4話:【加護】と【役割】
2年前の彼女を思い出してみる。
シンティアは聖教国のレインバード男爵が市井の女生との間に設けた隠し子らしい。いつ頃彼女が母元から引き離され、冷たい豪奢な屋敷で暮らすようになったかは知らない。
学園での彼女はその出自ゆえか、いつも伏し目がちに周囲の様子を伺っていた。その行為は自信なさげではあったが、不思議と卑屈な感じはしなかった。
注意深く周りを観察することは、彼女にとってその屋敷で暮らすのに必須といえる技能だったのだろう。生きるための知恵だからこそ、きっと卑屈には見えないのだ。
ヘーゼル色の大きな瞳が左右をいったりきたりする様子を、今でも俺は良く覚えている。
しかし、今俺の目の前にいるシンティアはどうだ。
背筋をぴんと伸ばし、俺を真っすぐに見上げてくる。
正しく【勇者】に相応しい様相だと俺は思った。
「久しぶり、だな。2年ぶりくらいか?」
「正確には1年と221日ぶりですね」
唇に笑みを浮かべたまま、シンティアは言う。
冗談には聞こえなかった。
神童の俺といえど、流石にそこまで覚えてないぞ。
……なんだ、この女。
少し怖い。
とはいえ、そこは神童の俺。
動揺をおくびにも出さない。
「聖教国の【勇者】の名声は、辺境を回っていた俺の耳にも届いてるよ」
俺はこの2年、聖教国の辺境を転々としていた。
そんな俺でも、100年ぶりに選ばれた聖教国の【勇者】の噂は、嫌というほど耳に入った。
その内容は殆どがシンティアを賛辞するものだ。
国中の厄介なモンスターを討伐し、更には貴族にありがちな平民を見下す素振りも見せない。おまけにそれが見目麗しい少女なら、人が熱狂するのも頷ける。
今や彼女はノルンフロー聖教国の英雄と言っても差し支えないだろう。
シンティアは俺の賛辞に肩を竦めた。
「ありがとうございます。しかし、私の力ではありませんよ。【勇者】の【加護】は他の【職】に比べても、凄まじいものがありますから。私でなくとも、【勇者】の【職】を授かれば、誰だって同じことが…、いえもっと偉大な業績が残せるでしょう」
謙遜が過ぎるのは変わらずか。
或いは、こういった賛辞はこの2年で言われすぎて、最早何とも思わないのかもしれない。
【職】にはそれぞれ、ノルンから【加護】が与えられる。
例えば【勇者】が持つ【勇者の加護】は、身体能力と魔力の大幅な向上、攻撃が通りずらい一部モンスターへの耐性軽減、勇者専用武具の装備可能、などの恩恵が得られる。他にも細かい効果は幾つもある筈だが、【勇者の加護】はその前例が限られてることもあり、全容が把握されていない。
【加護】はどんな【職】でも、大なり小なりある。
【商人の加護】は身体能力の増減はないが、計算速度や商品の目利きの能力に補正がかかる。
【大工の加護】は手先が器用になり道具が壊れずらくなる。後、高所から落下しづらくなるとか。
元々その者の適正によって【職】は決定するが、【加護】によってその能力は更に大きく上昇する。
それこそ、他の【職】の追随を許さない位に。
例えば【彫刻家】の【加護】を持たない者が何年も彫刻にのめりこんだとしても、【彫刻家の加護】を持って数日の者に簡単に抜かれてしまうだろう。それくらい【加護】の力は強力だ。
……まあ、何の【職】も得られなかった『無職』の俺は、当然何の【加護】も持っていないわけだが。
シンティアは俺の頭の頂点付近を見て小首を傾げた。
なんだ?
