23話:世界を繋ぐ【巫女】が零した涙と言葉
――母は何処にいるのか。
そう父に問いかけると、彼はいつも決まって困った様に笑いながら、答えをはぐらかした。
ただ、そうやって苦笑する父の目の端には涙が溜まっているのを、いつしかラルは気づいた。だからラルは母の所在について尋ねる事を気づけば止めていた。なんとなく、自分の母は生きてはいないのだろうと感じ取った。
真実を知らずとも、別に生きていくことはできたから。
故郷での生活は、嫌なことも沢山あったけれど、概ね平穏といっていいものだった。娯楽もないし、行商も滅多にやってこないような辺鄙な村だけど、彼女はそこで十分満たされていのだ。
そして。
運命の日が訪れる。
ラルは15歳の誕生日を迎え、村に住む他の者たちと同じように【職決めの儀式】を受けた。
授けられた【職】は【巫女】。
それによって、彼女の人生は大きく転換した。
車輪が坂道を転がり落ちるが如く、全ては彼女の意志とは無関係に決定されていた。
【巫女】の【職】を得て、少し経った後、聖教国の騎士たちが村にやってきた。
そして、ラルは知ることになる。
かつて母が辿った運命。
やがて己が辿る己の運命。
世界の為に死ぬことが、彼女に与えられた生きる意味だった。
◆
『封印塔』の中は簡素な造りだった。
塔の壁面に螺旋階段があり、何処かの部屋に繋がってる。彫刻も何もない石が剥き出しのその内壁は、いっそ無機質な印象さえ受ける。
塔の一階中央にはくりぬかれたような底の見えない大穴が開き、その下へと階段が続いていた。大穴の下、この『封印塔』の真下に、【不死王】オルファンは封じられているのだ。
その証拠に、大穴にふたをするような形で半透明の結界が覆っていた。結界の全貌は、恐らく今俺に見えている部分だけではないだろう。
結界は臓物を溶かしたような真っ赤な色をしていた。いや、溶かしたような、なんて比喩的な表現では不適当だ。恐らく、あの結界は、過去の【巫女】たちの血と魂が溶け合って構成されているのだ。薄明りの中、目を凝らせば、ドクンドクンと結界は心臓のように脈動しているような気がした。錯覚だろう。しかし、それでも背筋がぞっとした。
「神殿が騒がしいと思って降りてきたら。……何をするつもりだ、お前たち」
コツコツと、螺旋階段の上から降りてくる者がいた。
褐色の肌に銀の髪。目は南の海のように、濃い青。
ラルだ。
なるほど。
どうやら、この『封印塔』に【巫女】の部屋は用意されていたわけだ。
彼女の射殺さんばかりの鋭い視線に対して、俺は肩を竦めてみせた。
「そんな物騒な顔をするなよ。俺は勉強熱なんでな。500年続く結界を一度その眼で見ておきたかったのさ。……それにしても凄い結界だな。流石に神童の俺でもそう簡単にはマネできそうもない。全然仕組みが分からん。ちょっと中に入って見学していいか?」
「馬鹿にしてるのか?」
「怒るなよ。中に入るだけだ。ついでに剣を何回か振って、そしてすぐに帰ってくるだけだよ」
ラルは俺の冗談ににこりともせずに鼻を鳴らす。
そして、俺の横にいるシンティアの顔を見て、眉を上げた。
「お前、仮面はどうした?というか、傷なんて何処にもないな」
「割れました。それについては後々、説明します」
シンティアは『邪神迷宮』の踏破の結果、【職】が【勇者】から【魔王】に変化したことについては、ラルに黙っていたようだ。
「後々、か?」
「ええ、後々です」
そうか、と呟きながらラルは小さく笑った。そして、シンティアの顔をじっと見て感慨深げに言う。
「お前の顔も懐かしいな。やっぱり美人だよ、お前は」
「ありがとうございます。ですが身体はもう少し成長して欲しかったですね」
「贅沢だな」
和やかな空気が2人の間に流れる。
……俺の時とは対応が微妙に違わないか。シンティアに甘くないか?俺の気のせいか?
