけないのだ。中途半端に防御をあげて、身体を重くすることはしたくなかった。
装備を全て整え終わっても、まだ昼過ぎだ。
深夜、月が頂点を過ぎた頃に、門の前に待ち合わせて出発する。
そういう手筈になっている。時間は有り余っていた。
俺は一度家に帰った。
仮眠をとろうと思ったのだ。
また、もうここには2度と帰ってこれるか分からないため、色々と身辺の整理をしておこうとも考えた。
しかし、家に帰って、はたと気づく。
俺はそもそも別に整理するほどの荷物を俺は持っていなかった。
それに、血の繋がった家族も俺にはいない。
育ての親とは学園に入ってから連絡を取っておらず、絶縁状態と言っていい。
学園時代の奴らは【職決めの儀式】以前は親しかったが、それ以降は手のひら返しをしてきた。あいつらに手紙を書く気にはならないし、向こうも送られたら迷惑だろう。
とりあえず、俺は夕食用に買ってきたパンの3分の2を皿に乗せ、外に出た。バグ街の見知った通りを歩く。
迷う事はなかった。
いつもの場所にその人はいた。
ぼろ布を纏った白髪の老人。
俺がこのバク街に住み着くずっと前から、ここに住んでいるご老人だ。
名前はおそらく誰も知らない。
このバク街のご意見番のような人で、俺も暇があれば世間話に興じたり、飯を持ってきてやったりした。
古い民家の壁に背をもたれさせて、読書に興じる彼は、俺を見ると顔を綻ばせた。
「おお、お若いの!」
俺は片手をあげて応える。
「爺さん、飯持ってきたぞ。あと水も」
「まっとたぞ!最近は服の上からでも病が分かるようになってきたでな、ゴミを漁るのにも一苦労じゃよ」
爺さんは俺から皿を受け取ると、乗っていたパンをガツガツと咀嚼していく。老人とは思えない食べっぷりだった。
「…爺さん。悪いけど、この街を一度出て行こうと思う」
爺さんは水を飲んで大きくげっぷして言った。
「ほう、そっか」
どうでもよさそうだ。
普通にショックだ。
爺さんは一度息を吐くと、言った。
「その方が良い。お前さんはいつかここを出て行くべきじゃと儂は思っとった。儂みたいなバグ病の患者と関わるべきではなかろう」
そんな事を爺さんは思っていたのか。
バグ病、か。
それが爺さんを蝕む病の名前だ。
服の上からでは分かりにくいが、爺さんの身体の至る所は、モザイク模様の斑点ができている。これが第一段階。
第二段階は、このモザイク模様が身体から空気中に浮き出るようになる。別に触れたところで害はないが、人の肌からモザイクの欠片が浮かび上がっては空気に溶ける様は、何となく人に嫌悪感を抱かせる。個人差はあるものの、ここまでくれば治療はもう諦めた方が良い。
第三段階。身体の端から消えていく。最後は衣服だけを残して、身体全身が消え去る。まるで見えない虫に食われていくように。まるで、世界から欠陥だと認識されたように。
「爺さんはどうするんだ?これ以上はもう後戻りできないぞ。【役割】を履行すれば、まだぎりぎり治せる」
バグ病の治療は簡単だ。
個々の【職】の【役割】を履行すればいい。
そうすれば、身体のモザイク模様は消えていく。
というか、【役割】を果たさず破り続け、【加護】すら全て失った人間が最後に陥るのがバグ病だ。
そう聞くと、とても恐ろしい病に聞こえるかもしれない。
しかし、この病は、よほどの怠け者か或いは明確な意思をもって【役割】に背き続けないと、発症することはない。
一度や二度の【役割】違反ではない。
相当な長期間、下手すれば数年もの期間、ずっと【役割】に背いて、ようやく発症する。
故に、人々はバグ病の患者を忌避し、関わり合いになることをなるべく避ける。
バグ病の患者は、創造神ノルンに与えられた【職】で生きていけなかった怠け者たち、或いは自分から【職】に逆らう背信者たちだからだ。まあ、ずっと以前はバグ病は人から人に感染ると考えられていた時代があった為、その頃の風習が残っているのもあるだろう。
このバグ街は、そういったバグ病の人々が集まって暮らす区画だった。元々は只の空き家が立ち並んでいただけらしい。
「死ぬつもりなのか?爺さん」
「ああ、それでも良いと思っとるよ」
爺さんがこの病気を克服しようと思えば、簡単にそれはできる筈。
なのに、この人はそれをしようとは決してしない。
………この老人の【職】が何なのか、暴いてみたい。
ふと、そんな好奇心が頭を掠めた。
俺にはできる。
個人の【職】を明らかにする魔法、《ジョブ・オープン》は本来【神官】などの一部の【職】にだけ許された魔法だ。しかし、俺はこの2年でそれを習得していた。
だが、思っただけだ。
結局、実行には移さなかった。
老人が己の【役割】に背き、こんな所にいるのは、それなりの背景があるのだろう。
その理由の一端は間違いなく彼の【職】に関わっている。
それを、ここで無遠慮に妻開きにするほど、俺は厚顔無恥ではなかった。
「儂はここで死ぬ。そう自分で選んで決めた。儂は自分の意志でここに来たんじゃ」
そう言って爺さんは俺を見上げてきた。
ぎらぎらと輝く目だった。
強い意志を感じる瞳だった。
「……俺は違うってか。選んで此処にいる訳ではないと?自分の意志ではないと?」
「ああ。お主は全てを諦めた目をしている。流れ流れて、ここにたどりついたのじゃろう。不本意にも。故にお主は、人生において、するべき選択を終えておらん。いや、お主の人生はまだ始まってすら、おらんかもしれん。選択するしない以前の問題じゃな。……そう儂はそう思うよ。っまあ、老人の戯言じゃて!忘れろ!忘れろ!」
「いえ、勉強になりました」
俺はこの年長者に一礼した。
そして、踵を返す。その背に爺さんは声をかけた。
「気張れよー、坊主。何を気張るかは知らんけどなあ!」