まだ、剥げてはないぞ。
「ふむ?背、伸びましたね」
確かに俺の背はこの2年で伸びた。
学生時代は男にしては低い方だったが、今では平均身長を十分にこえている。
「お前は全然伸びてないな。むしろ縮んだか?」
「それは貴方の身長が伸びたから感じる錯覚ですねぇ…!!」
「ただ、身長以外は結構変わったな?」
俺は目を細める。
シンティアの顔の上半分を覆う白い仮面をじっと見た。
「その仮面はどうしたんだ?……【勇者】に仮面をかぶらなきゃいけない【役割】なんて、あったけ?」
【役割】とは【職】ごとに課される制約の事だ。
例えば、【剣士】は弓矢を使ってはならないという【役割】が課される。
半面【魔法使い】は剣を使って戦ってはならないという【役割】が課される。
【剣士】の【職】を持つ者は剣士らしく。
【魔法使い】の【職】を持つ者は魔法使いらしく。
誰しもが、己の授かった【職】らしく振舞わなければならない。
【役割】を外れる事は許されない。
それを破った者は、徐々に【加護】を失っていく。
最終的には、……ここから先は今考えるのは良そう。あまり愉快な話ではない。
ともかく。
シンティアの白を基調とした衣服も何かしらの【役割】によるものなのだろう。
確か【勇者】にそんな感じの【役割】があった気がする。
しかし、はて。
仮面を被らなければならない、なんて【役割】もあっただろうか?
「顔に矢を受けてしまってな……といった感じですよ」
彼女の言葉に俺は思わず青ざめた。
「冗談です。でも、任務の最中に顔に怪我を負ってしまったのは本当。【邪神】が造ったとされる地下迷宮の探索中の事です。少し目立つので仮面で隠しているんですよ。……だから無理にとろうとはしないで下さい。私といえども、性別は一応女なので」
「それは……」
俺は思わず口ごもる。
女性の顔に傷がつく。
それを慰める際にかけるべき適切な言葉を俺は知らなかった。
「過ぎてしまったことは仕方ありませんよ」
シンティアは特に気にしていないようだった。
実際の内心はどうであれ、彼女がそう振舞うのなら俺も必要以上に、顔の傷について構うのは止めておこう。
俺は意図して意図して話題を変えた。
「……そういえば、なんでここが分かったんだ?」
「ハイトの気配を感じたもので」
冗談には全く聞こえなかった。
な、なんだこの女。
すこし怖いぞ。
まあ、【勇者の加護】の中には気配に敏感になるという内容のものもあった気がするし、《サーチ》という一定の範囲を探索する魔法もある。【勇者】が覚える事ができたかどうかまでは、定かではない。
「ハイト。貴方に一つの頼みがあるのです」
シンティアは声を落としながら言う。
先ほどまでの和やかな雰囲気が、僅かに重くなるのを俺は感じた。
まあ、学友との思い出話に花を咲かせるのが目的なら、もう一人はいらないよな。
俺はシンティアの背後で待つ白ローブの人物に目を移した。
背は男性にしては低く、女性にしてはやや高い。
体型を隠すぶかぶかのローブを着て、更にフードを目深に被っているせいで性別は分からなかった。
「頼み、か。なるべく叶えてやりたいが……」
当然だが、内容による。
詳しく聞かないうちから、気軽にうんと頷くことはできない。
だが、まずは。
「ーーーー場所を移すか。ずっと立ち話もなんだし、そもそもここは酒場の前だ。他の奴がいつ来るかも分からない。……人の目と耳はなるべくない方がいいだろう?」
【勇者】がいるとバレれば、大騒ぎになるだろう。
娯楽が多い街でもないしな。
まあ、この田舎にシンティアの顔が分かる人間はいないとは思うが。