シンティアは、目を細めた。
弛緩した空気は一瞬で、引き戻される。
「ラル様、私たちは【不死王】オルファンを殺します。どうかそこを通してください」
「認められると思うか」
「ですが、それは私たちも同じです」
ラルは一度ため息を吐いた。
そして、俺たちに語りかける。
「なあ。私が死ねば、それで全て丸く収まるんだ。だったら、それで良いだろう?別にお前たちが、私のために命を張る義理は無い。……それとも、ここに連れてきたことを気に病んでるのか?だったら、それは見当違いだ。お前たちが、いなくても、私は最終的にここに辿り着いた。多分、道中の犠牲やら、ここに着くまでの期間やらは多少変化したかもしれないが、私の終着点はここなんだよ」
だから、気にするな。
ラルはそう言う。
「私は【巫女】だ。母も、祖母も、その母も。ずっとずっと同じことを繰り返してきた。私も【巫女】の使命に準じる」
昂然と彼女は言い切った。
命を賭して世界を存続させると、宣言した。
然し、なぜだろう。
俺はそこで、泣いている幼い子供を幻視した。
「……なあ。ラル。お前はそれでいいのか?」
「良い、とは?言ってるだろう?私はホルストの【巫女】だ」
「そうじゃない。こうするべきとか、【職】とか、そういうのじゃくなくてな」
もっと根本的な問題。
「ラル。お前、死にたいのか?」
彼女は目を見開いた。
そして、口を釣り上げて歪な笑顔をつくる。泣きたいのを無理に我慢しているような、そんな何かを堪えた表情。
「……なあ、頼むよ。お願いだから、そんな意地悪な事を言わないでくれ」
「違うよな。仕方ないから、どうしようもないから。だからお前は【巫女】の使命に準じる事に決めた」
「止めてくれ。…やっと。やっと。この結末を受け容れられる気がして来たんだ。この旅の中で、少しずつ生への執着を殺していって……。お願いだから、こんな土壇場で私に期待を持たせるようなことをしないでくれよ…」
ラルの瞳から一筋の涙が零れた。
「………もう一度聞く。お前は死にたいのか?本当は、お前はどうしたい?」
長い沈黙の果てに。
「――――――――――――――死にたく、ない」
その言葉がまるで恥ずべき事であるかのように、ラルはその一言を口にした。
「私はまだ、死にたくない…!」
自分の両肩を自分で抱きかかえ、震えながら彼女は言う。
「認められるわけがない。ある日、いきなり顔も知らない大人たちが来て、『世界の為に死んでくれ』。そう命じてきたんだ。私が死ななければ、沢山の人が死ぬことになるって、そう言われたんだ。……だったら。だったら、もうこうするしかないじゃないか。選択肢なんて最初からないも同然じゃないか」
ついに立っていられなくなり、彼女は膝から崩れ落ちた。
「たす、けてっ」
俺はラルの傍まで近寄り、彼女の頭を軽く撫でた。
「当たり前だ」
シンティアは、ラルの身体を無言で軽く抱きしめる。
「勿論です。貴女を死なせはしません」
俺とシンティアは『封印塔』に空いた大穴に目を移した。
暗闇の先に階段が続いている。
俺とシンティアは結界の中に足を踏み入れた。
中は半透明の赤色の液体で満たされていた。
ざぶざぶと足、腰、と浸かっていき、最後には頭まで液体に漬される。不思議と呼吸は続けることができた。
水中の中だというのに、浮遊感も全くなかった。服も濡れなかった。ただ、視界が半透明に赤色がかって見えた。
俺たちは階段を下へ下へと降りていく。やがて明かりが消え、俺たちは魔法で光源を生み出す。
本能は、いますぐ回れ右して元の場所に戻れと警告を発していた。それに逆らい歩き続ける。
この先にいるのだ。
『屍戦争』を引き起こした不死身の怪物が。
オルファンが、【不死王】が。
500年もの間、己を殺せる英雄を待ち続けているのだ。




