3話:勇者との再会
その日、俺は聖教国の辺境にある町、ビギニンの酒場で安酒を呷っていた。
まだまだ、暖かい季節だ。
夜になっても少々肌寒いくらい。
深夜まで深酒して路上で寝ても、次の朝日で気持ちよく起きれるだろう。
だから、だろう。
いや、何がだからなのかは分からないが、多少飲み過ぎても大丈夫だろうという考えがあったのだ。
俺は一言で言うと悪酔いしていた。
「俺は、神童なんだぞぉ!」
言いながら、カウンターに曇ったガラスのコップを勢いよく置く。
仕方がない。
仕事がないのだ。
仕事がなければ、金も得られない。
金がなければ、生きる事もままならない。
この世界では創造神ノルンに授けられた【職】を中心に全てが回っている。人は与えれらた【職】以外の仕事に従事しない。誰もが、授けられた【職】こそが己の天職だと信じ、生きている。
そして、この世界において【職】が与えられない、という事は俺の想像以上に厳しいものだった。
何処かの店に奉公しようとも、雇い主は【職】を見せない俺のことを雇おうとはしない。
正確には、見せないのではなく、そもそも【職】がないのだが、向こう側からすれば知った事ではないだろう。【職】すら明らかではない、信用ならない人間を雇おうなどと酔狂な事を考える人間は少ない。
【職】というのは、ある意味で身分証明書のようなものだ。
自分はこういう人間で、こういう事が得意だから、創造神ノルンにこんな【職】を生涯するように命じられました。個人がそれぞれ持つ【職】は、他人にそういった説明をしているに等しい。
例えば、【剣士】は剣の才能に秀でてる事を神に認められその【職】を授けられる。
例えば、【盗賊】はその心が黒く濁っていることを神に見透かされその【職】を授けられる。
この世界は【職】が全てだ。
それは表の仕事から外れた、後ろ暗い世界でも変わらない。
というより、表の世界よりも更に個人の【職】を重視するだろう。
彼らは己に近づく者の【職】をまず真っ先に確認する。
そりゃ、【盗賊】の【職】が集まる集団の中に一人【聖騎士】が紛れ込んでいたら、怪しさ満点だろう。明らかに、潜入調査をしている。
--【職】が無い。
俺は、今の自分の状態を仮に『無職』と呼称することにした。
この世界は無職には、生きづらい世の中なのだ。
「神童、だったんだがなぁ……」
俺は言いながら酒をもう一度煽る。
アルコールがひりひりと喉を焼いた。
そんな俺の様子を見て、カウンターを挟んだ向こう側にいる酒場の店主が呆れたように苦笑いした。
「お兄さん、その話もう10回は聞きましたよ。酔いが回るといつもその話になる。お願いですから、今日は店で寝ないで下さいよ。起こすの大変なんですから」
「あぁ、いつもすまない。だけど、まだ大丈夫だ。まだ、な」
「まだ、を強調しないで下さいよ。今日も店で朝を迎える気満々じゃないですか」
店主はガラスのコップを拭きながら、ため息を吐く。
しかし、本当に迷惑がっているようには見えなかった。
そういった客の世話を焼く事も彼は仕事の一つと捉え、そこに一定のやりがいを見出しているのだろう。
ところで、と店主はガラスのコップを変わらず布で拭きながら、何気ない調子で言った。
重い空気を俺に感じさせないように、なるべく注意しているようだった。
「最近、噂になってますよ。バグ街に【職】も分からない若い男がやって来たって。…あれ、お兄さんのことでしょ?」
図星だった。
「……駄目ですよ、まだ若いのに人生捨てちゃ」
俺は思わず押し黙る。
なんと答えたものだろうか。
店主の顔を見るも、彼は穏やかな笑みを浮かべたままだ。
別に避難しているわけではないのだろう。
俺の身の上を心配しているようだった。
「アレでしょう?ノルン様に良い【職】を貰えなかった口でしょう。……なんとなくお兄さんからは育ちの良さが伺えます。立派な教養をお持ちなんでしょう」
そりゃ、名門を出ているからな。
中退、ではあるが。
「そうか?分かっちゃうみたいだな。俺の溢れ出る才能が」
俺の軽口に店主は取り合わない。
はは、と軽く笑って受け流された。
「こんな仕事を何十年もしてますとね、様々な【職】の方に会います。それこそ【騎士】から【盗賊】の方まで。そして、思うんですよ。この世界に必要ない【職】なんてきっとないって」
店主の言葉に、俺はつい小声で口を挟んでしまった。
「……それは【職】を得られなかった奴でもか?」
「はい?」
幸い、ではあるが俺の呟きは店主には聞こえなかったようだ。
「なんでもないさ」
「つまりですね。なんでも気の持ちようですよ。私も【酒場の店主】なんて【職】をノルン様に賜った時は、どうしようかと悩みましたが、今では中々に楽しくやっています。不満があっても、それでも、やっていくしかないんですよ。ですからお兄さんも、ノルン様に授けて頂いた【職】を……」
俺は店主の言葉を遮るように、懐から硬貨を取り出してカウンターに置いた。
「お客さん?」
「今日は帰るよ」
「お気を悪くさせてしまったのなら申し訳ありませんでした。説教めいたことを言うつもりは……」
「いや、アンタは悪くない。今日は寝ちまう前に帰ろうと思っただけさ」
純粋に俺の身の上を心配していってくれたのだろう。
それを理解できたから、俺も店主に何かを言うつもりはなかった。
仕方がない。
店主も俺が創造神ノルンに【職】を授けて貰えなかっなんて、考えもしないだろう。
これは、誰も悪くはない。
だからといって、何も感じないほど不感症な訳ではない。
店主が意図したものではないだろうが……。
--それでも、やっていくしかない、か。
いい加減俺も将来の事を考えるべきだろう。
2年間、日銭を稼ぎながら各地を転々としてきたが、そろそろ現実を見る時だ。
椅子から立ち上がる。
店主の申しわけ無そうな視線を背に受けて、酒場から出て行く。
夜の心地よく冷えた空気を肺に取り込む。
ふと、気づく。
前から2人の人間が歩いてきていた。
特異な出で立ちをした2人組だからだろうか、妙に目についたのだ。
片方はぶかぶかの真っ白なローブを羽織りフードを目深に被っていた。見るからに怪しい。
しかし、俺の注意はそちらではなく、もう一人のほうに注がれる。
そいつが誰か分かった瞬間、俺の心臓は小さく跳ねた。
----なんでここにこいつがいるんだ?
俺の疑問をよそに、そいつはコツコツと、軍靴の硬質な音を鳴らし、背後にローブの人物を伴って俺の方向に一直線に歩いてきた。
薄い唇が弧を描く。
「お久しぶりですね、ハイト。私の英雄」
俺はやや面食らった。
随分と印象が変わっていたからだ。
金と銀で刺繍が施された真っ白なコートを纏い、黒のパンツをはいている。男装した騎士のような衣装。その背には小柄な彼女には大きすぎる豪奢な長剣を背負っていた。色素の薄い金髪を緩く後ろで一本に纏めている。
顔の上半分には真っ白な仮面。
そこから覗く、ヘーゼル色の瞳だけが変わっていなかった。
「シン、ティア」
シンティア・レインバード。
100年ぶりの聖教国出身の【勇者】にして、俺の学園時代の友人がそこにいた。