……どちらにせよ彼女たちの容姿は目立つ。
「ええ、その方が望ましいです」
「ふむ。じゃあ、俺の家に行こう」
◆
そして俺たちは、酒場からビギニンの端に向かって歩いていく。
誰も住んでいなさそうなボロボロの家が立ち並ぶ、見るからに不気味な通り。
そこは俗にバグ街と呼ばれていた。
街の者であっても滅多に近寄らない。
だからこそ、流浪の身でおまけに【職】もない俺が、仮の住処とするにはうってつけだった。
街灯も禄になく、石畳で舗装もされていない迷路のように入り組んだ道を、右に左に何度も曲がる。
いつもなら、もっと直線的なルートを行くのだが、今日は別だ。
2人にはなるべく『見せたくない』場所がある。
バグ街の奥まった所にある小屋が、このビギニンでの俺の住処だった。
元の宿主はいない。
何年も前に居なくなったのだろう。
空き家になっていたのを俺が見つけ、住めるように改装したのだ。勿論【大工】でもない素人にできるような、簡易な改装ではあるが。
「散らかってて、悪いな」
お世辞にも掃除が行き届いているとは言えなかった。
部屋の隅には朝市で買った、掘り出し物の古本が積まれている。
机の上には鉄板やら鉄製の道具やらが散乱していた。
「いえ。いきなり押し掛けたようなものですから」
俺は自分はベッドに座り、2人に椅子に座るよう促した。
白いフードの奴は、僅かに迷った後に座り、シンティアは立ったままだった。
なんとなく、彼女たちの主従関係が垣間見えた。
白いローブの被った奴が、おもむろにフードを外す。
中身はエキゾチックな雰囲気を放つ少女だった。
褐色の肌に肩あたりで切った銀の髪。
瞳は夏の空のような澄んだ濃い青色。
ここら辺ではあまり見ない容姿だ。
銀の髪は聖教国の貴族連中に割りと多いが、褐色の肌はこの国では一般的とは言い難い。
確か大陸の南に住む人は、そんな容姿をしていた筈。
年齢は16歳くらい、か?
恐らく、自分やシンティアとそう変わらないだろう。自信はないが。
「私の名前はラル。【巫女】の【職】をノルンより授かった者だ」
ぶっきら棒な声だった。
機嫌でも悪いのかと、思わず眉を顰めてしまう。
そりゃ、不気味な夜道を歩かせた挙句、こんな碌に接待もできない家に招待したことについては、悪いと思ってるさ。小指の爪の先程度には。
「…言っておくが、別に機嫌が悪いわけじゃない。元からこんな喋り方だ」
俺の心中を見透かすように、ラルは言った。
……さいですか。
それにしても。
「【巫女】、か」
確か得られる【加護】は身体能力の多少の向上と、回復魔法への大幅な補正、だったか。
【聖女】と混同されることが多々あるが、れっきとした別の【職】だそうだ。
違いとしては、【巫女】の娘は同じように【巫女】になる、といったように【巫女】が主に血筋に沿って授けられる【職】であるのに対し、【聖女】は産まれや育ちに関係なく、万人から相応しい精神と能力を持つ者が選ばれる、とか。
また、【巫女】は『特定の神殿に仕える、とあるモンスターを封印する』など明確な役割と目的を持つが、【聖女】にはそれらがない場合が大抵である、と何処かで聞いた気がする。
とはいえ、両者の垣根は曖昧らしい。
「ああ。ここより北の『ホルスト神殿』で、【不死王】を封印する役目を持っている」
「【不死王】?」
「……知らないのか?歴史上唯一確認された【不死王】の【職】を持つ者、【不死王】オルファン。『屍大戦』を引き起こした人類の敵だ」
こんなことも知らないのか?、とでも言いたげに目を細めてラルは言う。
……本当に機嫌が悪いわけじゃ、無いんだよな?
「いや。それは知ってるが…」
【不死王】オルファンが引き起こした『屍大戦』については多少の知識はある。
学園の歴史の授業で習った範囲に限られるが。
500年も昔。
【不死王】という【職】を授かったオルファンという男がいた。
【不死王】の【職】の特異な【加護】は大きく分けて2つ。
ーーまず、1つ目が不死身であること。
ーー2つ目が他人の死体をゾンビにして動かすことができること。
オルファンはその2つの力を使って、世界を混沌に陥れた。
つくったゾンビ兵たちに街を襲わせ、殺した屍を新たなゾンビ兵に変えていく。
事態を収束させるため、時の権力者が派兵しても、兵たちはゾンビの波にのまれて死んでいく。
それだけなら、まだいい。
だが、兵たちもオルファンにゾンビにされ、兵力の一部となるのだ。
そもそも、オルファンは不死だ。
なんとかゾンビの海を越えて、オルファンの元に辿りついても殺す手段がなければどうしようもない。
膨れ上がるゾンビの軍隊に、それを指揮するのは不死身の怪物。
悪夢のような光景だったろう。
後に『屍大戦』と呼ばれる戦いだ。
それにより、聖教国の北にあった2つの国がゾンビに飲まれて、消えていったらしい。
しかし。
「【不死王】は500年も前に、当時の【勇者】に討たれて死んだはずでは?【勇者】の一撃を食らって、塵となった身体は再生できないまま風に流された……、そう伝えられているぞ」
それが、『屍大戦』の顛末だった筈。
少なくとも俺はそう習ったし、大半の人間はそう思って生きているだろう。
俺の当然の問いに、ラルは首を振った。
「いや。【不死王】オルファンは死んじゃいない。【勇者】は追い詰めこそしたが、殺し切れなかったんだ」
彼女は一度小さく息を吐いて、言葉を続ける。
「そして、私の血族の初代【巫女】が弱った【不死王】を結界に封印した。……数十年ごとに結界の力は弱まり解けるんだが、代々我らの血族の【巫女】が封印の結界を貼り直している」
「なるほどな」
「……お前には神殿までの護衛を頼みたい。そこの【勇者】の推薦だ」
ラルの青色の瞳が俺をじっと見つめる。
俺はさっきから黙って立っているシンティアに視線を移した。
神殿までの護衛、ねえ……。
幾つか疑問点がある。
「シンティアは【勇者】だろう?」
彼女がいるならば、道中に現れるような大抵のモンスターは敵じゃないだろう。
というか、
「そんなに大層な役目を持った【巫女】の護衛がどうしてシンティア一人だけなんだ?そりゃ、【勇者】さえいれば、十分だという意見は分からんでもないが……、普通万全を期して何十人もの護衛をつける筈だろう?」
仮に、道中でラルが死んでしまえば結界の張り直しができなくなり、【不死王】オルファンは復活するわけだろう。それは、普通に世界の危機だ。比喩でも誇張でもなんでもなく。
それなのに、護衛がシルティアだけ?
冗談も休み休み言え。
「ええ、その通りです。実際20名の【騎士】たちが別に護衛についていました。……前の街で全員置いてきましたが」
【騎士】とは戦闘系の【職】の一種だ。
剣に優れ真面目で正義感が強い者が選ばれる傾向にある。
ちなみに、兵士というと【剣士】や【魔法使い】、【騎士】などの国に仕える者たちを一緒くたに表すことになる。
神に与えられた【職】と、俺たち人間が下界で暮らすために生み出した『職」はまた別ってことだな。
まあ、【剣士】が剣を振っても、そこからパンが生み出せるわけでもない。
自身の【職】の特徴を生かして、冒険者やら国の兵士やらの職に就く必要がある。
……思考が逸れたな。
ともかく、【騎士】は剣と盾の専門家であり、守ることに関しては他の【職】よりもずっと優れている。
だというのに、
「それを置いてきた?…おい、何があった?」
「私たちは恐ろしい敵に追われています。他の騎士たちでは歯が立ちませんでした。あのままでは、彼らは命を落としていたでしょう……。いえ、彼らは、その覚悟はあったのでしょうが…」
シンティアは歯切れが悪かった。
神童の俺が代わりに代弁してやる。
「足手纏いってか?」
「…ええ、そうですね。そういう側面も間違いなくありました」
置いてきた【騎士】たちに謝るように、シンティアは瞼を閉じた。
律儀な奴だ。
それにしても、【騎士】が歯が立たないどころか足手纏いになる相手か。
「なんなんだ?その恐ろしい敵ってのは」
「名を【魔王】プロキオン。200年にわたって、人類に敵対してきた古き王の一人です。ハイト、貴方には私と共にかの魔王を討伐してほしいのです。……どうかお力添えを」
500年前に封印された【不死王】に続いて、今度は200年の時を生きる【魔王】か。
そして、俺の前にいるのは【勇者】ときた。
伝説の存在が、なんともまあ大安売りされている。
その中に俺のような『無職』がいても、一体何ができる事やら。
そんな胸中の疑問に対し、創造神ノルンはやはり何も言ってくれない。